「ど、どうするのよこれ」
「わかるか」
 少女を片手につかみながら、一頭の獣が一歩を踏み出す。
 そう、それは獣だった。
 狼のような獣頭。可愛らしい桃色のドレスに身をつつんでいながら、その瞳には正気が感じられない。
「ロアン……。どうなっているの?」
「わからないけど、ひとつ言えることは、今のロアンはとんでもない魔力を身にまとっているってことね」
 唯一、魔法に対する造詣の深いテーラが言う。
「彼から感じる魔力量、とんでもないわ。うちの里にいる魔女全員を足したってあんなにはならない。もしかしたら、体で異世界からの魔力を引き出しているのかも……」
「それって大丈夫なの?」
「……正直、そんなことをしている人がいないから確証は持てないけど」
「どう見ても大丈夫そうじゃないでしょ。あんなの、話ができるようにさえ見えないわ」
「でも、じゃあどうしたら?」
「ロアンの体から強い魔力が出ている。たぶん、胸元? そこに魔力的な刺激を与えれば、原因が出てくるかも」
「要するに、ロアンの胸をぶっ叩けってこと?」
「できる? ヴェチル」
「鈍足のあんたたちじゃムリそうね。やるしか、ないでしょ!!」
 ヴェチルは影さえ置き去りに、とんでもない速度で飛び出す。
 その速度は暴風を越え、もはや雷速。ほんの数十メートルしかない距離、詰めるのは一瞬と呼ぶことさえできないほどの瞬間。
 なのに。
「ッ!?」
 ロアンは反応してみせた。間違いない。
 ヴェチルが”動き出してから”レイクを離し、腕を振り上げ、突っ込んでくるヴェチルを弾く。
 ありえない反射神経。もはや人間が反応できる速度を越えていたのに、彼は反応し、あまつさえ迎撃してみせた。
「ヴェチル!!」
 弾かれたヴェチルは周囲にあった木々をなぎ倒し、地面を5回バウンドして止まった。かろうじて息をしているようだが、虫の息だ。
「ロアン! ヴェチルだよ、何するの!」
「グル……」
 漏れてくるのは獣のうなり声。人間の発する言葉ではなかっった。
 もはや、人間の言葉さえ忘れてしまっているのだ。
「くっ」
 テーラが箒を構えようとした直後、
「ッ!?」
 ロアンの姿が蛍石の隣にあった。跳び蹴りしたのだ、と気づいたのは吹き飛んだテーラの姿を見てからだ。
「な、なんでこんなことに……」
「一番、嫌な展開ですね……」
 レイクがよろめきながら立ち上がる。
「魔力に支配されてしまいました。今の彼に理性は残っていないでしょう」
「魔力に支配……?」
「本来、魔力というものは一人一人に許容量があるものです。彼の許容量は他の人間に比べても大きい。それは、二つの世界に生まれた者の血を継いでいるせいでしょう。でも、限度はあるものです」
 そう、今の彼は体から魔力を溢れさせている。そして、それらが散逸することなく、常にまとわり続けている。
 言うなれば、六車ロアンそのものが魔力という大きな泉の源泉となっている。
「本当は、こうなる前に彼を回収したかったのですが……」
「こうなる前にって、こうなることが想定されていたわけ!?」
「ええ。元来、彼の持っている才能は、この世界にあってはいけないものです。世界が崩壊する以前に、彼が世界のねじれに耐えられる保証がなかった……」
「なんでそう言わないのよ!」
「言ったところでどうにかなりますか!? 世界崩壊する前にお前が狂うかもしれないからこっちの世界に来いなんて! 不安を煽るだけでしょう!!」
「うっ……!」
「それに、今さらそんなことを言っても仕方ありません。今の六車君には言葉も通じない。なら、力でぶちのめすしか方法がありません」
「できるわけないでしょ!? ケンタウルスだって倒せないのに、今のロアンを傷つけられると本気で思う!?」
「やるしかないんです。でなきゃ六車君はこのまま町を破壊しかねない。そして、回収も不可能となればーーいよいよ世界崩壊を止める方法もない」
 魔法少女の力は特別だ。自衛隊でも破壊できない兵器、それらと渡り合うだけの戦闘力。
 人間サイズでは自衛隊の持つ戦車や戦闘機だってピンポイントに狙えるものではない。人間が持つ重火器程度じゃ傷つけられず、町ごと破壊するつもりで攻撃したところで通じるかどうか。
 魔法という、異なるルールを手にしてしまった今のロアンを相手には、魔法で対抗する以外に術はない。
「六車君を殺せばそれで終わりにできるんですが、手段がありませんね」
「殺すなんてそんな!」
 蛍石は抵抗した。彼女にとって、ロアンは幼馴染みでありーー大切な相手だ。
「じゃあ他にやれることがあるんですか!? 現実的に考えて下さい!!」
「やるしかないでしょ!!」
「現実的じゃないのはあなたも同じでしょう、レイク」
 そう言ったのは、獣の声だった。
「……シジョー」
 カーバンクルの女は、ロアンに肩に乗る。狂暴になっている今のロアンも、シジョーを弾いたりはしなかった。
「今のロアンを止める方法はもうない。もう終わりよ、レイク」
「終わり……? シジョーさん、どういうこと?」
「ごめんね、蛍石ちゃん。ぜーんぶ嘘なの」
「……は?」
 くすりと笑う。シジョーの醸し出す空気が、いつもと違っている。
「この世界がピンチなのくらいかな、本当のことは。でも、私がそれを止めようとしてるっていうのも、レイクを止めるために画策しているっていうのも嘘なの」
「……もしかして、蛍石さん、気づいていなかったのですか。それは失敗でした」
 レイクは首を振る。
「彼女は第一級テロリストです。政治犯として収容されていましたが、脱走し、こちらの世界に逃げ込んでいます」
「テ、テロリスト……!?」
「我々の世界で、首都爆破を決行しました。死者22名、負傷者388名。逮捕し、死刑する直前になったところで、異世界渡航の技術を用いて逃走しています」
「じゃあ、こっちの世界とのバランスが壊れるとかいう話は……」
「それも事実です。我々が六車君の母を追いかけていたのも本当。ただ、そこにシジョーが絡むことで余計に混乱していたようですね……」
 失敗でした、とまたこぼす。
「そうですか、彼女が余計なことをしたから……。六車君が暴走しているのですね……」
「そ、そうなの? シジョーさん?」
「んっんー。それは語弊があるわね」
 尻尾を振りながら、シジョーは言う。
「ロアンがキーパーソンだったのは本当に偶然なの。まあ、魔力の強いところに扉が開かれるんだから、必然と言えばそうかもしれないけどね。彼に魔法少女の力を渡し、彼の中に眠る《鍵》を開いただけ」
「鍵?」
「異世界の力を引きずり出す鍵。今やロアンはこの世界を滅ぼす、強大な獣となった。誰にも止められない、どっちの世界も滅びるわ!!」
「シジョー!! 貴様!!」
「きゃははははははははははは!! 止めてみせなさいよ、公国軍人風情が!! この世界を滅ぼせば我々の世界も消えてなくなる!! 駅舎爆破なんてチンケなテロじゃない、本当の崩壊よ!!」
「そんなことして何になるっていうんですか!!」
「私の力で世界が変わるのよ!? こんなこと一生かかったってできることじゃない!! そのためならなんでもやるわ!! なんでもね!!」
 シジョーはロアンにまとわりつく。
 獣として、魔力が増大していく。
「さあ、フィナーレよ!! 世界が滅ぶ瞬間、一緒に見ましょうね!! ロアン!!」