4月8日 月曜日 AM10時00分


「というわけで、発表学習を行う」
 初老の教師は教室に居並ぶ僕らを前に、そんなことを言った。
 入学して一週間ほど経過した月曜日。先生が配ったプリントには色々と条件が書いてある。
「グループごとに好きな偉人を選んで、それについてまとめてもらうぞ。発表は1班5〜6分だ。班は出席番号順に3人ずつで組んでもらう」
 プリントを見るともなく眺めながら、何をするか考える。偉人についてね……。
「発表はしてもらうが、特に難しく考える必要はない。成績にも考慮しない。あくまでクラスメイトと仲良くなる機会、程度に考えていていいぞ」
 成績に入らないと聞いて、みんなの空気が少しだけ弛緩した。
 僕はこのクラスで、出席番号の最後だ。そうなると必然的に、僕が組むのは僕よりひとつ前の人、ということになる。
 入学したばかりのクラスは出席番号順に並んでいる。つまるところ、僕の組む相手は目の前に座っている女子、ということだろう。
「……」
 クラスメイトの名前もちゃんと覚えていないけど、さすがにひとつ前の人はわかる。南須原という珍しい名字の人だ。
 先週のクラス委員決めでも積極的だった、超がつきそうな真面目人物って感じだった。こういう人と組むなら、僕は楽かもしれない。
 出席番号1番の人から3人ずつのグループになっていく。クラスの人数が26人なので、僕は南須原さんと2人で組むことになった。
「よろしく」
「よろしくね」
 挨拶をかわす。
 南須原さんは、控えめに言っても美人の部類だった。目が大きく、スタイルもいい。派手な子たちのように髪を染めているわけじゃないけど、手入れをしているんだろう、それが似合っていた。
 しかも僕が男子の中でも小柄なせいもあり、身長がほとんど変わらないように見える。いや、背筋が伸びているせいか?
「発表の相談、放課後でいい?」
「え? あ、うん」
 相談、やっぱりするんだ。まあさすがに、テーマを何にするかとか、資料どうするかとか、色々と考えなきゃいけないところはあるだろうな。
 とはいえ、成績に関係ないならそれほど真面目な発表じゃなくても大丈夫なんだろう。
 むしろ女子と仲良くしなきゃいけないとか、そっちの方がハードルは高めだ。今までの人生、女子と仲良くしたことないしな……。
「あ、そうだ。連絡取り合うこともあるだろうし、ケータイのアドレス教えて?」
「えっ、あ、うん」
 僕はあまり使っていない携帯電話を取り出し、南須原さんに教えてもらいながら自分のアドレスを表示させる。
「……」
 アドレス帳に登録する彼女を見ながら、南須原さんはどうなんだろう、と考える。男子とグループで発表、しかも二人きりなんて、少しは緊張したりするんだろうか。携帯電話を操作している限りはそんな風に見えないけども。
 あるいは、見た目に反してそういうのには慣れていたりするんだろうか。それはさすがに想像できなかった。

☆   ☆   ☆   ☆



4月8日 月曜日 PM3時42分


 放課後。クラスに残り、南須原さんと相談することになった。
 他にも話をしているクラスメイトが何人かいる。見た感じ、僕らと同じ発表の計画を立てている人もいるけど、単純に雑談しているだけのメンバーって感じも多い。
 うちのクラスは、まだ始まったばかりだけど、みんなはそこそこ仲が良さそうだ。僕は顔見知りがいないこともあって、いまだに友達は作れていない。
 ……まあ今まで友達作ったこと、あんまりないけど。
 南須原さんは振り返り、椅子の背もたれに肘を乗せた。
「それじゃ、まずはテーマね。宮崎くんは何かこれってのある?」
「特には。そもそも偉人なんて、社会科の授業で習った人くらいしか知らないし」
「そうね、そのあたりが無難って言えば無難だけど。……他の班とかぶりそうよね」
 確かに。信長とかナポレオンとか、誰かがやりそうな気がする。資料も多いから発表も作りやすいだろうし。
「私たちは最後の発表だから、かぶっていると印象薄くなるわよね」
「別に成績とは関係ないって話だし、そこまで真剣でなくてもいいと思うけど……」
「駄目よ、学校の授業だもの。どんな課題でも本気で取り組むべきだわ」
 それはまあ、おっしゃる通り。やはりと言うべきか、積極的にクラス委員まで立候補するほどの人だけあって、そこそこ真面目らしい。
 ただ、ひとつだけ誤算があった。これは楽できそうにないぞーー。
「それじゃ、南須原さんは何かテーマにしたい人はいるの?」
「ええ。そう思って、昼休みにちょちょっと図書館まで行って本を借りてきたわ」
「昼休みに? ちょちょっと?」
 うちの学校、図書館はなぜか最上階の5階にある。生徒はルールのため階段で行くしかないけど、1年の教室が1階なので、めっちゃ疲れるやつだ。
 南須原さんは微笑しながら一冊の本を取り出した。
「マリア・ジビーラ・メーリアン」
 聞いたことのない名前だった。もう一度くりかえせと言われてもくりかえせないやつ。
「マリア・メーリアン。昆虫の絵で有名な人よ」
「虫の絵? 画家さん?」
「まあ画家と言えばそうかも。彼女は昆虫をつぶさに観察し、絵に残した。その過程は生物学に多大な影響を与え、多くの自然学者が彼女の功績を認めているわ」
「観察して絵を描く……?」
「たとえば、いもむしはサナギから蝶になるって、今なら幼稚園児でも分かるでしょ。それを最初に証明したのが彼女」
「そうなの?」
「ええ。当時、キリスト教の考えが強かった社会において、進化論や生物学はまだ浸透していなかった。虫は泥から生まれる悪い存在という認識で、蝶といもむしが同じ生物という認識を持っている人はいなかった。なのに彼女は、ただ観察するという手段だけで証明してみせたの」
 言われてみれば、いもむしと蝶、これが同じ生物の子供と大人の姿と言われてもなかなか信じられないかもしれない。
 現代の僕らは知っているから、これが同じ生き物だとわかる。でも体の構造も色味も食べ物も、何一つ共通点がない存在が同一であると認識するなんて、並大抵のことじゃない。
「そう言われると偉人って感じだね」
「ね。私、この人が好きなの。周囲の圧力にも負けず、正しいことは正しいと主張した。当時の風潮からすれば魔女裁判にかけられたとしてもおかしくなかったのに、それでも正しさを貫き通して、周囲に認めさせたの。こんなに自立した女性はなかなかいないわ」
「ふうん。南須原さんが好きなら、その人でいいんじゃないかな。僕に特別な思い入れのある偉人なんていないし」
「じゃあ決まりね!」
 再び本に目をやる。
 メーリアン。これが僕と南須原さん、二人のテーマに決まった。
「それじゃ、資料集めのスケジュールも決めちゃいましょう」
「ええ……。この本でいいんじゃないの?」
「だーめ。本は最低でも3冊はチェックしないと、片寄った内容かもしれないでしょ」
「……南須原さん、参考書とかも3冊やるタイプ?」
「参考書は1科目5冊よ」
「……」
 今更ながらだけど。僕のパートナーは、とんでもない人かもしれない。