1・共に逝く戦友 2・深紅に染まる 3・戦慄の狂戦士 4・譲れない前線 5・白熱する攻防 戻る |
「撤退じゃな」 狼の面を持つ人は、戦闘状況の報告を受け、はっきりとそう言った。まだその顔は若いが、口調には独特の雰囲気がある。そして、椅子に座ったその状態ですら、どこか威厳のようなものが漂っていた。 「これ以上は無理じゃろう。無駄に命を落とす必要もない、退け」 「それはいいけど、相手が素直に逃がしてくれるとは思えないんだけどにゃー?」 と、報告をした栗毛の猫娘が応じた。こちらもまだ若く見えるが、それでも、狼よりは年上だろう。 「あのエルフたちは獣人殺しに躍起になっているにゃ。私らが背中を見せたら、間違いなく食い殺されるにゃ」 「総員退避、それは変わらん。時間稼ぎくらいならワシがしよう」 「それこそさせられないにゃ。ぶたいちょー殿は獣人の未来を背負わなきゃいけないにゃ」 「んじゃ、オレが戦線維持するっす」 と、幕を上げて男が入ってきた。顔は人間のそれだが、下半身は馬のそれである。 「オレと副隊長が戦ってれば、ま、みんなが逃げるくらいの時間はできるっしょ。逃げ足は早い連中だし」 獣人軍の戦力でも最高位に位置する男の言葉。けれど、狼少年は首を横に振った。 「駄目じゃな。そんな作戦だと、お主らが死ぬ」 「あたしたちの命と部隊ひとつと、どっちが大事かにゃー?」 猫娘は、まるで他人事のように言う。狼少年は、ぐっと息が詰まった。 そこにトドメを刺すように、馬男が言う。 「迷っている時間はないっすよ」 狼少年は、ううむ、とうなった。 若い指揮官は全力で頭を回転させ、自軍のために最良となる結果を考える。 そして、言った。 「――わかった。ワシは部隊を率いて撤退する。その間、時間稼ぎをしてくれ。ただし、無茶をしてはいかん。これは命令じゃ」 「りょーかいっす」 「考えておくにゃ」 「では、ワシは告げてくる」 狼少年が幕の向こうに姿を消したところで、猫娘は言った。 「あんたも馬鹿だにゃ。あたしと付き合って生き残った馬鹿はいにゃいんだけどにゃ?」 「知っているっす。でも、副隊長を独りで残すわけにもいかないっすよ。まだ若い女の子なんだから」 「あ、それは差別発言だにゃ。戦争に男女は関係ないにゃ。それに、あたしはもう立派な大人にゃ。もう子供も産めるにゃ」 「そりゃ体が大人ってだけでしょ。何を言っても、副隊長はまだオレより若いっす。それに、何だかんだ言っても女の子に無茶させるような男は、外道っす」 猫娘は呆れたように馬男を見つめた。 「あんたは案外と考えが古いにゃ。もっと革新的な考えはできないかにゃ?」 「できないっすね。それが我が家の家風っすから」 猫娘は深くため息をついた。そして、腰の剣に手をかける。 「仕方にゃい。それじゃ、あたしらもそろそろ逝くかにゃ?」 「はい」 馬男も、背に負った剣を引き抜いた。 猫娘が馬男の背に乗ると、男は陣幕から駆け出した。 「そうそう。副隊長にまだ言っていなかった台詞があったっす」 「にゃー!? 風でよく聞こえないにゃ!」 風を切り裂き、野を駆け抜けながら、男は言った。 「オレ、副隊長が好きなんす」 「にゃー!? にゃんだって!?」 男はふっと笑い、叫んだ。 「飛ばします! しっかりと掴まっていないと、振り落としますよ!」 そして男は、更に速度を上げた。 丘から見下ろすと、敵の数がよくわかった。 「ひゃあ、こりゃすごいっすね」 「本当だにゃー」 たかだか小隊規模の追討に、おそらくは一個師団を率いているのだろう。それだけの数が、ずらりと並んでいた。 「で、どうするっすか。こりゃ適当にやって逃げる、なんて難しいっすよ?」 「あたしらの役目は時間稼ぎにゃ。それはつまり、時間さえ稼げれば他はどーでもいいって意味でもあるにゃ」 「そりゃ、ちょいと違うと思うっす」 馬男は苦笑を浮かべた。 「とりあえず、オレは副隊長には生きていて欲しいっすから」 「そりゃ残念だったにゃ」 全く悪びれずに猫娘は言う。最初から、生き残るつもりなどなかったのだろう。 馬男は軽く嘆息した。 「しょうがないっすね。ここまで来たら、オレも最後まで付き合いますよ」 「そりゃ、ありがとにゃ」 そして、ふっと猫娘の表情がなくなった。 「……これで、ようやく会えるにゃ」 「誰にっすか?」 「あたしに付き合って死んだ、馬鹿共にゃ」 「馬鹿、ね」 馬男は続けた。 「それって馬鹿じゃないって思うっすよ」 「どうしてにゃ? 死んだらそれでおしまいにゃ」 「だって、それは副隊長がそれだけの女だったって意味でしょ?」 猫娘が見上げると、馬男は笑っていた。 「副隊長を死んででも守りたかったから、そいつらは死んだ。それだけっす。そして、オレもそのひとりっていうわけっすね」 猫娘は呆然と男を見つめ、やがて、笑い出した。 「あんたもいい加減、馬鹿にゃ」 「たまに言われるっす」 猫娘は身体を低く、構えた。 「それじゃ。あたしの一世一代の大勝負、付き合ってくれるかにゃ?」 「あの世の果てまででも付き合いますよ」 そして。 気合と共に、ふたりの獣戦士は草原を駆け抜けていった。 |
夕刻の草原に、ひとりの狼少年が立っていた。 白銀の毛に覆われた身体に、鋭い牙を持つ口。濁りのない瞳には、紅い草原が映っていた。 彼の周囲には、エルフの死体が無残にも転がっていた。 その数は、ひとつやふたつではない。文字通り、死体が山のように積まれていた。 その近くに、獣人の死体が転がっていた。ひとりは馬の下半身を持つ男、ひとりは猫のような外見を持つ女だった。 馬はすでに足がひとつ、どこかに消えていた。全身は傷だらけで、まさに切り刻まれたという表現が似合う姿だった。 猫の方は、さらに無残と言えた。その有様は、筆舌に尽くしがたい。 狼少年は、ぐっと拳を握り締めた。 「どう、して……お主らが死ななければいけなかったのじゃ」 味方を生かすための犠牲。それは、必要不可欠な犠牲だった。誰かが犠牲にならなければ、部隊は全滅していた。 それでも。仮に絶対に避けられない犠牲だったとしても、それは犠牲だった。生命が途絶えた瞬間が、少年の目の前に広がっていた。 夕陽と鮮血に彩られた世界は、どこまでも紅かった。深く濃く、紅色の世界が広がっていた。 その中心で、少年はしばらく立ち尽くしていた。 「部隊長。時間です」 と、そこにひとりの青年が寄ってきた。死した栗毛の猫娘と同じ種族だが、こちらは全身が闇のように黒い毛で覆われていた。 「もう少し、ここにいさせてくれぬか」 「駄目です。ここは安全地域ではありません。部隊長の御身を危険に晒したとなれば、私は副隊長に顔向けできません」 青年は断固として言う。それでも少年は、動かなかった。 「のう。どうして、殺しあわねばならぬのであろうな?」 ふと思いついたかのように、少年は何の脈絡もない言葉を口にした。 「明瞭です。殺さねば、殺されます。元より立場の弱い獣人族が生き残るためには、戦いは必要にして不可欠な存在です」 「本当に、そうなのかの?」 「……部隊長。それは、部隊長が口になさるお言葉ではありません。部隊長は、常に兵たちの模範となり、最前線にて勇を示さねば」 少年は、嫌だと言うように首を横に振った。 「そんなのはわかっておるわ。それでも、今くらいは、感傷に浸らせておくれ」 「そんな暇はありません」 そして、猫族の青年は死者を見た。 「確かに、戦いがなければ彼らはここで死なずとも済んだでしょう。あるいは、平穏無事に生き延びたかもしれません。ですが」 死者から生者に視線を移して、男は続ける。 「ですが、私は戦いも悪くないと思っています。命が絶えるのは悲しむべき事柄でしょうが、私はそれ以上に、命を白刃に晒す、その感覚を愛しています。いつか死ぬかもしれない、けれど、だからこそ今はまだ生きている。その感覚こそ、私が愛するものです」 少年は青年を見上げ、困ったように呟いた。 「ワシには、その感覚はようわからん」 対して、青年は頷いた。 「それでよいのです。こんな存在は、他には要りません。争いと戦いを生み出すだけですから。けれど、これだけは覚えておいて下さい。戦いに生きるという、それこそを生きる目的にする者がいる、という事実を」 少年の濁りなき瞳は、しっかりと青年を捉えていた。逃さない。そう、言わんばかりに。 「それは、平和の中では得られぬものなのかの?」 「ええ。私のような者には、平和は退屈なのです。生物には、適度な争いも必要なのでしょう。ただ漫然と日々を過ごすなど、生物に向いたものではないのです」 青年の言葉に、少年は首を振った。それしかなかった。 「ワシにはそれが理解できん。争わなくて済むならば、それでよいではないか」 「それはそれで、良いのだと思います。それが、部隊長の信念なのでしょうから」 さ、行きますよ、と青年は続けた。 少年は最後に、ふたりの死者を見た。 死者は何も語らず、ただその深紅に染まっている身体を投げ出している。 「――すまない」 誰に向けて言ったのか。あるいは、それは少年にもわかっていないのかもしれない。 そして。少年は、駆け出した。 夕陽が、少年を見守るように輝いていた。 |
戦場を、ひとりの猫族が駆け抜けていた。 そのしなやかな体躯をひねり、ひるがえし、次々と敵兵を斬り、刻み、殺していく。 斬りかかるエルフとて、決して素人ではない。日々、戦いの訓練を続ける、戦闘のエキスパートだった。 それでも、笑みすら浮かべて、舞うように戦う猫族には、まるで歯が立たなかった。 元来、獣人族の運動能力は、他の種族とは一線を画す。中でも猫族は、その外見通りのしなやかさと身軽さで、剣ではなかなか捉えられないと有名だ。 それにしても。この青年の動きは、ずば抜けて素晴らしいものだった。 目では間違いなく捉えられるのに、それを身体では捉えられない。なんとも不思議な雰囲気だった。 次々とエルフたちが倒れ伏す中、ひとりのエルフの声が、戦場に轟いた。 「待てッ! こいつがどうなってもいいのか!?」 猫族の青年は、一時ばかり殺すのを止めた。遠巻きにエルフたちが囲む中、青年が顔を向けた先に、ひとりのエルフがいた。 壮年のエルフは、両脇に部下を連れていた。部下たちは剣を、首元に押し当てていた。 「――人質、ですか」 「その通りだ」 捉えられているのは、ふたり。 ひとりは彼の上司だった。狼族の少年で、その戦闘能力と指揮能力は、すでに大人を凌駕していた。 もうひとりは、女性だった。いつどこで調べたのか、それとも単に偶然か、彼の恋人と呼ぶべき存在だった。戦いに秀で、僅かな時間なら彼と互角の勝負ができるほどの腕前を持つ、稀有な人だった。 「ふたりとも助けたければ、お前が死ね。ひとりを助ければ、もうひとりが死ぬ。要するに、この三人の誰かが死ぬというわけだ。誰でも構わないぞ。どれも厄介だからな」 青年は血に染まった刀身を、ちろりと舐めた。彼にとっては考え事をする時に行うただの癖だったが、その姿は周囲のエルフを慄然とさせた。 「外道、ですね」 「戦争に王道はない」 堂々と言い放つエルフに、猫族の青年は頷いて見せた。 「一理あります」 「さあ。どちらを選ぶんだ」 壮年のエルフは、楽しそうに顔を歪めた。 青年は、少年に視線を送った。 「ワシの代わりなどいくらでもおる。戦えぬ獣人は下の下じゃ、お主らが生きよ」 狼族の少年は、そう言った。 続けて青年は、恋人に目をやった。 「弱い私では、あなたには相応しくないわ。部隊長を助けて」 猫族の女性は、そう言った。 青年はもう一度、刀身を舐めた。そして、剣をぐっと握り締めた。 「決めました」 「どちらだ」 その問いに、青年は嬉しそうに顔を歪めた。 「どちらかしか助けられない。だから、どちらかを選ばなければいけない。なるほど、面白い二者択一の問題です。ですが」 青年は楽しそうに笑いました。 「これはそもそも、問題として成立しません。片方を選んだ際、もう片方が確実に助かる保障などないのですから。そして、何より――」 青年は思い切り跳ねながら、言った。 「あなたたちのような外道に屈するほど、私は正常じゃあない」 一閃。まばたきすら間に合わないほどの時間に、青年はエルフに近付き、その首をはねていた。 混乱が伝染するエルフを尻目に、青年はふたりを掴んでいた男たちの腕を斬り飛ばした。 ふたりが自由を得たところで、黒毛の青年は狼族の少年を背に担ぎ、走り出した。その直後を、猫族の女性が随伴する。 「寄らば斬られるものと思いなさい!」 青年は楽しそうに剣を振るう。 実際、青年は楽しんでいた。今すぐにでも死んでしまうかもしれない。それは、自分だけではない。 それが、青年には何より楽しかった。命を懸けた者たちが演じる舞台は、青年にとっては格好の見世物でもあった。 やがて、戦場を力で切り抜け、三人は戦いの場からは少し離れた場所にやって来た。 そこでようやく狼族の少年を降ろすと、青年はくるりと振り返った。 「ちょっと待つんじゃ」 そこに、狼少年の声がかけられた。 青年は振り向かず、しかし、足を止めた。 「主、どうして誰も選ばなかったんじゃ」 「選んだところで生存は望めませんでした。何より、この方が面白いでしょう?」 平然と、青年は答えた。 「部隊長も、戦場で生きる限りは、選択を迫られるでしょう。その時、何を優先させますか? 当然、より多くが助かる道でしょうね」 「う、む」 実際、少年は他の皆を守るため、味方を見捨てた経験が何度かあった。悔しく、悲しく、しかしそれでも、少年は苦渋の決断を続けてきた。 「それは模範的な答えのひとつでしょう。ですが、それは面白くない。多くが助かり、少数が死ぬ。当たり前と言えば当たり前でしょうが、私はそういう選択肢は嫌いです。誰もが選ぶ選択肢では、面白みに欠ける」 顔だけ振り向き、青年は笑った。 「どうせなら、誰も選ばない選択肢を選びましょう。敵中突破も上等。仮にそれで全てを失ったとしても、自分が生きているなら、また得ていけばいいだけの話です」 ふと。青年は、女性の方を見た。 「そうそう。今度はミスをしないよう、お願いします」 「わかっているわ。ありがと、助けてくれて」 青年は、女性の言葉を鼻で笑った。 「礼など必要ありません。私は、私の楽しい道だけを選んだのですから」 女性は、苦笑を浮かべた。 「……本当に、素直ではないのね」 青年は女性の言葉など聞き流し、少年に言った。 「それでは部隊長。きちんと生き残って下さい。まだ生きているのですから」 青年は、猫のようなしなやかさで戦場へと舞い戻っていく。その後を、女性が駆け抜けた。 ふたりの姿を眺め、そして、狼族の少年は、反対方向に駆け出した。 |
獣人族の里から少し離れたところに、砦があった。 岩で作られた、崖と崖の間を塞ぐようにして作られた砦であった。堅牢なその外観は、何者も寄せ付けないという意思を表しているようにも見える。 その前に、軍勢がいた。エルフの軍勢だった。 時刻は深夜。あちこちで炎が暗闇を切り裂き、岩だらけの陣営を照らしていた。 その様を、砦から眺める獣人がふたり。 狼族の少年は、隣に立つ猫族の青年に言った。 「とうとう来たの」 「ええ。開戦は明朝となるでしょう」 黒毛の猫族は、特になんでもない、とばかりに頷いた。 「勝てると思うかの?」 「無理でしょうね。この砦には、敵陣営の十分の一も残っていませんから。あれだけの数と質ならば、力任せに攻め込んでも落とせるでしょう。どれだけ持つか、といった次元の話です」 「そう、か」 少年は、悲しげに首を振った。 「じゃが、退くわけにはいかぬ。仮に退けば、連中は里にまで攻め込むじゃろう。そうすれば、里は終わりじゃ」 「でしょうね」 「援軍でも、あればいいんじゃが……」 「無理でしょう。我々のような部隊に援軍を送るなど、ありえません」 少年は重苦しいため息をついた。 「じゃろう、な。ワシらは嫌われ者じゃからのぉ」 「仕方ありません。我々の姿は、どう転んでも異形でしかない。人間に混じって生きられる連中とは、話が違います」 獣人には、二種類の存在がいた。 一種は、見た目には人間だが、感情の高ぶった時や、意識的に開放した時にのみ獣の姿となる種族。こちらが、獣人族の多勢であった。 もう一種は、常に獣の姿たる者たち。戦闘能力こそ前者より高いものの、少数でもあるために、立場は弱かった。 少年たちの部隊は、その異形だけで構成された、使い捨てられる連中であった。 いつ死んでも構わない、むしろ死んだ方が良いとさえ言われる連中に、増援の望みなど皆無だった。 かと言って、残存の戦力だけで戦えば、彼らの里が壊滅するのは必至だった。 里は、彼らにとって唯一、差別されない場所だった。 異形の者だけが住まう、小さな里。それは、彼らが何より守りたいものでもあった。それ故に、ここで退くわけにはいかない。これ以上、退く場所はない。 「どうすれば、ワシらは里を守れると思うんじゃ?」 部隊を率いる小さな狼は、戦で常に最高の戦果を残す猫族に聞いた。 「里を守りたいのであれば、連中の撤退が必須条件です。ですが、連中の状態を考えると、撤退させるだけの損害を与えるのは難しいと思われます。要するに、諦めるのが手っ取り早いというわけですね」 「それだけはできん。やりもせんと諦めて後悔するなど、ワシの性分には合わぬ」 「同感です」 猫も頷いた。 「では、死ぬ気で戦って、ギリギリの中に活路を見出す。それ以外に選択肢はないでしょう。どうせ、正攻法では勝ち目などないのですから」 「やはり、それしかないか」 最初からわかっていた。選択肢など、初めからなかった。 後は、覚悟するだけ。死の覚悟では、もちろんない。彼らがしたのは、生きる覚悟だった。 どんな状況になっても、どれだけ苦しくても、生き抜く覚悟。命の灯が消える瞬間まで、いや、たとえ火が消し飛んだとしても、彼らは生きようとすると決めた。泥の中、血霧の先に希望を探すと。 「すまぬな。こんな戦に付き合わせて」 「構いません。私は、戦うためにこそ生きています。戦いを楽しむには、劣勢の方が面白い」 猫族の青年は、からからと笑った。彼にとって、この程度の危険は危険の部類に入らなかった。 「じゃが、ここで負けるわけにも、退くわけにもいかん。先に逝った連中に、顔向けできんからの」 「それは私の台詞です。部隊長を死なせては、私が顔向けできません」 「そうかの?」 少年は、くるりと外の光景に背を向けた。 「行くぞ。戦いの準備じゃ」 「了解しました」 少年は歩き出す。青年は、その後を楽しげに歩いていった。 何があろうとも、生き残るために。 |
血が舞い、悲鳴が響く。 倒れていく人々。それらは、揃って異形の姿をしていた。 人型の獣という形容が最も似合う彼らは、耳の尖った連中に切り捨てられ、死んでいく。 もちろん、彼らもただ殺されるわけではない。死ぬ前にできる限り多くの相手を殺そうと、剣を振るい、槍を閃かせ、斧を叩きつけ、拳を握り締めた。 死、死、死。 誰も彼もが死んでいく。命が途絶え、地に伏した後は、エルフも獣人も変わりはない。ただの、物に過ぎなかった。 その中でも、特に目立つ存在がふたり。猫のような青年と、狼のような少年だった。 猫族の剣は、すでに二十を越える敵を屠っていた。狼族の拳は、すでに十数体の亡骸を生み出していた。 一方的に、あっという間に終わると想定された戦いは、けれど、なかなか終わらなかった。 獣人たちの士気は、並ではなかった。一人一殺どころではない。一人十殺。それを、彼らは体現していた。 それは、ありえない光景だった。いかに身体能力に優れる獣人族でも、限度がある。エルフの十倍の身体能力など、有しているはずがない。だのに彼らは、それを実際に行って見せている。 肉が裂け、骨が砕けても、彼らはまだ殺そうとしていた。 それだけの士気の原因は、たったひとつだった。 『ワシと共に、死んでくれるか?』 彼は、獣人の期待を背負っていた。獣人族の中でも特に立場の弱い彼らを守り、導く存在として。 だからこそ、彼らは命を懸けていた。こんなところで、彼を死なせるわけにはいかなかった。 里には、まだ女子供もいる。彼らを獣人族の攻撃から守るには、まだ少年は必要だった。 そのためには。彼を、生かさなければならない。そして、彼を生かすには、エルフを殺さなければならない。 だから。彼らは、限界を超越した力を発揮していた。 自分たちの大切なものを守るために、誰かを殺す。その事実に、疑問すら抱かないままに。 やがて、士気だけではどうにもならない差が生まれ始めた。拮抗していた戦力は徐々に傾き、やがて、流れはエルフのものとなった。 そうなってしまえば、後は脆い。ひとり、またひとりと、獣人たちは倒れていった。志半ばで、朽ちていった。 日が、頂点に昇った。 とうとう。残る獣人は、ふたりとなってしまった。 エルフの銀に輝く剣に囲まれ、ふたりの獣人は背中合わせに荒い息を吐いていた。 「どうするんじゃ。逆転の方策でも見出してみい」 「無茶を言いますね。どうしろと言うのですか」 黒毛に覆われた猫族の青年は、ちらとエルフの群れの向こうに目をやった。 「……彼女も、逝ってしまいましたね」 「すまぬ」 「侘びなど要りません。それより、この場を切り抜ける方策でも見つけて下さい」 少年は、ふっと笑った。 「無理じゃの。少なくても、ワシにはできぬ」 「では、お互い様ですね」 じりじりと包囲網が狭まっていく。もう、終焉は近かった。 「そうじゃ、ひとつ思い付いたぞい」 「何ですか?」 少年は、ニカッと笑った。明るい笑みだった。 「どちらが多く倒すか、競争せぬか? 長く生き残った方が有利というわけじゃ」 「なるほど。それは、面白いですね」 猫族の青年は、強く剣を握り締めた。 「負けませんよ。彼女に笑われてしまいますしね」 「ワシもじゃ。限界まで生き残らねば、先に逝った連中に示しがつかぬ」 猫族の青年は、優しい笑みを浮かべた。珍しい表情であった。 「では。試合、開始です!」 そして。ふたりの獣人は、駆け出した。 その姿はまさに風。捉えられぬ、目ですら追えぬ、疾風のようであった。これまで戦い続け、疲労しているであろうに、先ほどまでよりも更に早かった。 ふたりの雄叫びが、砦にこだました。 |
周囲には死体、死体、死体。鮮血と鉄錆びた匂いに彩られた、墓場だった。 「隊長。刻限です」 「そうか」 大柄のエルフは部下の言葉に返事をしておきながら、完全に無視して砦の中を闊歩していく。 「隊長!」 鋭く言われ、仕方ないとばかりにエルフを振り向いた。 「よし。そんじゃあ、撤退するぞ」 「はい」 大柄のエルフが砦の外に出ると、そこには三人のエルフが待っていた。 「生き残りは、こんだけか」 「はい。残りは全て、あの猫族と敵隊長にやられました」 浅くため息をつき、隊長は言った。 「まーた族長に文句を言われるな、こりゃ」 「あのお方に口利きでもお願いしたらどうですか? 族長はあのお方を気に入ってますから、機嫌を直すかもしれませんよ」 「馬鹿。あいつに取り入るくらいなら、便所掃除でもした方がマシだ」 背に大剣を負い、男は言った。 「行くぞ。遅れるなよ」 「はッ!」 駆け出したエルフの後を、四人のエルフが追って走る。 戦場に天使が現われる、少し前のお話。 |