青年がその村を見つけたのは奇跡と呼んでいいほどの偶然だった。
 人が立ち入らないと言われている山の中に分け入り、案の定と言うべきか道に迷って。死を覚悟しつつ歩き回るうち、そこにたどり着いた。
「おんやあ、あんた誰さ」
 迎えた、というより発見したのは獣の皮を着込んだ老人だった。かなりの年齢だろうに、いまだに足腰や物言いがはっきりしている。
「それが、道に迷いまして。人里に行きたいのですが、道を教えてもらえませんか」
「人里ぉ? そんなぁ無理さ。この村のもんはぁ、誰も外に出たことありゃせん」
「誰も出たことがない?」
 閉鎖的な村、というのはそう珍しいものでもない。見ると、小さな畑や流れる川もある。
「けど、じゃあここを訪れた人は?」
「おらぁ会ったことねぇな。あんたが初めてさ」
「……筋金入りだな」
 そこまで閉鎖された村、というものを青年は見たことがなかった。
 だがまあ、川が流れているのなら下流に行けば町に出られるだろう。そう思った青年は、舟がないかと問うた。
「舟って、なんだ?」
「おいおい、舟も知らないのか?」
「あなた。外の人ね」
 高い声に、青年は振り向く。と、そこにまだ幼い女の子が立っていた。老人などとは違い、町でもなかなか見かけられない細かな刺繍が施された黒服を着ている。肌も日焼けした老人に比べ、明らかに外に出ない者の色合いをなしていた。
「君、は?」
「村の者よ。私の家に舟があるから、来なさい」
 言い残し、少女はすたすたと歩いて行ってしまう。
 ならせめて挨拶を、と青年が振り向いた時には、すでに老人の姿はそこになかった。
「あれ?」
「何をしているの。早く来なさい」
 いつの間に老人は立ち去ったのだろう。
 首をかしげながらも、青年は少女に付いて村の中を歩いて行った。

 少女は青年を村の奥の奥にある一軒家に連れて来た。
 お屋敷、と呼べるほど大きな家。その邸宅の裏には、いくつもの小舟が並んでいた。
「どれでも好きなものを持っていっていいわ。使う条件はふたつ。今すぐこの村を出て行くことと、二度とこの村には立ち入らないこと」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今すぐって、それは無茶だ」
 青年は空を見上げた。すでに茜色。今から小舟でどこかに行こうとしても、確実に川の上で夜を迎えることになる。それは危険以外の何物でもない。
「別に意地悪をしたくて言っているわけではないの。夜、この村にいることは本当に危ない。だから、すぐに出た方がいいと言っているのよ」
「夜? 夜になったら何かあるのか」
「あなたが知る必要はないこと。この村のつまらない習慣よ」
 少女は答えをはぐらかそうとしていたが、青年はかえって話に興味を持った。むくむくと大きくなる好奇心に負け、青年は問いかける。
「どうだろう。僕をこの屋敷に泊めてもらえないだろうか。代わりと言ってはなんだけど、少しの路銀と旅話を提供するよ」
「論外。私は今すぐに出て行きなさいと言ったの。それ以外の話は聞かないわ。それとも」
 少女の目が、冷たく凍った。
「あなたもこの呪われた村に住みたいのかしら? それなら止めないわ。存分に楽しんでいって」
 それは、およそ子供の目つきではなかった。何度も修羅場を潜った、老齢の瞳。
 そのあまりの冷たさに、青年は背筋を震わせる。
「わ、わかったよ。小舟は貰ってしまっていいんだよね?」
「ええ。この村の者は誰も使わないもの」
「使わない? なのに舟はあるの?」
 再び、少女の射抜くような視線が青年に向く。
「余計な詮索は無用。誰にも秘密はあるものでしょう? この村は、それを共有しているというだけ。村の人間ではない者には絶対に教えられないし、知ってしまえばあなたはもう村を出ることができない。そうやって村の住人になった者も何人かいるわ。本当に、それでも聞きたい?」
 その底知れぬ瞳に恐怖を覚えた青年は、思わず首を横に振ってしまった。と、少女は途端に柔和な笑みを浮かべ、
「そう。じゃ、早くお行きなさい。あなたの常識の世界へ」
 青年は首を縦に振るしかなかった。

 夜半。今宵は月の明かりがまぶしいほどだった。
 その中を、青年は木々をかき分け歩いて行く。一寸先はまさに闇。自分の足元さえはっきり見えない中を、月明かりだけを頼りに進んで行った。
 青年は少女に言われた通り、小舟を貰い受けて川を下り始めた。そしてしばらく行ったところで小舟を強引に岸に寄せ、そこに舟を縛りつけて道を戻り始めたのだ。
 一時は少女の剣幕に押し負けたものの、やはり強い好奇心には抗えなかった。
 ――何が起きるのか見てみたい。
 頭のどこかは止めた方がいいと言っていたが、それでも足は止まらなかった。
 やがて、幸運にも村の明かりが見えてくる。そこで青年は安堵の息を漏らした。
「おや?」
 よくよく見ると、それは生活の明かりなどではなく、たいまつの放つ炎だった。何人もの村人が手に手にたいまつを握り、村の中心部に集まっているのだ。
 その中には先ほどの老人の姿もある。むしろ、中心人物にさえ見えた。
「もう我慢ならねえだ、あの化け物がァ!」
「んだんだ、あんなの殺しちまえばいいだ!」
「そうだそうだ!」
 村人の様子はどこか狂気じみていて、思わず青年は木陰に身を隠した。
 そのまま村人は何事かを話し合っていたが、やがて村の奥――少女の屋敷がある方向に向かって歩き始めた。
 青年は嫌な予感を胸に抱きつつ、村人たちからは見つからないように後を追う。
 村人たちは青年の予想通り少女の家に行くと、そのまま手に持ったたいまつを放り投げた。
 家に火が移る。炎が闇夜の中で輝く。
「なッ……!?」
 青年が見つめる中、村人たちの狂った宴は続く。
「死ねやァ、化け物がァ!」
「死ね! 死ね!」
「殺せ! 殺せ!」
「焼き尽くせ! 焼き尽くせ!」
 屋敷は徐々に燃え上がり、崩れていく。
 青年は震えながらも、目を離せずにいた。と、その中でさらに信じられない光景を目の当たりにする。
 炎の中を、小さな影が歩いていた。やがて、その本体が炎の中から抜け出してくる。
 それは、夕刻に出会った、あの少女だった。とは言え、衣服は破け、肌は火傷と煤に覆われている。ほとんど死体と変わらぬような外見なのに、それでも少女は何も変わることなく悠然と歩いていた。
「出たな、この化け物が!」
「お前のせいで、村がどれだけ迷惑しているか!」
「そうだ、殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
 村人たちはたいまつを棒に、くわに、包丁に持ち替え、それを少女に打ちつけていった。
 耳障りな音が、離れた場所で見ている青年のところまで響いてくる。不思議なことに、少女の声は欠片たりとも聞こえて来なかったが。
 青年はそれ以上を見ていられず、そのまま村に背中を向けた。

 翌日。気になった青年は三度、村を訪れた。
「どうして村人たちは、あの少女を殺そうとしたのだろう……」
 それも、あれほど残虐な方法で。
 よほどの何かがあったはず。青年はその理由を知りたいと思っていた。
 木々をかき分け村に入ると、昨日も出会った毛皮姿の老人と出くわした。
「おんやぁ、誰かね、あんた」
「あ、あなたは昨日の……」
「昨日ぉ? あんた、昨日も来たんかね」
「は?」
 青年は眉をひそめ、
「いや、だって昨日もお会いしたじゃありませんか。ちょうどこのあたりで。それで舟がないかって聞いて」
「舟? 舟って何かね」
「……?」
 話がかみ合わない。
 青年にはそれが不思議だった。まさか昨日の今日で忘れてしまったわけでもないだろうに。
「あなた、守らなかったのね」
 今度こそ本当に、青年の背筋が凍りついた。
 意志に反して、首は錆びついた歯車のようにゆっくりと後ろに向いて行く。
「き、みは」
 そこに立っていたのは、昨晩、あれだけ殺されていたはずの少女。
 けれどその姿は昨日の夕刻と何も変わることはない。相変わらずの綺麗な刺繍。白い肌。
 少女は軽いため息をつき、
「仕方ないわね、あなたも。説明してあげるわ。屋敷に来なさい」
 振り返ると、やはり老人の姿はない。
 青年はわずかに迷いを見せた後、少女の後を追い始めた。

 やはり屋敷は何事もなかったかのようにそこに鎮座していた。舟もそこに並んでいる。青年が貰い受けたものも含めて。
 少女は青年を屋敷の一室に通すと、紅茶と菓子を出した。
「一体、どうなっているんだ? この村は何が起きている?」
「まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい」
 少女は軽くカップを傾け、落ち着いた調子で語り出す。
「昨日も言ったと思うけど、この村は呪われているの。この村の中で日々の暮らしを覚えていられるのは人間ではない私だけ。他の村人は、まあ人形のようなものよ。考えているようで考えていない。動いているようで動いていない。だから何の知識も持たないし、何の知恵もない」
 青年は少女の言葉の中で最も気になった点を繰り返す。
「人間では、ない?」
「そう。村の誰かが言っているのを聞かなかった? 私は化け物。一言で表すなら吸血鬼よ。寿命もなく、死ぬこともない。老いることも朽ちることもない」
 見た目にはただの少女にしか見えない。が、青年にはその言葉が真実であると伝わっていた。何より、少女の持つ異様な雰囲気の前では、信じざるをえなかった。
「この村は私の村。呪いの村。ここの住人は同じ一日を永遠に繰り返すの」
 その言葉で、青年は気付く。
「まさか、君を殺す一日を……?」
 少女は紅茶の湯気の向こうで目を細める。
「正解。私は毎夜、この村の住人に火で焼けれ体を打たれ骨を砕かれる。それでも死ぬことはなく、また同じように朝を迎え、夜になれば同じように殺されるのよ」
「どうして、そんな?」
「化け物にもね、化け物なりのルールがあるの。私はそれを破った。その罪を償うため、永遠の時をこの村で過ごすの」
 少女は口角を持ちあげた。そこに、不気味な犬歯が覗く。
「私は吸血によって力を得る一族。といっても、別に血を吸わなければ生きられないわけではないわ。だからこそ、私たちが血を吸うのは特別な時と決まっている。自分の選んだ異性を永遠に隷属する時のみ、吸うことを許されるのよ」
 そこで初めて、少女の瞳が曇る。
「けれど私は同性を愛した。そして彼女の血を吸った。吸血の一族としてしてはならないことをした。――結果、私にさえ解けない呪いを施され、この村に幽閉されているの。過去も、今も、未来も」
 ふと気がつくと、青年の体が小刻みに震えていた。
「苦しく、ないのか?」
「愚かね。苦しくないわけがないでしょう。死なないことと苦痛のないことは別の問題。死なないからといって痛みはあるわ。焼かれれば痛い。傷つけば痛い。砕かれれば痛い。そうでなければ罰の意味もない」
 紅茶の甘い香りが部屋に立ち込める。少女は平然と、淡々と、己の死を語る。
「もちろん痛いよりは痛くない方がずっと良いわ。けれどそれでは罰にならないもの。私には、この罰を受ける義務がある」
 少女の視線が、青年の体を見つめた。そして、くすりと笑う。
「あなたも約束を破った以上、私たちの側に来てもらうわ。老いることも死ぬこともないまま、ただ私を殺し続けなさい」
「そ、んな、冗談じゃない! そんなのお断りだ!」
 青年は立ち上がる。いまだ恐怖はあったが、それより怒りが先に立った。
「あら、私は提案したのではないわ。命令したの。私を殺しなさい、と」
「誰がそんなこと……!?」
 突如、青年の体が揺れる。そのままソファに倒れ込み、青年は起き上がれなくなった。手が、足が、彼のいうことを聞かない。
「この紅茶はね、私たちの飲み物なの。けれど人間にとっては毒。香りには体を弛緩させる効力が、液体には呪いをかける効果があるわ」
 少女は自らのカップを皿に置き、ソファから立ち上がると、青年のぶんのカップを手に取った。
「バカ、な……。どうして、自ら、苦しむようなことを?」
 少女のまなじりが下がる。それは、悲しみの表情だった。
「意味のないルールは存在しないわ。私は、たったひとりの愛する人さえ幸福にできなかった愚か者。だから、永遠の罰を受け続けるの。たとえ彼女がそれを望まないだろうと知っていても、ね」
 青年の口元にカップが近づく。琥珀色の液体が揺れる。
「さようなら。夜になったら、また会いましょう?」
 その液体が、そっと青年の口に注がれ……。



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