長い、長い暗黒の時代が続いていた。 魔王と呼ばれる存在が各地の魔物を率い、人々を苦しめる。時に殺し、時にいたぶり。その苦しむ様を楽しむように遊んでいた。 そんな魔王を倒すべく、世界各国から勇者が旅立つ。しかして、真の勇者たりえた者はただのひとりもおらず、ある者は途中で逃げ、ある者は魔物との戦いで命を落とし、またある者は恐怖に負けて自ら死を選んだ。 そんな中。小国出身の勇者がとうとう魔王のもとに辿り着く。 彼はまだ十五であった。自称勇者たちの中でもとりわけ幼く、それだけに道中の苦労も多かったが、それでも彼はやり遂げた。 仲間たちと協力し、魔王の城に攻め入り、とうとう打ち滅ぼすことに成功したのである。 魔王が倒れた瞬間、世界中の魔物たちは力をなくし、世界に平和が訪れた。 今日は、そんな世界の英雄が祖国に帰る、その日である。 「勇者様バンザーイ!」 「バンザーイ!」 「バンザーイ!」 幼き勇者様を一目でも見ようと、町人が道という道を埋め尽くしている。そんな中を、勇者の少年が歩いている。 「な、なんだか照れるね」 「何を言ってんだよ、ボウズ。お前は世界を救った英雄だぞ。もっと胸を張っとけ」 「あらあら。そういうところが可愛いんじゃない、ねえ?」 「……仮にも世界を救った勇者に『可愛い』というのは」 「何を細かいことを気にしてんだよ。オレたちにとっちゃこいつは勇者である以前に仲間だろうが。ただのちっこくて生意気なボウズだよ」 大柄な戦士の男が勇者の少年の頭をがしがしとなでる。 「ちょ、ちょっと! みんな見てるじゃないか!」 少年は頬を染める。その姿を魔法使いの女性はころころ笑いながら見つめ、神官の少女は無表情に眺めていた。 勇者たち一行は城へと招き入れられた。正門では兵士長が出迎え、 「お帰りなさいませ、勇者様。お母上がお待ちです」 恭しく頭を下げた兵士長に案内され、勇者たちは城の中を歩いて行く。 「たしかおまえの家は母子家庭だったよな」 「うん。母さん、元気にしているかな?」 階段を上り、大広間に入ると、そこでひとりの女性が待ち構えていた。 「母さんだ! ただいまー!」 少年は大きく手を振った。けれど、母は振り返さない。 「あんまりにも変わってるからわかんないのかしらねー?」 「さあ? どうしたんだろう。とにかく行こ!」 少年は駆け出した。仲間たちも後を追う。 「母さん!」 少年は母にそのままの勢いで飛びついた。母はしっかりと踏ん張ってその衝撃に耐え、息子の顔を見つめる。 「アレス」 「母さん……」 名を呼ばれた勇者は顔を上げ、 ――パンッ! 一瞬。何が起きたのか、まったく理解できなかった。 ゆっくりと熱くなった頬に手を当てる。そうして初めて、少年は自分が叩かれたのだと知った。 「な、んで? 母、さん?」 わけが分からず戸惑う少年を、今度はぎゅっと抱きしめた。 そして、母は言う。 「アレス。あんたなんで旅立ちの前にお母さんに相談しなかったの。なんで勝手に飛び出したりしたの」 「それ、は、反対されると思って……」 「当たり前でしょ!」 母の激しい口調に、思わず少年は背筋を震わせる。 「ちょ、ちょっと待ってやってくれやおふくろさん」 たまらず戦士の男性が割って入った。 「確かにボウズは何も言わずに出て行ったかもしれねえ、けど、立派に魔王を倒して帰ってきたじゃねえか! なら、まずは叱るより先に褒めてやるべきじゃないのか!?」 「それが何よッ!」 母親の剣幕に、歴戦の戦士が思わずたじろぐ。 「この子はまだ十五なのよ!? まだ子供なの!」 母は強く強く、少年を抱き締める。 「世界の平和とか、魔王とか、そんなのどうだっていいの。アレスは私の息子なの! たったひとりの、かけがえのない子供なのよ!」 母の言葉に、仲間たちも自然と口を閉ざし、顔を下げていく。 「夫のいない私には、もうこの子しかいないの! 世界が平和になったって、この子が帰ってこれなかったら、私にはそれでおしまいなのよ!」 母の頬を、涙が伝う。 「よかった。本当に、よかった。あなたが、無事で――よかった」 「母さん……」 強くなった手で、少年は母の手を取る。 「ごめんね。勝手に行って」 「もう二度としちゃダメよ。無茶は絶対にダメ。今度やったら、魔王より先に母さんがあなたをぶっ飛ばすからね」 「ふふ。魔王より怖いや」 母は少年から離れると、ぽん、とその背中を押した。 「さ、行ってらっしゃい。勇者様の凱旋を待っている国中の人に、その顔を見せてきなさい」 「うん!」 大広間から出て行く少年たちの姿を見送る母親。と、そばに兵士長が近づいてくる。 「よいのですか。彼を捕まえておかないと、またどこかに行ってしまうかもしれませんよ」 「大丈夫ですよ。あの子の帰って来る場所は、ここしかありません。それにあの子は約束してくれましたから」 手を胸に当て、母は子を想う。 「あの子は大きな力と、使命を背負った子。私が止めたところで止まる子ではありません。ですから、せめて、釘を刺しておいただけですよ」 「はは。手厳しい」 「当たり前です。あの子はまだ子供なんですから」 そう言って、母親は柔らかにほほ笑んだ。 |