狭い部屋だった。部屋のほとんどをベッドが占めており、隅っこにはテレビが置いてある。 画面には先日の大事件、その続報が映っていた。とはいっても、更新された情報は被害者の数だけ。それ以外の何もわかってはいない。どうやってその事件を起こしたのか、その事件を起こした人間はどういう人間なのか、どうしてこんな事件が起きたのか。 建物の崩落という未曾有の大事件にも関わらず、そういった情報は一切、表に出てこない。それもそのはずだ。犯人を名乗った連中、まっとうな過去を持つ人間は誰一人としていない。表に出るような過去など、誰も持っていないのだから。 雨雲京介はベッドの上で上半身を起こしていた。右の肩口から先はない。この場合、腕の一本で済んで助かった、と言うべきなのだろうか。 彼の表情は、目標を達成したばかりにしては、極端に曇っていた。その原因は、彼の左右に座っている。 「……」 「……」 日向と灰塚。二人の異性が彼を挟んでにらみ合っている。日向の手にはリンゴ。灰塚の手には乾パンらしきもの。 雨雲の目の前で、火花が飛び散る。 「日向。灰塚。なぜ僕を挟む」 「京君は黙っていて」 「は、はい」 そして、沈黙。空気はやたらと重い。 ただ座っているだけでも苦痛な空間。この二人はこんなに仲が悪かっただろうか、と雨雲は自問する。もちろん答えは返ってこなかった。 なんかこう、耐えられない。 ごほん、と咳払いし、雨雲は日向に視線を送る。 「ひゅ、日向。今まで黙っていて悪かったね」 「何が?」 「その、僕と君の関係」 隠しておく必要は、実はなかったのかもしれない。だが、雨雲京介という人間が知られることは、あまり好ましくなかった。その事実は知られていないからこその切り札であり、雨雲がどういう人間か知れてしまえば、無力な彼は抵抗する手段を失ってしまう可能性が高かった。 いや、今では何を言っても詭弁だろう。 日向はその怜悧な視線を雨雲に向け、 「別にいいよ。事実があろうがなかろうが、私と京君の関係が変わるわけじゃないでしょ?」 「まあ、それはそうなんだけど」 「なら、別にいい。それより」 日向の視線が再び灰塚に向く。バチバチ。 「これからどうするわけ? もう日本中、どこにも居場所はないのよ」 「関係ない。元より、五星には居場所がないのだから」 そこで、初めて灰塚は表情を曇らせた。 「言うなれば、月宮が唯一の居場所だった。塔原も、白桃も、失った悲しみをあの場所で紛らわせていた」 決してまとまりのある五人ではなかった。息が合わないことも多かったし、灰塚だって氷室は嫌いだった。 それでも。それでも、なんとなく、あの場所の居心地は悪くなかったように思う。 「居場所なんてものは自分で作るものだ。君が新しい居場所を手に入れたように。あの子らにだって元々、居場所はあったはずなんだ。それを捨てたのも彼女たち、同情する余地なんてないさ」 「そうかもしれない、けど」 「ちょっと、京君。そういう言い方はないんじゃない?」 「君はどっちの味方なんだ、日向」 はぁ、とため息。雨雲京介は自分の左右に座る二人の女性の顔を見る。 「日向。灰塚。これからのことは、君たち自身が決めればいい。日向が言うように日本にはもう居場所なんてほとんど残されていないだろうけど、国外に脱出してしまえばどうってことないだろう」 「私たち自身、って、京君は?」 日向の顔に不安の色が宿る。実際、彼女が最も気にしていたことは、その点だった。 雨雲京介。彼の生きる糧、柱となる存在は、DDクラブのメンバーを殺したいという強い感情だった。それがあったから彼は生きようとしたし、どんな時も生を手放さなかった。生を餌に、死を退けてきた。 だが、今の彼にそれはない。DDクラブが存在しなくなった今、彼を支えるものは存在しないのだ。 それが、不安を煽る。 「これから、ね」 雨雲は自分の右腕を見た。そこには、もう何もない。何ができた腕でもなかった、だが、それがないという喪失感はとても大きい。 「僕のことを気にする必要はない。目的を達し、君たちが僕に関わる理由もないだろう。自分のことくらい、どうにかするさ」 「何を言ってるの!」 思いのほか、大きな声が出た。それでも日向は止めなかった。 「私はDDクラブなんて最初からどうでもよかった! 京君に興味を持ったから、だから付いてきた! 私はどっか行けって言われたって絶対にどこにも行かないからね!」 ぜーぜーと肩で息をする。興奮が落ち着くにつれ、冷静さも戻ってくる。 「わ、わかった?」 「まあ、ね。灰塚の意見は?」 「右に同じ」 簡潔明瞭。 しかしなぁ、と呟いたところで、扉がノックされた。反射的に灰塚は銃に、日向は刀に手を伸ばす。 「あー、雨雲京介か?」 扉の外から聞こえてきた声は、意外なことに、聞き知った声だった。 「入って」 声をかけると、素直に入室してきた。 大柄な体を窮屈そうに揺すりながら、小鉄は部屋の主に挨拶する。 「よく生き残ったな、雨雲」 「それはこっちの台詞だ」 「お前たちが殺さなかったんだから当たり前だろう」 「……まあ、ね。それで、いまさら何の用だ? 月宮はもういない、義理立てする相手もいないだろう」 雨雲は自然だが、その左右にいる二人は緊張しているのがありありと見て取れた。小鉄は武器を持っていないように見えるが、だからといって安心できるわけではない。 「いや、な。私の、正確に言うなら氷室の部下がお前に用事があるらしくてな。私は、いうなればその取り次ぎだ」 「氷室の部下?」 五星の兵隊のことだろうか。全員を殺したわけではないし、むしろ大半は殺さないようにしたから、生きているのは当たり前。とはいえ、この段階まで及んで、何の用件があるというのだろう。 「案内してもよければ連れてくるが」 「敵意は、なんて、聞く意味もなさそうだな。どうぞ。どちらにせよ、今の僕に何があるわけでもない」 わかった、と小鉄は一度、部屋を出て行った。程なく戻ってくる。今度は一人の少女と、車椅子に乗った青年を連れて。 その顔を見た途端、三者三様に顔色を変える。 「えッ!?」 「……!」 「ほう。なんだ、死に損ねたのか、バカ」 「そりゃこっちの台詞だよバーカ」 立風宗也。彼らが知るその顔よりもだいぶ痩せこけ、五体もとても無事とは言い難い様子だったが、生きてはいた。死んでは、いなかった。 「元気そうじゃないか。後ろのが兵隊か?」 「――あなたは覚えていないかもしれませんが、水の部隊長をしていました、柚島です。立風さんはこちらで治療させていただいておりました」 「どうして君が?」 「そこらは私から説明しよう。柚島には話しにくいだろうしな」 小鉄が前に出ると、柚島はほんのりと頬を染めながら下がった。 「なに、それほど難しいことじゃないが、要するに氷室は人望というものを持っていなかったということだな」 「それで?」 「お前たち、氷室を騙しただろう。そのせいであいつはキレた。感情に身を焼かれた氷室ってのは厄介なもんだ、私でも止めることはできない」 「それで、立風相手に爆発したわけだ。はは、本当によく生きているな」 「かろうじて、といったところだ。もしもお前が居場所を知らせなかったら、氷室はこいつをなぶり殺していただろう」 雨雲の居場所さえ知れば、立風の存在など氷室にとってはどうでもよかった。彼女は立風を捨て置いたが、小隊長である柚島は立風の、あまりといえばあまりの姿に、さすがに同情した。彼女の余計なひと言のせいで彼がこうなった、という負い目もある。 そのため、仲間を回収しに来た連中に、立風も病院に連れていくよう指示しておいたのだ。 とはいえ、助かるかどうか、それは五分以下の際どいところであったという。今も胃はまるまる切除、他の内臓もいくつか欠損し、足は二度と動くことはなく、腕もリハビリ次第とはいえ全快する見込みはないという。 「包帯お化けにはなったけど、まあ、死んでなきゃどーにかなるよな」 「お前、死んだ方が世のためだったんじゃないか」 「そりゃお前のことだバカ雲。まったく、日向さんたちに心配かけて、お前ってば何様だよ?」 はは、とお互いに笑う。そういえば、二人ともひどい格好だ。もっとも雨雲は、立風に比べればだいぶマシなのだが。 「よくこの病院の場所がわかったな?」 「情報収集は俺の専門だぜ? それに、お前が入れる病院なんてやましいところがある場所に決まってるからな、そう難しくはなかったよ。月宮の屋敷から近くて、ワケあり患者を受け入れられる場所なんて、ここくらいなもんだ」 「実は、私も立風も、さらに言えば部隊のメンバーもここで治療を受けている」 「……世間って狭いのね」 「世間というよりは、裏社会が」 はは、と乾いた笑いが響く。雨雲の顔に何を見たのか、立風は、 「あー、日向さん、灰塚ちゃん、柚島。ちょっと外に出ないか」 「え?」 三人に声をかけた。灰塚も日向もいまいち意味を理解していない様子だったが、立風の様子に何かを察したのか、文句も言わずに立ち上がった。 「じゃあ、京君、また後でね」 「……後で」 日向と灰塚、双方が手を振り、 「ま、頑張れや」 何をだ、と雨雲が言い返す間もなく、立風は三人の少女たちを連れて退出。小鉄と雨雲だけが残される。 テレビ画面は相変わらず同じニュースだけを続けている。 その音を、しかし雨雲は聞いていない。 「悪かったな。生かすことはできなかった」 「仕方ない。それがお前の選択だったのだからな」 「君は僕を殺すか?」 小鉄は、ゆるゆると首を振った。 「軍人は人殺しとは違う。ただ、命令があるから殺すんだ。好きだから殺すわけじゃない。私にはお前を殺す理由がない」 そうか、とだけしか雨雲は言わなかった。 「本心を言えば、月宮には生きて欲しかったがな」 「どうしてあの男にこだわるんだ? 僕が言うのもあれだが、あいつは外道もいいとこだ」 「人の道からは外れていたな。だが、私があいつに助けられたことも事実だ」 「たった一度、しかも月宮は自分の目的に従って君を助けたにすぎない。それでも、君はあの男を慕うのか?」 「慕っているのともまた違う。ほっとけなかったんだよ。いうなれば、日向がお前を見捨てないのと同じことだ」 「雪乃、か。彼女にも、悪いことをしたよ」 ふ、と小鉄の口元に苦笑が浮かぶ。うつむき加減の雨雲は気付いていないようだったが。 「いいか、雨雲京介。女を甘く見ない方がいいぞ」 「……?」 「本気になった女の意思の強さは、男なんかじゃとても届かない。母親の強さだ。それがあるから、女の霊力の方が安定する」 「そういうものかね」 「そういうものさ」 自分の意思で決めた道。 だから、それに何を言おうとも、意味がない。 「もし」 雨雲は窓の外を見る。そこに、すでに存在しない男の顔を追い求めるかのように。 「もしも月宮がDDクラブを作らず、もっとまともな方法で生を模索していたら、僕はあの男の友達になれたかもしれないな」 「もしもの話は苦手だ。想像力がないものでな」 「それでいい」 その方が、ずっといい。 今日も、空は青い。 月日が流れれば傷も癒える。 失った腕はどうにもならないまま、雨雲京介は病院を立ち去る日を迎えた。看護士や医者の見送りもない寂しい出立ではあったが、彼を迎えてくれる人はいた。 「待たせたね」 日向、灰塚、立風、柚島。そこにあの大柄な軍人の姿はない。 小鉄は、部隊の連中を連れ、一足先に海外へと脱出した。彼女は彼女で、運命を捻じ曲げられた少女たちが新しい道を見つけられるまで同行するという。 『まあ、お前だけでも生きていて嬉しいよ、私は』 そう言った彼女は、晴々としているように見えた。 「ん」 雨雲は空を見上げる。ふわり、と黒い影が降り立った。 「レイアか。久しぶりだな。病院には来なかったみたいだけど?」 「退屈は嫌いなのよ」 黒髪の精霊はいつものように長髪を流す。と、そこに見慣れぬ顔を見つけ、 「あんた、誰? 立風の恋人?」 問いかけると、柚島は少しばかり顔を赤くし、そっぽを向いた。 「あら」 「い、いやあレイアさん! 今日も相変わらずお美しい!」 立風が誤魔化すように声を張り上げるが、レイアはおもちゃを見つけた子供のように頬を緩める。 「あらぁ? お邪魔だったわねぇ、それじゃあ今日はイイコトしない方がいいかしらぁ?」 くすっと笑うレイア。その妖艶な笑みには、人には醸し出せない色気がある。 「宗也、イイコトって何?」 「へ? あ、それは、ってかそんなこと、いくら頼んでもしてくれなかったじゃないかあ!」 「ってことは、頼んだのね?」 「あ、いや、だから、それはそのだね」 「つれないわぁ、あんなに愛してくれたのに。あたしの疼きを鎮めてくれたのは誰?」 「そんなこと一度もなかっただろうがああああああああああああああああ!!」 「宗也!」 くすくすと楽しむように笑い、レイアは雨雲京介に向き直る。 「ようやく表に出てきたあなたは、どういう道を選ぶのかしら?」 「選択肢があるのか?」 「うふふふ、何もしないって選択肢以外ならあげるわよ?」 「それ、選択肢あるのか?」 何もしないのか、あるいは何かするか。 世の中、そんなものなのかもしれない。有るか無いか。1と0、そのどちらかしか選びようもない。 そして雨雲京介とは、0を選ばない人間なのだ。 「仕方ない、な。本意とは言い難いけど」 「そうかしらぁ? あたしには、あんたも楽しんでいるようにも見えるけどねぇ」 「ふん」 雨雲が歩き出すと、自然とその隣を埋めるように日向が、後ろを守るように灰塚が続く。立風は柚島を見上げ、少し離れたところを一緒に行く。 別れる道も、それぞれ勝手に進む道もあるだろう。けれど、彼の周囲の人間は、それを選ばなかった。選べても選ばない。それは、選択。 「立風。海外脱出ルートを構築」 「半死人にできるか! んな器用なこと!」 「ちょっとチケットの配達先を変更するだけだよ」 「海外なんて初めて……。ちょっと緊張するかも」 「のんきねぇ、あんた」 「……シージャックする?」 「灰塚さん。わざわざ不穏当な方法を選ばずとも」 彼の周囲の人間は、まるでそれが当たり前のように付いて来る。不思議なものだ。彼と一緒にいたところで平穏な幸せなど手に入らないだろうに、それでも彼の周囲に集まった人間は、離れようとしない。 夜半の街灯に集まった蛾のように。愚かだと理解しても空を目指したロウの翼のように。 それが損益になるのだとしても、彼らは集まらざるをえないのだろうか。 「まあ、方法はなんでもいい。今、できることをする。できないことはできないのだからね、できることを『する』か『しない』かだ。難しいことは何もないさ」 物事は単純だ。それを複雑に誤魔化す生き方をしているだけで、雨雲の生き様とて、それは変わらないのだろう。 日向雪乃は刀を揺らし、姉のように母親のように、そっと微笑む。 灰塚は銃の入ったバッグを担ぎ、無表情に付かず離れず歩む。 立風は柚島に車椅子の操作を任せ、自分は友人を見上げながら頬を緩ませる。 レイアは青年の肩に腰を下ろし、膝を組んで眠そうにしていた。 そして嘘吐きな青年は、いつものように歩いて行く。悪夢は消えないが、減ることはあるかもしれない。 「さあて、行こうか。とりあえずまだ、生きているのだからね」 おう、と仲間が小さく答えてくれた。 そこから近く、あるいは遠く。 日光さえ当たらない薄暗い場所。木々の陰となるような場所。そんな場所にはそぐわないものが、そこにある。 一本の杭。吸血鬼を殺すという人の武器。突き立てられたそれには、小刀か何かで文字が刻んである。 『願いあたわず』 叶わなかった、その願い。 誰かの想いを踏みしめ、その上に生きる人もいる。 幸せを求めて。 今日もどこかで、誰かが嘘を吐いている。 |