「ん……?」
 メグミはゆっくりと目を開き、きょろきょろと左右を見渡した。いつも通りの見慣れた部屋の風景。
「また、あの……夢?」
 肩を抱き、寒さに震える。人が人を切り刻む光景。まさに、最高の悪夢。
 メグミは頭を振り、階下へと降りて行った。
 台所には、父の姿はない。昨日から帰って来ていないから。昨日の事件の捜査で忙しいんだと思うけど。
 メグミははぁ、とため息をつき、自分でコーヒーを淹れ始めた。
「どうしてあんな夢を見るんだろ……」
 ふと、思いついたようにメグミはTVのスイッチを入れた。メグミは普段、朝からTVは見ない。
 TVではニュースをやっている。アナウンサーが少し興奮したような口調で、今朝のニュースを報道していた。
『今朝、警備に当たっていた警察官のひとりが死亡しているのを、巡回中の警察官が発見しました。警察官は刃物のようなものでバラバラにされており、すでに死亡していました。警察は昨日の事件と関連があるものと見て――』
 ブツリ。メグミはそこまで聞いて、TVのスイッチを切った。息が荒く、冷や汗を浮かべている。
「ま、さか……。そんな事、ないよね? 絶対にないよね?」
 自分に言い聞かせるように、メグミは呟く。そんな事で捨て去れるほどのものではないとわかっているんだろうに。圧倒的なリアルは、言葉なんかじゃ拭い去れない。
 インスタントのコーヒーを一気に飲み干し、メグミは恐怖から逃げるように部屋に戻った。

 今日も学校に到着するなり、裕也がやって来た。今日は昨日よりも真剣な表情で。
「メグミ、大丈夫か? 顔色、すっげー悪いぞ」
「大丈夫よ」
 強がって言うが、メグミの精神状態は最悪。それが、体にまで影響している。大丈夫とは言えないだろうね。
「……メグミ、どうしたんだ。何か悩みでもあるんじゃねーのか?」
「大丈夫だって。心配しないでよ」
「いーや。大丈夫じゃないだろ。」
 真っ直ぐな眼差しが、メグミの瞳に映った。メグミはしばらく黙っていたけれど、やがて小さな声で言った。
「……放課後、どっかで会えない?」
「わかった。校門で待ってるからな。絶対に来いよ」
 念押しするように言い残して、裕也は教室を出て行った。

 放課後、メグミは裕也と校門で会った。その後、喫茶店に向かう。生徒同士が密会するのによく使われる場所で、ここなら誰と誰が会った、という事実すら他の人に知られずに済むよう、店長が気を利かせてくれる。
 物陰の席に座り、メグミはカプチーノを、裕也はホットコーヒーを頼んだ。店員が持ってくるまで、ふたりとも無言。やがて店員が注文を持ってきて、テーブルの上に置いて行った。
「……メグミ。何を、悩んでいるんだ?」
 聞かれても、メグミは少し悩んでいて答えられなかった。それでも、たぶん相手が裕也だからだろう、ちゃんと答えた。
「最近ね、嫌な夢を見るの」
「……どんな、夢なんだ」
 いつもだったら冷やかすだろうに、裕也はちゃんと話を聞いている。
「あのね、人が……死ぬ夢。それも、生きたままバラバラにされて」
「……それで?」
「うん、その……その場所とか、被害者とか、そういうのが、実際に起きた事件と同じ場所なの。あたし、怖くって……」
 メグミは震えている。また、震えている。
「ん、大丈夫だろ」
 けれど、裕也はいつも通り、明るい調子で言った。
「つまり、お前は自分でやったんじゃないかって思ってるんだろ? 大丈夫だよ。お前じゃねえ。お前、自分が殺人なんかするタマだと思ってんのか?」
「でも……偶然にしちゃ、できすぎだと思わない?」
「んー、細かい事はよくわからねーけどさ、少なくてもお前が犯人じゃない。俺が断言してやるよ」
 何の根拠があっての台詞かしらね。ああ、根拠は……あるのか。裕也なら気付くはずだから。誰が、犯人なのか。こんな化物じみた真似ができる唯一の存在は、誰か。
「安心しとけ。犯人はすぐに捕まるよ。で、それはお前じゃあない。俺が保障してやる」
「――裕也の保障じゃなぁ……」
「あ、何だテメエ。俺が信用できねーのか?」
「だって裕也、いっつもいい加減なんだもの」
「馬鹿、アクセントが違うんだよ。良い加減だ。いい加減じゃねえ。わーかったか?」
 言って、裕也はコーヒーをすすった。
「……そういやさ、メグミ。親父さん、あの事件の捜査をしてるのか?」
「うん、たぶん。事件の朝から一度も帰ってきてないよ」
「……そう、か」
 裕也の目に、一瞬だけ強い輝きがあった。そういう顔は、カッコいいんだけどね。
「寂しいだろ? 一緒に泊まってやろうか?」
「馬鹿。狼を家に入れる子猫ちゃんはいないよーだ」
「誰が狼じゃ。お前なんてストライクゾーンの大外だっつーの」
「はあ? 言ってくれるじゃないの」
 チリチリと、裕也とメグミの視線がかち合う。やがて、どちらからともなく笑い出した。
「はは、少しだけ元気が出た。ありがとね、裕也」
「お前が元気じゃないってのは、俺も調子出ないから、な。困った時はお互い様とも言うしなあ?」
 それからしばらく談笑して、メグミと裕也は別れた。

 窓のカーテンの隙間から月光が部屋に差し込んでいる。今日は、満月だったな。
 駄目。やっぱり、抑えられない。体中の血が、魂が、誰かを殺したいと叫んでいる。生を感じたいと叫んでいる。
 いつも通りの黒っぽい服装に着替え、あたしは部屋を出た。誰もいない家はとても静か。あたしはそっと階段を降り、廊下を渡り、玄関を出て、鍵を閉める。
 門から外に出て、
「よう」
声をかけられた。
「待ってたぜ。やっぱお前だったのか」
 あたしから少し離れたところに、裕也が立っていた。寒い夜で、吐く息は白い。なのに裕也は、いつからか、ずっと待っていたみたい。
「どしたの、裕也。何か用かしら?」
「ああ。お前に用があるんだよ、ケイ」
 裕也はゆっくりとあたしに近付く。その距離、およそ七メートル。あたしの間合いの、外。
「お前なんだろ。最近の崩落事故、消失事件、それに……殺人鬼まで」
「正解。やっぱり裕也ならわかるよね。いや、わからない方が変か」
 自然とあたしの口から笑いが洩れた。一体、何が楽しいと言うのだろう。
「ケイ。人間の社会で生きていくためには、お前のやっている事は駄目なんだ。止めてくれないか。その代わり、俺ができる事は何でもするから」
「無理。昔と違って、もう抑えられないの。特に、人を殺しちゃったのはまずかったわね。もう……誰かを殺し続けないと、生きていられないの。体が勝手に殺せって叫ぶのよ。そんな感覚、裕也にわかるかしらね?」
「……わからん」
 でしょうね。呟き、あたしは上着のポケットから木片を取り出した。握るのに丁度いい、ただの木端。
 これがあたしの“握り”。握るものさえあれば、あたしはどんなものでも斬ってみせる。例えそれが、あたしを愛し、あたしも愛する、幼馴染の少年だとしても。
「一度だけ言うわ。退いて。そして、二度とあたしの前に現れないで。でないと、あんたまで殺しちゃうから」
「嫌だ。これ以上、お前に殺しなんかさせない」
 ……仕方ない、か。もう少し正常を感じていたかったんだけどね。ま、いいや。これから先は、異常の中で生きていこう。あらゆる屍を築いた、その先で。
「バイバイ、裕也。好きだったよ」
「俺は今でも好きだぜ」
 ――馬鹿な男。
 あたしは踏み込み、間合いを詰めた。斬れる間合いに入った瞬間、剣を形成し、裕也に向かって振るう。
 チリン――
 けれど、あたしの刃は裕也まで届かなかった。あたしの一撃を止めたのは、真っ直ぐな宝剣。
「こんばんは」
 あたしは跳ぶように距離を取り、いきなり入り込んできた相手を見つめた。
 闇に紛れてしまいそうな色のワンピース。黒くて長い髪。白い肌だけが、夜の中で浮いていた。
 右手には真っ直ぐな宝剣。あたしの一撃を止められたのは初めてだわ。
 幼い顔立ちなのに、凛々しくて、圧倒的な存在感がある。大人よりも大人びているって感じかな。
「誰、あんた」
「私は死導者。死を導く者。称号は死喰い、名はアンジェラ」
「死導者……?」
 わかる。こいつは、あたしと、同類だ!
「貴女……ひとつの身体にふたつの魂を持っているのね」
「そうよ。あたしとメグミは最初からふたりでひとりだった。どちらかしか表に出れないけど、あたしはメグミの経験をそのまま共有できる。だからあたしは、さほど不満はなかったわ」
 だけど、駄目だった。経験するだけでは、生きていると感じられなかった。だから、たまに表に出る度に何かを壊した。あたしが何かを壊す事で、消えていく存在。それを目の当たりにする時、あたしは生きていると感じられた。
 昔は本当にたまにしか出れなかった。だから、父も気付かなかった。ただ、裕也を除いて。
 裕也は世界でただひとり、あたしの存在に気付いた。あたしは裕也と一緒に過ごし、たまに何かを破壊する。そんな生活を過ごしていた。
 それが最近、エスカレートしてきて。もう限界だったんだろうな。一度、転がり始めた雪球は留まるところを知らず、どんどんと大きくなっていった。そしてとうとう、殺人にまで至ってしまった。
「貴女は人間の世界で生きるには危険すぎる。残念だけれど、この世と別れて貰うわ」
「やれるものならやってみなさいよ。あたしが死ねば、メグミも死ぬから」
 アンジェラは強い目であたしを見た。ああ、いい目。すごいすごい……ドキドキしてきた。たまらなく、感じる!
「いい、すごくいい。あんたは強そう。あたしに、生きているって、感じさせて!」
 走り、あたしは真っ直ぐに“見えない剣”を振り下ろす。アンジェラは裕也を弾き飛ばし、それを宝剣で受け止めた。でも、甘いよ。
「ッ!?」
 宝剣が斬れる。刀身を弾き飛ばし、アンジェラは跳ねるようにして逃げた。
「まさか、私の『魂喰らいの宝剣ソウル・ブレイド』を斬るなんて……?」
「あたしのこの剣ね、すっごいエネルギーを凝縮してあるの。どう? これで切れなかったものなんて、今までないんだから」
「ええ、確かに素晴らしい。『生の剣』とも呼ぶべき存在……。貴女は、そこらの眷属よりも遥かに強いわ」
 チリン――
 アンジェラは剣を消し、両手を軽く広げるようにして構えた。
「だから、私も本気で戦ってあげる」
「そう、ありがと。じゃあ……」
 剣を構え、
「楽しんでいきましょうよ!」
走り出す。
「『幻想顕現ファンタジア・マテリアライズ』……、」
 アンジェラは少しだけ左腕を引いた。
「『束縛の鎖スタニング・チェイン』」
 アンジェラが左腕を振り上げる。途端、何もなかったところから、鎖が飛び出した。鎖はいつの間にか、アンジェラの腕にまとわりついている。
「甘い!」
 けれど、あたしは鎖をあっさりと断ち切る。剣が斬れて、鎖が斬れない道理はない。
 一瞬だけ視界が鎖で埋まる。鬱陶しいそれらを弾き、あたしはアンジェラを間合いの中に捉えた。
「はッ!」
 全身全霊を込めた一太刀。アンジェラは宝剣で受け止めようとするけど、そんなのは無駄。
 抵抗なく、あたしの剣がアンジェラを肩口から切り裂く。血は吹き出ないけど、確実に……殺した!
「『幻想顕現ファンタジア・マテリアライズ偽りの死導者ライ・ゴッデス』」
 ……え?
 あたしの胸に、いつのまにか剣の切っ先があった。声はあたしの後ろから聞こえて、剣はあたしの後ろに続いていて。ソレが意味するところは、つまり。
「貴女は確かに強い、けれど、経験が足りない」
 あたしが、斬ったアレは……まさか、偽者?
「もしかして、あんたの能力って……“何かを作る力”?」
「その通り。私の能力、『幻想顕現ファンタジア・マテリアライズ』は生を練る事により、何もない場所に何かを作り出す。貴女の刀身を作る力と、似ているようで全く異なるものよ」
 そっか。さっきのアレは、偽者か……。
「ケ、イ……? 大丈夫、なのか?」
 ん?
 あ、そうか。裕也の事、すっかり忘れてた。
 アンジェラが突き飛ばし、すっ転んで。すっかり眼中になかったけれど、一応いたんだよね。
「見てわからない? これで大丈夫なわけないでしょ」
 そう言えば、痛くもないね。ま、どうでもいい事ね。だって私は、これで終わりなんだから。
「ケイ……」
「いいの、裕也。これがあたしに相応しい道。破壊が起源のあたしは、別の大きな存在に破壊される。そういうものよ。そして、あたしはそれを覚悟していた」
 あるいは、ずっと昔から望んでいた。あたしが破壊される事を。人間という社会には絶対に馴染めない起源を持つあたしは、それ故に居てはならない。破壊者としては、ちょっと幸せすぎる生活を送っちゃった。だから、もういい。
「バイバイ、裕也。次に逢う時はもう少し、平和なカタチで逢いたいわね」
「い、嫌だ……ケイ! 逝かないでくれよ!」
「……その言葉は、メグミにでも言ってあげなさい」
 意識が、途切れる――
 何もかもが、見えなくなった。


 漆黒の夜空を穿つのは金色の月。満月だけが世界を明るく照らしている。
 チリン――
 夜風に髪をなびかせ、黒衣の少女はくるりと回った。
「さて、これからどうしようかしら?」
「それ、あたしの台詞」
 少女の傍らに、少女が立つ。それはとても奇異な光景で、それはとても神秘的な光景で。
「さしあたって、貴女に世界を説明しましょうか。貴女の生は、まだ尽きないようだから」
「どーしてよ? あたしは死んだんじゃないの?」
「……貴女は私すら見た事のない、不可思議な能力を持っている。言うなれば、魂そのものからしてこの世とは異なる。だからこそ、興味が沸いたの」
「そーんな事を言われてもねぇ……」
 少女は少女に呟いた。
「どちらにせよ、貴女と接する事ができる者は限りなく少ない。時間もあるのだから、少しくらい戯れてみてもいいと思わないかしら?」
「……ま、いいけどね」
 少女は諦めたように息を吐き、少女は少しばかり嬉しそうに回った。
 チリン――



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