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素晴らしい事を知った。これさえあれば、法律を犯す事なく人を殺せる。 まさに、今の私のための儀式。 これで私は、恨みを晴らす事ができる! 「高崎さん、イギリスに旅行だって。いいわよねぇ、海外旅行なんて……」 「海外旅行なんて新婚旅行でも行ってないわねー。最後に行ったのは学生の時かな?」 「あたしもそんな感じ。いーなー、ウチの旦那の安月給じゃ不可能よ」 「というか、高崎さんが特別なのよね。普通はどこもそんな感じよ」 百年だか千年だか知らないけど、異常なまでの不景気は本当に頭痛の種にしかならない。 「あ。そーいえば、八代さんは?」 島田さんはきょろきょろと周囲を見渡す。まねるように、私も見渡した。 ごく一般的な公園。都会の緑地化とかで作られた公園は、それだけに緑もどこか人工的なにおいがする。広い公園の中を、息子が友人と一緒になって駆け回っているのが目に入った。 「洋太ぁ! 危ない事しちゃダメよ!」 大きめの声で叫んでから、島田さんに向き直った。 「そういえば、八代さん、見ないわね」 「八代さん、最近、体調が悪いらしいわよ」 「そうなの? インフルエンザとか? 流行ってるらしいじゃない」 「インフルエンザは陰性なんだって。病院で検査してきたらしいわよ」 「へえ? じゃあ、何なのかしらね」 「変な病気でもうつされたんじゃないのー? 浮気してるって噂じゃない、あの人」 「そうねー。でも、相手の男の人、まだ誰だかわからないんでしょ?」 「そうなのよ。そこのところ、うまく隠しきっているのよね。感心するわ」 たまに思う。ここの人たちは、どうしてこんなに口が回るんだろう、と。あまりのおしゃべりの連続に、口が挟めない。耳や頭もちょっと痛い。 「もしかして、近くの人なんじゃない? だからわからないとか」 「えー? まさかぁ、そこまで大胆じゃないでしょ」 「いやいや、わかんないわよ。あの人の事だから」 それは、おおむね正解。 だから、私は許さないと決めたのだから。 「あ。私、そろそろ買い物に行かないと」 私が言うと、みんなが時計を確認した。 「え? あ、もうこんな時間」 「いけない、私もおふとんを取り込まないと」 「あー、今日は久しぶりに良い天気だもんね。うちも干してるのよ」 「早くしないと冷たくなっちゃう。じゃ、またね」 「うん、また。洋太! 帰るわよ!」 帰って――新しいのを作ろう。 今の話を聞いたら、また、怒りが沸いてきたから。同時に、やる気も。 夫は朝が早い分、寝るのも早い。 息子と夫が寝た後、私は服を着替えた。なるべく黒っぽい服装。目立たないように、見つからないように。 そして家を出ると、近くの神社に向かう。 この神社には住んでいる人はいなくて、通いだ。だから、夜も遅いこの時間になると、人の気配はまるでなくなる。 そんな神社の境内に入ると、私はいつもの木の下に立った。 大きなご神木。いつから生きているのか想像もできないほどの大きな樹木は、なんだか私に力を与えてくれるような気がする。 その木の根元を掘り返し、持ってきた紙を折りたたんで、埋める。 スコップひとつの簡単な園芸作業は、すぐに終わった。きょろきょろと周囲を確認しながら立ち上がり、 チリン―― 音に、私は振り返った。 瞬間、どきりと心臓が跳ねる。 はじめは首でも浮いているのかと思った。でも、よくよく見れば、この闇夜に溶け込みそうな色合いのワンピースを着ているのだとわかる。 女の子。それも、まだ小学生くらいの、小さな子供。それが、うつろな眼差しを私に向けていた。 肩口に光る目……。何かの、動物? これも黒い毛並みのせいで、あまりはっきりとは見えない。 「殺すの?」 一言。女の子が口を開く。 なぜ。この子がそんな事を知っている。 「こ、殺す? 何の事?」 必死に誤魔化そうと考える私をあざ笑うように、女の子は指先をご神木の根元に向けた。 「それ。呪符でしょう? 貴女自身には特別な力がないせいで、一枚では大きな力にもなりえない。けれど、きちんとした術式を何度も繰り返せば、小さな力が積もり積もって山となる。人を、呪い殺せるほどに」 この子は、全てを知っている! 「の、呪い殺す? 何を言ってるのよ。そんな事、できるわけないじゃない」 「できるわ。人間がやってできない事なんてそんなに多くはない。特に、何かの命を奪うことに関しては、人間は天才的とさえ言えるわ。貴女たちに奪えない命はない。ただの人間が相手なら、なおさら」 「……何なの、あんた」 もはや、この子が見た目どおりのただの女の子じゃない事は疑いの余地がない。 呪いの存在を知っていて、私を人間なんていう呼び方をする女の子。それじゃあ、まるで――。 「私は、死導者。死を導く者」 人間では、ないみたいに。 「死を、導く」 「その通り。でも、勘違いをしないでくれる? 私は貴女の願いを叶えるつもりは欠片もないわ。頼まれても、私は人を殺さない。絶対に、殺さない」 「そう。それは残念ね」 すでに、偽っても仕方ない。開き直るしかない。 それに、バレたところで問題は何もない。 「それで、どうするの? 警察に通報でもする? 無駄だと思うけど」 女の子は口を閉ざしたまま、答えない。代わりに、私の口が踊る。 「そう、無理よ。無理なの! 私がした事はただ紙を埋めただけ! 殺人の罪なんか絶対に問えない! 当たり前よ、法律は呪いなんて裁けないんだから! 証明も証拠もないものをどうやって裁くって言うのよ!」 「それでも、やめた方がいいわよ」 「はッ! 今さら青臭い道徳論なんて聞きたくない! あの女は、私の夫を……!」 「そんな事を言うつもりはないわ」 ぴたり、と私の口が止まった。女の子は深紅の瞳で私を見上げ、 「人を呪わば穴ふたつ。その術式は、素人の貴女には荷が重過ぎるわ」 「ふん! 何を言ってるの。甘く見ないで。きちんと呪い殺してみせるわよ」 「呪い殺せてしまうから、問題なのよ」 チリン―― 女の子は私に背中を向けた。そのまま、歩き去ろうとする。 「どこに行くのよ」 足を止め、首だけで振り返った女の子は、冷たい声を放つ。 「忠告はしたわよ。それでも続けるのは貴女の生き様。認めはしないけれど、否定はできない」 そのまま、女の子は闇夜の中に溶け込んでいった。 チリン―― まるで、最初からそこには誰もいなかったかのように、冷たい空気が漂う。 私はしばらく、その場に呆然と立ち尽くしていた。 女の子に会ってから二週間。 私は黒い服に身を包み、夜闇の中、外に出た。 「ちょっと寒いわね……」 もう秋も深い頃合。夜になると冷え込むのは仕方ない。 「あ、二宮さん」 「あら、島田さん」 家を出たところで、ちょうど奥様仲間に会った。向こうもやはり、黒いワンピースを着ている。 「これから? 一緒に行きましょうよ」 「ええ、そうね」 島田さんと肩を並べて歩きながら、同じ目的地に向かう。 「それにしても、まさか八代さんがねぇ……」 「そうね。少し前は元気だったのに」 「そうよね。病気、そんなに悪かったのかしら」 「死因は聞いてる?」 「ううん。なんでも、原因不明なんですって。お医者さんにもよくわからなかったそうよ」 「へえ、お医者でもわからないの」 それは、当然だ。あの女は体が悪いわけじゃない。悪いとすれば、性根と頭だ。 葬儀場は、案外と近くにあった。受付を済ませ、会場に入る。 それなりに大きな祭壇。すでに席は半分以上が埋まっており、中にはもう泣いている人の姿も見えた。あんなものでも、死ねば悲しんでくれる人もいるという事か。 少し待っていると席もほとんど埋まった。そして、お経が始まる。 軽く聞き流しながら、私は祭壇の写真を見ていた。 八代。殺してもなお憎いほどの、敵。 その点、呪い殺すという手段は最高だった。私は決して逮捕されず、あいつは長く苦しむ。本当はもう少し苦しんで欲しかったけど、まさかこんなに早く死ぬとは。 ああでも、本当にいい気味だ。 日本のグズな刑罰では、あいつを殺す事ができない。なら、私が殺すしかない。死亡以外の選択肢なんて、もちろん存在しない。 じっと祭壇を見ていると、ふと、背筋に寒気を感じた。こっそりと後ろを確認してみるけど、すすり泣く人が俯いている人しかいない。とても、寒気の原因になりそうな誰かは見当たらなかった。 ――気のせい? 最近、呪いのために少し遅くまで起きていたから、疲れているのかもしれない。とはいえ、何かを神社に埋めている姿なんて見られるわけにもいかないから、仕方ないんだけど。これも無事に人を殺すための代償か。 読経は、まだまだ終わりそうにない。 寒気は家に帰っても、ゆっくり休養を取っても治らなかった。 それから、布団で横になる日々が続く。とにかく寒くて、医者にも行った。けれど、原因はわからなかった。 「何? これ、どういう事なの……?」 これじゃまるで――呪いの症状じゃないの。 病院からの帰り道、神社にも寄ってみた。人を呪い殺す儀式をするためには、神社に呪いの符を埋める必要がある。もしも私を誰かが殺そうとしているなら、ここに符があるはずだった。 注意深く地面を確認していく。けれど、最近になって掘り返した痕跡は見当たらない。畑じゃないんだから、それだけわかりやすい痕跡をそうそう見落とすとはとても思えなかった。 なら、これは、どういう事? たまたま風邪の症状が一致しただけ? それにしてはおかしい。医者にも原因がわからないなんて。 秋の日は早く、すでに沈みかけている。もう探すにも限界だろう。 「今日は、帰るしかないわね……」 誰だろう、私を呪い殺そうとしている人は。 そもそも呪いを知っている人がそう多いとは思えない。犯人は簡単に特定できるはずなのに、ちっとも思い当たらなかった。 そして足を鳥居に向けた瞬間、私はそれを見つけた。 「――!?」 黒くてぼろぼろの布切れ。フードの下に除くのは、落ち窪んだ眼窩。 そして、手に持っているのは、背丈よりも大きな鎌。 まるで、漫画か絵画のような、わかりやすいほどの、死神。 骸骨の化物が、私を見ていた。 「う、そ?」 「嘘なわきゃないでしょ」 心臓が飛び跳ねた。 振り返る。そこに、いつからいたのか、女の子がにらむように仁王立ちしていた。 桜色の着物。この季節には少し寒いであろう白いミニスカート。そして、そんなものが目に入らなくなるほどの、強い強い瞳。 「呪いがあるんだから死神がいたっていいでしょ。ま、あんなにわかりやすいの、あたしも初めて見るけど」 「だ、誰よ、あんた!」 「あたし? 死導者」 死導者。死を導く者。 その名前は、心当たりがあった。忘れられるはずもない。あの女の子の名乗った名前だ。 思った瞬間、 チリン―― あの鈴の音色が聞こえた。 「人を呪わば穴ふたつ。その意味、ようやく理解したかしら?」 夜空色の女の子。 あの不気味な少女が、私に背中を向けて立っていた。 「貴女が行った厭魅という術式は、特定の相手を殺して欲しいと死者に頼むためのもの。それは、常に相手を指定し続ける必要がある。そうでなければ死者の呪いは、術者である貴女に向かうの」 「そん、な……。そんなの、書いてなかったわよ!?」 「当たり前でしょーが。やった本人は書く前に死ぬんだから」 新しい死導者は呆れたように言い、夜空色の子と肩を並べる。 「さーて? どうして欲しい?」 「ど、どうって?」 「助けて欲しいか、って事よ。ただし、タダじゃないわよ?」 首だけを後ろに向け、女の子は不敵に笑う。 「あんたは駄目だって、やめろと言われた事を続けた。その責任を取らなきゃいけない。本来なら、あんたはここで死んでしかるべきなんだからね」 「何を、すればいいってのよ」 「命と等価になるもの。それだけ支払えば、すぐにでも助けてあげる」 じりじりと、死神が近寄ってくる。 命と等価? それって、何? お金? 宝石? 違う。そんな答えじゃない。そもそも、命と同じだけの価値を支払うなんて、そんなのできるはずがない。 私の命と、同じ価値の代物。 考える間にも死神が近づき、焦って頭が回らない。 えーと、命と同じ価値、それは命だ。それしかない。なら、どうすればいい? 夫の命でも差し出せば助けてくれるんだろうか? ふたりの女の子はじっと私を見ていた。このふたりは、間違った答えを返せば、すぐさま私を見捨てて逃げるだろう。 このふたりの好みそうな答え、それは。 「な、ない。命と等価なものなんてないっ!」 「正解。それだけ命は重い。けど、あんたじゃ不正解だわ」 「え?」 「だって、あんた、それをまったく理解してないでしょ」 死神は、もう女の子たちの目の前に迫っていた。鎌をゆっくりと振り上げる。 「口先だけ。本当の意味で命の大切さを知っているわけではない。貴女はそれが見え見えよ。助かりたいという気持ちは伝わってきても、命を大切にしたいという気持ちは伝わってこない。人間の利己的な側面を押し固めたようなタイプね」 鎌が、振り下ろされる。鉄ような刃が、くるくると回って地面に突き刺さった。 「……あれ?」 「こんな奴、あたしらやそれなりの力がある退魔師ならどうという事のない相手よ。あんたは素人だからね、そんなに強い変魂も反応しなかったらしいけど」 「けれど、こんな事を続ければいずれ人の身に余る存在が呼び込まれるかもしれない。人間の持つ力なんて限られている。貴女の使った力は、一般人が使ってよいものではないわ」 死神の顔が、縦にずれた。 次の瞬間、その存在は煙のように消えた。最初から、そこには何もなかったようにさえ思えた。 「言ってもわかんないようだから、強硬手段だわ。いい? 次に同じ事をしてみなさい。今度はあたしたちも助けない。ううん、むしろあんたを殺しに行くかもしれないわね」 「な、なんでよ!? どうして私が責められるわけ!? 先に悪い事をしたのはあいつじゃない!」 「だから殺してもいいって? はッ、馬鹿げてるわ。だったら――同じ事でしょ?」 女の子が私を見つめる目は冷たく、酷薄な色に満ちていた。 「あたしが、あんたを殺しても?」 「な、んで」 「あんたは人を殺した。理由はともかくね。なら、殺されても文句は言えないわよね? 『先に殺したのはあんた』なんだもの」 ずい、と私に顔を寄せ、女の子は小さな、それでいてはっきりとした声で言い放つ。 「呪われたのは死んだ彼女だけじゃない。あんたもよ。あんたが埋めた符は何枚だったかしらね?」 すっと、音もなくふたりは立ち去った。 一瞬にして姿が消えても、私は声ひとつあげる事はできなかった。 「呪わ、れた?」 今さらながらに、気づく。 ああ。私はもう、平和な生活になんか戻れないんだ。 死神は、死導者が殺した。でも、それだけ。次に来たらもう誰も守ってくれない。そして、そうならない保障は何もない。あれだけの呪符を埋めたんだから。 「あ、あ……」 私は。 とんでもない事をしてしまった。 もう、まともに眠る事さえ……、できそうにない。 「あああああああああああああああああああああ!!」 夜の神社に、叫び声がこだました。 チリン―― 遠く、人の嘆きの声を耳にしながら、少女たちは沈んだ日に向かって歩く。 「ねえ、アンジェラ。あの人、本当にどうなるの?」 「呪符はプロが使えばひとつで複数の霊に呼びかける道具にもなるわ。一方で、彼女は素人。おそらくは、何枚も埋めてようやくあの程度の変魂を使役できた、といったところでしょうね」 「じゃあ、もう襲われない?」 「おそらくは。少なくてもこのあたりに変魂の気配はないし、彼女に使役されていたのはあの変魂だけだと思うわ」 「そっかー……」 ふう、と息を吐き、桜色の眷属は安堵を示す。 「心配していたのね」 「何よそれー。あたしだって鬼じゃないのよ」 「私よりも迫力があったと思うけれど?」 「それはアンジェラがちっちゃいからでしょ」 ぺしん、と打撃音。眷属が振り向けば、その肩には尻尾をふりふりと揺らしている獣の姿。 「エールーちゃん。そこで何してるのかしらぁ?」 「きゅう」 「よーし貴様ぁ、いい度胸! このあたしと勝負しようって言うのね! 乗ったわ!」 「きゅうきゅきゅー!」 「やめなさい、ふたりとも」 チリン―― ケンカを始めた部下に、上司はため息ながらも嬉しそうに。 「そんなヘナチョコが当たるかー!」 「きゅー! きゅきゅー!」 光の刃と光の爪が、月光の下、交差し続ける。 力は、殺す事しかできないものではないという事を、証明するがごとく。 チリン―― |