|
ボクは誰よりも彼女の味方だ。 だから、彼女が苦しむ原因はできれば無くなって欲しい。 けど、それは、彼女の楽しみを奪う事にもなる。 最近、彼女は泣かなくなった。 昔はよく泣いていた。まったく関係のない赤の他人の死、不幸な宿命、そういった逃れられないものに対して、不条理に対して、無力に泣いていた。 それがなくなったのは、たぶんあの子のおかげなんだろうと思う。本来なら感謝してしかるべき、なんだろう。きっと。 ただ、素直に感謝できない。それは理屈じゃない、感情だ。 嫉妬なんて感情はリヴァイアの専売特許。ボクのような存在には相応しくない。それは理解している、けど。 沸き起こる想いを消せるほど、器用でもない。 「それで、アンジェラ。答えてくれないかな」 「何を?」 フェンスにもたれかかったジャケット姿の男は、遠い目を景色に向ける。 明かりも減った都市部は、うら寂しい雰囲気が漂っていた。それを眺め、あの男は何を考えているんだろうか。 「アンジェラ。君は、人間をどう思う。守るべき、助けるべき存在なのか。それとも、滅ぼされて然るべき存在なのか」 「どういう事かしら?」 わかっていても、彼女は問う。言葉の裏、その真意を読み取るために。 「人間は美しい心を持っている。見知らぬ他人を救い、大切な人のために命を投げ打ち、時に死ぬ事さえいとわず敵に立ち向かう。その様、その姿は強い絆や勇気を見せつけてくれる」 「そうね。その通りだわ」 「だが。一方で、人は平然と人を殺す。自分の利益のために他者を喰い物にし、蹴落とし、既得権益のために多くの人間を犠牲にする。自然を、動物を殺していく。それは人間の負の側面、汚い部分だ」 「……それも、否定はしないわ」 アンジェラの瞳が揺らいでいる。 「人間には光も闇もある。正義と悪が同居している。その上で、問おう。 君は、人ではない君は、人間という種族が正義だと思うか? 悪だと思うか?」 「正義よ」 ためらいなく、アンジェラは答えた。 「もちろん、正義か悪か、生きるべきか死ぬべきか、という質問の上で、だけれど。必ずしも人間が正義だなどと言うつもりはないし、悪党と呼ばれる存在もいるとは思うわ」 「それでも君は、人間そのものは正義だと思うのかな?」 「ええ。でなければ、人間が悪に寄った、本当に救いがたい存在ならば、私はとうの昔に諦めていた」 もしもそうだったなら、マリアもゲームを諦めて絶望に沈んでいただろうし、他の死導者たちもどうなっていたかわからない。 アンジェラに活きる希望を与えたのも、死導者たちに活きる希望を与えたのも、ボクたちの運命を変えたのも何もかも、人間だった。 だから、アンジェラは人間を見捨てていないんだろう。ボクは、ともかく。 ――ボクは、アンジェラほど人間に肩入れできない。 アンジェラがどれほど努力しようとも聞き入れない人間がいる。そもそもアンジェラが悲しむ原因の半分は人間にある。その人間を、どうして許す事ができようか。 「なるほどね。人ではない君がそう言うんだから、あるいはそれが真理のひとつなのかもしれないな」 男は頷き、続いて首を振る。 「だが、それが真理の全てであるとは思わない。いや、思えないと言ってもいい」 「でしょうね。答えは無数、正しい解答さえ存在しない質問よ」 「わかっているよ。そして、私の正解は『悪』だ」 この、見た目には三十前後に過ぎない男の過去に何があったのか。何がこの男をここまで達観させるのか。 あるいはボクが全力を出せばそれもどうにか知る事はできる、かもしれない。けど、そこまではしない。 人間の記憶なんて、そうそう見て楽しいものじゃない。 「人間は綺麗な側面も汚い側面も持ち合わせている。どちらの面もある中、より本質に近い部分は汚い方だと考える。 人間、追い詰められた時には本性が出るものだ。そして、追い詰めた時に人間が出す答えはほぼ間違いなく他人の事を想ったものじゃない。自分だけが助かればいい、他人なんて蹴落としても構わない、そういう答えばかりが出てくる」 「だから人間は滅ぼすべきだと?」 「私に君のような力があればとうの昔にそうしているね」 あるいは。ボクひとりでも、そんな道を選んだかもしれない。 少なくても、アンジェラが傷つき、悲しみ、苦しみながらも守るような価値のある存在であるかと聞かれると、首を傾げてしまう。間違っても即答はできない。 「私にもそこまでの力はないわ」 「ふむ、そういうものかな。だとすると、私が力を得られる日は遠いという事だ」 「……得られないわ、永遠に。ひとりの人間は器に応じたものしか得られない。それは殺す時とて同じ。貴方の器は、この世に生けるあらゆる人間の命を包み込んで余りあるほど?」 「はは、残念だが、さすがにそれほどのものは持っていないだろうね」 男は背筋を伸ばすと、そのままフェンスに手をかける。 「楽しかったよ、アンジェラ」 「貴方は」 アンジェラの声に、男は動きを止めた。 その背中に問いかけるアンジェラの表情は、悲痛で。 「貴方は、それでいいの」 「人間は下らない。そして、私もそんな人間の一部なんだ」 首だけ振り返った男は、笑っていた。 「アンジェラ。いつか人間は君たちの敵になると思う。それでも助けるかな?」 「……ええ。それだけが、私の存在意義だったの」 「そうか。なら、せいぜいそうならないよう祈っておこう。あの世でね」 そして、男はフェンスの向こう側に跳んでいった。 人は鳥じゃない。翼を持たず、ボクらのように空を踏みしめる術も知らない。 チリン―― 『アンジェラ。君が背負う必要のある命じゃない』 「背負うのは自由よね?」 『……あのね。まったく、君は……』 ふと、気配を感じたボクはそちらに意識を向けた。ボクの場合、“見る”とは目を通して見つめる事じゃない。だから、そちらを“見よう”と思うだけで結果が得られる。 「アンジェラ、今の人って?」 声をかけながら、桜色の影が姿を現わす。 八番目の眷属。死徒、志野ケイ。アンジェラの直属の部下だった。 どうやらケイは下から来たらしかった。アンジェラの気配を追いつつ来たら自殺者を見つけたってところだろうか。 「彼は、自ら死を選んだわ」 「で? アンジェラはまたその死を背負うとか言うつもりじゃないでしょーね」 つかつかと歩み寄るケイは、妙な迫力を持っていて。 「あの、それは……」 先ほど、ボクを相手にカリスマ性のようなものさえ垣間見せていたアンジェラが、自分よりも遙かに歳若い眷族を相手に後ずさりさえしている。 「アーンージェーラー? いつも言ってると思うけど、ひとりで抱え込まない、背負わない! 辛い事も苦しい事もあたしやエルに任せればいいの! アンジェラは、もう十分に抱えてるんだから」 そっと、アンジェラの小さな体を抱きとめるケイ。それは、ボクにはしてやれない事で。 やっぱり、少し不満が残る。 ボクがあれだけ言って、一度も届けられなかった言葉を、この眷属は簡単に届けてしまうんだから。 きっと、ボクは長く一緒に居すぎたんだろう。どんな時も一緒で、辛い事も苦しい事も本当に一緒に見てきてしまったから。 だから、ボクの言葉じゃ届かない。近すぎて、遠い。 「わかった?」 「――ええ」 だから、ボクはケイが気に入らない。 眼下でケイが人と接触している。彼女も死導者の端くれ。アンジェラは、ケイの方が向いていると思う相手にまでは出張らない。出会ったばかりの頃はそうじゃなかったから、ケイも変わっているという事なんだろう。それが、成長という事か。 「ルカ。貴女、私が変わったと思っているでしょう?」 ふと、アンジェラはそんな事を言い出した。 ボクは意識をアンジェラに向けつつ、 チリン―― 『思っているというか、実際にそうじゃないか』 「ふふ、そうね。その通りだわ」 何が楽しいのか、アンジェラはくすくすと笑う。 「でもね、ルカ、貴女も変わったわよ?」 『何が』 「あまり鳴かなくなったわ」 『それは、その必要がなくなったからだよ』 「それでも変化は変化でしょう? 昔ならば余計なくらいに話していたもの」 ――ッ! 『それは、それだけ君が頼りなかったって事だよ。ボクはそんなに話したかったわけじゃないんだ』 「そうかしら?」 『そうなの!』 まったく。ボクがいなきゃ幻想顕現の制御だって上手にできないくせに……。 と、アンジェラはまたくすくすと笑い出した。 「ねえ、ルカ。貴女は人間を好いていないでしょうけど、私たちがこうして笑っていられるのは、間違いなく人間のおかげよ」 『そして、苦しんだのも人間のせいじゃないか』 「そうね。そういった、悲しみや喜び、苦しみや楽しみを与えてくれたのは、どれも人間。私たちが自分で見出したものと言えば、戦いとそれに伴う苦痛だけ。存えた時さえ幸福はないわ。言うなればこれは、生きる喜び……、かしらね?」 『生きるって、そもそもボクたちは生きてさえいないじゃないか』 「ええ。ただ、私たちに生きているような何かしら、生活とさえ呼べるものを与えてくれたのは人間よ」 ……。 「あら。ケイも終わったようね」 見れば、晴れやかな顔で立ち去る高校生とケイの姿がある。 「お疲れ様。うまくいったようね」 「あー、疲れた。でも、たぶん生きてくれると思う」 ……、ボクらが生きる一方で、死を選ぶ人間もいる、か。 だから、ボクたちは必要だと? おそらくアンジェラならそう言うだろう。 ただ、ボクに言える事と言えば。 チリン―― 『アンジェラ。ボクは認めないよ。人間とは手を切った方がいい。ケイはともかく、大半の人間は君にとって危険だ』 「そう。なら、今はそれでいいわ」 『……今は?』 「ええ。だって、いつかは変わるかもしれないでしょう?」 この。 この強さは、アンジェラの新たな武器。そして同時に、アンジェラはますますボクに屈しなくなったという意味でもある。 やっぱり。ケイは、気に入らない。 気に入らない、けど。 見れば、ケイはにこにこと笑っている。アンジェラも、その頭上にいるエルも笑っている。 誰もが楽しげで喜んでいて。こんな、夢物語のような世界が現実で。 その功績だけは、感謝しているんだ。 「ん? アンジェラ、何か言った?」 「いいえ?」 「そ。じゃ、気のせいかな」 強い瞳で力強く歩き続ける少女。 ボクは彼女みたいには何もできない、けど。 『負けないよ』 その背中に向けて、聞こえるはずのない声を出す。 ボクは影。アンジェラの力の結晶。 ボクは、アンジェラ自身。 「ねえ、ケイ」 「ん、何?」 夜空色の死導者に問いかけられ、桜色の眷族は足を止める。 「貴女はルカの事、どう思う?」 「ちょっと素直じゃないところもあるけど、いい子じゃない?」 チリン―― 揺れる鈴にちらりと視線を送りながら、少女はくすくす笑う。 「……? どうしたのよ、アンジェラ。ルカが何か言ったわけ?」 「いいえ? ふふ。私はね、貴女たちはそっくりだと思うの。ただ、貴女はルカよりもずっと前向きだけれど」 「そりゃまあ、前に進むには前を向くしかないもんね」 「ええ。けれど私たちは、そんな簡単な事も知らなかった。あるいは、どちらが前なのか知らなかったのかも」 闇のような衣に身を包み、闇夜の中を歩む少女。導のない場所で、彼女は道に迷っていたのに。 「だから私たちは、貴女に感謝しているのよ」 「そこらはお互い様じゃない」 「かもしれないわね。それが、私が望んだ『人間の関係』なのかも」 涙の代わりに笑顔を浮かべ。 夜空色の死導者は、今日も名の通りに空を行く。 チリン―― |