仮にふたつの同じ存在があったとして。
 一方は用途があるだろう。本来の用途が。
 では、もう一方は?


「マリア」
 名を呼ばれ、私は肩に視線を向ける。より正確に言えば、そこに掴まる小さな鳥に。
「何? ヴェンタス」
「あの、お前によく似た死導者……、名はなんと言ったかな」
「アンジェラの事?」
「そうだ、アンジェラ。彼女とお前は随分と似ているのだな」
「まあ……、当然ね」
 アンジェラ・ウェーバー。私の愛しき娘。似ていないわけがない。
「外見はもちろん、能力の大半も私に似通ったものを与えているわ。私に似せただけだから、完全に同じではないけれど」
「それもそうだが、それ以外に雰囲気や一見した考え方も似ているように見えたが」
「――まあ、そうね」
 アンジェラは私をかたどって私が作り出した存在。在り方を除けば、私と彼女に異なる点はそうない。
 そして、今度は私が彼女の在り方を真似ている。こうなってしまえば、違う点は驚くほどに少ないだろう。言ってしまえば、見た目の違う同じ存在がいるようなものなのだから。
 ふうむ、と私の肩でヴェンタスはうなる。
「なあ、マリア。ならお前と彼女は何が違うのだ」
「何が?」
「うむ」
 ヴェンタスはその体に比して大きな頭を縦に振り、
「全く同じ存在がふたつ在っても、片方に意味や意義はないだろう。片割れで事足りるのだからな。
 アンジェラとお前がそこまで似ているのならば、お前がお前として存在する理由、意義、価値とはどのようなものなのだ」
「それは……」
 言われてみれば、私は彼女と恐ろしく似ている。あまりに似過ぎている。
 私の行う死導とは、アンジェラの物まね。本家本元のアンジェラに敵う事は、おそらく永劫ないだろう。
 私が彼女と違う点といえば魂を作り出すという能力くらいか。けれど、そんな能力も、この現状では何の価値もない。魂は私たちが作り出さねばならぬような代物でもない。
 私が存在する理由――。
「ああ、いや、正しい答えは求めておらぬのだ」
 私が沈黙したのをどう解釈したか、ヴェンタスはどこか慌てたようにパタパタ羽を振り、
「ただ、私はまだ己の意義や道というものが見えてなくてな。参考にしたいと思って聞いただけなのだ。気分を害したならすまない。忘れてくれ」
「気に病まなくていいわ」
 けれど、私は気になる。
 道を見失い、本当に欲しいものを手に入れてしまった私。
 そんな私の価値というものは、どこにあるのだろう、と。

 アンジェラを含めたあらゆる死導者やそれに類する存在を作ったのは、まぎれもない私だった。
 その理由とは完全なるエゴイズム。自分が成長したい、それだけのために命をいくつも作り、踏みにじってきた。
 本来ならば私は許されるはずのない咎を背負っている。
 そんな私を、彼女たちは許してくれた。そんな私に、生きていいと言ってくれた。
 生きる事を許された私は、私を変え、許してくれた彼女を真似るようになった。人を助け、生を教え、死を導く。
 それは私が決めた死導者の在り方とは全く異なるもの。正反対と呼んで差し支えない姿。けれど彼女はそうやって生きる事で、死導者という仕組みそのものをねじ曲げてしまった。
 その原動力――人間に、私も触れるようになった。
 今の私はアンジェラの劣化的存在。彼女にはあらゆる面で届かず、負けた存在でしかない。その私が、私でなければならない、そんな意味は何かあるのだろうか。
 ヴェンタスとも別れ、独りとなった私は夜空の月を眺めながら、ただ思う。
 生を忘れ、死を導く事しかできない私の意味。意義。それは……。
「む。マリアか。こんなところで何をしている」
 ふと気がつけば、眼前に人影が迫っていた。否、それは人影と呼ぶにはあまりにいびつ。
 頭骨から伸びる角。焼けただれたような皮膚。こうもりを思わせる翼。
 それは、宗教画に描かれる悪魔そのもの。私がそう決めた、故にそうなった姿。
「……サタン?」
「また月見か。何が楽しいのやらな」
 空を見上げ、サタンは首を横に振る。
 その顔を見ていた私は、ふと思う。
「ねえ。サタン。貴方は最近、何をしているの?」
「なんだ、突然」
「少し気になって」
 ふうむ、とうなり、サタンは首を鳴らす。
「特に何をするというわけではない。マモンやベルフェゴールのように人間に肩入れするつもりも、ルシフェルやアスモデウスのようにからかって遊ぶつもりも起きない。
 要するにする事がないのだな。こうして空をふらふらと飛んでいるだけだ」
「なら、貴方は生きる意義を見つけられていないと?」
「む? まあ、そう言えばそうなのかもしれんな。元より戦いだけが全てだったわけだから」
「……ごめんなさい」
 自然と視線が下を向く。そんな私にサタンの視線が突き刺さっているのがわかった。
「解せないな。何故、謝る」
「私が、貴方の生きる理由を奪ってしまった。理由さえない私が」
「それがどうかしたのか」
 少し視線を上げると、サタンの疑念に満ちた眼差しとぶつかった。
「そういう時代ではなくなったのだろう? 元よりマリアが必要だから続けられていた戦いだ。マリアが必要性を感じなくなったならば、我々は従わざるをえまい」
「それで、貴方は良かったの?」
「良い悪いの話ではない」
 達観している。私よりもずっと。
 そう。私は何百年もの時を無為に過ごしていた。上にいると勘違いして、その実、私は何もしていなかった。
 それは他の死導者たちも同じ。けれど、彼らは私が任を解いた後、きちんとそれぞれに道を見つけ出している。
 アスモデウスは男性と過ごす時を。
 マモンは巫女の少女と過ごしつつ未来を探す行為を。
 ベルゼブは食すという行為そのものを。
 ベルフェゴールは病弱な少女と過ごす時を。
 ルシフェルは人間をからかいつつ。
 それぞれに楽しみ、有意義な時を過ごしている。
 そう。そういえば……。
「サタン。リヴァイアはどこにいるか知っている?」
「いや。最後に会ったのは人間どもと戦った時だ」
 とすれば、数ヶ月は前の話。私たちは基本としている町があるけれど、それぞれに適当にぶらついている。あるいはリヴァイアも、どこか遠くに行っているのかもしれない。
「サタン、よければ付いてきてくれるかしら」
「構わないが、リヴァイアのところにでも行くつもりか」
「ええ。彼女の話も聞きたいの」
「ふむ?」
 リヴァイアは、今――何をしているのだろう。

 リヴァイアを捜し求め、私たちが辿り着いたのは小さな港町だった。
 まだ明けきらぬ頃合だというのに、すでに漁港は仕事を終えたような気配が漂っている。彼らの朝は日が昇るよりなお早い。
「リヴァイア」
 リヴァイアは、空からそんな作業をしている人間を眺めていた。大蛇は首をこちらに向け、
「マリア。サタンなんか引き連れて、どうしたのですか」
 振り返ったリヴァイアは、どこか驚いたように目をむく。
「貴女に会いに来たの。リヴァイア、貴女は普段、何をしている?」
 私の真剣な調子にややも面食らったのか。それでも私に忠実すぎる死導者は、きちんと答える。
「特別に何かをしているわけではありません。人間の行動を眺めたりする程度です」
「……そう」
 沈んだ調子の私にリヴァイアは何かを問いたそうで。けれど、どう聞いていいのかわからないのか、口を閉ざす。
「どうやら我々が存在する意義を持っていないという事に関してひどく思うところがあるらしくてな」
「意義、ですか。まあ、確かに何かをするわけではありませんから、生産的とは言えませんね。けれど、私たちは元よりそのような存在なのでは?」
「そう思うのだがな」
 ちらと、サタンの視線が私に向く。
「言われたのよ。私とアンジェラの違いは何か、と」
 それらの視線に答えるように、私は語る。
「外見から能力まで、彼女の全ては私をかたどって作り上げたわ。死導者の中でも特別。けれど彼女は、人間を導くという決定的な存在意義を持っている。そうする事によって、きちんと居場所を手に入れた」
「それは否定できませんね」
「彼女は私たちにはできない、本当の意味での死導を行う事ができる。では、私は?
 私が彼女よりも優れているものは? 私が、私でなければならない理由は何?」
「何を言うのですか。確かに人間を導くという意味ではアンジェラには負けてしまうかもしれませんが、それだけでしょう。それ以外のあらゆる点でアンジェラはマリアのコピー。決して零番目の死導者オリジナルにはかないません!」
「果たして、そうかしら」
 そうは、とても思えなかった。
「魂の創世を除き、アンジェラにはあらゆる能力を与えたわ、制御のためだけに人格までね。彼女の持つ能力は私とほぼ同義。私にできる事の大半は彼女にもできる。これは変えがたい事実なのよ」
「で、ですが!」
 すっと、手の平をリヴァイアに向けた。
「私は彼女に敗北したの。彼女の在り方によって。だから私もそれを真似てみたわ。けれど、やっぱり私では、彼女には届かないのかも」
 劣化コピーと言うのならば、それはまさに私の事。
 私をコピーして彼女を作ったはずが、いつの間にか逆転していた。
 なんという、皮肉。
「重症だな。我々の手には負えぬ」
 ばさり、と翼を広げ、サタンは舞い上がる。
「どこに行くのですか、サタン。このような状態のマリアを放っておくつもりですか!? それでも死導者ですか!」
「知らん。戦う意思さえない者には興味が沸かないのでな」
 どこへともなく、サタンは姿を消す。その後をねめつけるリヴァイアの目には、確かな憎悪が燃えていた。
「まったく。マリア、お気になさらず」
「何も問題などないわよ」
 私は誰も縛る事はできない。
 そんな権利は、意義も価値もない私にはないのだから。

 冬の日は早い。
 日がな一日、私は海を見つめていた。果てしない水平線を眺めながら、自分という存在の意義を問う。
 本当に。私はこの何百年という間、何をしていたのだろう。
 当初は私を慰めようとしていたリヴァイアも、私の反応の薄さに呆れかえったのか疲れたのか、ともかく黙り込んでしまっている。
 ただ静かにふたりで海を眺めるだけ。言わば無為な時間。けれど、こんなものさえ、私が過ごしてきた時間に比べれば有意義と言えてしまう。そんな生活を、私はひたすらに送っていたのだから。
 静寂。聞こえるものは波の音。
 この音色が、あるいは人に郷愁を誘い、あるいは人に死を決意させるのだろうか。
 そんな、どこか物悲しい音色に、別の旋律が混じる。
 チリン――
 それは、やけに聞きなれた音だった。自然、私もリヴァイアも振り向く。
「アンジェラ……」
 肩口に漆黒の獣を乗せ、背後に桜色の少女を引き連れ。
 私によく似た、私よりも優れた死導者は、悠然と私の前に立っていた。
「待たせたわね、マリア。ヴェンタスを探すのに少しばかり手間取ってしまって」
 言葉通り、アンジェラの背後から鳥の逆毛が覗く。
「すまぬ、マリア。私の言葉が余計に悩ませてしまったようで」
 言うヴェンタスの逆毛は、本人の気分を表すように、どこかしおれて見えた。
「いいのよ。それで、アンジェラ、その言葉からするに私に会いに来たのかしら?」
「ええ、もちろん。貴女を『死導』しに」
 くすりと黒衣の少女は笑う。
「ねえ、マリア。死導って何かしら」
「人を導き、死を教える事。死者だからこそ可能な、死の先を見せる事」
「そうね、それもひとつだわ。けれど、それだけではないでしょう?」
 アンジェラは背後に目配せする。と、今度は桜色の少女が前に。こほん、と咳払いなどして、
「あー、あたしもアンジェラと会ってからそんなに経ってなくてさ。少なくてもあんたらの生きてた時間と比べれば。それでも、あんたの言う死導ってのは、少しばかりできるのよね。あたしの成果で救われた人も、うん、何人かいるの」
「それで?」
「それでって、うん、と」
 言葉に迷うケイの代わりに、私の口が勝手に踊る。
「私は貴女のように人間を知らない。もちろん、私も元は人間だった。けれども、そんな昔の出来事、もう覚えていないわ。
 それに、その頃と人間は変わった。もう私は人間なんてわからない。導くどころの話ではなくなっているかもしれない」
 あるいは、私が接した人間は、私のせいでむしろ追い詰められているかもしれない。
 そう思うと、おぞ気が走る。
「そういう問題じゃ、ないと思う。人間ってさ、色々な悩みを抱えているのよ。生き方の事だったり、お金の事だったり。恋や病気や勉強に仕事。それぞれに悩みがあって、それで生きられる人もいるけど、生きられない人もいるのよね」
「そういった、支えが必要な人間に小さな支えを与える事。解決のための方法、その糸口やきっかけを与える事。それが、私がしたいと思った事であり、している事よ」
 そして、それが『死導』。
「元来、それは何も難しい事ではないと思うの。話を聞いてあげるだけでもいい。こういう方法もあるんじゃないかと言ってあげるだけでもいい。そういう相手がいる人間には私たちは必要ない。孤独な、誰にも相談できない人間のそばにいる事こそ、私たちにしかできないと思う」
「隣人たれ。まるで救世主のようね。けれどアンジェラ、それは貴女が百年の時を超えて経験し、そうする事によって得たひとつの真理に過ぎない。
 私は貴女の真似しかできない。この事に関しては貴女がオリジナル。私は物まねに過ぎない。私でなければならない理由は、何もない」
「でも私でなければならない理由もない」
 チリン――
 暮れなずむ世界。黒衣も黒髪も黄金の色に染め、私の愛しい娘は笑う。
「誰でもいいのよ、人間たちにとっては。ただ、そばにいてあげられる存在。それは人である必要さえない。もちろん、私でも貴女でも、同じ」
「なら、私の必要性は? 私の、私だけの価値は?」
「それを言ったら、私もそんなものを持っていない」
 ふと、気づく。
 そう。人間にとって隣人たる存在はなんでもいい。アンジェラでもケイでも、エルミネアでもヴェンタスでもいいのだろう。
 個人によって多少の差異はあれど、特定の誰かでなければならない人には、結局……、何もできない。
 私たちが何かをできるという時点で、その相手は、私たちでなければならない理由はないという事。
「――じゃあ、アンジェラ。貴女はどうして生きられるの? 死後の、救いも希望もないこの世界で」
「私が動く事によって私を必要としてくれる存在が確かにいるから」
 柔らかな日差しの中で佇むアンジェラは、絵画の中で微笑む天使にも見えた。
「マリア。その悩みは百年早い。私だって最初からできたわけでもない。
 いずれ見えてくる。価値も、理由も、意義も。他の皆もそうやって見つけてきたのだから。
 動いて、あがいて、もがいて。その先に見えるものは、きっと特別」
 そう、か。
 これが、死導。人の悩みを聞き、その本質を捉え、道のひとつを提示する事。
 闇の中にいる存在にとって、道が見えない者にとって、可能性があるという事実は勇気になる。そこから新たな道を見つけるでも、与えられた道を行くでもいい。
 ともかく希望があれば、人は前に進むのだから。
 私は顔を夕陽に向けた。これ以上、アンジェラを見ている事はできなかった。
「アンジェラ。貴女はずるいわ」
「そう?」
 背後に感じる忍び笑いの気配。そう、アンジェラは、ずるい。
「ヴェンタス」
「む?」
「一緒に、見つけられると思う?」
 答えは、肩に重みとして返ってきた。
「見つけるまで探す。幸いにも時間だけはいくらでもあるようだからな」
「そう。――そういうものなのかもね」
「うむ。とは言っても、私も知らぬのだがな」
 ははは、と快活に笑うヴェンタスの声が、心地よかった。
 アンジェラが人にこだわる理由が、少しだけ実感できた気がしていた。


 港が見えないほどの場所までやって来たところで、大蛇は首を下げた。
「助かりました。マリア、私の言葉では動かせなかったので」
「ふふん。あんたも死導の勉強でもした方がいいんじゃない?」
 桜色の眷属に言われ、しかし大蛇は鼻を鳴らす。
「それはありえません。私もサタン同様、人間が好きではありませんから」
 と、大蛇は急に声をひそめ、
「それよりも、もしかしてあなたたちを呼んできたのは――」
「そうね。彼よ」
 チリン――
 あえて名前は出さず、夜空色の少女はその存在を明かす。
「あいつも素直じゃないわよね。まったくもって」
「それが彼らしさというものかもしれないわ」
「うわ。気持ち悪ッ」
 さりげなく辛辣な言葉を吐く少女に、蛇も少女も苦笑ばかり。
「だいたいねー、あんたらがのほほんと何もせず過ごしているからマリアが悩むのよ。ちょっとは何かをしなさい」
「ふん。無茶を言わないでいただけますか」
 大蛇はぐーっと伸びると、いずこかに姿を消した。
 ――ただ、検討はしてあげます。
 小さな言の葉が風に乗って届く。
「……本当に。死導者って素直じゃないヤツばっかね」
「それぞれに独自の考えや根拠を持つから、衝突も多いのよ」
「きゅ」
 日が沈む。月が昇る。
 今日もまた、夜が訪れる。
「それじゃー若者は勉学に励みますか!」
「ええ。良き事、よ」
 少女たちは、月の支配の下、当てもなく歩き始める。
 目的地は、死者を必要とする者のいる場所。
 チリン――



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