恋をした。
 恋をしたら僕は一途だ。
 目的のために、振り向く事はない。


 その記憶は赤に彩られている。
『昨日、山中にて発見されたバラバラ遺体は未だ頭部と左足が見つかっておらず、身元も判明しておりません』
 死んでもあれだけバラせば、さすがに血は流れるものらしい。それともまだ死んで間もなかったせいか。あるいは、生きていたんだろうか?
『教授、この犯人はどのような人物だと思われますか』
 だとしたら不運な人だ。生きたまま切り裂かれるなんて、普通の人生ではそうそう体験しない。……だとしたらむしろ強運か? いや、凶運か。
『そうですね。まず、被害者に相当の強い恨みがあったと思われます。また、山中にバラバラ死体を捨てたところからして、精神病の疑いもありますね』
 病気。それは間違いない。ただ、僕の病気は君らが考えるようなやましいものではない。
「そう。ありていに言えば、恋の病だ」
 ひとり、呟く。
 冬の夜はひどく冷える。にも関わらず、僕はベランダで星を眺めていた。
 都会のあまり綺麗ではない空気では、星も数えるほどしか見えない。あの頃の数百分の一だ。
 つけっぱなしのテレビからは異常な殺人事件についての考察がたらたらと聞こえてきている。それを聞くともなしに聞きながら、ただ星を眺める。
 僕が彼女に恋をしたのは、五年近く昔の話だった。
 当時の僕は弱くて、愚かで、泣き虫だった。他人にいじめられるまま、逆らう事さえできないでいた。
 そんな僕の前に、彼女は現われた。
 ――何故、泣いているの。
 艶やかな黒髪をなびかせて、吸い込まれそうな深紅の瞳で僕を見下ろしていた彼女。
 ――戦えとは言わない。誰もが戦えるほど強くない事も知っている。
 あんな子供に恋をした、なんて言ったら、僕はそれこそ病気のような扱いを受けるだろう。正真正銘のロリコンだ。
 ――けれど。貴方は戦う強さがあるはず。自分では、気がついていないのかもしれないけれど。
 だけど、あの子は見た目そのままの存在じゃない。もっと純粋で、綺麗で、そして大人びていた。魅力に満ち溢れていた。
 彼女の導きのまま、僕は力を手にした。いじめっ子に立ち向かう肉体と精神の強さ。結果として僕は今もまだ元気で生きている。
 当初は生きる事に必死で、自分の気持ちなんて気付きもしなかった。それに気がついたのは、一年ちょっと前。
 無性に、彼女に会いたくなった。
 だけど、会いたいと言って会える相手ではなかった。そもそもどこにいるのか、どうすれば会えるのかさえわからなかった。
 ヒントは、ひとつだけ。
 ――私は死導者。死を導く者。
 彼女は死導者と名乗った。なら、そんな彼女を引き寄せるには……、死を捧げればいい。
 そうして僕は、日本中を騒がせるバラバラ殺人の犯人となった。
 後悔はない。僕はただ、彼女に会いたい、それだけなのだから。
「そうだろう、アンジェラ」
 チリン――
 小さな鈴の音色。五年ぶりに耳にする、清らかな音色。
「後悔の有無までは知らないけれど、ひどく愚かね。黒坂光一」
 僕の前に現われた彼女は、何も変わっていなかった。
 その柔らかそうな黒髪も、シックな夜空色のワンピースも、見る者を縫い付けるような鋭い眼差しも。
「貴方は自分の行為を理解しているの?」
「もちろん。僕にとっての最優先事項は君に会う事だ。だけど、死導者に会う方法を、僕は他に知らなかった」
「貴方は、自分の目的のために他人の命をないがしろにしたと言うのね?」
 僕を見つめるアンジェラの瞳。それは、静かな怒りに満ちていた。
「アンジェラ。君ならわかるはずだ。人間って、そういうものだよ」
 何かを達成するためには大なり小なり何かを犠牲にする必要がある。
 そして、誰だって自分が犠牲になるのは嫌だ。どうせなら、他人を犠牲にして生きたいと思うだろう。
 僕はそれを、ちょっとばかり極端な形で体現したに過ぎないのだから。
「本当に久しぶりだね。君のおかげで、僕はこんなにも立派に成長できたよ」
「成長? 冗談のつもりかしら。だとしたら、欠片も笑えないわ」
 言葉通り、アンジェラの表情に笑みはない。どころか、何の表情もない。完全なる無表情なのに、怒りをこんなにも感じる事ができる。
「僕は本気だよ。昔の僕なら、君に会いたいと思っても、絶対に何もできなかった。努力さえしようとはしなかった。それを、これだけ努力したんだ。これは凄い事だと思わないか?」
「光一。それは成長とは呼ばない。堕ちた、と言うのよ」
「変化には違いない」
「そうね。最悪の変化だわ」
 チリン――
 ふわりと空中で回転したアンジェラは、どこからか剣を取り出していた。切先が僕を向く。
「己の行いを悔い改めるつもりはある?」
「脅しても無駄だよ、アンジェラ。僕は知っている。君が僕には何もできないという事を」
 ギッ、と歯を噛み締める音が聞こえてきたような気がした。
「君は生きている人間に言葉と態度で道を示す事はしても、誰かを傷つけたりは絶対にしない。それが君のルールだからだ」
「よく、覚えているわね」
「大好きな女の子の事はだいたい覚えいているものさ」
 はあ、とため息をつき、アンジェラは剣を降ろした。
「それで。貴方は何が目的なの」
「君に会いたかった。話をしたかった。そして、できる事なら、君と一緒に生きたかった」
 いや、と自分で自分の言葉を否定する。
「僕は、君と生きる」
「……どうやって。貴方と私では、文字通り生きている世界が違う。貴方は生きている。私は死んでいる」
「なら簡単な話じゃないか。僕が死ねばいい」
 アンジェラは、僅かに目を見開いた。
「僕は死んで、君と共に行く」
「まったくもって、愚かしいわ」
 ため息と共に、アンジェラは首を振る。
「言っておくけど、僕は絶対に諦めないよ」
「……そう」
 アンジェラはとん、と軽く後ろに跳んだ。
「なら、貴方の説得は私にはできないわね。彼女が貴方を断つわ」
 すっと、アンジェラは目を閉じた。そして、
「――ッ!?」
 ふっと、空気が変わった。
 冬の空気は、一瞬にしてそれそのものが刃のように研ぎ澄まされる。全身に感じる、ぴりぴりとした張り詰めた空気。
 その正体を求め、僕はあたりを見回し、そして……。
「あんまりバカな事ばっか言ってんじゃないわよ」
 見上げた先に、その子がいた。
 桜色の着物と白いミニスカートを組み合わせた特徴的な服装。そして、何より印象的なのは、その目。
「死なんてものはね、自分で決めるものじゃない。自分よりも大きな存在にむりやり押し付けられて、どうにもならず四苦八苦するような、そういうものよ」
 強い、どこまでも強い目。
 獅子だって虎だって、こんな目はしない。
 空から舞い降りた死神が、僕の目の前に立つ。
「初めまして。あたしは志野ケイ。よろしく」
 そう、これは、これこそが、殺気だ。
「ふうん?」
 ケイは僕を見つめ、頬に手を這わせる。
「あんた、なかなかやるじゃない。あたしの本気の殺気を受けてまだ両の足で立っていられるなんて」
 くちびるが震えるばかりで動かない。全身が意思に反して固まる。
「あんたは死を理解していない。本当の恐怖を知らない」
 この子に対しては、言葉なんて意味を持たない。何もできない。何かが通じるような相手じゃない。
 ケイは僕から少し離れ、右手を懐に入れた。
「これが、具体的な“死のカタチ”ってヤツよ」
 取り出したのは小さな握り。見た目には何の変哲もない木端に見える。
 けれど、ケイはそれを僕に向けた。切先を構えるように。
「生の剣。神殺しの一太刀」
 光が、伸びた。
 それはまるで剣のように、僕の眼球の直前にまで迫った。ぴくりとも動けない。ほんの欠片でも動けば、目を潰される気がする。
 いや。彼女は、何の躊躇もなく、潰す。そんな気配がありありと伝わってくる。
「知ってる? 死ねば誰でも死者になれるわけじゃないのよ」
 そんな、死を手に握ったような状態で――ケイは、笑っていた。
「あたしは死者さえ殺す。既存のルールの中に存在するあらゆる生を殺す事ができる。そこには肉体の生死なんて何の関係もない。魂からして、殺す事ができる」
 彼女は、この状況を、楽しんでいる?
「断言するわ。あんたは死んでもアンジェラと生きる事は許されない。あたしが許さない。ふふ、残念だったわねぇ? でも、これが摂理よ。
 死はより強い者によって強制的に与えられるもの。あんたが殺してバラバラにしたように、あたしもあんたを殺してバラバラにする。それだけ。あんたには文句なんて言えないわよねェ!?」
 鋭い語気が、僕を突き刺す。
「ケイ」
 アンジェラの声が、声だけが聞こえる。
「大丈夫よー、アンジェラ」
 殺気は一ミリも揺るがない。どころか、どんどんと増しているような気さえする。すでに殺気ばかりが周囲に溢れていて、他の何もかもが塗り潰されてしまっている。
「グッドバイ。名前もよく覚えちゃいないけど。殺人の代償は、命で支払え」
 光が消え、そして、僕を光が埋め尽くす。

 ガヤガヤと騒がしい声が聞こえて、僕は目を覚ました。
「おい、起きろ!」
 野太い男の声に揺り起こされ、嫌々ながら目を開く。
「起きたか」
「ん……」
 僕はゆっくりと体を起こし、改めて周囲を見渡した。
 僕の部屋には幾人もの人が出入りし、僕の周囲には四人ほどのスーツの男たちがいる。誰もが険しい表情で僕を見下ろしていた。
「誰、ですか」
「警察の者だ。話題のバラバラ殺人の件について、署までご同行願えるかな?」
 状況は、よくわからない。
 ただ、どうやら僕はまだ生きていて、アンジェラの仲間にはなり損ねたらしい。それだけが事実として理解できた。
「フラれた、のか」
 それも、わかりきっていた事だけど。
 あの子の道は、明らかに僕と違いすぎるのだから。
 少し前の僕なら、絶対に諦めなかったと思う。それほどまでに彼女が好きだった。
 けど、何故か今、僕の中にあったはずの燃えるような気持ちが消えていた。あるいは、ケイに殺されてしまったのだろうか。僕の持っていたはずの、気持ちを。
 だとしたら、とても惜しい事をした。
「ねえ、刑事さん。歪んだ愛情ってどう思いますか」
「何?」
「歪んでいても、誰にも認められなくても。愛するって、凄く、幸せな事だと思いませんか」
 空に目を向ける。
 青白い空に、小さな雲が浮かんでいた。
 僕は今日、幸せをひとつ失った。
 もう、取り戻せないであろうものを。


 チリン――
「まったく。アンジェラに好きだなんて、何を考えてるのよあいつ」
「きゅ!」
 怒りのままに空を踏みしめ、桜色の眷属は歩いていく。
「身の程知らずにも程度ってものがあるわよ、程度ってもんが! ふざけないで欲しいわね」
「きゅう!」
「……ねえ。貴女たちが怒っている点は、少し私とずれている気がするのだけれど」
 ぴたり、と足を止めた眷属は、くるりと振り返る。
「あたしにとってはとっても大事な事なの! あたしやエルにとって、アンジェラは何よりも大切なの!」
 肩口で、黒い獣がこくこくと頷く。
 そんな部下を眺めて、夜空色の少女は、破顔した。
「ありがとう。けれど、私よりも人の命を大切にしてあげて。私は死者。彼らは生者。死者によって、生者が生きられないなどという事は、あってはならない」
「それでもあたしたちはアンジェラを優先するわよ。あたしたちを救ってくれた、拾ってくれたのはアンジェラなんだから」
 チリン――
 わずかに見つめ合い――すぐに視線を外したのは、死導者の方だった。
「それも生き様ね」
「その通りよ!」
「きゅ」
 部下に背を向け、少女は歩いていく。それはどこか早足で。
「あ、ちょっとアンジェラ!」
 慌てて追ってくる部下から逃げるように歩む少女。その表情を知っているのは、その腕で揺れる片割れだけ。
 チリン――



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