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本当の願い事が叶うなんて、そうはない。 生きている間にそれがあれば奇跡かも。そのくらいの確率。 ただ、この日は、奇跡がちょっとばかし多めかもしれない。 最近、町を歩いていると、同じ曲をよく耳にした。聞いた話、賛美歌らしい。歌詞がないからそんな風には思わなかったけど、なるほど、時期的にはぴったりだと思う。 でも。 「ぶっちゃけ、関係ないよね」 通りのど真ん中で足を止めたあたしは周囲を見渡した。 サラリーマンになりたてっぽいお兄さん。彼女もいないらしく、寒そうに背中をすぼめながら早足に歩いていく。 反対側からやって来たのはちょっと頭の寂しいおじさん。子供へのお土産なのか、ケーキらしい箱を持っていた。 逆方向に目を向けると、今度はカップル発見。高校生だろうか、制服のふたりが仲良さそうにくっつきながら歩いていく。 明日は、クリスマス。キリスト様の誕生日、だったっけ。一年の中でも最高に盛り上がる日だ。 とはいえ、きちんとそれに応じて動いている人はどのくらいいるんだろう、と思う。 いつものように仕事をして帰るのなら、そこにクリスマスといった行事は関係ない。もちろん、何かをしなきゃいけないわけじゃないけど。クリスマスだからといって、あたしたちの仕事がなくなるわけじゃない。 要するに、何も変わらないって事だ。 「ねえ? そう思わない?」 「ん、そーかもね」 心底どうでもいいです、って顔つきで答えたのは、あたしの隣でスレた眼差しを高校生カップルに向けている女の子。毛糸のマフラーを首に巻き、顔の半分を隠している。 「誰がどうしていようと、どうでもいいし」 制服のポケットに手を突っ込み、そこで舌打ちした。 「そっか、煙草はないんだっけ」 「いくら寿命を気にしないって言っても、こんな状況になってまで煙草を吸わなくてもいいんじゃない?」 「んー、なんつーか、癖なの」 それはちょっとわかる気がする。あたしも無意味に手の中のものをいじりまわしたくなる。 「で、何の話だっけ。そうそう、別にさ、誰と誰がいちゃつこうが、誰が死のうが関係ないと思うわけよ。だって」 一瞬、視線に暗いものが混じる。 「――もう、死んでるんだし」 その言葉の裏に秘められた感情は、一息には読み取れなかった。 この女の子は、すでに死んでいた。それも死にたてのほやほや。イブの前日、23日。この女の子は自ら命を絶った。 あたしは死導者としてこの子と出会った。その時も、この子は何も動揺しなかった。 「そんでさ、ケイ。アタシはいつになったら成仏できるわけ?」 「さあ? それは風任せの運任せよ。そのうち自然と成仏するから、それまで待たなきゃいけないわね」 本当は、すぐさま殺す事もできた。あたしや、あたしの上司であるアンジェラにはそういう能力がある。 けれど、この子にはそんな力を使う気が起きなかった。この子は無気力すぎた。 同じくらいの年齢の人間、その大半はもう少し希望のある顔をしている。けど、この子にはそんな様子はまったくない。 アンジェラはと言えば、あたしにこの子を任せ、どこかに行ってしまった。『希望を教えてあげて』なんて言っていたけど、どうすればいいのかは皆目、見当もつかない。 この子は絶望しているんじゃない。希望も絶望もない。まさに、本当の意味で全てがどうでもいいと思っている。 希望がないんじゃなく、希望を意識していない。あるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんな曖昧な気分の女の子にどう希望を伝えりゃいいってのよー! 「うう……、アンジェラめー……」 アンジェラの事だから押し付けたってわけじゃないと思うけど、今回は今回で意図が読めないったらありゃしない。アンジェラの考えている事は高確率で理解不能だと思う。 ふと気がつくと、隣からあたしにじーっと視線が注がれていた。 「な、何?」 「んー。ケイさ、嘘ついてるでしょ」 「何の?」 「アタシを殺せないっての」 内心、心臓はどきんと鳴っていた。 けれどそれは押し隠し、 「そんな事はないわよ? どうしてそう思うわけ?」 「勘。アタシさ、勘だけはいいんだよね」 じっと見つめてみた。けど、相手の視線はちっとも揺るがなかった。 あたしは浅くため息をつき、 「あたしの負け。その通りよ、あたしもアンジェラも、その気になればいつだってあんたを殺せる」 「そうすれば成仏できるの?」 「成仏するかどうかはともかく、おばけではなくなるわね」 「なら、なんでそうしないの」 「それは……」 答えにくかった。だいたいにして、本当の事なんて言えるわけがない。 答えないあたしに、けれど特に期待をしていたわけでもないらしく、ふいと視線をそらす。 「ま、そのうち死ぬんでしょ? あんたがいるって事は、そう遠くない未来に。ならそれでいいや」 「ずいぶんと適当ね?」 「いいのよ、どうだって。もう死ねたんだから」 「……どうして、そこまでして死にたかったわけ?」 ちらっとあたしを見て、すぐまた視線を戻す。 「ケイは死にたいと思った事、ある?」 「なくもない」 「アタシは毎日がそうだった。だから結果的に死んだんだけどさ」 そう言う顔には、何の表情もなかった。 意識的に感情を抑えている、って感じじゃない。本当に何も感じていない。 「アタシの父親。見た事ある?」 「ううん」 「なら見ない方がいいよ。胸糞が悪くなると思うから。それがアタシが死にたいと思った原因その一。 あいつにとって、家族ってどうでもいいものらしいんだよね。家に帰る事は滅多にしないくせに、アタシの生き方は邪魔する。なんでかわかる? 自分の体面を保ちたいからよ。そんなふざけたのと一緒に暮らすとかありえない」 古いタイプの父親像が思い浮かぶ。ある意味で貴重だ。 「その一って事は、他にもあるの?」 「んー、まあね。たとえばさ、ケイは学校の屋上って行った事ある?」 「残念ながら」 メグミはわりかし真面目だったから、あたしをそんなところに連れて行ってくれなかった。行ったのは死後だから、厳密には行った事があるとは言えない。 「学校の屋上ってさ、よく漫画とかで舞台になるじゃない? あの気持ち、よくわかるんだ。空がさ、よく見えるの。何にも邪魔されず」 あたしは視線を上に向けた。薄い色合いの青空が広がっている。 「あれを見てると、飛びたくならない?」 「その気持ちはわからんでもないわ。あたしの場合は、本当に飛べちゃうけど」 「はは、便利だねぇ。だけど、普通の人間はそうはいかない。重力に縛られてる」 ふっと、瞳に宿る暗さが増す。 「学校でもそう。教師は親の言いなりで、びくびく震えながら仕事してる。しわ寄せはアタシたち。意味があるんだかないんだか、よくわかんない授業ばっかだもんね」 「あんた、成績は?」 「実は悪くない。むしろ良い方だよ。こういう事してっと、そうは思われないんだけどさ」 まあ、煙草を吸ってる女子高生が成績優秀とはあまり見えない。偏見だけど。 「そういうのが、アタシが死にたいと思った理由。親に、学校に、あげく重力にまで縛られてさ。生きるってしがらみが多すぎんのよ。やりたいと思った事、願った事さえできない。それならせめて、重力くらいからは解放されたかった」 だから、飛んだ。 屋上から。前々から準備して、わざわざフェンスを壊してまで。 この子には、生き難いんだろうか。人間という器は。 「理解できる? こういうの」 「わからないでもないわ。つーか、よくわかる」 あたしは肩をすくめた。 「あたしもね、元は生きた人間だったのよ。半分だけ」 「……半分?」 「そ。多重人格の裏の方って言えばいいかな。普段はメグミの人格が生きている姿を中から見つめているだけ。外に出られるのはごくごくたまに。ストレスもたまるってもんだわ。自由なんて、あたしにはなかった」 思えば。あたしの持つ力は、そんな自由を奪われた事に対する反抗だったのかもしれない。 あたしが本当に殺したかったもの。それは――。 「その点、あんたの方があたしよりは自由だったと思うわよ。見る事と考える事しかできない、しかも見るものさえ選べないなんていう状況より。そう思わない?」 「その話が本当なら、ね」 「あー。信じてないわけ?」 「別に。ただ、多重人格とか裏とか表とか、そんなくっだらない漫画みたいな話、あっさりと実感できない」 ふむ。素直な子だ。 「それで。あらゆるしがらみがなくなった今の感想は?」 「あらゆる事がどうでもよくなった。何かしても意味がないってのは最高に味気ない」 「でしょ」 「だからって生きていた頃の方がマシだったとは言わないよ。残念ながらね」 あたしを上目遣いで見る女の子は、どうやらあたしの言いたい事もよくわかっているらしかった。 「それとこれとは話が別。生きていたいとはやっぱり思わないもの」 「そう。じゃ、ちょっと行ってみようか」 「行く? どこに?」 「決まってるでしょ」 あたしは女の子の手を取り、とん、と軽く跳んだ。 「空によ。あんたが生きている間に望んだ珍しいものじゃないの」 ふわっと、空から町を見下ろす。あたしには見慣れた光景だ。 隣を見ると、女の子は空から町を見下ろしながら、どこか感動したような表情を浮かべていた。 「どう? 気持ちいい、ってのは変かもしれないけど」 「……うん。気持ちいい」 ぐるりとまわりを見回す。 このくらいの高度まで来ると、すべてが下に見える。あたしたちより上にあるものと言えば、雲ひとつない青空に輝く太陽くらいなものだった。 「すごいね、これ」 女の子は素直に景色に見とれていた。この子がこんな顔をするのはちょっと珍しい気がする。いつも無感動な、興味のなさそうな表情だから。 「なんだ。あんたもできるんじゃない」 「……何を?」 「そういう、活き活きした表情」 ハッと何かに気づいたように自分の顔に触れ、表情を引き締める。でも、もうその色合いはあたしの目の裏にしっかりと焼きついてしまっていた。 「隠さなくてもいいじゃない。別に悪いものじゃないんだし。まあ死んだ人間に活き活きも何もないと思うけど、そういう顔してる方が楽しいでしょ?」 「し、死んでるんだから、楽しいとかどうでもいい」 照れてるのかしらね。顔が半分くらいしか見えないからよくわかんないけど。まあ、それはそれで可愛らしい。 「じゃあさ、生きてたら楽しいとか大切だった?」 「それは、まあ」 「そうかしらねー?」 あたしは首を傾げてみせた。すると、女の子は不満そうにあたしを見る。 「何が違うっての?」 「いやさ。あんた、生きている頃から楽しみってのを大切にしてなかったんじゃないかなって思ったのよ」 「なんで?」 「あんたの話を聞くとどうにもね。父親に不満、教師に不満、社会に不満、あげく重力に不満? そりゃたいしたもんだわ。そんなに不満だらけでさ、楽しい事、本当に探していた?」 「それは……」 「不満があるのは当たり前よ。死んだって生きてたって、不満なんてざらにある。今のあんたは意識してないだけで。何かを犠牲にしないで何かを得る事はできないもんよ。 楽しい事ってのも同じ。あんた、探した? 求めた? 対価は払った? そんなもんもなしに不満だけ語られても困るわよね」 言いながら、思った。わかった。 この子は、本当は、死にたくなかったんだなって。 女の子はじっと視線を下の方に向けたまま、何も言わなかった。何も言えなかったのかもしれない。どちらなのか、あたしには判断がつきかねた。 「あんたさ、屋上のフェンスを壊して、それで飛び降りたのよね。本当は誰かに止めて欲しかったんじゃない?」 「そんな事、ない」 反論の声は、今までと比べて随分と小さかった。 「煙草を吸ったりしたのも、実は叱って欲しかったとか。誰もあんたを見てくれない。誰も意識を向けてくれない。そりゃ寂しいわね」 もはや、何の声も発しなかった。予想していた抵抗さえない。 本当は、自分でもわかっていたんだろうと思う。頭のいい子みたいだから、余計に。だから色々と考えてしまって、結局、ろくでもない結論しか出せなかった。 あたしは女の子とふたり、しばらく景色を眺めていた。この子には、時間が必要だ。 そのまま、どれくらい待っていただろうか。日が沈むかといった頃になってようやく、女の子はぽつりと呟いた。 「ずるい」 「え?」 「今さらそんな事を言うなんて、ずるい。叱るなら、もう少し早くして欲しかった」 もう、手遅れ。 生きる事に未練ができても、苦しいだけ。 言外に、そう言っている気がした。 「それは、まあ、そうなんだけどさ」 そればかりは、あたしにはどうにもできない。死んだ人間をいちいち生き返らせていたら、世界は成り立たなくなってしまう。 これ以上は、あたしには手が出せない。 そう思った矢先、 チリン―― まるでタイミングを見計らっていたかのように、鈴の音色が聞こえてきた。 「アンジェラ?」 空間を渡り、夜空色の女の子が姿を現わす。 アンジェラ・ウェーバー。あたしの上司にして大好きな恩人。肩口には黒オコジョのエルもいる。 「お疲れ様、ケイ。どうやら成功したようね」 「それはいいけどさー、アンジェラ、どっかで見てたの?」 「いいえ? 偶然よ。けれど、状況は顔を見ればわかるわ」 すっと、アンジェラの視線があたしから女子高生に向く。 「貴女を招待するわ。受けてくれる?」 「きゅ!」 女子高生は虚をつかれたように驚きを示す。 「アタシ? 何するの?」 「私から貴女へのプレゼントがあるのよ」 いたずらっぽく笑うアンジェラ。 それを見た時、なんとなく『もう大丈夫だ』と、そう思えた。 女の子は迷いながらも、手を差し出す。 「早くしてよね」 「ええ。そう時間はかけないわ」 アンジェラはあたしにも目配せした。つまりは、空間移動するって事ね。 「オッケー、どこに行くのか知らないけど」 ふわりと、景色が揺れていく。 その中で、あたしは強い笑みを浮かべていた。 チリン―― アンジェラはあたしたちをどっかの病院まで連れて来た。入り口から入り、素直に階段を通る。 その間、あたしの隣で、女子高生はひたすらに無言だった。 「ここよ」 アンジェラが連れて来たのは、集中治療室。中に入ると、意外と静かだった。部屋の中には、女の子が横たわっていた。 機械に囲まれ、目をつむる少女。あたしはその顔を知っていた。ついさっきまで、いや、今も接している。 「この子……」 あたしは思わず横を見てしまった。そこには同じ顔がある。 「肉体は、まだ死んでいないわ」 アンジェラは横たわる女子高生を見ながら、ぽつりとそう言った。 自殺した。そう聞いただけで、あたしやアンジェラは実際に死体と見たわけじゃない。路上でボーッとしていたこの子を見つけただけだ。だから、こういう可能性もあった。まったく、思ってもみなかったけど。 「じゃあ、アンジェラはこれを探すために……?」 こくん、と頷く。 「エルがね、感じ取ったの。まだ肉体の香りがするって。だから、一緒に少し探してみたのよ。そして、ここを見つけた」 アンジェラの目が女の子に向く。 「ねえ。可能性はまだ生きているわ。死んでいないのならば、賭ける事ができる。貴女は、どうしたい?」 「アタシ、は……」 小さく唇が動く。うっかりすれば聞き漏らしてしまいそうなほどに小さな声。 「アタシ、は、生きていいのか、な」 「いいんじゃないのー? 死んだ方がいいヤツってのはそのうち殺されるでしょ」 あたしの理論とさえ呼べない理論で納得したのか、首がかすかに動いた。 女の子の視線と、あたしの視線が重なる。 「アタシ、もう少し、生きていたい」 「そ」 言葉は別に要らないな、と思った。お互い、表情でだいたい語りつくしている。 「生きて、くしゃくしゃのおばあちゃんになって、また死んだら会ってあげるわ。それまでは会ってあげない」 「うん。……うん、ありがとう」 そう。この子は、もう、大丈夫だ。 「それとさ、今度は言ってみたら? 態度で示すんじゃなく。最近の男は情けないもんねー、スパッと口に出すに限るわよ」 「考えとく」 女の子はすっと自分の体の上に重なる。入る前に、あたしたちを見た。唇だけが小さく動く。 あ。り。が。と。う。 バイバイ、とあたしは手を振った。女の子は、笑顔で自分の体に戻っていった。 びくん、と体が跳ね、計器類になんだかよくわからない数字が出てくる。 今。この子は現世に舞い戻ったんだ。 「もう、こっちに自分で来るんじゃないわよ」 その心配はないと思うけど。 ねえ? チリン―― 病院の外に出た死導者たちは、空を見上げた。もう空には月が浮かんでいた。 「こういう事ってあるものなのね」 「だって明日はクリスマスだもの。これくらいはあってもいいと思わない?」 「クリスマスが何か関係あるわけ?」 ふふ、と笑った死導者は、部下を見上げる。 「クリスマスはね、希望の日なのよ。イエスという名の希望が生まれた、その事実を喜び感謝する日。救われぬ者さえ救われると約束された、希望の誕生日なの」 「……あれ? それ、誰かが言ってなかったっけ?」 「ガブリエル」 「ああ、そっか」 ぽん、と桜色の眷属は手を打つ。 「だから私は、信じてみたの。彼の者が本当に希望を生み出したのなら、奇跡が誕生した日であるのなら、きっと救われると」 そうしてそれは、現実となった。 あるいはそれは、救い主が与えた贈り物なのだろうか。 現実にはそんな事などありえるはずもない。ただの偶然、幸運に過ぎないだろう。 けれど、それでも。 「そう信じるのは、自由」 くすっと笑い、少女たちは月に向かって歩いていった。 半月は、青白く冬の町を照らしている。 チリン―― |