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なんでもよかった。 ただ認めて欲しかった。 君は、特別だよって。 「くふふ……」 笑い声は自然と漏れた。抑えようと、堪えようとしても、漏れ出るのは止められなかった。 「くはははははははははははははは!」 狂っている。頭のどこかはそう言っていた。けれど、それを他の全体が否定する。これで正しいんだ、と。 手に持った頭を握り潰し、ただ笑う。 「はははははははははっははあはははははは!!」 高らかな笑い声が夜空に染みこんでいく。 拳の中に感じる生暖かい感触がとても面白かった。ほんの数日前のオレならそれを面白いと思う事はなかっただろう。けど、今のオレには、それはどんな芸や冗談より、どんなゲームや漫画より、ずっとずっと面白い代物だった。 「そうだよなぁ! これで笑えないはずがないよなッ!」 手の平の液体を振り払い、哄笑高らかに歩き出す。 「力で負けず! 選ばれ、愛され! これでおかしくなきゃバカだ!」 オレは、力を手に入れた。 誰にも負けない。力を自慢する人間でさえ握り潰す、純粋な力。人の肉体なんて下らない枠を超越した力を。 死んで――オレは進化した! 「はははははははははははははははははははははははは!!」 人を殺せる。このなんと素晴らしい事か! オレはとうとう、死さえ支配した! 長年、人類が望み続けた夢。死の超越、そして支配! このなんと甘美な事か! 「ひっ……!」 人声にオレは振り向いた。若い女の子がオレを見て立ち尽くしている。 「人を見て悲鳴を上げるってのは失礼じゃないか?」 ゆっくりと、歩み寄る。途端、女の子は脱兎の勢いで駆け出した。 「ははっ……、逃げられると思っているのかよ。浅はかだな」 ぐっと飛び出す。死んで以前より巨大化した体は、けれど逆に軽くなっていた。羽のように、軽々と飛び上がる事ができる。 女の子は走りながら振り向いた。目に涙を溜めていた。 その顔を手で覆い尽くし、ぎゅっと握る。 途端、頭は弾け、肉と骨の欠片が道路を汚した。 人間の体は脆い。今のオレにとって、こんなものを砕くなんて造作もない。それだけの力が、今のオレにはある! 「あーっはっはっはっはっは!!」 流れ出る血を踏みにじり、オレは次なる獲物を求め、夜の街を行く。 オレが死んだのは数日前の話だ。 最初は何が起きたか理解できなかった。 恐れ、震え、何をしたらいいかさえ理解できなかった。そんな状態で過ごす内に、徐々に冷静さを取り戻していく。 そして、気づく。自分は死んでしまった。もう未来はない、と。 気づいた瞬間、オレはその事実を否定した。認めなかった。 なんとしても生きる。死んでなおそう願った。何をしたらいいかなんてわからなかったけど、とにかく死にたくなかった。 そうして、いつの間にかオレは姿を変えていた。 最初は本当に驚いた。だけれども、死というとびきりの異常を経験したオレにとって、外見の変化なんてのはそうたいしたものじゃなかった。 それよりもオレが重視した事は、この姿であれば人に触れられるという事。そして、人間にはありえないほどの力を持っているという事。 これさえあれば、人間の頭を握り潰す事も、放り投げて肉塊に変える事も思いのままだった。 そう。オレは、死んで人間という存在を超越した。 他にも何人か、オレが殺した人間の魂とやらを見た事はある。けど、あいつらはオレのようにはなれなかった。 その違いはわからない。オレにわかっている事とは、すなわち、オレが選ばれたのだという事だけ。 それだけで、十分だった。 チリン―― 当てもなく夜の街を歩いていると、ふと、人影を見つけた。 「見つけた」 カツン、と靴を踏み鳴らして街灯の下に現われたのは、まだ小さな女の子だった。 夜空色のワンピース。透き通った深紅の瞳。さらりと流れる黒い髪。一つ一つは多少の違和感を覚えても絶対的におかしなものじゃない。だけど、それらが組み合わさる事によって、異様な雰囲気を醸し出していた。 間違いない。この子は、普通じゃない。 「同類か」 思わず笑みが浮かんだ。人間は何人か殺してみせた。だけど、自分と同じような存在に会ったのは初めてだ。 「同類、ね。殺人を犯した者という意味では否定しないけれど」 すい、と女の子の目が細くなった。 「その呼び名は心外だわ。貴方のような、自分が何物たるかを理解していないような存在に言われるのは」 「理解していない? 何がだ」 「何もかも」 チリン―― 静かな、それでいて確かな怒りを感じる。感じ取れる。 心地いい。心の底から、そう思った。 「私は死導者。死を人々に導く存在。とは言っても、私自身が殺すわけではないわ。人に死期が近い事を教え、望まずとも死を迎えた人間に安らかなる眠りを与える。それが私の逝き様」 ……救い、か。 「それで?」 「一方の貴方。貴方はただの死者に過ぎない。人としての生を終え、けれどもその事実に満足できず。死を拒み、目を背け、蓋をした存在。そんな貴方に、同類などと言われるのは我慢ならないわね」 「そうか」 そんな理屈は、どうでもよかった。 オレが力に選ばれ、そして、目の前に同じように力を持つ存在がいる。それだけで、十分だった。 「いいから、やろうぜ!」 ダン、と力強く踏みしめ、前に出る。肥大化した腕を振り上げ、女の子に迫る。 女の子は、軽くため息をついていた。 チリン―― 「獣以下ね」 ふっと、腕の感覚が消えた。 何が起きたのかを確認する前に、オレの視界はぐるりと回っていた。 「――っ!?」 ズン、と衝撃が全身に走ってしばらく、オレは身動きさえ取れなかった。自分が寝転がっていると気づいたのは、数瞬の後。 慌てて起き上がると、女の子は冷ややかな眼差しでオレを見下ろしていた。 「獣は、自分より強い相手に戦いを挑んだりはしない」 「黙って、聞いていればッ!」 右腕を振り上げようとして、それがない事に気づく。その時になってようやく、女の子が剣を握っている事、オレは腕を斬られたのだという事を理解した。 「そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私はアンジェラ・ウェーバー。覚えずとも構わないわ」 女の子――アンジェラに向かい、オレは吼えた。 「誰が獣以下だ! オレを、オレたち人間をなんだと思ってやがる!」 力では敵わない。その瞬間をまざまざと見せつけられ、体に叩き込まれ。心は殺せと命じているのに、体が、動かなかった。 「生態系の頂点にいるのは誰だ! この星を支配しているのは誰だ! あらゆる生物の上に立つのは誰だ!」 今のオレには、言葉しかなかった。 「それは人間だ! 獣以下だと、ふざけるんじゃねえ! お前にオレたちの何がわかる! 人間の何を知ってるってんだ!」 はぁ、はぁと肩で息するオレを、アンジェラは見下ろしていた。 「私は、人間を特別などと思った事はないわよ」 「……何?」 「人間は特別に優れているわけでもないし、ましてあらゆる種の頂点に立つなどという考えは傲慢にも程がある。ありえないわ」 アンジェラは首を振る。本当に、呆れているような空気があった。 「力で人が獅子に勝てる? 速さで人が犬に勝てる? 純粋な身体能力は特化した獣の方が優れる。 魚は互いに助け合って生き、鳥など人を利用しているわ。個々の点を見ていけばそれぞれの種が何かしらの能力を持っている。それは、人間に限らない、ごくごく当たり前の話よ」 むしろ、と少女は微苦笑を浮かべた。 「人は、劣っているかもしれないわね。合目的的ではない側面は非常に多い。合理的であるかという一点に関しては虫の方が優れているかもしれないわ」 「じゃ、じゃあ、なんでお前は人間だけを救うんだ。それは人間を特別視している何よりの証拠だろう!」 「私が人間と接するのは、彼らのために私ができる事があるから。そして同時に、私が彼らによって救われたから。それだけの事。 必要とあれば野の獣にも接するし、草花とて呼ばれれば応える。ただ、獣も草木も、私を必要としていないの。彼らは死さえ輪廻の一部と知っている。甘んじて受け止めているから」 「……っ!」 違う。そんな答えを聞きたいんじゃない。 そんな答えは聞きたくない! 「そ、そうだ、それならなんでお前は人間と同じ姿をしているんだ?」 「……?」 「人間がお前の言うような不完全な存在なら、選ばれていないと言うのなら、なんでお前は人間の姿をしているんだ。もっと完全な、獣か何かの姿でいればよかっただろう!」 「ああ、そういう事」 合点がいったように頷き、やがて、アンジェラはくすくすと笑い出した。 「貴方は人に生まれたいと願って人の姿になったのかしら?」 至極当然、とばかりにアンジェラは言う。 「もちろん、私はこの姿を後悔した事は一度もない。だけれども、私は生まれながらにこの姿だったわ。そこに私自身の意志は関与していない」 要するに、とアンジェラはオレの目を見据えた。まっすぐ、吸い込まれそうなくらいに綺麗な瞳がオレを見ている。 「貴方は特別ではない、と言っているのよ、私は」 ――それは。オレが、最も聞きたくない言葉だった。 「何かにつけて、貴方が他者と異なる点はない。多種多様なる死者の、ごく普通の姿のひとつ。それを理解せず、受け入れもしない貴方には、私の言葉も届かないでしょうけれど」 もう、言葉さえ出なかった。 力も、言葉さえも無くしたオレには、何もできなかった。 「特別でありたいと願う事はそう珍しくはないわ。誰かの唯一となる事も、そう難しくはないかもしれない。大抵の人は、誰かしらの唯一だものね」 だけれども。アンジェラの声が耳から入って、けれど頭には残る事なく抜けていく。 「大勢の特別になる事は難しいわ。それは誰にでもできる事ではない。それを願うには、貴方の器は小さすぎた」 そっと、アンジェラの小さな手がオレの頬に触れた。 「ごめんなさい。私に貴方は救えない。私は、殺す力しか持っていない」 離れ、アンジェラは宝剣をオレに向けた。 「やはり貴方は、間違っているのよ。死の先に何かなどありはしないのだから」 冷たい感覚が、体を通り抜ける。 そうしてオレは、暖かな光に包まれた。 「さようなら、名も知らぬ変魂。貴方の死は、私が受け継ぐ」 聞こえた声が揺らいでいたように感じたのは、オレの、気のせいだろうか。 チリン―― 少女は泣いていた。 涙は零す事なく、ただ、泣いていた。 「ねえ、ルカ。どうして私たちは人を救えないのかしら」 チリン―― それは、ごく自然の事。救えるほどの上位に存在していない、ただそれだけ。 いずれにせよ彼に救いはなかった。庇う声も、少女の悲しみを癒すには、ほんのわずかばかりの効果しかない。 「きゅー!」 獣の鳴き声に少女が顔を上げると、その顔面に黒い獣が張り付いた。 「ちょっ……、エル!」 「きゅ!」 引きはがし、少女はため息混じりに頭に乗せた。 「エル。いつも言っているでしょう。顔に飛びつくのはやめなさい」 「きゅ?」 「無駄だって、アンジェラ。そのカリカリ小梅は物事を覚えるって容量に欠けてるんだから」 ふと聞こえた声に、黒い獣は毛を逆立てる。 「エル。ケイ。喧嘩はしないように」 「スキンシップよ。ねえ、エルッ!」 光刃と光爪が夜空の下で弾けた。そんな姿に、夜空色の少女はため息ばかり。 そんな彼女は、気づいていなかった。自分の中の悲しみが、薄らいでいるという事実に。 チリン―― 「何? ルカ」 なんでもない、と言わんばかりに鳴いて、鈴はその音を閉じる。 少女は軽く首を傾げ、けれどそれ以上には何も問わなかった。 死者さえ変えた、人の力。 誰より感じているのは、傍観者かもしれない。 チリン―― |