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愛してるとか、そういうのはよくわからん。 自分で体験した事のないものを知っているってのも変な話だ。 ただ……、それは勘違い、なのかも。 「由紀ぃ、いるかー?」 「なーにー?」 少し声を張り上げると、玄関の方から声が返ってきた。そっちに向かうと、由紀はブーツに足を突っ込んでいた。 「なんだ、どっか行くのか?」 「ん、デート。お父さんには内緒ね?」 「デートぉ? お前がぁ?」 「む。何よそれ」 由紀は俺をにらむように見上げた。 そういえば、今日はいつもより少しばかりおめかししているような気がする。具体的に違うところはいくつか挙げられるようで挙げられない。要するに、全体的に雰囲気が違うという事か。 「タカ君も彼女でも作ったらぁ? そうすればあたしの気持ちも少しはわかるから」 「悪かったな、モテなくて」 「またまたぁ。あたしと顔とか似ているんだし、モテようと思えばできるっしょ」 「だから無理だっつってるんだよ」 「……タカ君とは少し深く話し合う必要がありそうだね」 はぁ、とため息ひとつ、由紀は立ち上がった。 「それで、あたしはもう出かけるんだけど、何か用?」 「ああいや、出かけるならいいよ。行ってらっしゃい」 「そ。じゃ、夕飯までには戻るから」 言い残し、由紀は家を出て行った。 俺はふと思いつき、洗面所に向かう。そこに映っているのは、俺の顔だ。 女顔、と言えるだろう。二つ下の由紀と、確かによく似た顔だ。あるいは確かに、ちゃんとすれば女にもモテるのかもしれない。 ただ、俺はなんとなく、そんな気にはなれなかった。 クラスの女子を見て、あるいは街中で女の子を見て、俺は付き合いたいとか思った事は一度もない。 理由は、自分でもよくわからなかった。ともかく、俺にとって女子とは付き合う対象なんかではなく、ただのクラスメイトでしかなかった。そのへん、友達とも話は合った事がない。 「彼女、ねえ」 なんでそんなものが欲しいのやら。 俺には、理解できないねぇ。 夕方、俺が部屋でゲームをしていると、下から母さんが呼ぶ声が聞こえてきた。 俺は舌打ち交じりに立ち上がり、部屋を出て階段を降りていく。 「なんだよ、母さん」 「タカ君ごめん、お米がなかった」 「……で?」 「いやあタカ君カッコいいよ! さすが私の息子!」 「買いに行って欲しいなら素直にそう言えっ!」 「何を言ってんの! 買いに行かせてくださいお母様、でしょ!」 「なんでそこまでへりくだって言わにゃならん!?」 文句を言いながらも、飯を食うのは俺だ。買いに行かざるをえない。この母親は、ごねると本当に飯は炊かないからな……。 仕方なしに俺は上着を着込み、財布を手に家を出た。外の寒さが身に染みる。 「あー、寒」 近所のスーパーまでは歩いても十分とかからない。寒いせいかあまり人通りのない道を歩いて行くと、逆方向から人影が近づいてきた。 「ん?」 「あ、タカ君」 由紀だった。隣に男を連れている。少し頬が赤いのは、寒さのせいだろうか。 「誰、この人」 「タカ君。あたしの兄貴」 由紀は彼氏に俺を紹介すると、続けて俺の方を向き、 「タカ君、辻大地君。彼氏」 「つ、辻です」 「ふうん、君がね」 見たところ、由紀よりは若干年上だろうか。なんとなく軽薄そうな印象を受ける。こういう奴が由紀の好み、なんだろうか? 俺には理解できない。 「タカ君はどっか行くの?」 「あ、ああ、ちょっと米を買いに」 「お母さん、また買い忘れしたんだ。さすがは我が家の天然キャラ」 天然で忘れ物ばかりされてはたまったもんじゃない。 「じゃ、あたしたちは行くね。大君、行こ?」 「あ、うん」 辻大地は俺に軽く頭を下げると、由紀と腕を組んで歩いていった。 「――辻大地、か」 なんとなく。 本当になんとなく、なんだが。 「気に入らないなぁ」 何故だろうか。その理由がわかれば、苦労はしないだろうけど。 なおもしばらく家の方角をにらんでいた俺は、くるりときびすを返す。そして、 「うおわぁ!?」 足元に黒い影。俺は驚き、思わず尻餅をついた。 「たたた……」 顔を上げて、俺は足元にいたのが女の子だったと気づく。黒いワンピースや黒い長髪は、そのまま夜の闇に溶け込んでしまいそうだった。 「貴方、注意した方がいいわよ」 「あ、ああ、ごめん」 「蹴飛ばしかけた事ではなく」 違うのか。 女の子は俺に手を差し出した。俺はその手を借りて立ち上がる。 「貴方、自分の心を見つめておいた方がいいわよ」 「心を、見つめる?」 「そう。貴方は狂気を内に潜ませている。にも関わらず、貴方はその根源について考えた事もなければ、そもそも気づいてさえいない。今のままでは、遠からず危険な事になるわ」 「きょ、狂気って?」 「貴方が、彼に抱いた感情。その源泉よ」 「彼……、って、辻大地の事か?」 こくんと頷き、女の子は俺とすれ違うようにして歩いていってしまった。 俺はなんとなく声もかけられず、そのまま見送ってしまい――気づけば、道路にひとり取り残されていた。 「なん、なんだぁ?」 俺はふと思い出し、足をスーパーに向けた。 とりあえず、米を買ってから考えよう。 食後、俺は由紀とドラマを見ていた。 何故か由紀は普通の女の子が興味を持つであろうドラマじゃなく、二時間ドラマの方をよく見ている。なんたら殺人事件、だの。前に何が楽しいのか聞いたら、なんとなくって答えられた。そのくせ、割と真剣に見ているんだから不思議だ。 「なあ、由紀」 「んー?」 「あいつのどこがいいんだ?」 「あいつって、大君の事?」 「そう」 由紀はテレビに目を向けたまま、 「なんていうか、第六感?」 「お前はいつからシックスセンスの女になった」 「でも、そんなものよ。気がついたら好きになってた」 好き。由紀の口からその言葉を聞くと、物凄い違和感となって俺の中に残った。まだ俺の中で由紀はガキのままだからかもしれない。 「どこが好きなのとか、たまに友達にも聞かれるんだよね。でも、答えられないの。どこが好きとかじゃなくて、なんとなくあいつが好きなのよ」 「同じクラスなのか?」 「ううん。学年も別。一個上。友達と同じ部活でね、通ってる間に知り合ったの」 由紀は帰宅部だ。といっても、素直に帰宅する口じゃなく、色々な部活の友人をたずねては適当に遊んでいるらしい。そのくらいの事は俺も知っていた。 「冗談とか言って、なんとなく過ごす間に、なんとなく好きになった。で、好きになったって自覚してからは、止まらなくてさ。コクったの」 「お前から?」 「うん。んで、オーケーもらって付き合いだしたの。大丈夫、まだそういう事はしたりしてないから」 「そ、そうか」 由紀はちらりと俺を見上げ、 「だからさータカ君も、彼女とか作ったら? コクられた事だってないわけじゃないでしょ」 「――まあ、ね」 前に一度、コクられた事はあった。クラスメイト。付き合って欲しい、と。結局、断ったけど。 数日後、そいつが別の男子と付き合っていると聞いた時には呆れたが。 恋愛。俺には、ひどく遠く感じられる言葉だ。 「由紀。幸せか」 「もちろんよ」 答えは間を置かなかった。 由紀が、幸せ。 なら……、俺が何かを言うような事じゃないんだろう。兄妹とはいってもあくまで別人。妹が幸せなら、兄としては祝福してやるべきだ。 ふと、黒い女の子の事を思い出す。 『自分の心を見つめておいた方がいいわよ』 俺があの男を見た時、覚えた感情。その理由。 その答えを、俺は知っているんだろうか。あの子の口振りでは、知っていて見ないようにしているとか、そんな雰囲気があった。 知っている? 俺が? 答えを? 本当だろうか。いまいち、実感が沸かない。そもそも俺は由紀に関してそんなに多くを知っているわけじゃないし、兄妹仲だって特別に良いわけでもない。まあ悪くはない、その程度だ。 その俺が、妹が誰かと付き合って、その誰かと会って、何を思うというんだろう。 その明確な由来は、俺にもよくわかっていない気がしてならない。 ただ、あいつを見た時、心がざわついた。それは、確かだった。 「理由、か」 それは、言葉にできるものなんだろうか。 数日の時を思考に費やしたが感情の言語化には失敗した、なんて遠回しに言ってみたが、要するにいくら考えても答えは出なかった。 「なら」 もう一度、会えば。 あるいは答えも、出るだろうか。 そんな事を考えながら、俺は由紀の中学に向かってたらたらと歩いていた。 今日は日曜。由紀は家にいるが、辻大地の方は学校に部活動のために来ているという。午後からはデートらしいが、その前にあいつに会えたら、なんて思っていた。 ちょっと会って、少し話をする。それだけでよかった。それで答えが出ればよし、出なければ、もう答えは出ないものとして諦めよう。 そんな事を思いながら、中学に向かう坂道をのぼる。緩やかな坂。冬の弱々しい日差しの中でも、軽い運動をすると、寒さはあまり感じない。 「だからさぁ、大地ぃ、あれプレゼントしてよぉ」 「はぁ? やだよ、そんなの。こっちだってピンチなんだっての」 大地。その言葉に、俺の視線は自然と上を向く。 坂を下りてくるのは、中学の制服を着た男女だった。その片方に俺は見覚えがある。 否。忘れるはずがない。 俺はつかつかと男女に歩み寄る。途中で男の方が俺を見て、そして固まる。 その間に俺は男に近づき、襟をつかみあげた。 「テメエ。何してんだ」 「あ、いや、これは……」 「ちょ、ちょっとあんた、なんなんだよッ!」 キンキンと高い声。横目に見ると、女の方が手を出すでもなくわめいていた。 「ちょ、ふざけんな、大地放せよッ!」 「うっせえ。黙ってろ」 一言。怒りの欠片をにじませて言っただけで、女の方は黙りこくった。 俺は視線を男に戻し、 「辻大地。こいつはなんだ」 「いや、その、こいつは――」 「お前……、由紀と二股かけてやがったのかッ!」 叩きつけるようにして道路に落とすと、辻大地はパクパクと口を開閉させながら俺を見つめ返した。 「テメエ、ふざけんじゃねえ!!」 頭が熱くなっている。冷静じゃない。どっかでわかっているのに、感情は止まらなかった。 殺したい。今すぐ目の前からこいつを消し去ってやりたい。 憎い、という感情が後から後から沸いてくる。自分を抑えるなんて、できそうもなかった。 辻大地は逃げるでもなく、ただ俺を見ていた。腰を抜かしたのかもしれない。女の方は完全にビビッていて、俺を止められるような人間は、この場に誰もいなかった。 俺も、含めて。 「ざっけんなよ……、ふざけんなッ! 何様のつもりだテメエ!!」 体が動く。 止まらない。 もう、駄目だ。 俺はこいつを、殺すだろう。 チリン―― ふと。本当にいきなり、体の動きが止まった。まるでDVDの停止ボタンを押したように、急に。 自分の状態を確認する。そうして初めて、自分が拳を振り上げていた事、辻大地に馬乗りになっていた事に気がついた。 続いて、視線を下に向ける。辻大地は俺を見上げていた。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れ、くちびるは切れていた。手に痛みはない。という事は、転んだ拍子に切ったのだろうか。 「ちっ!」 俺は辻大地の上から退いた。今の俺にはもう、こいつを殴れなかった。 「由紀には、お前から言え。それでどうするかはあいつが決める事だ」 最後にじろりとにらみ、俺は坂道を下りだす。 結局、俺は答えを見つけられたのだろうか。 おそらく、見つけた。 あの子が言っていたのは、この事だったのだろう。俺は、俺が思っている以上に、妹が大切だった。他の誰にも渡したくないくらいに。 俺は、あの男に、嫉妬していたんだ。 「見る目のない奴だよ」 俺が由紀と付き合ってたら、他の女を見る余裕なんてなくなるだろうに。 ……さすがにそれはないか。 「あーあ。ゲーセンでも寄って帰るかな」 ちょっと今は、由紀に会えないよ。 もう少し、俺の中で答えが出てから。 そうしたら、帰ろう。 坂の上に立つ少女たちは、じっと下を見つめている。 立ち去り行く少年。見送っていた少年は、かたわらにいた少女に詰め寄られている。 「いい気味ね。むしろ死ねばいい」 「ケイ」 「冗談よ」 手に持っていた剣を消し去り、少女は肩をすくめた。上司たる死導者は軽くため息。 チリン―― ふっと桜色の少女は真剣な顔になり、 「ねえ、アンジェラ。なんで愛しきれないのかな」 「まだ子供なのよ、おそらくね」 「じゃ、大人になればわかるわけ?」 「それはまた別の話。ともかく彼は、まだ早い」 それでもう終わり、とばかりに少女は背を向けた。眷属は不満げに、けれども上司に追随する。 「貴女も元は人間。いずれ知るわ。私たちでは永遠に体感しないであろう感情を」 「えーえんにて。アンジェラだって好きな人くらいできるんじゃないの?」 言って、 「やだー! アンジェラが愛するとか絶対パス! そんな奴が出たら間違いなく斬っちゃうわね!」 「ケイ」 ひとりで悶える部下に、上司は呆れ顔。その頭上ではくすくすと笑う獣の姿。 ふっと消え去る死者たちは、小さな音色を残していった。 甲高い声で消え去ってしまうような、儚い音を。 チリン―― |