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あたしは怖いもの知らずに見られているらしい。 けど、まあ、そんなわきゃない。 怖いものは怖いし、その本能が消えてなくなる事は、永遠にないと思う。 「きゅう」 夜空を歩いていると、ふとアンジェラの頭の上でオコジョが鳴いた。 「どったの、エル」 「……何かを見つけたようね。案内してくれる?」 「きゅ」 エルはアンジェラの頭から降りると、とっとこ空を歩いていく。その後についてしばらく歩くと、あたしの目にも見えてきた。 「ああ、あの子の事」 学生服の女の子が鞄を手に佇んでいた。生気はなくって、後ろでくくった髪もどこか落ち込んでいるような気配がある。ま、死んでりゃ当たり前かもしれないけど。 「よくないわね、彼女」 「よくないって、変魂になるかもしれないって事?」 「ええ。可能性はある、むしろ、高いわ。生に、より正確に言うならば、生前の何かに執着している。このまま放置しておくと、私たちの敵になりかねない」 「なら、そうなる前に止めればいいわけね」 変魂、すなわち悪霊になるためには、相応の時間が必要になる。それくらいはあたしだって知っている。 そうなる前に死を受け入れてもらえれば、わざわざあたしたちが殺す必要はない。 確かにあたしは……、死を導く者。相手が誰であろうとも殺す力を持っている。それは、生者だとか死者だとか関係ない。生がある相手ならばそれがどんなものであろうとも破壊できる。 ただ、それは可能という話。やりたいわけじゃない。 あたしたちが近づくと、気取ったのか、女の子が振り返った。 「どーしたの、こんなところで額にシワなんか寄せちゃって。ほら、笑いなさいよ」 「あなたたち、誰?」 「死者。そのくらいの自覚はあるでしょ?」 聞くと、女の子はうつむいた。 「ねえ、こんなところにいると、悪霊になっちゃうわよ。今の間に成仏しといた方がいいんじゃない? あんたも、死んでまで苦しい思いはしたくないでしょ」 「うん。でも……」 女の子は視線を落とした。あたしも、その先を追う。 特にどこかを見ているという感じじゃなかった。むしろ、漠然と町を見ている、といった感じ。 「何か、遺したものがあるのね?」 「うん。その、私、殺されたの」 「殺された?」 こんな、女の子を? ……腐った奴。 「ケイ」 「わかってるわよ」 とは言いつつも、アンジェラの声で正気を取り戻す。怒気が、少し強くなりすぎていた。我ながら思う。 「えっと、正確に言うと、ひき逃げなんだと思うの。雨の中で、ヘッドライトが見えて。そこから先は、あんまり覚えてない」 「それで、そのひき逃げした犯人が憎い、とか?」 ――刹那。あたしの手が懐に伸びていた。 それほどまでの殺気。こんな、ごく普通の高校生が放つとは思えないほどに強い『殺す』意志。 「絶対に、許さない」 その一言にこめられた感情は、ひとつじゃない。 ただ、そのどれもに共通するのは、どこまでも強い害意。敵を、自分を殺した相手を苦しめたい、殺したいという気持ち。 見れば、アンジェラは少しまなじりを下げ、悲しげな表情を作り出していた。 はあ、と思わずため息。 けど、まあ、それが原因って事だけはわかった。それさえわかれば対処も可能。 「えーと、そういえばあなた、名前は? あたしはケイって言うんだけど」 聞くと、女の子は微妙に表情を和らげた。 「羽川。羽川睡蓮です」 「んじゃー睡蓮。その犯人、捜すわよ」 あたしの言葉に、アンジェラは不安を織り交ぜた表情で見上げてきた。あたしは頷き返し、 「ま、殺すとか殺さないとかはとりあえず置いといて、今は犯人を捜さないと。でないと、あんたも成仏できそうにないんでしょ?」 「……それは、そうだけど」 でもどうやって? 目が語っている。 「事故現場とかは覚えてる? できたら案内して欲しいんだけど」 「それくらい、なら」 はてさて。どう転ぶかしら。 あたしにも、予想はできなかった。 事故現場は踏み切りの近くだった。 住宅街の中にある踏み切りは、私鉄のものか。少し先に大きな道路が見えたから、そっちに抜けるためにここを通る車は多いのかもしれない。 「事故が起きたのは何時頃?」 「一ヶ月くらい前の、夜の十時くらいかな。たまたま帰りが遅くなっちゃって、ちょっと急いでいたの。そうしたら、突然、車がやって来て……」 まだ顔を伏せる睡蓮。けど、今はそんな事をしている時間じゃない。 「ちなみに、警察はまだ見つけてないのよね?」 「うん。雨のせいで証拠が流れたって言ってた」 にゃるほど。それはどうしようもない。 「エル、でもさすがに無理よね」 「きゅう」 当然だ、とばかりにエルは頷く。そこは自慢できるところじゃない。 「じゃあ、どうしたものかな」 人海戦術もできない以上、何かしら頭を使うしかない。 といっても、事故そのものは偶然。この子を狙って殺したとは思えない。 せめて車の特徴とかナンバーがわかればいいんだけど、睡蓮はこれ以上、何も覚えていなさそうだし。 「やっぱり、無理でしょ?」 「諦めんな。可能性は諦めた奴には訪れないものよ」 口では言うものの、本当に打つ手はない。せめて、目撃者でもいればいいのに。 そんな時間に、こんな場所を見ている人。ううん、人じゃなくてもいいんだ。猫でも犬でも、アンジェラは通訳する事ができるんだから。 そうして考えて、ふと思う。 「ねえ、アンジェラ。植物の考えている事ってのはわからない?」 「難しいわね。彼らには動物のような強い自意識がないもの。事故そのものは見ているでしょうけれど、それを記憶しているかどうかはまた別。彼らにとって、それは日常の一部でしかないもの」 「そっかー」 いい作戦だと思ったんだけどなぁ。 なんて残念がっていると、ふと、アンジェラは何かに思い至ったようにしきりに頷いていた。 「アンジェラ?」 「そうね。ケイの考え方は悪くないわ。確かに彼らは『見て』いるのだから」 アンジェラはとん、と飛び上がると、近くの木に触れた。 「覚えてないんじゃないの?」 「ねえ、ケイ。貴女は植物がどのようにして光景を記憶すると思う?」 「へ?」 どうやって? うーん。 「そりゃ、脳みそもないもんねぇ。って、あたしらもないのか」 死んでるわけだし、人間の通りに体ができているわけじゃない。実際、あたしが前に死者を斬った時には、その断面に肉は見えなかった。黒々とした、なんだかわけわかんない煙みたいのが見えた気がする。 「そう、彼らには動物と同じ概念で言うところの記憶は存在しない。代わり、彼らにも生があり、生は記憶を刻む。それは人間の記憶とは異なって薄く曖昧なものだけれど、読み取る事も不可能ではないはず」 チリン―― アンジェラが、生に包まれる。 それは、あたしには淡い光に見えた。きらきらと輝く金色の光がアンジェラを優しく包んでいる。それは、なんだかとても暖かだった。 「見え、たわ」 そっと手を離したアンジェラは、続いてエルの額に指を乗せた。 チリン―― 「エル。彼を探せる?」 「きゅ!」 ひくひくと鼻を動かし始めるエル。その姿は確信に満ちていて、迷いがなかった。 「睡蓮、どーやら見つかりそうよ、あんたの仇」 「うん」 ぞわり。背筋が凍る。 睡蓮の殺気は、百戦の経歴を持つあたしでも恐怖を覚えるようなものだ。こんなもの、普通の人間が触れれば、精神がどうにかなってしまうんじゃないだろうか。 「睡蓮……、会ったら、どうする?」 「わからない。だから、会いに行く」 それが、睡蓮の答えだった。 あたしたちは一軒の家の前に降り立った。 少し離れたところには駐車場があり、そこにはバンパーが曲がった車が駐車してあった。睡蓮は記憶になかったみたいだけど、ほぼ間違いなさそうだった。 「行く、よ」 あたしは誰にともなく告げた。手は懐の中に、視線は睡蓮の背中に。 もし。もし、睡蓮が犯人の男を殺そうとすれば、あたしは睡蓮を殺さなければいけない。 死者は生者に関わってはならない。それは、誰が決めたわけでもない、けれども守らなければいけないルールだった。 家に入る。扉を開ける必要なんてない。 探すまでもなく、人の気配はあった。家の食卓には、家族が揃っていた。夫婦らしい男女と、その子供。まだ五歳くらいだろう。生意気そうな顔をしていた。 チリン―― それは、どこにでもありそうな、暖かな光景に見えた。 睡蓮は、父親らしい男性をじっと見つめていた。まばたきさえせず、ただひたすらに。まるで、呪い殺すかのように。 「睡蓮?」 声をかけても反応しなかった。あたしはアンジェラを見た。アンジェラは、首を軽く横に振るだけで、何も言わなかった。 「こいつが、私を殺した」 じんわり。にじみ出してくる気配。 「私を殺した男が、笑ってる」 それは、間違いようのない。 「どうして? なんで私は死んで、こいつは笑っていられるわけ?」 殺気だ。 「なんでさッ!」 「睡蓮。だからって殺したら、あんた、こいつと同じなのよ」 「だから何さッ! ずるいじゃない! 不公平でしょ!? こいつだけ笑って私は笑えないなんて、そんなのおかしいじゃない!」 「そうでもないわよ。生は常に不平等なものだもの」 相変わらずだな、と思った。 アンジェラの声は、どれほど騒がしい場所でも、凛と響く。 「貴女方が普通と考える日常。それは、不平等の上に成り立っている。生まれた場所、親、何を学び、何を体験し、どうやって生きるのか。 あらゆる場所に不平等の種が潜んでいる。生きている間には気づきにくいけれど」 たとえば。死は、生まれた時から決められている。 その刻限までの長さは人それぞれ。これはどう努力しても覆す事ができない、絶対にして最高の法律。 あるいは。生まれた時からお金持ちの人、さしたる努力もせずに要領よく学び取っていく人、優れた肉体を持つ人。 人はそれぞれに優劣があり、それがあるいは個性と呼ばれ、あるいは不平等と呼ばれる。 「じゃあ、何よ、人を殺しておいて笑っている奴がいてもいいって言うわけ!? そんなわけないじゃないの!」 「それは、貴女が決める事ではないわ。人間には人間の法があり、自然界には自然界の法があるもの」 「そんなの……、そんなの! 認められるわけないじゃない!」 殺意が、膨れ上がる。もう、変魂になるのは止められないように見えた。 「アンジェラ?」 問うと、上司は首を横に振った。仕方なしに、あたしは握りを取り出すのを諦める。それでも手は離さない。いざという時、すぐさま抜刀できなければ、この子は何をしでかすかわからない。 それほどの、危うさがある。 「冗談じゃない! 笑って済ませるなんて、そんな事できるわけないでしょ!」 「睡蓮。貴女は死者よ」 「だから何! 死者は何ひとつ願っちゃいけないってわけ!? 自分を不幸にした人間の不幸を願って、何がいけないってのよ!」 「いけない」 一瞬、誰が言葉を発したのかわからなかった。睡蓮の視線がこちらを向いているのを見て初めて、自分が言ったんだと気がついた。 「いけない」 もう一度、今度は意識的に口にする。そうすると、自分の中の想いが固まっていくような、そんな気がした。 「そういう、不幸にされたから不幸にするってのは駄目。そこに終わりはない。お互いがお互いの不幸を願って、まわりまで巻き込んで、みんながどんどん不幸に落ちていく。誰も幸福になんかなれない、不幸しか生まれない」 「じゃあ許せっての? それで私が幸福になれるとでも言うわけ!?」 「なれないかもしれない。でも、不幸を願えば自分だって不幸になるわよ。いんがおーほー、だっけ? そういう事」 不思議な感覚。まるで言葉の方が勝手に出て行くような、そんな気分。あたしが話しているのか、言葉に話すよう命じられているのか、それさえわからない。 「憎い相手の幸福を願えなんて言わない。そんなの無理だしね。だけど、憎いからって恨んじゃ駄目なの。憎い相手でも許して、怒りがあるなら別の形で打ち消さなきゃいけない。 そりゃ、死んじゃってるんだから、もう可能性も未来もない、けど。でも、自分にないからと言って、他人からも奪っちゃ駄目」 「そんな、んな理屈で納得できるかッ!」 「納得しなくていいわよ。実行すれば」 パチパチと、弾けるように視線が絡み合う。睡蓮の瞳には殺気の炎が燃え盛り、その中であたしは焼かれていた。 身を焦がすような殺意。その気持ちは、なんとなく理解できる気がした。 殺したいという衝動。ともかくなんでもいいから壊したいという気持ち。 抑えがたい欲望。それに身を任せ、落ちていけば、結局は自分が後悔するんだ。 そして、その時にはもう遅い。手放したものは二度と手に入らず、失われたものは誰にも戻せない。 命とは、そういうもの。 かけがえのない存在だからこそ。 「睡蓮。死者として、殺人者としての先輩の意見よ」 あたしは握りから手を離し、懐から出した手を睡蓮に向かって伸ばした。 「この手を取りなさい。人を殺せば、その人間に殺されてしまう」 睡蓮はキッとあたしの目を見下ろし、続いて男を見た。 そのまま、しばらく動かなかった。あたしは身動きせず、辛抱強く待ち続ける。 わかって、くれる。 確証はない。根拠もない。でもそう信じられる。 この子は、憎しみに焼かれ殺意に溺れたこの子は、あたしと違う。 この子は、ただの人の子だ。 どれだけ経っただろうか。家族が食事を終え、父と子が姿を消す。それでもなお、睡蓮は動かなかった。 「――なんでよ」 ぽたり、と雫が落ちた。 「なんで、私、殺せないのよ」 落ちた雫は徐々にその量を増していく。 「あんなに、憎かったのに。ずっとずっと、殺したいって。ただ、それだけを考えていたのに」 ぽたぽた、ぽたぽた。 流れ落ちる雫は、止まる気配がなかった。 「なんで、殺せないのよ」 あたしは伸ばしていた手を持ち上げ、睡蓮の目元を拭った。 「睡蓮。それが普通の人よ」 人に、人は殺せない。 人を殺せたあたしたちは、人でありながら人ではない、悪鬼のようなものなんだろうと思う。 人の子である睡蓮に、あの男を殺せるはずがなかった。 「睡蓮。ひとつだけ、教えてあげる」 チリン―― 鈴を鳴らし、アンジェラは睡蓮を見上げる。 「あの男性。心の奥底では後悔している。自分の不注意。逃げ出した事。夜毎に貴女の亡霊に苦しめられているわ。けれども自ら出頭する事さえもできない。彼もまた、どこまでも矮小で臆病な、どこにでもいる人間よ」 「うっ……」 嗚咽が、あたしの耳を揺らす。それはやがて、心をかきむしる叫びに変わった。 「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!」 人の死は、重い。 何よりも、ずっと。 チリン―― 少女と永遠の別れを済ませ、桜色の眷属は常とは異なる息を吐いた。 「ご苦労様、ケイ。よく頑張ったわね」 「ううん。アンジェラこそ、止めてくれてありがとう。でないとあたし、あの時に睡蓮を斬っていたかもしれない」 自分の利き腕を掴み、少女は震えた。 「衝動、に近かった。あの殺意が怖かった。消したかった。そのために、たったそれだけのために、あたしは睡蓮を殺しかけていた」 「けれども、思いとどまった」 「だからそれは、アンジェラがいてくれたからよ。アンジェラがいなかったら、あたしはどうなっていたかわからない」 肩を震わせ、少女は己が行為を悔悟する。冷たい恐怖に身を震わせて。 チリン―― そんな折に響いた涼やかな音色は、ひどく暖かな心にさせてくれた。 「ケイ。私は貴女の隣にいる。貴女が私の隣にいてくれるから」 それは、眷属と死導者という関係からはありえないような言葉だった。 けれども、それが彼女たちの真実の姿でもある。 「ただ、ふふ、そうね、貴女にも隣にいてくれる人は必要かもしれないわね」 「隣に?」 「そう。陽平や公平ならばいつでもいてくれると思うわよ?」 「……なんでそこであの高慢当主と能天気破門男が出てくるわけ」 声にいつもの調子が戻っている事に、眷属は気付いていない。 「あたしの隣はアンジェラで十分よ」 「きゅう!」 「あーはいはい、エルとルカも認めてあげるわ」 チリン―― 「立場が逆、だそうよ?」 「うっさい鈴のくせに文句たれんな」 きゅっと夜空色の少女の手を握り、桜色の少女は駆け出した。 「ほらほら、立ち止まってないで行こうよ! もっと、どっかに!」 「ふふ、そうね」 日は沈み、天には月が輝く。 少女たちを照らすように。 チリン―― |