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大好きだった。ブラコンとか言われそうだったけど、それでも好きだった。 向こうもあたしを愛してくれた。 あたしたちは、とても仲の良い兄妹だった。 黒い喪服を着た人が、次々に現れては線香を手にしていく。今更ながら、お兄ちゃんの交遊関係の広さを痛感した気がする。 お兄ちゃんは成績優秀にしてスポーツ万能、しかも明るくて社交的で、昔から友達も多かった。地域のイベントの手伝いとかも欠かさずに顔を出したりした上に、熱心にバイトまでしてた。はっきり言って、これだけの知り合いは、お兄ちゃんでなきゃ把握しきれないと思う。 そんなお兄ちゃんだから、お父さんもお母さんも誇りにしていた。それこそ、不出来なあたしを責めるほど。 あたしはお兄ちゃんと比べられてばかりで悔しい想いもしたけど、そんなのを吹き飛ばすほどにお兄ちゃんは人がよくて、だからあたしはお兄ちゃんが大好きだった。ううん、今でも大好きだよ。なのに、どうして――? 「藤咲さん」 名前を呼ばれ、あたしは振り向いた。 ……なんだ、アキラか。ああ、なんだってのも失礼かな。 「藤咲さん……」 アキラは何かを言いたそうに、けれど、まるで言葉が見つからないみたいに、ふるふると頭を振った。 「アキラ、あたしは大丈夫だから」 だから、自分から言っておく。自分の事さえ満足にできないアキラなんかに心配されるほど、あたしも弱くない。 「お兄ちゃんが死んじゃったのはただの事故だし、しょうがないよ。そりゃあたしはお兄ちゃんが好きだったよ? でも、別にブラコンじゃないもん。お兄ちゃんがいなくなって自殺とか、そんな事は絶対にないから」 「……そう言うなら、いいんだけど」 それでも心配そうな顔をしていたけど、アキラは、それじゃまた、なんて言い残して仏前に向かった。 口では、強がったけど。内心は、本当に後を追いたい気分だった。 お兄ちゃん……どうして、死んじゃったの? 何で他の誰でもない、お兄ちゃんが死ななきゃいけなかったの? 「……馬鹿、だよね」 心の中で呟いたって、誰も返事なんかしてくれないのに。お兄ちゃんに聞いたって、お兄ちゃんはもう答えられないのに。 それでも、聞かないではいられない。だって、だって……こんな不条理、認められないから。 弔問客が帰ると、小さなウチは途端に静かになった。お兄ちゃんの入った棺桶の前で、あたしはひとり、正座をしている。 一戸建ての、庭が見える和室。八畳の狭い部屋に、お兄ちゃんは寝ている。もう、二度と目覚めないけれど。 「お兄ちゃん……」 呼んでも返事なんかないってわかっているのに。なのに、聞いてしまう。お兄ちゃん、どうして死んじゃったの、って。 チリン―― 「運が悪かった、としか言い様がないわね。死神に魅入られた……とでも言えばいいのかしら」 「ふぁ!?」 び、びっくりしたぁ……。 いつの間にか、あたしの後ろにふたり組の女の子が立っていた。 ひとりは小学生くらいで、黒い……夜空みたいなワンピースを着ている。 もうひとりは、あたしと同じくらい。和服みたいな袖の上着に白いミニスカっていうちぐはぐな格好をしてる。まるでコスプレみたい。 「だ、誰……? お兄ちゃんの知り合い?」 「知り合いって言えばその通りだけどね」 高校生くらいの方が答えた。続けて、口を開く。 「ああ、あたしはケイ。こっちはアンジェラ。まあ、あんたの兄さんには……会った事はあるわ。確かに、ね」 変な知り合い……。しかも小学生くらいの子まで? アンジェラって事は、外人さん? 黒髪だし、日本人っぽい顔をしてるけど……もしかしてハーフかな? アンジェラはちらりとケイを睨み、あたしに目を向けた。子供なのに、すごく威圧感みたいなのがある目……。 「私は死導者。死を導く者。ケイは私の眷属……言うなれば部下のようなものよ」 「しどう、しゃ?」 指導者って、先生って事? ……何の? あたしの表情で理解していないってのがわかったんだと思う。ケイは、あたしにもわかるように説明してくれた。 「わかりやすく言えば、死神みたいなもんよ」 「死、神……!?」 ふざけて、るの? でもでも、ふたりともすっごい真面目そうだし……。 「アンジェラ、わかりやすいように『魂喰らいの宝剣』でも見せてあげたら?」 「そうね」 チリン―― アンジェラがくるりと回る。そしたら……本当にいつの間にかとしか表現できないタイミングで、アンジェラはその手にきれいな装飾をした刃物を握っていた。 「……え?」 刃、物? 嘘!? だって、どう見たってこんなのを隠すとこなんかないのに――! 「これで私が人間ではないとわかって貰えたかしら」 アンジェラは冷静に言う。まるで、何もかも当たり前だと言わんばかりに。 「私は人の生を奪い、死を導く存在――死導者の端くれ。その意味、貴女にわかるかしら」 死を導く者。死神のような者。死神の仕事って、人の魂を運ぶとか、そんなのだよね? だったら、このふたりは誰の魂を運んだ? 「ま、さか、あんたたちがお兄ちゃんを?」 ふたりとも答えない。ケイは詰まらなさそうに見ているだけ。アンジェラに至っては、微笑んだ。 ――笑った? じゃあ、まさか本当に、こいつらが……? こいつらがいなきゃ、お兄ちゃんは死ななかった!? 「あんたがお兄ちゃんを殺したのね!? 何の罪もないお兄ちゃんを、その剣で、殺したのね!?」 ふたりは答えない。ただ、その顔に浮かぶ笑いが……ムカつく! 「人殺しッ! お兄ちゃんを返してよッ!」 アンジェラは答えない。小さく笑顔を浮かべたまま、何も言わない。 ――――ッ!! もう考えるより早く、あたしの体が動き出す。目の前の、あの笑顔を、ぶち壊したくて。 あたしが手を振り上げた、それと同時に。 「馬鹿」 床が頭の上にあって、天井が足の下にあった。 ダンッと、全身に衝撃が走る。いった……。畳に、叩きつけられた? 「アンジェラは傷つけさせないわよ」 冷水みたいなケイの声が降ってきた。聞いただけで、背筋がゾクリと寒くなるような声が。 「貴女の兄は、確かに私が殺したわ」 あたしを見下して、アンジェラは呟いた。やっぱり、こいつらがお兄ちゃんのカタキ! 「ふふ、また会いましょう。今日はそれだけを伝えたかった。だから、もう用はない」 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」 チリン―― あたしの声も空しく、ふたりはどこかに消え去った。 「藤咲さん、大丈夫? すごい顔をしてるけど」 「……大きなお世話よ」 今はアキラなんかに構う気分じゃないんだから。 あのふたり、あれから四日も経つのにまるで姿を見せない。どこに行きやがったのよ、まったく。 ここのところ、お兄ちゃんを失ったショックとアンジェラたちへの怒りでなかなか眠れない。鈍感なアキラでも気付くくらいに、ひどい顔なんだろうな。 あたしの席の隣に立つアキラを睨み、あたしは言う。 「だいたい、あたしに何があったって関係ないでしょ。それとも、あたしに何か用でもあるの?」 「そうじゃないけど……」 あーもう。男のくせにはっきりしない男なんだから。 「お兄さんの事があったから、ショックでも受けているのかなって思って……。そ、それだけなんだよ」 「それが大きなお世話なの」 アキラの気弱な顔が叱られた子犬みたいになった。 「で、でもさ、正直な話、そんな藤咲さんは見てられないよ」 「じゃあ見なきゃいいでしょ」 アキラは残念そうな悲しそうな顔をして、ごめん、と呟いた。 「……あんまり思い詰めないようにね」 変な台詞を残して、アキラはどっに行った。何よそれ。それじゃあたしが自殺するみたいじゃない。今のあたしは死ねないよ。あの死神に、復讐するまでは。絶対に。 学校からの帰り道。あたしはひとり、歩いていた。 あたしの家は学校から歩くと一駅分くらいの距離がある。けど、電車を使うのももったいなくて、いつも歩いて通ってる。 商店街を抜け、住宅街に入ると、途端に人通りがなくなる。街灯が少なくて、痴漢や通り魔が問題になっている道。だけど今のあたしには、痴漢も通り魔も怖くない。もっと、ヤバい奴とケンカするつもりなんだから。 チリン―― 「誰とケンカをするのかしら」 ……来た! あたしの目の前、ほんの数歩の距離がある場所に、あのふたりは立っていた。本当に、いつ現れたのかわからないけど、そんなの関係ない。 「出たわね、死神ッ!」 あたしはポケットに手を突っ込み、駆け出す。こいつだけは、何としても、殺してやる! 手を伸ばせば届く距離に入っても、ふたりは動かない。だからあたしは、ポケットから秘密兵器を取り出せた。 「死んじゃえ!」 お兄ちゃんの形見の、ナイフ。お兄ちゃんがアウトドアで使っていた、ナイフ。それを、あたしは、突き出した。 「……馬鹿」 どこかで聞いたような声が響く。お兄ちゃんのナイフは、アンジェラに突き刺さる……その直前で、止まっていた。見えない何かに阻まれて。 「言ったでしょ、アンジェラは傷つけさせないって」 ケイの手が、何かを握っている。それはまるで刀のように、あたしの前に向かって突き出されていた。 「今日は貴女と戦いに来たわけではないの」 アンジェラは目の前にナイフがあるのに、まるで動揺していない。何なのよ。どうしてそんなに冷静でいられるのよ! 「貴女に教えてあげようと思って。貴女に近しい魂、ひとつ貰い受けようと思っているの」 「あたしに、近しい魂……?」 それって、何? あたしの知り合いを、殺すって事!? 「そ、そんなの許さないわよ!」 「じゃあ、貴女に何ができるのかしら?」 すい、とアンジェラの目が細くなる。それだけで、たったそれだけで、あたしは動けなくなる――。 「では、狩り殺す対象に関して、ひとつだけ手掛かりをあげるわ。見つけられれば、貴女でも救えるかもしれない」 ふわりと、アンジェラが浮かび上がる。後を追うように、ケイも浮かんだ。 「その男は、貴女の事を心から心配している。過度の想いに、押し潰されそうなほどに。 ……ああ、ふたつも手掛かりをあげてしまったわね。もっとも、同じ事。所詮、己しか見えていない貴女には、それが誰なのか……わかるはずがない」 チリン―― 澄んだ鈴の音色だけを残し……アンジェラたちは、姿を消した。 「わかるはずがない……?」 あたしが気付かなければ、また誰かが死ぬ? 「――ッ! そんなの許さないッ!」 でも、誰の事!? どこに行けばいいの!? 男って言ってたから、お父さんとか? でも、お父さんは会社にいる。間に合うかな……? 「……違う。絶対に、間に合わせる!」 あたしは駅に向けて、駆け出した。 どうしてこんな時に限って財布がないのよ! しかもケータイは電池切れしてるし! あたしが思ってたより頭は寝不足の悲鳴を上げていたみたいで、何から何まで抜けている。もう、こんな時に限って! どうしよう、ウチに帰って電話する!? でも、間に合うかな――? 『わかるはずがない』 アンジェラの凛とした声が耳に残る。何よ、自分の事しか考えてないのはどっちよ!? 自分のためにお兄ちゃんを殺したのは、どこのどいつよ!? 「…………え?」 そういえば、あいつは何て言ったっけ? 『貴女の事を心から心配している』 そういえば、お父さんって……そんなに心配してくれたっけ? 間違ってもそれはない。むしろあたしと同じで、不条理を嘆いていたはず。少なくても、押し潰されそうなほどにあたしを心配してはいなかった。 じゃあ、一体、誰? 『藤咲さん、大丈夫?』 …………そう、だ。うぬぼれじゃない、あいつはあたしを心配していた。自分がノイローゼになる、みたいな顔をして。 「しまった――!」 あたしは走り出した。アキラがいるであろう、学校の部室に向かって。 アキラは、パソコン部の副部長。あそこは毎日、活動しているから、今日もこの時間ならまだ学校にいるはず。 走りに走って、あたしは学校に辿り着いた。上履きに変える足ももどかしく、廊下を走り抜ける。 パソコン部の部室まで走り、あたしは一気に扉を開いた。 「アキラッ!?」 「藤咲さん! 来ちゃダメだ!」 飛び込んできた光景。それは、ケイがアキラの首を締め、アンジェラが剣をかかげる、まさにその光景だった。 「……よく気付いたわね。やるじゃない。でも、それだけ。貴女では、私たちふたりは相手にできない」 「知らないわよそんなのッ! いいから、アキラから離れなさいよ!」 机の間をすり抜け、あたしは一気にアンジェラとの間を詰める。アンジェラは剣を振り上げ、それをあたしに向かって振り降ろす……その前に! 瞬時と言っていいほどの間に、あたしはアンジェラに近付いてナイフを突き出した。さっきよりも早い上に、ケイはアキラに気を向けていた。そんな程度じゃ、今のあたしは止められないんだから! あたしのナイフがアンジェラの胸に刺さった。アンジェラは驚き、よろよろとナイフを引き抜いた。 「アンジェラ――!」 ケイがアキラを放し、アンジェラに駆け寄る。代わりにあたしはアキラに駆け寄った。 「アキラ! 大丈夫!?」 「大、丈夫、だよ。ありが、とう……藤咲さん」 軽くせき込みながらも、アキラは笑った。笑ってくれた。だから、大丈夫だってわかった。 「どうよ、人殺し! 人の痛み、わかった?」 あたしは勝ち誇ったようにふたりに言った。アンジェラは苦しそうにあたしを睨み、ケイはまさに憎悪の塊みたいな目をあたしに向けた。 「あんたねえ、人殺し人殺しって、アンジェラがどれだけ苦しんだのかわかって――」 すっと、ケイの前に手が伸びた。 ――アンジェラだ。 「いいわ、ケイ。事実は事実、嘘は嘘。何も変わりはしないから。……行くわよ、この傷を治さなければ」 「でも、あの男の子は?」 ケイが言うのに、アンジェラは首を振って返した。 「諦めましょう。彼の護衛は、私たちを弾く覚悟があるようだし」 「……わかったわ」 ケイはじろりとあたしを睨んだ。 「あんた、ラッキーね。二度とあんたらは狙わないわ。感謝なさい」 「ちょ、ちょっと待ちなさい!」 止める間もなく、ふたりの姿は消えちゃった。あっという間に。 後でアキラに聞いたら、いきなりあのふたりに襲われたとか。そんなんでよく逃げろ、なんて言えたわね。ああ、来るな、だっけ? あれから、ふたりは本当に姿を見せなかった。ただの一度も、その影すら。 今日はお兄ちゃんの四十九日。制服に身を包んだあたしは、お兄ちゃんの遺影を見上げた。 お兄ちゃん、あたし……もう大丈夫だからね。大事なものも、少しだけわかった気がする。 憎むだけじゃ、あたしはアンジェラに傷ひとつすら、つけられなかった。 でも、アキラを守らなきゃって動いたあの時、あたしは確かにアンジェラを超えていた。 憎しみだけじゃ、ダメなんだね。頭も回らなくなって、財布を落としたりするし。 周りに目を向けて、何かを守る時なら、限界を超えられるんだ。そう、わかったから。 ……お兄ちゃん、安らかに眠ってね。あたしの、最後のお願いだから――。 「これで満足した?」 「ああ、ありがとう。おかげで助かったよ」 夕日は沈んだばかり。空は未だ薄っすらと明るいが、間を置かず暗くなるだろう。 そんな空に影みっつ。ひとつは黒く、ひとつは桜色で、ひとつは青系統。 「まったく、あんたのせいでアンジェラは人殺し呼ばわりされたし、わざわざ人間の子供にまでお願いしたのよ?」 「悪かったよ。でもさ、あいつ……放っておけないだろ?」 「そうね。そうでなければ、手は貸さなかった」 チリン―― くるりと黒い少女が回る。手には宝剣。命を奪い、命を紡ぐもの。 「では、終わりにしましょうか」 「ああ。ありがとうな、アンジェラ、ケイ」 男は屈託なき笑顔を浮かべた。桜色の少女は照れたようにそっぽを向く。 黒い少女は、男の胸を貫いた。途端、男は人のかたちから、光り輝く球体になる。球はふわふわと、上っていった。 「さあ、行きましょう。次はどんな逢瀬かしら」 「……アンジェラ。次はこういうのじゃないの見つけてね。こういう演技とか、あたしには向いてないから」 「ふふ、わかったわ。もっとも、それは私が決めたのではなく、単なる偶然なのだけれど」 黒い少女と桜色の少女は空を蹴った。彼女らを求める者に会うために。 チリン―― |