彼氏候補の家は、町の賑やかな通りからちょっとばかし外れたところにあった。
 まだ築数年といったところだろう。そう新しいわけじゃないが古くもない、なんとも味わい深いマンションだ。
 その三階。最も奥の部屋が、女の子の案内してくれた場所だった。
「ここにいるってわけか」
「う、ん」
 さすがに女の子の表情が固い。もっとも、ここで自然に笑えてたらたいしたものだとも思うが。
 表札には『城崎』と記されている。きのさき、だろうか。
「ほら、入るよ」
「あ、ちょっと!」
 女の子の意向はとりあえず無視し、扉を抜けて部屋に入る。
 まっすぐに延びる廊下。その向こう側から、男の子が歩いてきた。
 手にマグカップを持っているところからして、台所帰りだろう。細面でひょろひょろしている、真面目そうな男の子だ。
 男の子は手前から二つ目の部屋に入っていった。俺たちも追うようにその部屋に侵入を果たす。
 部屋の中はかなりすっきりしていた。男の部屋と言えば散らかっているのが普通だと思っている俺にとって、なかなか衝撃的な光景だ。
 男の子は机にマグカップを置いて椅子に座ると、机に肘をついてぼんやりとし始めた。時折、小さなため息が聞こえてくる。
「で、どうするつもりよ」
「あー、どうしようか」
 誰かと話してくれればその会話の片鱗からなんとなく想像もできようが、これでは想像の余地がない。
 進路に悩んでいるのか勉強に悩んでいるのか友人に悩んでいるのか恋人に悩んでいるのか。
 選択肢が無数にあり過ぎて、逆に正解を導く事ができない。
「ほら、もう帰ろうよ」
 女の子が俺を引っ張る。けど、俺は動くつもりはなかった。
 ここにいても本当の気持ちを知る事はできないかもしれない。けど、知るためにはここにいる必要がある。なんとなく、そう思った。
「なあ、知っているか」
「……? 何を」
「奇跡ってのは起きるものじゃないんだ」
 人間が信じるから。
 たくさんの人の小さな想いが重なって重なって、普通に考えればありえないような結果を引き出す事ができる。
 それは奇跡と呼べば奇跡だが、起こるべくして起こったという意味では必然とも取れる。
「――だからって、こんな奇跡は起こらないよ。死んだら終わりなんだから」
 女の子の言う事ももっともだ。死ぬって事は、ゲームオーバー。本で言えばエピローグの後。すでに続きは存在しない。そんな人間が、いや、人間でさえないものが願っても、奇跡は起きないのかもしれない。
 それでも。
「信じていればいつか叶うって言うだろ? だから、俺は信じるよ。きっと奇跡は起きる。死者の気持ちを生きている人間に届ける方法はある」
「でも……」
 女の子はまだ迷っているようだった。俺はその肩に手を置き、
「信じろ、自分を。君は絶対にできる! できるって言ったらできる! そう信じ込むんだ」
「し、信じるだけでどうにかなるわけないでしょ!?」
「信じなきゃどうにもならないに決まってるだろうが。信じる事は、大前提なんだよ」
 うー、としばらく不満げだった女の子は、それでも両手を胸の前で重ねた。
「あー、神様でも仏様でもなんでもいいよ! 誰でもいいから、一度でいい、話をさせて!」
 俺も、女の子をまねるように手を重ねた。
 頼む。もしも本当に人間の幸せを願う神様ってのがいるなら、助けて欲しい。俺に払える代償なら払ってやるから。
 せめて、この子の迷いを晴らしてやって欲しい!
 時計の針が動く音だけがやけに耳についた。
 チッ、チッ、チッ――
 どのくらい、そうしていただろうか。ふと目を開くと、女の子はぎゅっと目を閉じながら、頬を濡らしていた。
「神様……!」
 奥歯をかみしめ、俺は天井を見上げた。女の子の顔は、見ていられなかった。
 神様。あんた、こんな子供をいじめて楽しいのかよ。こんだけ一途に願っているんだ、結果くらい知らせてやったっていいじゃねーか!
「なんとか言えよ! 神様よぉ!」
 チリン――
『特別、よ』
「……え?」
 男の子が振り向いた。その目は微妙に俺たちを捉えているようで、やはり少しずれている。
 男の子はしばしジーッと俺たちを見つめ、いきなり口を開いた。
「上島、さん?」
「城崎君!?」
 女の子は飛び上がらんとばかりに驚いた。けど、城崎君は今の声もきちんと届いたわけではないのだろう。やはり変な方向に視線を送っていた。
 男の子は少し迷い、それでも言葉を続ける。
「上島さん。ボク、ずっと言いたかった事がある」
 女の子はと見れば、もう声も出ない様子だった。
「ボク、なんであの時に返事をしなかったんだろうって、ずっと思っていた。何も迷う事なんかないはずなのに、あの時にはあまりに突然で、夢が急に現実になったみたいで、すぐに言葉にできなかった。だから、落ち着くまで……、月曜日まで待って欲しいって言ったんだ」
 男の子の優しげな表情。それを見た時、この女の子がこの子を好きになれた理由も、なんとなくわかった気がした。
「いつも見ていた。どんな時だって上島さんはハッキリと物を言って、口喧嘩なんか負けた事なくてさ。なんでも積極的で、はつらつとしていて。そういうところに、すごく、あこがれていたんだ。ほら、ボク、何をするにしても弱気だからさ」
 いまや、男の子の目はしっかりと女の子を捉えていた。
「ずっと、好きだった。夢にまで出てくるくらいにね。だから、告白された時には本当に驚いて、いきなりは声が出なかったんだよ」
 男の子は立ち上がり、深く頭を下げた。
「ごめん、上島さん。すぐに言えなくて」
「そ、んな事ッ!」
 女の子は目に涙を浮かべている。けど、それはさっきの涙とは違い、どこかぬくもりのようなものが混じっていた。
「あたし、あたしが勝手にダメだって思い込んで! 他の事ならきちんとできるのに、こういう事は自信がなくて、だから言えなくって! そんな、謝らないでよ、城崎君!」
 頭を上げた男の子は、泣いていた。
 泣きながら、笑っていた。
「うん。うん……、ありがとう、上島さん」
「そん、なの――!」
 泣きじゃくるふたりを尻目に、俺はそっとその場を離れた。

 マンションの前で待つ事しばらく。
 女の子が俺の前に姿を現した時、もう涙は流れていなかった。
「よ。気は済んだか?」
「うん」
 目元を拭い、女の子は俺を見上げた。
「えっと、その……」
「ん?」
 見上げていた視線をそらし、頬を朱色に染めて、女の子は消え入りそうな小さな声で言う。
「その、あり、がとう」
「どういたしまして」
 俺は女の子の小さな頭に手を置いた。
「ちょ、子供扱いすんなっ!」
「まだ俺の半分しか生きていない子供だろうが」
「うっさい!」
 俺の手を払いのけ、女の子はスタッと飛び去る。と、途中で振り向き、
「しばらくひとりにしてよねッ!」
「あー、わかったわかった」
 しばらくって事は、また後で会いたいって事かい。
 それは言わずにおくと、女の子はそのまま俺の視界から消え去った。
 俺はしばらく女の子の消えた方角を見つめ、
「おーい。誰だか知らん神様、あるいは仏様以下略。そのあたりにいるんだろ? そろそろ出てきたらどうだ?」
 ちょっと声をかけてみた。すると、さっきも聞こえた涼やかな音色が耳に響く。
 チリン――
 音の出先を探すように視線を変えると、高校生と小学生のペアが浮き上がるように立っていた。
「あんた、なかなか勘がいいわね。一般霊のくせに」
 高校生の方が若干の驚きを交えて言う。
「そりゃどうも。んで、おたくらは神様? 仏様?」
「どっちも不正解。ってか正解が出たらそれこそ奇跡よ。あたしらは死導者、言い換えれば死神の上等なものみたいな感じかな?」
「じゃあ神様じゃないか」
「神様ほど上等なものじゃないわよ」
 ね、と小学生の方に聞くと、小さな女の子はこくんと頷いた。
「貴方はどうして、あの女の子のためにあそこまで真剣になれたの?」
「んー?」
 小さな女の子の真紅の瞳は、俺から逃げ道を奪うかのようだった。
 適当にごまかす事はできない、だろうな。
「あー、あの子な、似てるんだ。俺の死んだ恋人に」
「なに? あんたロリコンだったわけ?
「そういう意味じゃないっての。なんというか、こう、自分にも他人にも素直になれないあたりがさ」
 何に意地を張っているのか、よくわからないほどにツンツンしている。先輩もあの子も、そんなところがあった。
 世界中が気に入らないって感じのつり上がった眉。あんたに話す事など何もないと言わんばかりに引き締まった口元。
 年齢による違いはあれど、まるで母娘のように似通ったふたりだった。
「俺はさ、恋人のためにゃなーんもしてやれなかった。あの人の苦労を肩代わりする事も、ほんの少しを一緒に背負ってやる事さえできなかった。その、罪滅ぼしみたいな気分もあるんだろうなぁ」
 ちらと見かけた時から、ずっと思っていた。
 ああ、この子はあの人に似ているな、と。
 そう思ったら、声をかけずにはいられなかった。悩みを聞かずにはいられなかった。
 少しばかりしつこいと思われようとも、俺はあの子のために何かをしたかった。
 それは、自己満足かもしれないけど……、何も後悔はしていない。
「それで? 貴方の持つ苦しみは消えたのかしら」
「さあねえ」
 実際、そう簡単には変われない。あの女の子の言った通りだ。だから、苦しい。
「でも、ま、ちょっとは軽くなったと思うんだ。あの子のために何かができたって考えるとさ」
「それはよかった」
 ……?
「なんで君が?」
 聞くと、黒い小さな女の子はくすくすと笑った。
「貴方があの女の子を想うように。あの女の子が別の男の子を想うように。人は誰かを想い、想われている。それは死んだところで断ち切れる繋がりではないわ。死のうが消えようが、一度でもできた繋がりは容易に切れるものではない」
「あたしたちはね、そういうのが好きなの。人間同士の、なんていうか、絆? そういうものが見たくて人と関わる。そういうものを守りたいから戦うのよ。
 あんたの今の言葉。繋がりを後悔していないっていう想い。そういうのが、あたしたちにはたまらなく響くものなのよ」
 絆、か。
「その気持ちは、ちょっとだけ理解できるよ」
 繋がっていたいから。
 そうか。俺は、死んで失ったとばかり思っていたけど、まだ繋がっているんだ。
「まだ繋がっていてくれるか、まこと」
 ――うん。
 どこかから、ずっと聞きたかった声が聞こえた気がした。


 チリン――
 大きな夜空からすれば小さな小さな少女たちが、その中を歩み行く。
「彼、幸せだったと思う?」
 桜色の眷属は迷いなく頷く。
「もちろん。そういう顔だったじゃない?」
「ふふ。そうよね」
 チリン――
 くるん、と夜空色の少女が回ると、鈴も鳴り響く。
「幸せがたくさん。だから、私も幸せ」
 くるんくるん。
 チリン――
 少女の舞は、きらきら輝いているようだった。
「彼らは私の理想のような人間ね。彼らがいてくれるから、私も活きる。逝き続ける」
「ああいう人間ばっかなら苦労しないんだけどねぇ。悲しいかな、ああいう人間、最近は希少だと思うわ」
「そうかしら。死ぬと、人間って自分に素直になれるわ。そうなった人間は、今も昔も大きく差はないと思うの。変わったとすれば、生の方かも」
 死はあくまで死で。
 そこに至るまでの道は、多様になれど。
「本質は、なかなか変わらないものだと思うわ」
「あー……、そうかもね」
 夜道を歩く眷属とその主。
 彼女たちの道もまた、変わる事はない。
 チリン――



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