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ふとした瞬間、自分がどのような存在か思い知る。 悲しいまでの現実。曲げられない今。 理解はしていたって、悲しいのは止められない。 「卒業式」 「そ。志野さんと落合君。明日なんだって」 紅葉の部屋を訪れて話をしている時、そんな話題が出た。 「そっかぁ……。あのふたり、もう卒業しちゃうんだ」 志野メグミ。落合裕也。 どちらも、あたしは深く知っている。メグミの事なんか知らない事の方が少ない。 あたしはずっとメグミの中から世界を見ていた。あたしはメグミであり、メグミじゃなかった。 メグミの中に生まれたもうひとつの人格。正確に言うなら、同じ身体を共有した魂。それがあたし、らしい。自分ではよくわかんないけど。 なんでそうなったとか、そういうのはわからなかった。ともかくあたしは気がついたらメグミの中にいて、そこから世界を見ていた。 話す事も触れる事もできない。ただ見ているだけの自分。あたしの存在を知っていたのは、結局、裕也だけだった。 あのふたりは、あたしにとって特別な存在。あたしが生きている間に見知った唯一の人と、あたしの片割れ。そのふたりの卒業は、あたしにとっても特別な儀式なのかもしれない。 「どうする? 見に行く?」 「……何? あんたは行くわけ?」 「僕? 僕は行けないよ。その日は天野さんとこでバイトなんだ」 「ふーん。あんたも勤勉ねぇ」 紅葉は一人暮らしをしている上に親がいないから、バイトの収入が全てだ。慎ましい生活してるから大丈夫みたいだけど、それでも働かなきゃいけない。それはわかる。けど、それはそれとして、よく働くなぁと思う。 「ってか、あんたもう本職にしたら? 学校とか行かなくていいでしょ、そんだけ能力があるなら」 「うん? 天野さんにもそう言われたんだけどね。学校でしか見えないものもあるかな、って」 「あんた、本当にいくつよ」 そりゃあたしよりは年上だけど、紅葉はたまにすんごい爺さんに見える時がある。そんなわけないはず、なんだけど。 「その感じだと、行く気はないんだ」 「――まあ、ね」 あたしはベッドの上で膝を抱えた。 「だって、さ。あたしはもう死んでいるんだもの。あんたみたいな特別な人間ならともかく、メグミや裕也みたいな普通の人とは絶対に相容れない。会っちゃいけないのよ。死人は死んでなきゃ」 「死んでなきゃ、か」 紅葉は足を床の上に放り投げ、 「死んだ人が生きている人と会っちゃいけないってのは、なんとなくわかるよ。そっか、余計な事を言っちゃったかな」 「んー、別に」 ごろん、とベッドの上に寝転がる。 いくつかの思い出が浮かんで消えた。 この道を歩くのは、何ヶ月ぶりだろうか。もしかして一年以上? はっきりとは覚えていない。 「なーんで、来ちゃったかなぁ」 足は、自然と通り慣れた道を歩む。 あたしは死者だ。普通の死者ではないとはいえ、その気にならなきゃ一般人の目には見えるようにならない。だから、こうして道を歩いていても気にする人はいなくて、どんどんあたしを追い越していく。 そんな人を見るともなく眺めながら歩いていると、校舎が見えてきた。 あたしがメグミの中にいる時に通っていた高校。卒業式のせいか、スーツ姿のお父さんとかお母さんまで出入りしている。空気が、あたしの知っている学校とは似て非なるものだった。 あたしは飛び上がると、人波を空から見下ろした。 生徒、親、教師。何人か見知った顔もあった。 やけに無駄話の長い日本史教師。細かいミスにうるさい数学教師。面倒見のいい用務員。サッカー部のエース。一年の時の学級委員。 「あ……、あの子、たしか?」 ひとりの女子にあたしの目がとまる。学校でほぼ毎日、顔を合わせていた。メグミの友達、だ。 その子が進む先にあたしの視線も動いていく。そして、見つけた。 「い、た」 メグミ。 あたしの片割れ。 ふらふらと体が吸い寄せられていく。近くに降り立つと、あたしは自覚なき妹の姿を見つめた。 「メグミさあ、裕也と同じ大学に行くんでしょー?」 「うん、そう。この間さ、合格発表があって」 「凄いよねー。高校の彼氏と大学まで一緒に行ったりしないよ、フツー」 「いいじゃない、別に。今さらだよー。裕也とはずっと一緒だしね」 メグミ……、まだ、裕也と付き合ってるんだ。 嬉しいなと思う反面、やっぱり心の隅がチクリと痛む気がする。 裕也はあたしを知る唯一の人間で。あたしが、心を開けるただひとりの男性で。 そして――。 「あー、よくないよくない。そういうの」 あたしはメグミの幸せを願っている。メグミはあたしであり、あたしはメグミだ。そのメグミが幸せになるなら、それが一番いい。絶対にいい。 改めてメグミを見る。そして、ふと思った。 「なんか、おとなっぽくなった?」 メグミはもともと、どこか幼い雰囲気があった。顔かたちはあたしと変わらなかったけど(というか同じ身体なんだけど)あたしにはない子供っぽさがあった。それは挙動なり言動なり。 だけど、今のメグミにはなんとなくそういうものが感じられない。どこか一皮むけたような、大きくなったような感じがあった。 「成長、してるのかな」 そういえば、背も少し伸びた気がする。あたしと同じ身体のはずなのに、若干、メグミの方が高い。 こんなところに、死者と生者の違いを見る。メグミは生きているから、成長し、いずれ老いる。あたしは死んでいるから、育つこともないし、老いることもない。 仕方ない事なんだけど……。なんだか、なぁ。 「おー、メグミ、こんなとこにいたのか」 その声が耳に届いた途端、体が動きを止めた。 体が震える。急に暑くなったような気さえする。暑さなんて、死者のあたしは感じるはずがないのに。 その男子生徒は、あたしをすり抜けメグミの隣に立った。 「あ、裕也。何?」 「いや、向こうに親父さんが」 「え? 来れたの?」 「いや、来れたのって失礼だろ。そりゃ忙しい人だけど」 跳ねた。 飛んだ。 やみくもに、前を見ず。 これ以上、あの声は聞いていられなかった。 これ以上、見知った顔は見ていられなかった。 これ以上、裕也の近くには……、いられなかった。 どこをどう飛んだのか、あまり覚えていない。 気がついたら、あたしは路地の上に立っていた。見た事があるような、ないような場所。 自分がどこにいるとか、あまり考えられなかった。気も体も重い。うまく歩けない。 ふらりふらりと歩いて、それさえ疲れて。あたしは道端に停まっているバイクに腰を下ろした。 足元を見つめる。なんで学校になんか行っちゃったんだろう、と後悔が胸の中で渦巻く。 行かなければよかった。見る必要なんてなかった。 そのおかげで、自覚してしまった。普段はわかっていても気にしない事を。 「あたしは、もう死んでいる」 死んでいる。いかに不滅の死導者たろうとも、死を迎えているという事実に変わりはなかった。 成長しない。恋する事もない。それはごく当たり前の事で、だけどそれが、とても寂しい。 ぽろり、と何かがこぼれた。 地を濡らす事のない雫。涙、だ。 「血も涙もなきゃ、いっそ楽なのかもしれないけどさ」 残念な事に、血はないけど涙はある。痛みも苦しみも、もちろん心もある。 それはとても大切なもの。だけど、こんな時、重荷にもなる。 「あたしは、死んでるんだよねぇ……」 「そうね」 今度こそ心臓が跳ねた。 「あら。どうしたの、ケイ」 「きゅ?」 「アンジェラぁ……!」 ぐるんと振り返る。そこで、あたしの上司はうっすらと笑みを浮かべていた。 「いきなり後ろから声をかけたら驚くじゃないの!」 「私の気配を察する事もできないなんて、相当に思い悩んでいたのね」 「ぐっ……!」 その言葉に、あたしは反論できなかった。普段のあたしなら殺気はもちろん、アンジェラみたいな特徴的な気配は絶対に感知する。 思い出してみれば、アンジェラは別に気配を隠していたわけじゃなかった。あたしがここに来たのも、無意識に引っ張られたのかもしれない。ともかく、あたしはそれを注意できるほどの状態でさえなかった、って事だ。 ……不覚。 「ね、え。アンジェラ」 あたしがさらに言葉を続ける前に、アンジェラはあたしに手のひらを突きつけた。 「貴女の抱えているその悩み、私にはどうにもできないわ」 「きゅう?」 「そう。それは、貴女という存在が持つ根源的な苦悩。貴女が貴女である限り、その問題はどこまでも付いてまわる。私にはどうにもできないわ。貴女自身が答えを見つけない限り」 釘を、刺されちゃった。 でも、アンジェラの言う通りだ。アンジェラはあたしの悩みを聞く前に回答を出したに過ぎない。 「うん、大丈夫。わかってるよ。こんな問題で人を頼らない。頼れない」 そう、あたしは死んでいる。これは、絶対に揺るがない事実なんだ。 「それに、吹っ切る事ができる悩みでもないって、薄々だけどわかるよ。あたしはいつだってこの問題に直面するだろうし、この問題で悩むだろうし、この問題で苦しむんだと思う」 それは、言うなれば宿命だ。あたしがこの道を選んだその時から。 選んだ時には気付かなかった。けど、今になって思う。 あたしは、意外と『生きている』って事に執着していたんだなぁ、って。 はは、今さらだ。そういえば、生前だって生きている事を感じるために色々とやらかしたじゃないか。これはその延長みたいなもの。 「あたしは、自分で解決するわ。アンジェラ」 「それでこそ私の眷属よ」 くすり、と笑うアンジェラ。 その笑顔が、あたしを勇気づけてくれる。 「不思議ね、アンジェラ」 「不思議?」 「そう。アンジェラさ、別に何をしてくれたわけでもないでしょ?」 あたしの悩みを聞いたわけじゃない。 あたしに魔法をかけたわけじゃない。 ただ、そこにいただけ。 ほんのわずかな時間。ほんの少しの言葉のやり取り。なのに、こんなにも落ち着きを取り戻している。 「あたしは、死んだ。そして、アンジェラと共に歩む道を選んだ」 「短くない時間を過ごしたわね。もっとも、私の在った時間からすればごくごくわずかなものだけれど」 「うん。でも、あたしにとっては長い時間で、そのおかげで色々な事を知った」 アンジェラと過ごした時間。それを考えると、言うなればあたしの死後は、そのままアンジェラと過ごした時間とも言い換えられるんだ。 「あたしが死を受け入れられるのは、きっと、アンジェラのおかげだと思う」 アンジェラは何も言わず、ただあたしを見上げていた。 そんなところも、気に入ってる。 「――アンジェラ。これからもよろしくっ」 「ええ。こちらこそ」 アンジェラがいてくれる。 だから、あたしは最悪を避けられるんだ。 発作的な悲しみが収まったところで、あたし自身が何か変わったわけじゃなかった。 というか、変わりようがない。あたしは死者でしかないし、生き返るなんて不可能なんだし。 そりゃ、今のあたしがその気になれば、生きている人と同じような生活を送る事も不可能じゃない。寝ぼけまなこをこすりながら登校し、あくびを堪えながら勉強し、笑いながら休み時間を過ごし、誰かと共に運動し。 そういう、当たり前の生活を送る事も、不可能ってわけじゃない。 だけど、意味がない。 あたしは生きていない。だから何も変わらない。みんなが少しずつ大人になっていく中、あたしはそれを眺めている事しかできない。一緒に育ち、大人になっていく事ができない。 現実は冷酷で、無慈悲で、何一つ変化がなかった。 「どうしたもん、かねぇ」 アンジェラと別れ、あたしはひとりで公園に佇んでいた。 この問題は、あたしが答えを見つけなきゃいけない。近くにアンジェラがいると頼ってしまいそうで、一緒にはいられなかった。 ギーコギーコとブランコを揺らしながら、ただひたすらに考える。自分について。 答えのない問題ってのはちょっと苦手。まあ答えのある問題なら答えられるのかって言われたら、そりゃ無理なんだけど。勉強、まともにした事ないし。 「あれ、ケイ?」 ひたすらブランコを揺らしていると、人の声が聞こえた。こんな夜中に公園に人なんて珍しい。 「あれま。あんたどーしたの、こんな時間に」 片手をあげながら近づいてくるのは童顔の大学生。遠藤紅葉。あたしに余計な事を教えた正真正銘のおひとよしだ。 「仕事の途中。ちょっと買い出しに出たらブランコの音がしたから、誰かいるのかなって思って。まさかおばけとは思わなかったけど」 「む……、何よそれ」 自然と体が動く。 懐に手を突っ込み、握りを取り出し、刃を形成。一連の動作は流れるようで、しかも早い。訓練の成果ってやつ。 「危ないよ、生の剣は」 「ちょっとは動揺しなさいよ非一般人」 必殺の武器を前に、紅葉は動揺さえ浮かべない。それがちょっとムカつく。 「はぁ、なんかバカみたい」 刃を消し、あたしは紅葉をにらむ。 「あんたさ、なんでそんなに余裕なわけ? 年齢を百くらいごまかしてない?」 「年寄りくさいってよく言われるんだよね。何が悪いのかな」 「だから! なんでそんな落ち着いてるんだって言ってるのよッ!」 「そう言われてもね」 紅葉は鼻の頭をかき、 「僕だって泣いたり笑ったり驚いたりするよ。ただまあ、普通の人はしないような経験をたくさんしたから、ちょっとやそっとじゃ揺るがないだけじゃないかな」 「そーゆーもんかしらね」 それも、まああるんだろう。けど、こいつの場合は生来の資質が大きい気がする。これは根拠のないあたしの勘だけど。 なんというか、こいつには芯がある。だから、ブレないんじゃないかな。 「それで。ケイがこんなところにいるなんて珍しいじゃない。何かあったの?」 「……別に。何もないわよ」 んー、と紅葉はあたしの顔を見つめ、 「これは嘘をついてる味だぜ、ってところ?」 「何よそれ。味って言うならせめて舐めるくらいしてから言いなさいよ。やったら斬るけど」 「むちゃくちゃだね、それ」 紅葉は軽く笑い、 「そうじゃないよ。だって顔に悩んでますって書いてあるもの。おおかた、志野さんの卒業式あたりに行ったのかな」 ぎくり、と反応しそうになる自分を理性で押し殺す。 「どうしてそうなるわけ」 「僕、言ってから失敗したかなって思ったんだ。ケイの悩み、うん、なんとなくわかる気がするよ」 あたしはこんな男に見透かされるほど薄いと言われているんだろうか。 もちろん、紅葉はそんな事を言わない。わかっているけど、なんとなくそう言いたくなってしまう。 「僕も伊達に死者を見続けてないよ。死んだ人の一番の苦しみってのは、やっぱり生きていないって事だから。それはケイにだって当てはまる」 紅葉はあたしの隣のブランコに腰かけた。あたしは、またブランコを揺らす。 ギーコ、ギーコと。 「生きていない。簡単に言うけど、簡単じゃない。不老不死とか考えた人は絶対にその問題に衝突する。まして、死んでいるならなおさらだよ」 あたしはただの死者じゃない。だから、寂しさはずいぶんと軽減できる。 だけど、残るものもある。 「そうだよね。僕も少しずつ老いていくんだろうし、ケイやアンジェラは、それを眺める事しかできない。それなら親しくならなきゃいいって思うかもしれないけど、人を失った悲しみは、やっぱり人でしか埋められないと思うんだ」 ギーコ、と音が響く。 「ケイは生きていた。落合君とも触れ合った。その喪失感は、アンジェラなり僕なりがいないと埋められなかったんじゃないかな」 「――ふん」 図星過ぎて、何も言えない。 紅葉は特に増長する風もなく続ける。 「やっぱり、人と触れる事はやめちゃいけないんだと思う。そこでしか得られないものがあるし、それがないと人は人にならないんだって思うから。それが、成長って事なんじゃないかな」 紅葉の使った『成長』という言葉に、体が反応した。 「育つ、ね」 「そうそう。見た目は変わらなくても中身は変わったりするでしょ? そういう事ってすごくよくあるんだと思う。アンジェラも、初めて会った時よりは丸くなったし」 あたしも、育っている? そう、か。そうだったんだ。 「ねえ、紅葉」 「ん?」 あたしはブランコから飛び降り、振り返った。 「ありがと。ちょっと参考になった」 「そう。だと嬉しいかな」 「うん。それよかあんた、買い出しの途中じゃなかった?」 「え? あ、そ、そうだった。まずい、このままじゃ天野さんに怒られちゃうよ」 慌ててブランコから飛び降りた紅葉は、公園の入口に向かって駆け出した。 「じゃあね、ケイ! またおいでよ!」 「はいはーい」 ひらひら手を振って送り出す。紅葉は駆け足で明るい方に向かって行った。 「……見た目は変わらなくても、中身は変わる」 そうだ。そんな簡単な事を失念するなんて。 あたしだって、育っているんじゃない。見た目には子供のままかもしれないけど。そんなの、アンジェラに比べればよほどマシだ。 すーっと息を吸う。思い切り吐くと、なんだかすっきりした。 「よっしゃ!」 心機一転。また歩ける気がする。ううん、走れる気だってする! あたしは、見た目には成長しないけど。 心は、負けないよ。メグミ! チリン―― 歩道を歩くふたりの少女と一匹の獣。仲の良い三人は当てもなく道を行く。 「ねー、アンジェラ」 「何かしら?」 「そういえばさ、あたしらに心臓ってあるのかな」 「内臓らしきものは見た事がないわね」 「じゃあ、ここで跳びはねたりしてるこれ何?」 「気持ちの持ちよう、よ。貴女は生きていた頃の感覚を持っているから」 夜の道を照らすのは月明かり。今宵は特に明るい。 「じゃあさ、その気になれば血とか流れる?」 「感じるだけで実際に流れるかどうかは別」 「そっかぁ。そりゃ残念」 「残念なの?」 「涙は気合で出るじゃない? 血も出せたらなぁ、って」 「よくわからないわ」 「そう?」 チリン―― 物音と言えば小さな鈴の音。それさえ風に流れて消える。 「夜って、長いよね」 「私たちにはね。そのぶん、昼も長いわ」 「そういう見方もできるかー。ポジティブ」 「きゅっ」 それは、死者たちの道程。 生の裏側に存在し続ける物語。 チリン―― |