同じところを目指す友人たち。
 けれど、向こうはオレにないものを持っている。
 その事実は、迷いを生む。あるべきではない迷いを。

「エエエエエエエエエエエェェェェェンッッ!!」
 竹刀をオレ自身の目にさえ捉えきれない速度で振り下ろし、面を打ちつつ横を通り過ぎる。
 振り返りすぐさま受けようとした時、道場中に大声が響き渡った。
「やめえええええええええぇぇぇ!!」
 橘の声だ。橘はここに来ている中の誰より声がでかい。そのため、号令係を請け負っている。
「ふう」
 地稽古が終わり、オレは集中を解いた。
「っかー! 一発もかすりもしねー!」
 練習相手だった松崎が気勢をあげる。あれだけ打ち合った後でそんだけ叫べる体力があるなら十分だ。こいつは本当に体力だけは無駄に有り余っている。
「あのなぁ、お前さ、応じ技とかちゃんと考えてたか? 動きがバレバレ。バカ正直。そりゃオレじゃなくたってかすりゃしないよ」
「う、そ、そりゃ……」
 まあ、松崎は剣道を始めてまだ一年ちょっと。考えながら体を動かせと言われてもそう簡単にできるものじゃない。
「打突の機会ってさんざん先生に言われてるだろ? 攻撃するにはチャンスを見つけなきゃいけない。ちゃんと見てればオレも隙だらけだよ」
「じゃあ、どうすればいいってんだよー」
 ふくれっ面をする松崎に、ちょっとだけ笑みがこぼれる。
「まずは観察するとこからだな。それまでは打ち込み台になっとけ」
 もっとも、打ち込み台は疲れんから松崎よかマシなんだが。今の間は。
 まあ、こいつは優秀だ。飲み込みが早い。もう一年もやっていれば、そこそこできるようにゃなるだろう。
「ま、要練習、だな」
「ちぇー。絶対にお前から一本取るからな!」
「そのうちな」
 そう、いずれ松崎もオレから一本を取れるようになるだろう。もしかするとこいつの事だ、オレを超えてしまうかもしれない。
 練習も後は切り返しだけ。気を抜いちゃいけないが、どうしたって集中も途切れがちになる。
「――ふう」
 息を吐く。そうすると、いつもの考えが頭をよぎった。
 頭を振り、考えを振り払う。そんな考えは、練習中には余計なものだ。今は練習に意識を集めなきゃいけない。
「切り返し、始めー!」
 ちょうど、橘の声が響いた。オレは竹刀を握り直し、改めて虚空に向かって面打ちを始めた。
 それでも、考えは消えてなくなったりはしなかった。

 練習も終わった後の道場は、さっきまでとはうってかわって静かだった。
 その真ん中で正座をしながら目をつむると、心が落ち着いていく気がする。
「はぁ……」
 そんな静かな心をもってしても、オレの中に眠る考えには何もできない。
 目をつむり、思考に没頭するという行為そのものは好きだった。自分の内面を見つめるのは剣道も瞑想も同じ事だ。
 至れる頂点はひとつ。そこに行くまでの道がいくつもあるだけ、というのはオレの先生の言葉。
 ……そう。道は、いくつもある。だけど。
「何してんの」
 突如の声に、びくんと背筋が跳ねた。
「な、にッ!?」
 目を開くと、いつの間にかオレの前に女の子が立っていた。
「う、そだろ……。ど、どこから入ったんだ!?」
「どこって?」
「だ、だって、何の音もしなかったぞ!?」
「気のせいじゃない?」
 くす、と笑う。そんなの、ありえなかった。この道場に入る気配を見逃すほど、オレは抜けちゃいない。
 確かに考え事はしていた。それで意識がそれていた事そのものは否定しない。だけど、そんなバカな事ってあるか? 道場に入ってきた人を聞き逃すなんて。
 この子、何なんだ?
 そう思い、改めて女の子を見つめる。そういえば格好も変わっている。和服なんだか洋服なんだかよくわからない組み合わせの服装。顔つきはどう見ても年下だけど、それでいながらどこか隙がない。気を抜いているようで張り詰めている。
 ……本当に、何者だ?
「あー、そ、それで。何? 入門でもしたいのか」
 さしあたって、見知らぬ人がここに来る理由は他に思いつかない。と、女の子は首を横に振った。
「ううん、別に。ただ道場でぽつーんと残ってたから、何をしてんのかなって思っただけ」
「何って、別に」
「そ。じゃ、あたしも何でもない」
 なんだ、こいつは。服装同様、中身まで変な女の子だ。
 オレは胡散臭い女の子から顔をそむけると、竹刀を手に取った。そして、構える。人がいちゃ瞑想にはならない。それまでは構えの練習でもしていた方がいい。
 幾度となくこなしてきた構え。今はもう何を考えるでもなく体が自然と構えてくれる。けれど、今はそこに違和感があった。
「へえ。綺麗な構えね」
「わかんのか」
「ま、一応ね」
 もしかしたら、剣道の心得でもあるんだろうか。それならあの自然な警戒も少しだけ理解できるような気がする。
「けど、どしたの。迷いがあるって感じだけど」
「――そんな事まで、わかるのか」
 オレは竹刀を降ろした。迷いが構えに出ている。それは先生にも言われた事だった。とは言っても、松崎くらいの初心者じゃわからないものだが。
「どうしたの。悩みくらいなら相談してみない?」
「なんで見ず知らずの人に相談なんかしなきゃならんのだ」
「見ず知らずの通りすがりだからこそ相談できる事もあるんじゃない?」
 そこまで言われて、ふと、この子の正体に思い当った。
「先生の知り合いか」
「え?」
 とぼける、か。
 まあそれならそれでいい。身元不明の怪しい人物ならともかく、多少なりとも理由があるなら安心できる。
「そんで。オレの相談に乗ってくれるのか」
「いいよー」
 まあ、オレも誰かに話を聞いて欲しいとは思っていた。
 けど、それは先生じゃ嫌だった。今のオレは、師に教えを請う立場じゃない。
「お前、守破離ってわかるか」
「何それ」
「剣道の段階。守ってのは先生の言う事を素直に聞いて、それを覚える段階だ。破ってのはその逆、先生の言う事をあえて破り、自分なりの剣道を研究する段階。オレは今、その破って段階なんだが」
 破に入ってもう一ヶ月以上。だけど、オレは手掛かりさえ見つけていない。
 その理由は簡単だ。オレ自身が、今の剣道に疑問を持っているから。
「要するに、自分なりの剣道を見つける方法がわかんないって事?」
「うんにゃ、それ以前。今までの自分が正しいのかどうか、そこに疑問を持っている」
 だから、この先の道も決めかねている。
 女の子はよくわからない、という風に首をかしげた。
「お前、武道とスポーツってわかるか」
「たぶんわかんない」
 素直で結構。話しやすい。
「まずな、剣道界にゃふたつの流れがあるんだ。ひとつは武道剣道、もうひとつはスポーツ剣道」
「何が違うの?」
「一言で言えば刀を意識するかしないか。そんだけだ。武道剣道のオレは常に刀を持っている心積もりでいる。この竹刀も、竹じゃなくて鉄で作られているってイメージして扱うんだ」
「……? それ、違うわけ?」
「全く違う。スポーツ剣道は勝つ事が第一だ。たとえばお前、本物の刀で鍔迫り合いなんてできるか?」
 オレは自ら首を振り、
「普通はできない。目の前に刀がありゃ誰でも怖い。だから離れる。けど、離れないでいる方が『負けない』んだ。だから、スポーツ剣道派の奴は離れようとしない」
 他にも細かな違いはあちこちにある。それは、意識レベルの違い。
「別にスポーツ剣道が悪いとは言わないよ。それもひとつの道だ。いや、むしろ勝つためにはその方がいいくらいだ」
 なんとなくオレの言いたい事がわかったのだろう。女の子の表情が微妙に変わった。
 オレは構わず続ける。
「オレは武道剣道だ。今までそれを疑った事はなかった。だけど、本当にそれでいいのか? 実はスポーツ剣道じゃなきゃ見えないものがあって、武道剣道しか知らないオレは一生、その事に気づかないんじゃないのか?」
「他の人はどうなわけ?」
「オレの先生も学生の頃はスポーツ剣道だった。ここの道場に通う人には年配の人も何人かいるけど、その人たちもだいたいは若い頃にスポーツ剣道をしていたらしい。
 それ聞いて、思ったんだ。オレ、本当にこのままで強くなれるのかなって。一度くらいスポーツ剣道をやらなきゃいけないんじゃないか、と」
「ま、スポーツ剣道ってのをやらなきゃわかんない事はあるでしょうね」
 意外とあっさりと、女の子は言ってのけた。
「当たり前じゃない、そんなの。やってみなきゃわかんない事なんていくらでもあるでしょうに。でも、迷う事なんてないと思うけど」
 女の子はちょっと考え、道場を見渡した。と、その視線が道場の隅にある竹刀のところで止まる。練習用の共有竹刀だ。
「ちょっとやってみましょうか」
「は?」
 問いただす間もなく、女の子は竹刀を手に取った。軽く振って具合を確かめると、両手でしっかりと構える。
 少し変な構えだった。けれどきちんと足は浮いているし、少なくても初心者以前の素人とは違った、きちんと訓練した感じはある。
「来なさい」
「そ、そう言われたって……」
 竹刀は危ない。本気で叩くとかなり痛いし、怪我をする事だって多い。まして防具なしじゃ、下手に斬りかかるわけにはいかない。
 と、そんな風に迷っているオレを見てしびれを切らしたのか、女の子のまとう空気が変わる。
「じゃ、こっちから」
 ひゅっ、と踏み込んできた。オレは反射的に竹刀を弾き、距離を置く。
 けれど、女の子はまだ踏み込む。素早い太刀筋。
 オレも応じ、逃げながら、女の子の太刀筋を見る。
 攻め攻めの剣技。守りについて考えていないようで、弾く時は弾き、避ける時は避ける。手慣れたやり方だった。
 そのまま少しばかり応じ続け、お互いの息が上がる頃になってようやく、女の子は竹刀を降ろした。
「あんた、やるじゃない」
 間もなく息を整え、女の子は言ってのけた。
「そりゃ、こっちの、セリフ……」
 まさかここまで強いとは思わなかった。オレだってかなり剣道歴はあるはずなのに。
 しかも、この子は手加減をしていた。それはわかる。本気になれば、オレから何本か取れていただろう。もっとも、それはオレの方もだが。
「で、どうだった」
「な、にが……?」
「あたしはかなりの実戦派。言うなれば武道剣道のもう少し実戦寄りのタイプ。そのあたしと戦って、何か見えるものはあった?」
「――それ、は」
「まあなきゃないでいいんだけどね。あのさ、武道でもスポーツでも道は道なんでしょ? 何の問題があるのよ」
 反論できず、口をつぐむ。
「あたしさ、思うのよ。結局はみんな、同じ事を目指しているんだろうなって。途中は色々とあるけどね。でさ、あんたが進んでいる武道剣道も、その途中のひとつなのよ」
 そう、だ。これも、道だ。
「もちろんスポーツ剣道でなきゃわからない事はあると思うわよ。もしもあんたが道を間違えているなら、スポーツやるのも悪くないかもしれない。けど、あんたの道は正しいんだもの。迷う必要なんかないじゃない? 頂点まで行けば、スポーツでしかわかんない事も理解できるんじゃないの」
「頂点まで、行けば」
 そう考えた事は、なかった。
 至る道は無数。武道もスポーツも同じ手段。
 手段でしかないなら、突き詰めれば同じ事を学んでいるんだ。
「そ、うか」
「そうよ」
 そんな、簡単な事だったんだ。
 その感覚は剣道に似ていた。今までずっとわからなかった事、できなかった事が、小さなヒントや言葉で一気に開ける感覚。
「……もう大丈夫みたいね」
 女の子は竹刀を元の場所に戻すと、そのまま道場の戸に手をかけた。
「あ、もう行っちまうのか?」
「まあね。あんたはもう大丈夫そうだし、後はひとりの方がいいでしょ?」
 何から何までお見通し、かよ。
「あー、えっと、ありがとな。よかったら名前を教えてくれないか」
「ん? あたし? あたしはね、志野ケイ。死導者よ」
「は?」
 綺麗な笑顔を残し、そのまま女の子は立ち去ってしまった。
「指導者、ね」
 道理で、教えるのがうまいわけだよ。

 数日後。道場に一番で来て竹刀を振っていると、先生が入ってきた。
「おはようございます!!」
「ああ、おはよう」
 先生はそのままオレを見て、ほんの少し目を見張る。
「何か見つけたのか」
「はい。迷いが消えました」
「そうか、そりゃよかった」
 先生はオレの頭に手を置き、
「お前は強くなるだろうな。たぶん、俺よりも」
「そうでしょうか」
「なれるよ。今のお前を見てると、そう思う」
 先生より強く、か。
 うん。なってみたい。
「絶対に追い越します」
「おう、よくぞ言った。じゃあ今日の地稽古は俺が直々にやってやるよ」
「げ」
 早まったー!?
 ……でも、ま。
「よろしくお願いします!」
 ケイとやるよか、楽かもしれないな。


 チリン――
「あたしさ、強い?」
 桜色の少女は、突如、そんな事を聞いた。
「そうね。強いと思うわよ」
「んー、でもさ、あたしの剣ってアンジェラ仕込みじゃない。つまり、アンジェラの方が強いんでしょ?」
「それは当然よ。年季が違いすぎるわ。けれど、殺し合いなら貴女は私にも負けないと思うわよ」
「なーにを謙遜してるのよ。あたしがアンジェラに敵うわけないじゃない」
「きゅう」
「こらそこの小動物。同意すんじゃない」
 チリン――
 やり合うふたりの部下に、少女はくすりと笑う。
「けど、本当に私は殺しの力に関して勝ち目はないわ。あと何十年かすれば貴女は私を超えると思う」
「そうかなぁ……」
 いまいちイメージできないのだろう。桜色の少女は首をかしげるばかりだ。
「貴女には才能があり、迷いがない。これほど強くなる素質を秘めた存在も珍しいくらい」
「そりゃま、あたしにはアンジェラがいるからね」
「きゅーう」
「はいはい、あんたもね」
 チリン――
 夜道を歩む少女たちは、親しげで。
「強くなった貴女も、楽しみだわ」
「そりゃありがと」
 どこか、親子のようでさえある。
 月光の中を歩む、小さな母と大きな娘。
 チリン――



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