|
古い、古い思い出。 過去の記憶。昔の話。 今のボクらには、関係のない話だ。 それでも夢を見るのは、なぜなのだろうね。 それは、何度も見た、なのにちっとも慣れる事のない光景だった。 人ならざる者が人を襲う。確かにボクは人間が好きではないけど、それでも、誰かが襲われるその姿は見ていてあまり気持ちのいいものではない。 「レティシアッ!」 死喰いの鋭い声が響く。 「わかってるッ!」 小柄な体が矢のように飛び出していく。赤い赤い、炎のように赤い三つ編みをたなびかせながら。 「悪魔の悪夢!!」 彼女が握るのは炎を模したような形状の剣。波状の刃は切れ味で劣る分、引き奏でるように使う事で深い傷を残す。 悪魔の悪夢。相手を苦しめるために特化した特殊な剣。 「はッ!!」 レティシアの刃がどこかの眷属の背中を斬る。死導者は血を流さない。生まれ出るのは、黒い霧のようなものだけだ。 「あああああああああッッッ!!」 眷属の叫び声が空に響く。襲われかけていた人は、何事にも気がつく事なく古びた通りを歩いていった。 「き、さま……!」 眷属が振り向く。あれは、雰囲気からして、憤怒の眷属か。 「オオオオオオオオオオオオ!!」 人型の眷属がその巨腕を振り上げ、レティシアに迫る。 憤怒の眷属であるなら、力ではレティシアや死喰いには決して負ける事などないだろう。 けれど、レティシアの見せる悪夢は、決してひとつではない。 「ははははははは!! バカだよバカだねバカなんだろォ!? 無数の刃にッ! 拳で立ち向かえるわけないだろうさァ!!」 レティシアの狂った声が空に響く。 生み出されたのは無数の小さなフランベルジュ。ひとつとしてまともなナイフではないあたり、あの子の性格を表していると言える。 レティシアは傷つける事に快楽を見出せる存在だから。 「そらァ!」 何本ものナイフが少し離れたところに立つ眷属の体を削り取っていく。そう、まさに削っている。欠片が霧散していき、少しずつ眷属は傷ついていく。 彼は何もできない。遠くの敵を殺す力を持たない限り、あるいは迫るナイフを無視してでも距離を詰められるような何かがない限り、今のレティシアには触れる事さえかなわないだろう。 「はははッ! どうしたよどうしたんだよ眷属さんよォ! 同じ眷属なのに! どうしてこうも力の差があるんだろうねェ!?」 まさに悪夢。自分の力は決して及ばず、ただ一方的に蹂躙されるだけ。少しずつ痛みが増していき、力は抜けていく。抵抗の可能性は刻一刻となくなっていく。 チリン―― 『嫌な戦い方だね』 手を出さない死喰いを眺め、言ってみた。 彼女は優しい。そして、甘い。人に害をなす眷属や死導者という存在は決して認めないけれど、だからといって、なぶるような行いも好きではないだろう。 死者に死を。苦痛ではなく死を。 それが、死喰いと呼ばれる死導者の在り方。 「確実ではあるわ」 『確実なら何をしてもいいのかい?』 「そうは言わない、けれど」 『まったく。考えたところで行動に移さなければ結局はおな……』 ん? ボクの視界は人の目とは違う。感覚で全てを捉えている。 その視界の隅に、人影が映ったような気がした。 慌ててそちらに意識を向ける。と、そこには確かに人がいた。やけに慌てた若い男の人。 『まずいよ!』 数瞬遅れ、死喰いが気付く。その時にはすでに手遅れだった。 眷属もほぼ同時に気がつき、レティシアから離れ人間に飛びついた。 「えっ!? わ、わぁ!!」 「来るなッ!」 人間の首に手をかける。化物の握力で握り締めれば、彼はあっさりと死ぬ事になるだろう。 「ふん。だからなんだッ!」 構わず突っ込むレティシアと眷属の間に死喰いが割り込んだ。振り上げられたフランベルジュを死喰いの持つ剣が受け止める。 「なんで邪魔をするッ!」 「貴女、人ごと眷属を斬るつもりだったでしょう」 「ほんの少しよ。腕のひとつくらいなくても死にはしない」 「絶対に駄目」 死喰いはレティシアの代わりに眷属に迫った。じりじり、じりじりと。 「近づくなっ!」 眷属が叫び、死喰いは足を止める。 「さっさと殺しに行けばいいじゃない! なんで殺さないのッ!」 「黙りなさいッ!」 死喰いの鋭い声はレティシアから言葉を奪う。お互いの緊張が空気を凍らせる。 「貴方、知っている? 人質という手段を取る者はよくいる。確かに人質を取っている間は、ほんの一時だけならば、相手の足を止めるためには役立つかもしれない。けれど、それは常に最善とは程遠い手段でもあるのよ」 「ふん。説教など聴きたくもない。いいから近づくんじゃないぞ」 「説教ではないわ」 チリン―― そう。説教なんかじゃない。 死喰いはあらゆる幻想をこの世に実現させる。死喰いにできない事はほとんどない。 「幻想顕現」 練り込まれた生は、イメージ通りに形作られる。 「偽りの死導者」 チリン―― 死喰いそっくりの人形を作る術式。それと、死導者特有の空間渡りを合わせれば、相手の背後を取る事など造作もない。 相手の視線は前に向いたまま。その隙に、死喰いは人質を握る腕を斬り落とした。 「がッ……!?」 激痛に、相手はようやく気付く。けれど、その時にはもう遅い。 「さようなら」 宝剣が眷属の胸を貫き、その体を消し飛ばした。 ひとつの戦いとも呼べない戦いを終え、死喰いと眷属はゆったりと空を歩む。 空は嫌いじゃない。ここだけは、国とか町とか関係がなくどこまでも広がっている。息苦しさはなかった。 だけど、今、ここの空気はあまりよくない。はっきりと言ってしまえば息苦しい。 原因は明白。 ボクは元凶たる炎のような少女を見る。 視線を感じたのか、レティシアは足を止める。 「どうして私を止めた」 「何の事」 「とぼけないで。さっき、私が人間ごと眷属を斬ろうとした時、あんたは止めた。どうしてか、と聞いているの」 「レティシア。貴女が私の眷属である限り、守らなければいけない事がふたつあるわ。ひとつは死導者を、眷属を、変魂を殺す事。これはいいわね?」 レティシアは小さく頷く。それはそうだ。彼女は死喰いの命令など関係なく突っ込むに決まっている。 「もうひとつ。それは、人の命をないがしろにはしないという事」 「それは納得できないね。眷属や死導者を捨て置けば犠牲になる人間なんて山ほど出る。それを食い止めるためなら、多少の犠牲はやむをえないじゃない? 第一、私はさっき殺そうとしたんじゃ……」 死喰いの視線がレティシアを射抜く。ぺらぺらと動いていた口が急に閉ざされた。 「レティシア。貴女がどういう考えであろうと構わない。それは貴女の自由だけれど、私の眷属でありたいなら、人間だけは大切になさい」 しばしの沈黙。言葉に詰まったように口をぱくぱくさせたレティシアは、やっとの事で声を引き出す。 「ふ、ふん! 自由なら余計な事は言わないでッ!」 レティシアは顔をそむけると、そのまま死喰いから逃げるようにどこかに消え去った。見送り、呟く。 チリン―― 『あれでいいの?』 「何が?」 『レティシア。あの調子じゃ、また同じ事を繰り返すよ』 「かもしれないわね」 『かもしれないって、それでいいの? ボクはレティシアを殺す手伝いなんて嫌だよ』 「大丈夫よ。彼女はあれでも私の眷属なのだから」 ――大丈夫? レティシアが? 彼女も、元は人間だ。ボクは人間が好きじゃない。だから、もともとが人間であるレティシアの事を、死喰いほど素直に信じてやる事なんてできない。 どうして死喰いは、こんなにも簡単に信じれるのだろう。ボクには理解できない。 「納得していないのはわかっているわ。それも仕方ない。実際、私たちは一方を生かすために他方を殺しているのだから。それを彼女もわかっている。 大丈夫、貴女もいずれレティシアの事がわかるようになるわ。もっとも、それまで私たちが持つか、わからないけれど」 『……そうだね』 今回はいつもより捜索に時間がかかり過ぎている。もし遭遇したところで、死導者たちはかなり強くなっているだろう。厄介だ。 レティシアもいるが、彼女がどこまで戦力になるかは不明なところがあるし。 まったく。存在しない頭が重いとは、どういう事なんだろうね。 「あら」 ん? この感じは。 『感じたよね』 一応、確認を取る。返答はすぐさま。 「ええ。あれは、レティシアの生」 決して遠くない場所で、レティシアが戦っている。 それが、ボクたちに伝わってきた。 「行くわよ」 チリン―― 言葉は、返すまでもなかった。 レティシアを探すのはそう難しくなかった。 少し離れた空中。対峙している相手は眷属のようだった。さっきの奴よりはもう少し人間離れした姿をしており、筋肉で膨れた猿を思わせる。それにしても、今日は眷属の当たり日か何かなのだろうか。 「はッ!」 レティシアの刃が迫る。その直前、ゆらりと眷属の姿が消える。 「ちッ……、めんどくさいねェ!」 レティシアの剣が舞う。ナイフが踊り、刃が閃く。 どうやら、相手はある程度の空間移動能力があるらしい。あのヘンテコな能力からして、おそらくは強欲の部下か。大きな体をしているくせに回避が得意とはね。 『死喰い。どうする?』 「どうするも何もないわ。倒す」 剣を手に、死喰いも飛び出す。とはいえ攻撃を避け続ける相手、どう叩くつもりなのやら。 相手もまた、死喰いの存在に気付いた。すぐさま空間を渡り、逃げに入る。 「逃がさないよォ!」 嬉々とした調子でレティシアが追撃に入る。死喰いに叱られたせいだろうか、いつもより激しい。 「行くわよ」 チリン―― 力強く跳ねる。空を蹴飛ばし、体を前に前に運んでいく。 眷属はちらと振り返り、そのまま体をひねった。 「ちィッ!!」 レティシアは勢いがつき過ぎて、眷属とすれ違ってしまった。けれど、これはむしろこちら側に好都合。 「レティシア! 挟み撃ち!」 「任せろォ!」 前後で挟まれた眷属が舌打ちしたような気がした。 「せりゃァ!」 レティシアが左腕を閃かせると、十数本のナイフが飛び出す。眷属は空間を渡ろうとする気配。 「させないわ」 チリン―― 相手の行動を邪魔する。空間を渡るのに失敗した眷属に、レティシアのナイフが刺さった。 「そらそらァ! もう一丁ォ!」 先ほどよりも大きな刃を持つナイフをさらに投げる。眷属は覚悟を決めたのか、渡りはせずに腕を振るった。 「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」 何を叫んでいるのかさえ定かではない叫び。そこに象徴される気迫と共に、ナイフが何本か弾かれる。それでも数本は刺さり、確実に眷属から力を奪っていった。 「さあ、とどめ刺してやるわァ!」 レティシアが作りだしたのは、投げ槍だった。 「死喰いィ!」 「任せなさい」 チリン―― 「束縛の鎖」 眷属の動きを止める鎖。 一本の長大な投げ槍が、レティシアの全力をもって放たれる。 槍が激突すると同時、死喰いは鎖を手放した。衝撃で、眷属の体が地上めがけて墜落していく。 『あ』 ゴッ――! 勢いが良すぎて建物に激突した。幸いにも廃屋のようだから問題ないと思うけど、レティシアは相変わらずやる事が荒っぽい。 「……!」 直後、レティシアが跳ねる。一瞬だけ遅れて死喰いも。 『ど、どうしたのさっ!?』 「人!」 『え?』 下に意識を向ける。崩れかけた廃屋、その下に、子供たちの姿が見えた。 「さ、せるかァ!!」 力強く踏み込んだレティシアが、崩れかけるレンガと子供の間に割り込む。腕が閃き、レンガが砕け散った。 「レティシア! まだ!!」 そう。レンガの欠片は砕いたけれど、まだ建物そのものが残っている。どうバランスを失ったのかよくわからないけど、建物は確実にレティシアたちの方に崩れ落ちようとしていた。 『あれじゃ無理だよ!』 レティシアの能力はしょせん、武器を作るものでしかない。ただの武器では、崩落する建物に対抗する事なんて……。 「――!」 何を思ったのか。 レティシアの姿に、存在感が増した。 『じ、実体化した!?』 そんなバカな! 実体化すれば自分も巻き込まれる! 「あれが、レティシアのやり方よ」 ふっと、死喰いの足が止まった。 ボクが何かを言う間もなく。 崩れた建物が、レティシアたちに襲いかかる。 少年が茫然と立っているのが見える。 そのそばに、レティシアは倒れていた。 『なんて、無茶をするんだか』 口もないけど、もしもそれがあるならば、ため息は出そうだった。彼女はそれほどの無茶な行為をした。 剣で建物に立ち向かう。それは人ならざる存在であるボクらでも無理がある行為だ。ボクらは万能じゃないし、それゆえに苦労もする。けど、彼女はあえて挑戦するかのように、そんな無理に挑んだ。 そして――成功した。 「くっ……!」 軋むであろう体を起こす。紅蓮の瞳は、いまだ輝きを失っていなかった。 「大丈夫そうね」 「死喰い、あんた、これで無事に見えるわけ?」 よろよろと体を起こすレティシア。その姿は痛々しい。 「無事とは言っていないわ。けれど、心が折れていない。心が折れていなければ、体はいずれ治す事ができる」 『いや、それも難しいと思うんだけど』 「そうかしら。体の傷は、心のそれよりずっと早く治るわ」 「ふ、ん……」 レティシアはやはり無理があったのか、よろめきそのまま座り込んだ。 そんなレティシアを、死喰いはいたわるような眼で見ている。 「ほら、私の言った通りでしょう?」 『ボクは、まだレティシアを認めたわけじゃない』 だけど。 だけど、まあ、ほんの少し、微妙に、ごくごくわずかくらいなら。 人間の事も考えていると、思ってやらなくもない。 「素直なのに素直に言えないなんて、難しいわね」 『誰の事だい』 「さあ。誰かしら」 ふんだ。だいたい、ボクは死喰いが眷属を持つという事そのものが気に入らない。それなのに、レティシアを認めるわけがないじゃないか。 死者を狩るのに仲間なんて必要ない。人間も必要ない。ボクは、あくまでそう考えている。 失う悲しみは、狩人にとって損益にしかならないから。 なのに死喰いは人を守り、眷属を作る。理解に苦しむ。わざわざ自らを追い込むなんて。 ――でも、まあ。 『それがらしさって事なのかな』 死喰いらしさ。 でも、それじゃあ死喰いなんて名前、似合わない。 だって、それはまるで……、天使じゃないか。 チリン―― 夢想をすること幾ばくか。 ボクはふとなんでもないまどろみから目覚めた。本当に何の前触れもなかった。 自分がなんとなく意識を失っていた事は覚えているけど、何の夢を見ていたのか、それはいまいち思い出せなかった。 「起きた? ルカ」 ルカ。……ルカ、そう、それはボクの名前だ。 チリン―― 『起きたとは失礼じゃないかな。ボクはずっと起きている』 「そう。なら、それでもいいわ。私たちに眠りは必要ないものだものね」 でもね、とアンジェラは言葉を続ける。 「必要なくても意味はあると思うわ。人は夢を見て過去を思い出し、整理するという。私たちの死は長く、終わりもない。だからこそ、夢を見る事も大切だと思うの」 『何の話?』 「夢見る事の大切さよ」 『なんだか胡散臭い言葉だね』 「とても素敵な事だと思うわ」 そう言って、アンジェラはくすりっと笑う。 本当に、よく笑う。 『そういうものかな』 ひとり、呟く。 ボクはアンジェラの一部。 全てを見つめる、小さな小さな鈴の付いた腕輪。 チリン―― チリン―― 鈴を揺らし、夜空色の少女が闇夜を歩く。 「きゅう」 頭上の声に、少女は視線だけを上に向けた。 「どうしたの、エル」 「きゅう。きゅー?」 「ルカが寝ている? あら、本当。珍しい事もあるものね」 「きゅ?」 「もちろん、眠る必要はない。けれど、眠る事はできるわ。サタンなんてよく寝ているでしょう?」 「きゅ」 こくんと頷く獣の反応に、夜空色の少女は満足げに目を細める。 「たまにはいいのではないかしら。安らかな休息も。なくても在る事はできるけれど、あればもう少し豊かになると思うわ」 「きゅう……?」 「ふふ、難しかったかしら?」 チリン―― 鈴は、ただ鳴るだけ。意味のある言葉を発する事はない。 「エル。少しだけ、静かにしてあげましょうか」 「きゅ」 ゆっくりと、ゆったりと。 死導者は闇夜の中に消えて行く。 感情のない、鈴の音色だけを残して。 チリン―― |