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俯瞰の瞳をもって世界を見渡す。 全体は見える。それは最終的により良い結果を導くかもしれない。 けど、代わりに。私は個を見失う。 私はよく客観的で良い意見を出すと言われる。 実際、そんな事はない。私は客観的なのではなく、輪に入っていないから主観で物事を語れないだけ。 それを誰も気づいていないのか、あるいは気づいていてあえてそういう表現をしているのか。そこまでは、よくわからない。 私の目に映るのは人の姿だけ。心までは映せない。 心を見られたら、どれだけ楽か。 「副部長」 声に振り向く。部長が困惑をそのまま表情に浮かべていた。 「あのさー、これ学校の新聞なんだぜ?」 「知ってるけど」 「じゃあさ、もっとこう、読みやすい感じに書けない?」 「読みやすい感じ、とは」 「だから、こう、なんとなくニュアンス伝わらね?」 言いたい事はなんとなく理解できていた。 私の書く文章は常に外からの視線。情報を伝えるという立場においてはそれでいいのかもしれないけど、そのぶん臨場感がなく、どこか冷めた感じになりやすい。 要するに。読んでいても面白くない。 「あのさ。うちの新聞は有料なのよ。つまり売れなきゃ困るのよ。わかる?」 「わかってる」 私の所属する新聞部は隔週で有料の新聞を発行している。有料といってもたいした値段じゃないけど。利益は全て次の取材費につぎ込まれる。新聞の発行そのものは部の予算で可能だけど、取材はそうもいかない。 そうして集めた情報は自分たちで文章にする。文芸部と写真部が合わさったような部活だけに、忙しい。 「でも、そういう売れる記事は私じゃなく、部長とか笹部君の仕事だから」 「だから、そこんとこ、ユキも頑張ってくれって言ってんの」 「そう言われても……」 売れる記事。人が望む記事。 人の心を動かす文章。 そんなもの、私にはわからない。できない。 その点、部長や笹部君――他の部員は、よくできている。 たとえば部長は明るい性格で、交友関係がやたらと広い。その人脈を活かし、どこからか情報をつかんで来ては新聞に載せている。 一方の笹部君は、一般のニュースの解説をしている。高校生なのになんでこんなに詳しいんだ、と思うほどに世情に詳しくて、その解説文は一部の生徒に人気だ。先生からの評価も高い。 ところが、私の書く記事にはそういう花がない。 私は主に部活周りの記事を担当している。とはいえ、うちの部活は特に強豪なんて事もなく、平平凡凡。運動部は大会に出れば予選落ち、文化部は開店休業状態なものだから、運動部の日ごろの練習とか、文化部がたまに作る作品の記事くらいしか書けなかった。 そして、そんな記事に注目が集まるはずもない。 「とにかく、頼むぜ! ユキ」 「……部長。名前で呼ぶの、やめてください」 「ん? あ、ああ、悪い」 部長は軽く顔の前で手刀を切り、じゃあよろしく、と立ち去って行った。 私はパソコンの画面を見つめ、息を吐く。 「面白い記事」 そんなもの、何も思いつかない。 運動部の方に特別なものがない事はもうわかっている。だから、今日は文化部の方を巡ってみる事にした。 たまに協力してくれる写真部や文芸部を見てみる。けれど、どちらも面白い写真や作品といったものはなかった。 空振り感は疲労感へ。重くなった足を引きずるように、部室棟を歩く。 「もっと面白い部活、か」 ふらふらと見ていた私は、ある教室の前で足を止めた。 『美術室』。そういえば、うちには美術部もあったんだ。普段はここで活動をしているはず。 私は取材した記憶がないし、もしかするとここなら新しい記事が書けるかもしれない。そう思い、私は扉をノックしてみた。 「あ、はい、どうぞ」 中からの声を確認し、私は中に入った。 美術室特有の、絵具の匂いが鼻をつく。その中で、ひとりの男子生徒がデッサンをしていた。 「いらっしゃい。時期外れの入部希望者?」 「残念。新聞部です」 そう言うと、男子生徒はあからさまにがっかり、と肩を落とした。 「なんだ。僕以外に活動してくれる人が増えるかと思ったのに」 「という事は、今はあなたしか活動していないの?」 「そう。あ、僕は二年の碓井。一応、ここの部長」 「――池波ユキ。新聞部副部長、二年生」 私は部屋の中を見渡した。 美術室なんて授業以外で入る事はなかった。それだけに、なんだか新鮮な気分だ。 「他の部員は?」 「幽霊状態。数としては五人くらいはいるはずなんだけど、顔を出したのなんて四月の頭だけだよ」 「それでも、あなたは来るんだ」 「……まあね」 碓井君は苦々しい笑みを浮かべ、椅子に座った。 私にも椅子を勧めつつ、 「僕はね、絵を描くのが好きなんだ。普段はデッサンばかりだけど、文化祭とかの時は油絵も出してるんだよ。誰も見に来ないけど」 「ふうん」 美術部がこんな状態になっている事は私さえも知らなかった。たぶん、普通の生徒はもっと知らないんだろう。 これは、記事になるかもしれない。 「ねえ。美術部について、ちょっと取材させてくれない?」 「いいけど……、僕しかいないよ?」 「それでもいいから」 今までと同じ事をしていては、今までと同じような記事しか書けないだろう。 今までと違う事をして、初めて違う記事が書ける。そんな気がしている。 じっと見つめ続けると、やがて碓井君は折れるように苦笑を浮かべた。 「そんなに取材して行きたいならしてもいいよ。別に邪魔にもならないだろうし。その代わり、ひとつお願いできないかな」 「何を?」 「デッサンさせて」 今度は、私の目が点になる番だった。 「私の絵を描くの?」 「別にヌード描かせてとか、そんなんじゃないよ」 「それは当然」 うん、と碓井君は頷き、 「うちは見ての通り誰もいないし、絵のデッサンってちょっと時間がかかるから、誰もモデルとかやってくれないんだ。池波さんは綺麗だし、ちょうどいいと思う」 ちょうどいいって何だ、と思うけど。 取材のためなら、多少は仕方ない。モデルになればそのぶん取材もしやすいだろうから。 「じゃあ、その条件で」 「オッケー。任せて、可愛く描くよ」 それはデッサンとしての意味があるのだろうか、と、ちょっとだけ思った。 翌日の放課後。私は美術室で碓井君のデッサンのモデルになった。 といっても、私に専門的な事は何もわからない。ただ碓井君が指示するままに座ってポーズを決め、描いてもらっただけの話だ。 そのままの状態で、私は碓井君から美術部についての事を聞いた。 「碓井君は、なんでひとりでも美術部を続けているの」 「絵が好きってのと、暇だから。友達とか少ないからね」 「絵、楽しい?」 「まあね。絵はさ、写真と違って真実だけが刻まれるわけじゃないんだ」 シャッシャと鉛筆を動かしながら、碓井君は言う。 「写真に映るのは絶対に真実だけ。人を映せば、写真家の気持ちはこめられるかもしれないけど、本当のもの以外は映らない。 けどさ、絵は空想なんだ。どれだけ写実的でも。本物そっくりに見えて、それは本物とはどこか違う。そういうところが好きなんだ」 「ふうん?」 本物に見えて、本物ではない。 私にはその言葉の意味がよく理解できない。本当に写実的な絵は写真のようなものだとも思う。 あるいはそこが、絵というものを理解するために必要な感性というものなんだろうか。だとしたら、私には絵の才能はないんだろう。 「池波さんは?」 「え?」 「新聞部ってめちゃめちゃ忙しいんでしょ。どうしてそんなとこ入ったの?」 確かに新聞部は忙しい。私も明後日には記事を書き上げて提出しなければいけない。 「忙しいけど、楽しいのよ。人を見て、それを文章にして。そして、自分が感じた事を共有するの」 私は人を見るのが好きだ。 輪の中に入る事はできないけれど、広く人を見るという行為は楽しいと思う。 小さな行動の中に個性があり、しかも本人はそれに気付いてもいない。誰も知らないその人の秘密を握ったような、特別な感じ。 そして、その一部を他の人と共有する事で、秘密仲間ができたような気分になれる。 こんな私でも、特別な輪の中に入れたような気になれる。 「色々とあるんだね。うちは暇の極致みたいな部活だから、そんなに忙しいとこの気分はよくわからないなぁ」 「そんな事を言ったら、私だってこんなにのんびりとしていていいのか、とか考えてしまうわ」 実際、よくないのかもしれない。他の部員たちはあちこちに散ってネタを探している事だろう。 そんな中、私はのんきに絵のモデル。随分と優雅なものだ。 一度の休憩を挟み、日も傾いた頃、碓井君は私のデッサンを描き上げた。 「見せて」 「うん、いいけど」 碓井君のデッサン。その実力というものは私にはよくわからないけど、かなり上手に見えた。少なくても、鏡で見る限りの私はこんな感じだ。 「なんだか照れ臭い」 「池波さんでもそういう事、考えるんだね」 デッサンから碓井君に視線を変えると、彼はそれこそ照れ臭そうに視線をそらす。 「いや、だってさ、池波さんってあんまり表情とか変えないし、話している感じでも冷静だからさ」 「そう見える?」 「そうじゃないの?」 間違いではない。むしろ、それが正しい。 私はいつだって冷静沈着で無表情で。そして、外側にいる。 「いい記事、書けそう?」 「わからないけど、頑張ってみる」 そう答えるしか、できなかった。 何かが変わった実感はないままに。 自室のパソコンに向かい、私はキーを叩く。 文章を書くのは慣れている。推敲もいらない叩き台だけならば簡単に作れるという自負がある。この後の手直しの方がよほど大変だ。 そうして打ち込んでいる途中で、ふと、私は自分の記事を読み直してみた。 「……平凡」 今までとの明らかな違いは何も見えない。強いて言うなら、今まで私が取り上げた事のない部活動について取り上げているというだけの事。それだけでは、部長は満足しないだろう。 かといって。何が悪いのか、それは私にもわかっていない。 「どうすれば、いいのかな」 ぽつりと呟く。答えなんて返ってくるわけ――。 「入ってみたら」 声。 後ろからの、声。 「ごめんね。別に驚かせるつもりじゃなかったんだけどさー」 後ろに、女の子たちが立っていた。 黒い女の子と桜色の女の子。それだけが、強い印象を残す。 黒い……、夜空色の小さな女の子が不思議な瞳で私を見つめる。 チリン―― 「こんばんは。良い夜ね」 「こ、こんばんは」 思わず挨拶を返してしまう。 そんな自分をどこかで間抜けに思いつつ、 「ど、どちら様?」 「死導者、アンジェラ・ウェーバー」 「同じく志野ケイ。よろしく」 女の子は手を差し出してきた。私はそれをじっと見つめ、 「しどう、しゃ?」 「簡単に言っちゃえば人外。この部屋もちょこっと壁から、ね?」 言って、桜色の女の子はすたすたと壁に近づく。 そして、 「――!!」 ずぼっと。 壁を、手がすり抜けた。 「とまあ、これであたしらが普通の人間じゃないのは見てわかるんだと思うけど、まあそんな事はあんまし関係ないって事で」 「私たちは導く者。道を見つけられない人に、可能性を示す者。選択は各々が行えばいい。私たちに選ぶ権利はない」 とにかく、害意がない、という事だけはなんとなく伝わってくる。 そう考えると、気持ちが落ち着いてきた。こういうところもまた、私が冷静だと言われる由縁なんだろうか。 「で、あんたさ、悩んでいるんでしょ? 顔に書いてあるわよ」 「それを相談しろと?」 「私たちはおそらく二度と貴女の前には現れない。もちろん、普通の人間では存在を感知する事さえできやしない。そんな相手になら話せる事もあるのではないかしら。さながら、壁に独り言を呟くように」 壁、か。 自分で自分の事を壁と同じとのたまう人には初めてあった。 面白い子たちだ。この子たちの事を記事にできるなら、きっとそれはとても面白い記事になるだろう。 たぶん、誰も信じないから、部長も許可しないけど。 「悩みなんて、大層なものではないわ」 「悩んでいればそれは十分に悩みでしょ」 強情な人だ。 「……私は、俯瞰的」 「ふかん?」 こくん、と頷いてみせる。 「高いところから全体を見下ろすという事。個を見るのではなく、全の動きを見る。だから常に冷静と言われるわ」 「冷静なのは見りゃわかるわ」 「そう。けど、俯瞰という事は同じ目線ではないという事。輪の中ではなく外。人と行動を共にし、友達と呼べる人と一緒にいたとしても、私は常に外にいる。性分、と言えばそうなんだけど」 それが、私にプラスの影響を与える一方、マイナスの影響も与えている。 善し悪しはないんだろうと思う。良い面も悪い面もある。だけど、最近は悪い面ばかりが鼻につく、それだけ。 「んなら簡単じゃない。中に飛び込んじゃえばいいのよ」 「ケイ。そう簡単にできるのであれば、私たちは必要ないと思うわ」 ちっこい方の言う通り。物事はそう簡便にできていない。 と、桜色の方が口を尖らせ、 「じゃーアンジェラはどうすればいいって思うの」 チリン―― 夜空色の女の子は軽く笑んだ。 「貴女、絵を描いて貰ったようね」 「え? あ、うん」 私の机の上には碓井君の描いたデッサンのコピーがあった。記事に使えるかもしれないから、と貰ってきたものだ。 それを見せると、桜色の女の子は息を漏らした。 「へえ。うまいじゃないの、これ」 「とても写実的。だけれど、これには描き手の気持ちも込められている。とても良い絵だと思うわ」 「描き手の、気持ち?」 そう、と夜空色の女の子は頷く。 「気付かなかった? 貴女は」 そう言われ、私は改めて絵を眺めてみた。 細めの体型。制服姿の自分が、そこには描き出されている。髪型も特におかしなところはないし……。 「……あ」 「気付いたようね」 女の子が言いたかった事。それは、私にもわかった。 「貴女はもう一度、描いて貰うと良いと思うわ。そうすれば、貴女も一体感というものを得られるかもしれない。もちろん、失敗する事もある。けれど、きっかけにはなりえると思うの」 そうかもしれない。そういえば、こんな事、私は意識してやった事がなかった。 「頼んで、みようかな」 碓井君に。 彼ならば、喜んで受けてくれるだろう。 「その意気よ」 チリン―― 顔を上げた時。 女の子たちの姿は、私の部屋から消えていた。 美術室を訪れた私を迎えてくれたのは、三度、同じ顔。 「あれ、池波さん」 意外だったのだろうか。それでも碓井君は嬉しそうに私を出迎えてくれた。 「どうしたの、今日は」 「碓井君。もう一度、私を描いて」 「ふぇ?」 それこそ予想外だったのだろう。碓井君は間の抜けた声を出した。 「だから、私をデッサンして欲しいの」 「僕はいいけど、どうしたの。モデルに目覚めた?」 「そういうわけでもないけど、お願い。もう一度だけでいいから」 「いやいや、それなら一度と言わず何度でもお願いしちゃうけどさ」 そう言いながらも碓井君はいそいそと準備を始める。 鉛筆とスケッチブックを持ってきて、カーテンをちょっと閉めて、ついでに私を机の上に座らせる。 「よし、じゃ、お願い」 私は楽な姿勢を取り、そして――表情を和らげた。 「お」 「変?」 「ううん。その方がずっといい」 笑顔。そんなものを自分で意識した事は、今までにない。 こうして、意識して笑顔を作ってみると、なんとなく気持ちまで変わってきた気がする。 気のせいかもしれない。でも、気の問題なんだから、気のせいでもいいのかな。 碓井君の手が走る。その音も、心なしか軽やかに聞こえる。 「池波さんって笑わないのかなって、昨日も思ってたんだよ」 「別に、笑わないわけじゃないの。ただ、笑うような事がないから、笑わないだけで」 私は自分の性分だから仕方ないと思っていた。 もとより俯瞰的で、輪の外にいるような存在だと。 でも、あの女の子たちに言われて、私は気がついた。 私は、自分から輪の外に出ようとしている、という事にも。 自分から出ていれば輪の外にいるのは当たり前。私はただ足を止めるだけでいい。それだけで、私は輪の中にとどまる事ができる。 たまには、休んでみるのも大切。なんて。 碓井君が私を見ている。私もまた、池波君を見ている。 その中に。 私が求めていた、一体感があった。 そして、描き上がる。完成は昨日よりも少しだけ遅く、そのぶん、昨日よりも綺麗に仕上がっていた。 私は微笑んだ女の子がこちらを見ている絵を見ながら、 「私ね」 「ん?」 「自分の名前、好きじゃないの」 ユキ。雪。 心まで冷え切っている、と名前にさえ言われているような気がした。だから、自分の名前は好きじゃなかった。 「考えすぎじゃないかな」 「うん、考えすぎ。そんな事、ぜんぜんなかった」 「確かにね」 碓井君は、柔らかな表情をする人だ。絵を描いているおかげなのだろうか。だとするなら、私も少し描いてみたい。 「今なら、最高の記事が書ける気がする」 「うん、せっかくだからさ、僕の絵も使ってよ。運が良ければ入部希望者も増えるかもしれない」 「私は、増えなくてもいいかも」 「えー……、僕が困るんだけど」 「本当に?」 そして、碓井君は視線をそらす。照れた時の癖、なのかな。 私は再び絵に視線を落とした。 「ふふっ」 その笑顔を見ていると、なんとなくおかしかった。 チリン―― 美術室の窓の外。女の子がふたり、空に浮いている。 「よくやるわねぇ、あの子。あたしはあんなにじっとしてるのなんて嫌だわ」 「ケイには向かないわね」 「アンジェラ、描いて貰えば?」 「遠慮しておくわ」 くすっ、と笑うふたり。夕刻になってなお暖かな風が吹き抜ける。 「絵は必ずしも写実的ではない。描き手が想像したものを、同じ世界に入れる事ができる」 「つまりは笑ったあの子の顔も描ける」 こくんと頷き、 「彼女、良い出会いに恵まれたわね」 「つーかあの男の子、本当に高校生?」 「さあ。もしかしたら違うかもしれないわね」 ふふふ、と笑いながら、少女は歩き出す。もうここに、彼女を必要としている人はいないから。 チリン―― 少女は歩き続ける。彼女を必要とする人のいるところまで。 「生者にしか世界は変えられない。けれど、死者でも心を変える事はできる」 「だからあたしたちは頑張る、と」 「そういう事」 今日もまた、必要な人のところへ。 夜空色の少女は、空を渡る。 チリン―― |