家に帰り、三人の言葉を反すうする。
 アマノサイキックエージェンシーの正式調査員となる道。
 ファミレスの正社員となる道。
 そして、死導者となる道。
 この不景気なご時世に、贅沢な選択肢だ。もっとも、普通の人はファミレス店員として道の他、選ぶ余地はないだろう。そういう意味で僕は特別なんだ。
 いや、僕ももともとは普通だった。事故に遭い、マリアに助けられ、そして――アンジェラと出会い。そうして僕の運命はねじ曲がり、今の、死者と紙一枚を隔てた世界を歩むような生活となった。
 どの道を選ぶべきなのか。どうすべきなのか。それは、僕自身が決めなきゃいけない事だ。
 よく就職活動には適職試験なんてのがあるけど、僕の場合は役に立たないだろう。一応はそんなのも受けた事があるけど、あれでわかる結果では、退魔師に向いているのか死導者に向いているのか、なんて事がわかるはずはない。
 後は、僕の心次第。僕が何を最優先させたいのか。将来的にどうなりたいのか。
 結論を出さなきゃいけない。
「はは、無茶な話だよね」
 真っ暗な天井に向かって、ひとりごちる。
 僕だけじゃない。みんながみんな、二十歳そこそこで人生の全てを決めなきゃいけないんだから。そんなの、できっこない。二十歳の人間が、どうやって四十の自分を想像するって言うんだ?
 もちろん、ファミレス店員になってからアマノサイキックエージェンシーに転職してもいい。けど、その逆はできない。日本で可能なのは新卒の就職だけで、中途入社ができる仕事というのはひどく限られている。
 新卒至上主義、なんて言葉さえ耳にする。大学を卒業する人間しか就職は許されず、経歴に穴でもあれば、就職なんて中途でさえおぼつかなくなる。
 海外ではそんな事はないと聞く。日本も実力主義になりつつあるとは言え、まだまだ、そういうところは遅いんだ。
「とは、言っても」
 何を言っても、これは現実の問題。誰が悪いと言う事は簡単だけど、結論は変わりはしないんだ。なら、前向きに、結論を出さなきゃいけないじゃないか。
「僕の結論、か……」
 色々な考えが頭の中をぐるぐると回り、結論はとてもすぐに出せそうにない。当然かもしれない。僕の一生を左右する、大切な選択なのだから。
「慌てる事もない、のかな」
 軽く呟き、僕は目を閉じた。
 たくさんの事があって、疲れているはずなのに、ちっとも眠気は訪れなかった。
 眠れたのは、新聞を届けるバイクの音が聞こえる頃になってからだった。

 数日間、迷いに迷ったけれど、結論はまったく出せない。こんなに優柔不断だったのか、と思い起こして、そう決断力があったわけでもないか、と思い直す。
 そんな、とある日。その日は、珍しく何の予定もなかった。
 僕の生活において、バイトがない日というのはかなり珍しい。せっかくだから、と部屋の掃除をしたり、少しだけたまってしまった家事を片づける。
 それでも、午後には何もやる事がなくなってしまった。
 家にいても、悶々として、またぞろ進路について悩むだけだ。そんな事をしても良い事はないな、と考え、僕は家の外に出た。
 ぶらぶらと歩く。そのうち、自然なのか偶然なのか、見知った神社の前にまで来てしまっていた。
 朱塗りの鳥居を見上げ、僕は階段を上る。その先には、何もない境内が広がっていた。
 普段はここを掃除している知り合いがいるのだが、今日はその姿が見えない。何か用事があって出かけているのかもしれない。それならそれでしょうがないし、別に彼女に会いに来たわけじゃないから、問題はなかった。
 僕は神社は好きだ。より正確に言うのなら、静かな場所が。
 そういう意味で、この場所はとてもいい。静かで、落ち着いていて、しかも神聖な雰囲気まで漂っていて、なんとなく良い結論を導けそうな気がしてくる。
 深く息を吸い、吐く。都会に近いこの場所でも、ここの空気だけは、清浄と呼んでいいものな気がした。
 そのままふらりと歩き出す。と、社殿の方から誰かが歩いてきた。
 目をこらす。存在感が薄い老人だ。そのくせ歩き方は力強く、年齢に見合わない覇気が溢れている。独特の歩調は、どこか特殊な仕事をしている知人を思い起こさせた。
「む」
 老人の目が僕に留まる。僕はその視線を見返し、
「道に迷ったんですか?」
 気軽に声をかけてみた。老人は軽く目を見開き、からからと笑い出した。
「そうか、君も見えるのか! 匠に会えなかっただけに諦めておったんじゃが、お迎えが来る前に見える人間に出会えたか! これは愉快! 運の良い!」
 豪快な笑い方をする老人だった。その様子は、とても――死人のものとは思えなかった。
 そう。この老人は死んでいる。間違いなく。僕は相手が死者であろうとも見える特別な目を持っているからこうして視認できるだけで、普通ならこの快活な老人と話すこともままならないだろう。
「君は、まみちゃんの友人か何かかの?」
「ええ、まあ」
「ふうむ……」
 老人はじろじろと無遠慮に僕を見つめた。わけも分からず、とりあえず棒立ちするしかない僕。
 やがて老人は視線を顔に戻し、
「君。名は何という」
「え、遠藤紅葉、ですけど」
「遠藤君か。聞かぬ名じゃな」
「ああ、はい。よく言われます。僕は生粋の退魔関係者じゃないんで」
「ほほう」
 老人の視線が鋭くなる。僕を見つめ、
「そのせいかの? 悩んでおるのは」
 内心ぎくり、と心臓がはねた。というか、それが実際に顔に出たのだろう。老人は満足そうに頷く。
「まあ、突然にそのような体質になっては驚くのも無理はないの」
「あ、いえ、体質そのものは子供の頃からで。悩んでいるのは別の事……、というか、ありていに言って進路の事ですよ」
 言ってから、僕は何を言っているんだ、と思い返した。こんな幽霊の老人に進路相談をしてどうする。
 けれども老人は僕を放してくれる気は一向にないようで、
「ふむ、進路か。なるほどのぉ。つまりは、こちらの道に進むか、一般の道に進むか、といったところかな?」
「よ、よくわかりますね」
「そりゃあそうだの。この体質を持って生まれた者は、誰もが通る道だ。儂も七十年前に通ったからの! はっはっは!」
 この老人。年齢からすれば、それこそ死ぬほど老いているだろうに、まったく年齢というものを感じさせなかった。その活発さが、今の僕にはちょっとだけ羨ましい。
「どれ。儂が相談に乗ってやろうかの」
「あ、いえ、そんな……」
「若いもんが遠慮するでないッ! こんな年寄り、今となっては何もできん身じゃが、こうして相談に乗り知恵を貸す程度の事はできるつもりじゃ」
 僕は肩をすくませ、
「は、はぁ。わかりました。といっても、話す事はそんなにないですよ。極論を言えば、さっきの通りなんですから」
「ふうむ。君は元は一般人だと言ったの?」
「え、ええ、まあ」
 僕は頷く。老人は(何の意味があるのかは不明だが)鳥居の根元に腰掛け、僕にも座るように命じた。
「一般の方が安全にて確実に生きてゆけるの。確かに儂らの業界は、常に危険が伴う」
 うむ、と頷き、じゃが、と老人は言葉を続ける。
「じゃがの、遠藤君。この仕事は、達成感も感動も人一倍味わう事ができると、儂はそう思うんじゃよ」
 ぐっと拳を握り締め、
「大抵の輩は、この仕事は人に勧められるものではないと言う。可能ならばやらぬ方が良いとも。それゆえ、この業界は小さく小さくなっていった。
 じゃが! 儂は、当人にその意志があるのなら、これほど素晴らしい仕事はないと自負しておる!」
 そう語る老人の目は子供のように輝いていて、どこまでも本気であるという事を感じさせた。
「……じゃが、それは儂の感じたものじゃ。君がどう生きてきて、これから先をどう生きてゆくのか、それは君自身が考えねばならん事じゃ。そんな君に儂が言える事といえば、そうたくさんはない」
 老人はひた、と僕を見据え、
「良いか。たとえどのような選択をするにしても、君は、そこで何を成し遂げたいのかを忘れてはならん」
「何を、成し遂げたいか」
「うむ! 今の君には、君でなければできない事は少ないじゃろう。じゃが、それは、これから先に何でも『君だけの何か』を手に入れられるという意味でもあるのじゃ!
 君はどのような形にもなる事ができる。それは、裏を返せばどのような形にもなれない、という事でもある。何かの形になりたいのであれば、何かを突き詰める事じゃ。極めた先には、何かがある事じゃろう」
「中途半端、か……」
 その可能性は多分にある。今の僕なんか、まさにそうだ。今のところは成立しているけど、どれかを選んだ時、僕は他の道を捨てなければいけない。
 何かを極めるという事。すなわち、僕が極めたいと思う事。
 僕が理想とする形。僕が得たいもの。僕の人生をかけて、やらねばならない事。
「どんな世界にもそれなりのやりがいと、相応の苦労が待っておるものじゃ。儂は一般だからといって苦労がないとは思わんし、退魔師が特別に楽だとも思わん。何をやっても苦しむのは当然じゃ。
 じゃが、だからこそ得られるものもある。何を得たいのか。何を得ようとするのか。それが決まっていれば、結局はどんな道も大差などない。道順が違うだけで、得られる結論は同じなのじゃからな」
 そう言って、老人はバンバンと僕の背中を叩いた。
「はっは、悩め悩め! じゃが、悩む事など何もありゃせん!」
 ……壮大なる矛盾。だけど、この老人が言いたい事、なんとなくわかった気がする。
 悩むのは悪い事じゃない。結論が同じとは言っても、違う道順を通れば、結論も違って見える事だろう。
 どんな道順で、どんな結論を導くのか。どこに進みたいのか。
 そう、僕の結論、それは――。
「ふむ」
 老人はすっくと立ち上がった。そして、僕を見下ろす。
「少年。匠に……、いや、鯉田の者に会うたら伝えておいておくれ。源五郎は騒がしく逝った、との」
 もうわかっているのだろう。この老人には。
 僕が答えを出した事にも、自分には時間が残されていないという事にも。
「はい」
 だから、僕は思い切り元気よく頷き、老人を見送った。
 老人は最期に快活な笑みを残して、光の中を消えていった。

 事務室から出ると、先輩や志野さんが待っていた。
「お疲れ、くー」
 先輩は優しく言ってくれた。志野さんは涙まで浮かべている。それほどの事じゃないと思うんだけど、やっぱり寂しいんだろうか。
「遠藤先輩、もう簡単には会えないですね」
「別に死ぬわけじゃないんだから、そんな事ないよ。僕だって真理先輩に会いに来たりするだろうし」
「そうそう。だからメグミちゃんも泣かないの」
 はい、と力ない答えを返し、志野さんは浮かんだ涙をぬぐった。
「でも、先輩、ホントによかったんですか? バイト、やめちゃって」
「うん。ここの仕事は気に入ってたし、できるなら続けたいけど……、けじめが必要かな、って」
 僕は、店長からの提案を蹴った。それでも店長は残っていいと言ってくれたが、社員となる道を蹴った以上、こだわるのはお店に対して失礼かな、という気持ちが勝った。
「私、くーがなんであっちの道を選んだのか、なんとなくわかるよ」
 真理先輩は自信満々に言う。むしろ、先輩にとっては、僕がそっちの道を進むという事が最初からわかっていたのかもしれない。なんとなく、そんな気がした。
「私の知っているくーは、困っている人をほっておけない人。苦しんでいる人のために何かができるなら、絶対にその何かをする。正社員になったら、そういう事、できなくなっちゃうもんね」
「結論を言うなら、そういう事です」
 言って、僕は照れから笑いを漏らした。
 僕の力は、悲しみしかない死後に、ほんのわずかなる救いを与えられる。化物として滅ぼされるのではなく、人間として成仏させる事ができる。
 それが本当に救いになるのか、と言われてしまえば、僕にだって自信はない。それは、人それぞれだから。
 だけど、それで救われる人がいる、という事も事実で。僕の手が誰かの悲しみを取り除けるのなら、僕はそのためにこの手を伸ばしたい。
 うまく言葉にできていないかもしれないけど、そういう事だ。誰かを助けたい。世界の全ての悲しみを除けなくても、ほんの少しは取り除きたい。
 僕――遠藤紅葉は、そういう人間なんだ。
「今度、盛大に送別会やらなきゃね!」
「あ、それならあたしも手伝います!」
「ぼ、僕はバイトですし、そんなに派手にやらないでも……」
「いいじゃんいいじゃん! くーは人気者なんだしさ!」
 そうだったろうか、と思い起こす。あんまり自覚症状はなかったけど、先輩が言うんだからそうなんだろうか。いや、先輩が言うからこそ怪しいな。
 ……まあ、いっか。
 一つの選択を行う。それは別の道から遠ざかるという事で、ほんの少しの寂寥感と、未来への希望が湧いてくる動作だ。
 人間は数え切れない選択を行う。僕の選択も、その一つに過ぎない。きっとこの先、たくさんの選択がある事だろう。
 その中でも、僕は、この気持ちを忘れてはいけないんだろう。
 ぐっと拳を握ってみる。この中にあるもの。それだけは、手放したくない。
 素直に、そう思った。


 チリン――
 夜空を彩るは三つの人影。桜が舞い散り、純白が切り裂き、漆黒が埋め尽くす。
「貴女、こうなる事を予測していたのではないかしら?」
「さあ、何の事かしら」
 純白の死導者の問いに、夜空色の死導者はとぼけてみせた。けれど、堪えきれなくなったように、くすっと噴き出す。
「だって、紅葉だもの。彼はどうあがいても、人を見捨てる事なんてできない。それが彼の美徳であり欠点。大切な人はもちろんいるけれど、それはそれとして、目の前の苦痛を放っておく事ができない。そういう、要領の悪さを持っているわ」
「ほーんと。真理じゃないけど、心配になるわね。あれ見てると」
「そうかしら。私は、心配など吹き飛ぶわ」
「え? なんで?」
 チリン――
 夜空色の少女は自らの生みの親を見やり、
「貴女ならわかるのではないかしら?」
「ええ。彼は、困難などものともしない。それだけのものがある」
「何よ、それ。あのリライトって能力の事?」
「そうではないわ。それは、そう……、私が持っていなかったもの」
 遠回しの言い方に、桜色の少女は首をかしげるばかり。
「簡単よ。気持ち。それだけ」
 何があろうとも、己を貫き通すという意思。
 苦難、困難、苦痛、悲哀、絶望、およそマイナスな体験を目前にした時に、それらを超えるための原動力となる力。
 それを、遠藤紅葉という青年は持ち合わせている。
 だから、彼女たちは彼の未来に何の不安も持っていない。彼はどのような道を進もうとも、どのような結論に至ろうとも、彼は彼だから。
「けれど、これで、彼が死導者になる可能性も高まったわ」
「何よ、マリア。嬉しそうね」
「そうかしら?」
 ふふん、と笑い、白い少女はふわりと消え去った。
 残った少女たちは顔を見合わせ、頷く事さえせず、共に消え去る。
 そこに残るのは、微かな音色。
 チリン――



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