|
たった一人の人間を殺す。俺たちの普段の生活からすれば造作もない事だ。 だが、問題もある。そして、その問題を片づける事こそ、俺の仕事。 ――変幻自在の化物。必ずや、この手で仕留める。 都市から車で三時間ちょっと。ちっぽけな田舎の村はそこにあった。 農耕だけで暮らすような小さな村だが、そこには少しだけ不釣り合いなほど大きめの教会がある。俺は村の入り口で車を止め、教会までゆったりと歩いた。 「ここ、か」 前まで来る。聖堂を見上げると、灰色のような青空まで一緒に見えた。 教会の扉を押し開ける。中にはシスターが一人、お祈りをしていた。 俺は背後まで近付き、そっと懐に手を入れる。 「……何用ですか」 シスターは振り向く事もなく言った。俺は、完全に気配を消していたはずだった。 「現役を退いてもう十年になるってのに、いまだに衰えた気配がないな。シスター・エルマ」 「あなたの言う通り、わたくしは十年も前に隠居した老人に過ぎません。そのわたくしに、今さら何の用か、と聞いているのですよ」 老シスターは祈りをやめ、顔を上げた。空のような色の目が俺を射抜く。 「なに、ちょっと聞きたい事があっただけだ」 「聞きたい事、とは?」 「黄金について」 老女の眉根が寄った。 「それが何を意味するか、あなたならばわかっているはずです」 「わかっていて聞いているのだが」 「それを知ってどうするつもりですか。彼は、あなた程度がどうこうできる相手ではありませんよ」 「それを決めるのは俺だ。あんたじゃない」 しばしの沈黙。やがて、老女は深くため息をついた。それでも全身の緊張は完全には解けていないようだった。 「日本に行きなさい。ナリタ、よ」 「ナリタ。そこにいるのか?」 「いいえ。彼が最後に降り立った場所がそこ、というだけ。そこから先の足取りはわたくしも知りません」 その言葉に、俺は思わず鼻を鳴らした。 「そんなはずはないだろう。許されざる者の中でトップクラスの探査能力者。許されざる者の全メンバーの動きをトレースしていた『目玉』の称号を持つあんたが」 「……」 シスター・エルマは何も答えなかった。俺はその肩に、懐から取り出した短剣を乗せる。 「選べ。死か服従か」 「死を」 何の躊躇もなく、老女は答えた。 「許されざる者に死をためらう者など一人たりともおりません。我らはこの道を歩み始めた時から死を決意し、この命を人々の安寧のために犠牲にする事を取り決めた者たちです。死後の安らぎさえ捨てた我らが、今さら何を恐れると言うのでしょう」 「立派な事だ」 俺は短剣を引っ込めると、代わりにその首を手で絞めた。 「ぐッ――!」 シスターの体を持ち上げる。息苦しそうにしながら、しかし、シスターは抵抗さえしなかった。 「本当に立派なシスターだよ、あんたは。だが、その抵抗は俺には無意味だ」 手を放す。シスターの体が重力に従って床に落とされた。咳き込みながら、老女は俺を見上げる。 「あなた、まさか……」 「協力に感謝する」 ニッと笑った俺を見て、老女は小さく首を振った。 「神があなたを許す事はないでしょう」 「何を今さら」 用のなくなった教会を後にする。その直前、俺は老女に最後の台詞を付け加えた。 「俺もまた、許されざる者だ」 成田空港に到着したのは、昼頃だった。 空に輝く太陽はやけに明るく、そして暑い。まるでまとわりつくような暑さ。これは死ぬまで好きになる事はないだろう、と思った。 それから地図を片手に電車を乗り継ぎ、ようやくやって来たのは、日本のどこにでもあるのだろう、ごく普通の町並みだった。 中心部分から外れれば緑が残り、それでいて生活するには不便にならなさそうな町。住むには良いところだろう。都心には少しばかり遠いかもしれないが。 得られた情報は、奴がこの町に来た、という事までだった。ここから先、どうしたものか……。 チリン―― 鈴の音色に顔を上げたのは偶然だった。 小さな女の子がこちらを見ている。真夏の昼間にはふさわしからぬ、長袖の黒いワンピース。長く艶やかな黒髪に、深紅の瞳。 一目でわかった。人間ではないと。 「貴方、退魔師――いえ、悪魔祓いね」 「いかにも」 懐の短剣に手を伸ばす。許されざる者に許可されたルートを使って密輸入したものだ。使い慣れた俺の武器でもある。 「やめなさい。敵わぬ相手に刃を向けたところで、傷つくのは貴方よ」 「ほう……。やけに自信があるのだな」 「はっきり言うわ。今、私がここに立った事さえ気付けない貴方では、とても勝負にはならない」 チリン―― ふっと、少女の姿が視界から消える。霊的知覚を全開。すぐさま背後に気配を感じ取り、刃を向ける。 「遅い」 それより先に、俺の鼻先に少女の握る剣が突きつけられていた。 「ほら、貴方はこんなにも弱い」 「……確かに、俺の戦闘能力はさほど高くない」 俺は許されざる者の中でもサポートに近い場所に位置している。バリバリの戦闘家であるアイ・ミカミやブラッディ・クーガーとは違う。 「だが、単純な体術という意味では、俺もそう弱くはない」 霊的な能力が戦闘向きのものではないというだけであって、俺自身の格闘能力はそう悪くない。単純な業としての体術であるなら、俺はミカミにも負けない自信がある。 「無駄よ。私たち死導者は、人間とは比べるべくもない力を持っている。それは霊的なものであり、経験であり、そういったもろもろを含めた『格』として違うのよ」 「そちらこそ随分と自信があるようだな」 くすりと笑う。 「まあ、そんな事はどうでもいい。細かい話だ、大筋には何の影響もないだろう」 「細かい?」 「そう殺気立つな。俺はお前を殺す気などない。殺気もないだろう?」 少女は沈黙した。 「俺が心配しているのは、お前が俺を殺そうとする事だ。殺されるわけにはいかないからな」 「アークビショップから聞いていないかしら? 私たちは人を殺めない。死を導くというのは、死の先に可能性を見出すという事。生ある者に死をもたらす事ではない」 「はっ、そいつは知らねーな。仮にお前がそうであったとしても、お前の仲間、あるいはお前の同類がそういう事を考えるとは限らない」 この世界、そんなものだ。表面的には嘘などいくらでも吐ける。問題は本当の事。 本当の意味で誰も殺さず傷つけず、なんて事ができるはずがない。俺たちの持つ力というのは、使わずにはいられなくなるものだ。 まして、死者ともなれば、なおの事。それは抗いがたい本能のようなもの。 「……が、まあ、今のところは信じておくとしよう」 本当にどうでもいい事だった。俺にとって、悪魔が何を考えているのかは興味のない事だ。 悪魔は悪魔。俺たちの敵。そういう、わかりやすい存在でいい。その過去も背景もどうでもいい。 「――貴方、何が目的なの?」 少女は急に警戒した目で俺を見だした。俺自身の目的、底が知れなくなったのだろう。何を言おうと、所詮は外見通りのガキという事か。 「さてね。そういやお前、黄金の居場所は知らないか」 「……黄金?」 「そう。俺と同じイングランドの退魔師で、錬金術師だ」 「イングランドの、錬金術師」 少女の表情に変化はない。声音にも。だが、俺はこいつは知っていると確信した。 嘘吐きばかりを相手にしてきた俺は、相手の嘘には敏感だ。 「居場所を知っているなら教えろ。拠点でもいい」 「知らないわ」 「そうか」 後者には嘘がないと感じられた。おそらく、人としては知っているが、どこに住んでいるかなどは知らないのだろう。そこまであいつが気取られるようにするとも思えない。 「なら、お前に用はない」 きびすを返す俺を、少女は止めなかった。 ただ、一言。 「貴方。やめた方がいい」 「何を」 歩きながら問い返す。少女の回答は明白だった。 「貴方のやろうとしている事は、必ず失敗する」 「……ほう」 少しだけ足を止めてみた。けど、それ以上の言葉は続いてこなかった。 俺は、そのままその場を後にした。 アルバートを探すのに要した時間は三日。この町のどこかにいるとはわかっているのだ、そこから先、一人の人間を探すのは、俺にとってはさほど難しくはない。 俺は許されざる者の中でも唯一と言っていい、探索と尋問に特化した退魔師だ。 相手の嘘を見抜き、真実をえぐり出し、時に必要な情報を強制的に接収する。そういう事ばかりをしてきた。 そんな俺にとって、日本ではまだまだ一般的ではないであろう外国人居住者を探すなんて事も、難しい事ではない。 そして、とうとう拠点を見つけた俺は、その住居に足を向けていた。 「さて」 懐の中身を確認する。特殊な霊具。俺が頻繁に使う、拘束具の一種だ。これさえあれば、退魔師とて拘束できる。 「おや、こんなところにいたのか、メトリー=ラルフ」 ぞくり、と背筋が凍った。 ゆっくりと、ゆっくりと振り向く。そこに、想像通りの少年が立っていた。 茶色にも似た金髪を揺らし、少年は俺に笑いかける。 「どうした、ラルフ。久しぶりの再会だというのに挨拶もないのか?」 「……は、は、そうだな、ゴールド=アルバート」 黄金のアルバート。イングランドの、いや、世界中の中でも稀有なほどに強い力を持った能力者。 「で、今さら君のような人間がこのぼくに何の用があるのかな」 「どうやら、隠しだてするつもりはないようだな」 「君相手に隠し事は意味を持たない。さしものぼくも、精神面にまで障壁を張るなんて化物じみた真似はできない」 だからいい、と肩をすくめる。 ――これは、非常にまずい事態だ。 俺自身の目的は、アルバートにはない。こいつはただの道具に過ぎない。だからこそ、不意打ちをして捕獲する必要があった。暴れられれば元も子もないし、本当の戦闘になれば、俺はこいつに勝つ見込みはまるでない。 「ラルフ。ロンドンから日本に来るのは遠かったろう? まずはゆっくり休んだらどうだ。家に案内するよ。狭いところだがね」 アルバートは無防備に俺の横をすり抜け、歩き出した。俺の戦闘力をそこまで侮っている、という事か。 だが、これは……、チャンス! 「はッ!」 素早く懐から手錠を取り出し、それをアルバートの手首にかける。ガチャリ、というロック音が聞こえた頃になってようやく、アルバートは視線を俺に向けた。 「何の真似かな、ラルフ。ぼくに関しては不干渉とする。許されざる者はそういう選択をしたはずだ」 「それがどうした。俺には関係がない」 こうなれば、状況は一挙に俺の優位へと変わる。霊能力が使えないアルバートなど、所詮はただの小僧だ。身体能力が特別に高いわけでもない。俺でも十分に抑えきれるだろう。 アルバートは、はぁ……、とやけに長いため息をついた。 「そんなに、ローラを殺したいのかな。君は」 どくん、と心臓が跳ねる。 それを表には出さないように注意しながら、問い返す。 「それは、どういう意味か理解しかねるがな」 「わかりきっているだろう。なんだ、穏健派のローラは急進派の君らには邪魔な存在なのかな」 「意味がわからない、と言っているのだが?」 「ビショップの権限を持つ君が言う事じゃないだろう、メトリー。君が知らないはずはない。あらゆる集団には派閥があり、対立が起きるものだ。一枚岩などありえない。ヨーロッパの歴史、世界の歴史とは、詰まるところそういう事だからね」 アルバートは拘束されているというのに、まるで余裕の塊だった。心の底から、俺などに自分をどうこうできるはずがない、と考えている姿だった。 「まったくもって馬鹿げていると思うけどね、ぼくは。人間というのは集団になるとすぐさま仲間を作り、そして自分の仲間にならない人間とは対立する。表面のお題目など無意味だ。要するに、全て対立するための嘘なんだからね」 「それをお前が知る必要はない」 「そうかな? 教えて欲しいもんだ、君たち急進派の考え方というものを。それを真に信じているという証拠を、ね!」 ずい、と迫るアルバート。その目は、嘘をついている目ではない。 「言っただろう。そもそも教会から離脱したお前に何かを言う権利があると思うのか」 「神はいかなる者にも平等に慈愛を分け与えてくださるだろうが、ぼくは君らのような全てを根絶やしにすればいいという考え方は理解できないものでね」 「はっ、悪魔を殺すために日本まで来たお前が何を言う」 「……そういえば、お前は知らなかったんだな。ラルフ」 「ッ――!?」 視線。 ただの、視線だ。こいつは、俺を、見ているだけだ。 なのに、なのに何だ、この刺すような殺気! ただ立っているだけで次の瞬間にも首と胴が離れていそうな錯覚は! 「私は、ただの一度たりともメンバーの死を願った事などないし、悪魔を根絶すればあらゆる問題が解決するとも考えてはいない。 だがな。こうせざるをえなかったのだよ。彼以外に可能性を持つ者はいなかった。武力であらゆる問題を解決できるとは言わないが、力なき言葉もまた意味を持たない。交渉とは、互いが対等の立場に立ってようやく可能となる」 な、んだ? こいつは、何の話をしている? 「あの時点で死導者の目的は未知数だった。殺せばいい、とは思わなかった。だが、こちらにも殺せるだけの可能性はあると、言うなれば力を見せつける事によってこそ、連中との和解の可能性も作れた。でなければ、あれだけ人を殺してきた連中と、言葉を交わすなどできるはずもあるまい?」 アルバートの指が、そっと俺の頬をなでる。 「そうだろう? メトリー=ラルフ」 アルバートの顔が、歪む。 髪が伸び、顔立ちがより一層、女らしく――否、女そのものとなる。 「どうかしたかしら? ラルフ。あなたが探していた人間は、ここにいるのよ?」 「あ、ば、そんな……!!」 フェリシア・ローラ・プリムローズ。 正真正銘、許されざる者たちの頂点に立つ、アークビショップ! 「ふふ、甘く見たわね。あたしの能力を」 フェリシアは流ちょうな日本語を操りながら言葉を続ける。 「七変化。日本語で言うところのね。それは、姿形を誤認させる、それだけのものだけど、あなたにはわかったかしら? あたしがアルバートではない、という事が」 顔だけがアルバートに戻り、またフェリシアの顔になる。ころころと変わる姿。ありえるはずのない光景。 さすがに、頭がクラクラとしてくる。 「あなたがしてくれた手錠も、ほら、この通り」 ふっと手が消えたかと思うと、手錠が落ちた。かつん、とコンクリートの道路を鳴らす。 「視覚。聴覚。嗅覚。触覚。霊的知覚。その気になれば味覚も騙せるわよ? アイスクリームの味でも再現してあげましょうか?」 うふふふ、と笑うフェリシア。その声が、幾重にも重なって聞こえてくる。 「あたしの能力を舐めないで欲しいものね。あたしの姿しか誤認させられないとは言っても、世界中にあたしの本体なんて存在しないのよ。千メートルの巨体を持つ化物にも、直径数ミリにも満たない小さな生き物にも化ける事ができる。見えているはずのあたしは実は虚構であり、何もない空間にこそあたしがいる。それが、あたしという存在」 うふ、と笑ったフェリシアは、それこそ悪魔のように見えた。 「さあ、急進派を自称する人間の考え、とくと聞かせて貰うわよ。精神が狂うまで、ね?」 あはははははは! 甲高い笑い声が、街中に響いた。 パチン、とフェリシアが指を鳴らす。 「教会に帰りましょう? 哀れな子羊。汝、恨むなかれ」 あはははははははははははは!! 俺は、薄れゆく意識の中で思った。ああ、お前の言う通りだったな、と。 名前も知らない悪魔の少女。 本当は、お前こそが、天使だったのかもしれない。 くそ。俺の人生は、ここで、おしまいだ。 チリン―― 鈴鳴る風の中、少女たちが歩いている。 「っかー、あの子も割とやるのねぇ。本当に容赦がないわ」 「あれでも人道的なものよ。彼女たちのやり方からすれば」 コツコツと、空を踏みしめる。鳴るはずのない音が鳴る。 「人間が生み出した、秘密を暴き出す方法など無数にあるわ。彼らが本気になり、相手の人間性など無視すれば、ありとあらゆる秘密を引き出す事ができるはず」 「……、拷問?」 「薬物や、不眠・絶食などでも人間の心は耐えられない」 けれど、と少女は視線を町に落とす。 見慣れた町並み。幾度となく彼女たちが訪れた、あるいは住まうと言ってもいいほどの場所。 「彼女にはそんな手段を使う気がない。本当に狂わせる気など欠片もないわ。彼女自身の力で、必要最低限の情報だけを集めるつもりよ」 「はぁ? あっまいわねー」 「それが、許されない者たちを束ねるという事なのでしょうね。少なくとも、彼女にとっては」 桜色の少女はわずかに沈黙。 チリン―― 「……人間ってさ、すぐにケンカするよね」 その表情は、先ほどまではなかった強い憂慮の色がある。 「ハバツだの何だの、あたしにはよくわかんないわよ」 「そうかしら? 例えば、私とルシフェル。同列の存在だけれど、貴女はどちらに味方する?」 「んなのアンジェラに決まってんじゃない」 「そういう事」 こくりと頷き、 「人は群れなければ生きていく事ができない。けれど、群れがあれば意見の対立が生まれるのも当然。組織を一つの生き物として保つなら、誰かは切り捨てられるわ」 「そして、切り捨てられた連中が、群れる?」 「そう。そうして、小さな派閥ができる。それはやがて、対抗勢力として大きくなる。どんな組織でも避けられない事よ」 「――そーんなもんかねぇ」 「残念だけれど」 群れ、争い、分裂する。そうやって人の歴史は続いてきた。人の業。 「小さな存在だから。一人では生きていく事ができないから。だから」 胸をかきむしられるような声を残しながら、少女たちは歩んでいく。 行く末は、遠い。 チリン―― |