普段、自分の言葉なんて意識はしない。
 思った事、考えた事をそのまま口にする。
 その影響なんて、気にするはずもなかった。


「んなの死ねばいいのよ。ただし誰もいないとこで。具体的に言うと路地裏か富士山のふもと」
 あたしは心の底からそう言った。
 今朝は最悪だった。飛び込みだかで電車が遅れてしまい、結局、いつもより早めに出たってのに三十分も遅刻した。しかも、飛び込んだやつが生きてるらしいって聞いたら、ますますムカつく。
「だよなー。ったく、ざけた事してんじゃねーよ」
 あたしに同意したクラスメイト。こいつもまた、あたしとおんなじ路線を使ってるため、おんなじように事故に巻き込まれたらしかった。
 あたしは教室の机の下で足を伸ばした。朝っぱらから先生のイヤミったらしい面を見たってだけで、気分も滅入りそうだった。
 と、チャイムが鳴った。二時間目の開始だ。
 それでもくっちゃべっていると、少し遅れて先生が教室に入ってきた。みんなが慌てて席に戻る。
「えー、授業の前に、話しておかなきゃいけない事がある」
 担任でもある教師はそう言った。
「一年の竹野って生徒を知っているやつはいるか? 部活はやってなかったらしいんだが」
 先生は日焼けした顔で教室を見回した。けど、誰も反応しなかった。
 あたしも、竹野なんて知り合いはいなかった。だいたい、二年のあたしらに一年生との接点なんて部活くらいしかない。その部活に入っていないんじゃ、知り合いなんか上級生の中にいるはずがなかった。
「いないならいい。ただ、知っている事があるやつがいたら教えてくれ」
「せんせー、何かあったの? そいつ」
 男子の一人が先生に聞いた。先生は少しばっかし機嫌の悪そうな顔で、
「あー、隠してもわかる事だから先に言うが、その竹野が自殺したらしい。今朝」
 自殺、という言葉に、教室が変に静まり返った。
「今は病院で安静状態だ。一命は取り留めたから大丈夫だろうと思うが、面会謝絶状態で詳しい話が聞けないらしい」
「もしかして今朝、電車に飛び込んだやつ?」
 先生は何も言わず、ただ頷いてみせた。
 って事は、あたしの遅刻の理由は、その竹野ってやつの責任なわけ?
 ……ムカつく。なんで死んでないのよ。死ねばよかったのに。
「もしかするとマスコミとかが取材に来るかもしれないけど、変な事を吹き込むなよ。知らないんなら何も知らないって素直に言う事。以上、授業を始める」
 先生が黒板の方を向いた瞬間、教室内が静かに騒がしくなった。
「ランちゃん、何か知ってる?」
 隣の席に座る友達が話しかけてきた。あたしは先生の方に目をやりながら、
「ううん。ぜんぜん知らない」
「あたしも。竹野ってなんで自殺したのかな。やっぱいじめ?」
「かも。うち、いじめ多いって聞くし」
 幸いと言うべきか、あたしの見ている範囲でいじめがあった事は一度もない。
 けど、他のクラスにはいじめもあるって噂は聞くし、上級生とか下級生でも似たような事はあるって聞いていた。だから、その竹野ってやつも、いじめに耐えかねて自殺したのかもしれない。
 しれない、けど。
「でもさー、その、竹野ってやつ? どんだけ迷惑かければ気が済むのよって話よね」
「そうそう! 電車とか止めるとすっごい請求されるんでしょ? 親がかわいそー!」
「電車会社はお金もらえるからいいかもしれないけどさ、遅刻したあたしはどうなるんだっての。一円も貰えないわけじゃない?」
「じゃあ貰っちゃえば? どうしてくれるんだー、って」
「はは、それいいかも」
「こら、村上。うるさいぞ」
 顔を上げると、先生がこっちをにらんでいた。あたしは適当に返事をし、前を向く振りをした。

 夕日の色に染まった道を歩く。
 最も暑い盛りは過ぎて今は残暑のはずだけど、それでもこの時間、まだまだ暑かった。異常気象だかなんだか知らないけど、いい加減にして欲しい。
 あたしはうんざりしながら帰り道を歩く。と、その前に女の人が立ちはだかった。
 キレイな人だ。この暑いのにスーツなんか着ている。アンケートか何かかな、と思った直後、女の人が口を開いた。
「あなた、竹野真って知ってる?」
「はぁ? あんた、あいつの知り合い?」
 竹野といえば、今朝の自殺したバカの名前だ。もしかして、この人が先生の言っていたマスコミってのだろうか。
「もしかして、知ってる? 真の事」
「……真?」
「そう。私、あの子の姉なの」
「お姉さん……」
 今朝の先生の話を思い出す。竹野という生徒は電車に飛び込んで自殺を図った、けど生き残った。
 友達の話を思い出す。いじめに遭っていたのかもしれない、と。
「何か知っていたら、教えて欲しいんだけど」
「何かって、それ――」
 あたしはちょっと周囲を見渡して誰もこっちを意識していない事を確認してから、続ける。
「自殺した理由、って事?」
「そう」
 こくん、とお姉さんは頷いた。
「でも、そんなの、自殺した本人に聞けばいいじゃない」
「聞いてない? あの子は面会謝絶。親兄弟でも、あの子には会っちゃいけないの」
「なら、回復するまで待てば?」
「それまで待っていたら、またあの子が自殺してしまうかもしれない」
 ふうん。
 正直、どうでもよかった。自殺するような奴にはそれなりの理由があるんだろうし、死ぬなら勝手に死んでいいと思う。それがあたしの迷惑になるようなら困るけど。
 ……いや、可能性はあるんだ。また電車にでも飛びこまれちゃたまったもんじゃない。それだけはやめて欲しい。
「私はね、あの子が死ぬような理由があるなら、それを知りたいの。取り除けるかわからない。でも、何も知らないで家族を失うなんて事はしたくないの」
 ずい、と迫るお姉さん。その態度には、どこか気迫が漂っていた。
「そ、そんな事を言われても、あたしだって詳しい事は知らない……、です」
「じゃあ、ちょっとでも知っている事を教えて? あの子の知り合いでも、何かの噂話でもいいの。とにかく、あの子が死ぬような理由、その手掛かりをつかみたいの」
「そ、それなら、学校に行けばいいじゃないですか」
「学校の中には入れないのよ」
 ふう、とお姉さんはため息にも似た息を吐いた。
「学校って特別なところでね。私みたいな部外者は簡単には入れてくれないの。大学とかならごまかして入る事もできるかもしれないけど、高校じゃね。まさか今さら制服を着るってわけにもいかないし」
 そうだ、とお姉さんは鞄からちっちゃなケースみたいのを取り出した。
「これ、私の名刺。何か気付いた事があったら連絡して」
 あたしの手に強引に名刺を押しつけると、お姉さんはあたしの名前も聞かないまま、少し離れたところにいたうちの生徒に声をかけに行った。
「気付いた事、って言われてもさー……」
 手の中の名刺を見つめる。あたしにできる事なんか、何もない。
 それでもさすがに捨てるわけにもいかず、適当に鞄の中に放り込むと、あたしはクソ暑い道路を歩き出した。

 竹野の自殺は、すぐさま学校中で噂になった。
 それは、あたしの耳にも届いてくる。聞く限りは尾ひれだらけで正確なところなんか全然だけど、その中でもいくつか重なる部分を考えると、本当の事もあるんだろうと思った。
 それだけを抜き出せば、やっぱり竹野はいじめを受けていて、それを苦にして自殺したんじゃないかという事。きっかけになるほどの強い出来事は噂にもなかったけど、原因が何かと言われれば、きっとそういう事になるんだろうと思う。
「いじめ、ねぇ」
 それは、本当に死ぬほどの事なんだろうか。あたしにはよくわからない。
 机に突っ伏していると、友達が近づいてきた。
「どしたのランちゃん。ユーウツそうな顔して。宿題でも忘れた?」
「んなわけあるかってのー。ちゃんと持ってきてる。……まあ中身はあれだけど」
「ほうほう、品行方正で立派な事ですなぁ」
 うんうんと頷く。
「というわけで品行方正で立派な女生徒君。かし」
「お昼のジュースで手を打つ」
「最後まで言わせろぉ!」
「いいじゃん別に」
 鞄をごそごそやりながら、ふと思いついて、聞いてみる事にした。
「あのさ、竹野の事って何か聞いた?」
「あの自殺した一年? んー、特別には。なんかいじめ受けてたって事くらい?」
「ふうん。そっか」
 聞いていないなら仕方ない。あたしはノートを手渡す。
「ありがとー、マジ助かる」
「次は助けてよね」
「にはは、まあね」
 ノートを手に立ち去ろうとした友達は、ふと思い出したように、振り向いた。
「そういえばさ、竹野って奴。東通りの方によく行ってたみたいだよ」
「東通り?」
 学校から出ると、駅とは反対側の方向にある通りだ。あたしは滅多に行かない。雑居ビルとかも多くて、ちょっと空気の悪いとこでもある。
「何してんだろね、そんなとこで」
「さあ。いじめられてたんじゃないのー」
 くすっと、笑い、友達はそのまま立ち去った。
「東通り、か」
 鞄を見る。そこには、あの竹野のお姉さんの名刺が入っているはずだった。
 東通りの事、教えてあげるべきなんだろうか? でも、確かな情報じゃないし、何よりめんどくさい。
 それに、そんな事を話したら、余計なトラブルに巻き込まれる可能性だってある。それを考えれば、話す必要なんかないだろう。
 だいたい、あたしは竹野の知り合いでもなんでもない。むしろ被害者だ。そんな奴のために、このあたしが何かをしてやる理由があるだろうか。
「ばからしい」
 何を考えていたんだろう、あたしは。
 考えるのをやめて、再び机に突っ伏した。

 今日は珍しく学校を出るのが遅くなってしまった。それもこれも、あの変態教師が悪い。なんであたしにだけ手伝いを頼むのよ。絶対に下心があったに決まってる。
 嫌な気分で学校を出ると、校門のところに見慣れぬ人の影があった。
 女の子。人待ち顔で壁に寄り掛かっている。それは、まあいい。問題は服装。
 目立つ格好だ。最近は色んな格好が増えてきたけど、和服と洋服を組み合わせるというファッションは見た事がない。でも、ちょっと可愛いかも。
「お」
 女の子はあたしを見るなり、つかつかと近づいてきた。
「こんちはー」
「こ、こんちは?」
 つい挨拶を返してしまう。それから、じっと顔を見つめた。
 やっぱり知らない顔だ。そりゃ、こんなファッションしてる人、一度でも見ていたら忘れているはずがない。知らない顔なのも当たり前って感じか。
「ねね、あんた、ちょっとあたしに付き合ってよ?」
「――はぁ?」
 初対面で、この子はいきなり何を言い出すんだろう。頭がちょっとおかしいんだろうか。いや、すごく。
 あたしは無視してそのまま歩き出そうと、
「竹野真の事、知りたくない?」
 思わず、あたしの足が止まった。
「……あのね。あたしは、竹野って奴とは会った事もないのよ?」
「ん、知ってる。でも、あんた、竹野の事はちょっと知りたいんじゃない?」
「だからぁ! なんであたしが知りもしない奴の事を知らなきゃいけないのよ!?」
 しつこい。そう思うと、イライラしてくる。
 そうだ、そもそもあたしは竹野なんて奴とは関係さえない。それなのにこんな、わけわかんない人にまで絡まれて、いい迷惑だ。
「あたしは関係ない! あんたは誰だか知らないけど、あたしを知らない奴の事に巻き込まないで! だいたいあたしは被害者だよ!? なんでそのあたしがあんな奴の事を知らなきゃいけないのよ! あんな奴、死ねばよかったのに!」
 ぴたり、と女の子の表情が固まる。
「本当にそう思う?」
「あ? 何が?」
「本当に、死んだ方がよかったって思う?」
「な、何よ。急に」
 急に、なんで、そんなにも雰囲気が変わるの!?
 女の子は構わず続ける。
「そりゃね、世の中には死んだ方がいい人間ってのもいるかもしれない。大半の人にとって、赤の他人の生き死になんてどうでもいい事かもしれない。
 それは、まあ仕方ないわよ。生きている人にとって、死んだ人間にいちいち構っていられないってのはわかるし、知りもしない人がどうなろうと、それに関わっていたらキリがないもん」
「じゃ、じゃあ、何よ、問題ないじゃないの」
「関わらないのは、まあいいわ。他人の事だもんね。でもね。無関係だからって死を願うのは許せない」
 ずい、と女の子が迫る。
「だって関係ないのよ? 全然。なのに、どうしてその死を願えるわけ? 死ぬって事の意味わかってる?」
「な、何よ。いけない事とでも言うつもり? 命は大切だー、とか」
「そうね、大切。だけどそんなの、言葉でわかる問題じゃないし、あたしはそんなに口もうまくないから言わないけどね」
 すっ、と女の子は手を差し出した。
「一緒に来なさい。死を選択する人間なんてあたしには理解できない。でも、あんたはできる」
 そこで、ふと思い出したように、女の子は目をぱちくり。
「そうそう。あたしは志野ケイ。よろしく」
 強引にあたしの手を取り、志野はそう言った。

 人が死を決意する事、なんて、あたしだって多少は想像がつく。
 しかもそれがガラの悪い場所に出入りしていたいじめられっ子ともなれば、おのずと結論なんか出てくる。
「だから、行く必要なんかないわよ」
「そうね。あたしが教えたいのはそんな事じゃないわよ」
 つかつかと道を歩む。行く先は、やっぱり東通りだ。
「知らない生徒の自殺の理由なんか知っても仕方ないでしょ? それこそ赤の他人だもんね」
「そりゃそうよ。あたし、竹野って生徒の顔も知らないのよ?」
「そう。顔も知らない、どんな人かも知らない、ただ自殺した生徒の名前を知っているだけじゃ、何を知ったところでそんなに心は動かされないかもしれない。
 でも、知っている人なら? 顔も声も存在も、その性格さえなんとなくでも知っていたらどうかしらね」
 ……は?
「少しでも知っている相手なら多少の関心は持つわよね。そういう最低限の『知り合い』が苦しんでいる姿を見た時、あんたはどう思う?」
「んなの、何も思うわけないじゃん」
「あれも?」
 ケイが指した先。そこに、頭を下げる女の人がいた。
 その人は見るからにヤバそうな男の人にぺこぺこと頭を下げている。男の表情はニタニタと笑うばかり。見ていて、胸が気持ち悪くなる。
「あ、れ……」
 あたしは、その人を知っていた。
 名前は覚えていない。けど、鞄の中を探せば、きっとあの人の名前も見つかる事だろう。
 竹野の姉。あの人は、そう名乗っていた。
「あの人が、なんであんな事できるか、わかる? どう見てもヤバそうな連中。頼んだって言う事なんか絶対に聞かないだろうし、どころか身の危険さえあるってのに」
 志野もまた、竹野の姉を見守るだけで、手を出すつもりはないらしかった。それこそ、身の危険さえ迫っているというのに、平然と。
「理由は簡単。弟が自殺したって事、それがショックだったからよ」
「ショック、だから? 死なせたくないとかじゃなくて?」
「人によってはそういう場合もあると思うけど、あの人はただ純粋に、自分が弟が死ぬほど追い詰められていたって事に気付かなかったのを後悔してるのよ。だから、今度はそんな事がないように、あっても真っ先に自分が気付けるように、今も原因を探しているの」
 ふ、と自嘲のような笑いを浮かべた。
「あるいはそれも、自分のためなのかもね。誰かのためでなく。
 自分が苦しみたくないから、人のために動く。それも立派な理由よ。だって、それで救われる人は確かにいるんだから。
 過程はなんだっていい。結果さえ良ければ、理由も何も関係ない」
 ……。
「あ、あんなの見ただけで、あたしが心を動かされると思うの?」
「あれ見て何も思わないような人なら説得の意味なんかないわよ」
 どこか達観したようなところがある。ふと、そう思った。本当に志野は同じくらいの年なんだろうか?
「……、ねえ、あんた、何者なの」
 それは、自然と口をついて出た疑問だった。答えようもないはずの疑問に、けれど志野は答える。
「あたしは死導者。死を導く者」
「死を、導く?」
「そ。死ぬってね、本当に辛い事。それが自分自身の選択でも、運命ってのに翻弄された結果でもね。だから、あたしはそれを自分で選べる人間が信じられないし、それを望む人がいるなんてのも信じたくないの」
 何を言っているんだ、こいつは。
 真剣な顔で、こんな往来のど真ん中で。
 ……でも。
「今回だけだかんね」
 そう宣言し、あたしはお姉さんに近づいて行く。一人より二人。二人よりたくさんの方が安全だし手っ取り早い。
 だって、今は、志野の言う事――ちょっとだけ、正しいって思えちゃったから。
 背後で志野がくすりと笑ったような、そんな気がした。


 高校生、社会人、死者。
 ちぐはぐ過ぎる組み合わせの三人組を眺める少女は、ぽつりと呟く。
「生きる事は、辛い事」
 苦しみも幸福も、生きてこそのものだろう。
 けれど、幸福よりも苦痛の方が、何倍も何倍も効力を発揮する。
「だからといって、死を願ってはならない。まして他人の死など」
 それは、生きている者の条件。
 誰かの死を願ってはならない。それは、理屈でもなんでもない、殺す事がいけないのと同様にいけない事。
 言葉は現実を引き出してしまうのだから。
「貴女も、言葉の持つ重み、少しは理解できたかしら?」
 チリン――
 鈴の音色が導くまま、少女は獣と共に姿を消し去る。
 ――少しは心に留め置いて欲しい。言葉は何の力も持たない、それゆえにどこまでも届き、なんでもできてしまうのだから。
 風の音に、高校生は顔を持ち上げる。けれど何かが見える事はなく、首を傾げ、また前を向いた。
 そう、それは、なんという事はない風の音。
 死者の言葉は、生きとし生ける者には届かないのだから。
 チリン――。



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