教会の外に、庭となる部分があった。案外と広いのは、ここでミサか何かでもやるんだろうか。
 そこで対峙したあたしは、目の前の男をにらむ。
「あたしはね、別にあんたと戦いたいわけじゃないのよ。狐さえ諦めてくれればそれでいいわけ。なんでわかんないかなー?」
「うるさい!」
 男はぱらりと書物を開く。
「『遠くにいる者は疫病で死に、近くにいる者は剣に倒れ、生き残ってとどめられている者はききんで死ぬ。彼らへのわたしの憤りは全うされる』!」
 霊力が刃に通う。あたしの刃とは比べるべくもないちゃちな代物だけど、刃は斬れさえすればいいんだから、あたしよりずっと優れた技術があれば向こうにも勝ち目があるのかもしれない。
 まあ、んな事はありえないんだけどね。
「そらァ!」
 くるんと返した短刀を手に突っ込んでくる男。あたしはそれをしっかりと見据え、
「ケイ!」
「ッ!」
 反射的に体をひねる。
 それでも、迫った刃は避けきれない。仕方なしにあたしの剣で受け止め、斬り飛ばした。
 ごろりと転がり、距離を置く。その間を埋めるように、上から飛び込む影。
 チリン――
 見慣れた背中と、見慣れない背中。
 アンジェラと……、瑠璃?
「間に合ってよかった。ここまで来てしまうとは思っていなかったわ」
 アンジェラは手であたしに下がるよう指示を出す。あたしは適当にアンジェラの後ろに回り込みつつ、
「何よ、瑠璃まで引っ張り出してきて。どういう事?」
「ただの試験のつもりだったのだけれど、そういうわけにもいかなくなった、そんなところね」
「は? 試験?」
「詳しい事は後で。まずは……、あの男をどうにかしなければならない」
 瑠璃と退魔師、二人が正面から対峙する。アンジェラとあたしはその後ろに。
 狐は、明らかに怒っていた。
「主が翡翠をかどわかしたのじゃな」
「化狐が何か言葉を発したところで、俺の耳には届かない」
 ぴくり、と瑠璃の耳が動く。
「念のため聞いておこう。主、あてらが何者であるか、あてらという存在はどういったものであるか、全て理解してなお、そのような行動に出ておるのじゃな?」
「知っているとも。化物だ。数百年、あるいはそれ以上に生き永らえ、人々を騙し、喰らう事さえできる悪魔そのものだ」
「――そこまで知っておって、なおかような行動に出るのじゃな」
 見ていて、わかる。
 瑠璃は、本気だ。
「あてらもの、人の子と関わろうとせぬ。じゃから知らぬのも道理、知らぬがゆえの無礼はあてらの非じゃ、どうこうは言わぬ」
 狐の姿が、揺らぐ。
 ゆらゆら、ゆらゆら。
 その姿は、そこに実在しているのに存在していないかのごとく。生きているはずなのに死んでいるかのごとく。
「じゃがの、主は知っておる。あてらが何であるのかを。その上で働く無礼の数々。いかに狐の懐が広かろうとも、侮辱されてなお赦しを与えるほどおとなしゅうない!!」
 狐を取り巻く、炎。
「見ていなさい、ケイ。あれは、私たちには不可能な技術よ」
 アンジェラの声も、どこかうわずって聞こえた。
 それほどの光景。それほどの、圧倒的な量を持つ生。
「人にあらざるがゆえの、自然との一体化。その流れを汲み、導き、練り上げ、生み出すことができる者」
「これ、が、狐?」
 瑠璃の業は単純にして明瞭。自然の生を炎のように揺らし、高熱にしているだけ。
 ただそれだけの事。けれども、それを『自然の生を使って』やるとなると、難易度は極端に異なる。言う事を聞かない自然の生を使うのだから、無理もない。
 それを、瑠璃は平然とやってのけている。
「ふん。炎か」
 それを見て、男は欠片も動揺を見せなかった。
 驚いていないわけじゃない。理解、していないんだ。
「火を出す曲芸くらいならば、俺にもできる」
 男は左手に何かの書物を持ち、
「『わたしはあなたがたをかり集め、あなたがたに向かって激しい怒りの火を吹きつけ、あなたがたを町の中で溶かす』!」
 生み出されるは炎。焼け付くような生。
 けれどそれは、人の生で。人が生み出せる程度の生でしかなく。
 彼は気付いていない。瑠璃の業、それがどのような意味を持つのか、それがどのような力を持っているのか。
 だから、あんな無謀な行動に出られる。
「そらぁ!」
 炎と炎の激突。熱波があたしの頬を凪ぐ。
 それでも一歩たりとも動けない。今、ここで動けば、あたしまでもが瑠璃に殺されかねないから。
「その程度か。人としての限界ではないか」
 熱気に包まれる中、瑠璃は、一歩たりとも引く気配を見せなかった。
「人としての分さえ超えない身であてを愚弄するか。狐を舐めるでないわッ!」
 風が吹く。それはすぐさま瑠璃にまとわりつき、小さな渦と化す。
「主ら人間の力は決してあてらに届く事はない。それが力の絶対なる差。人は差を数で、知恵で、それが必要とされぬ世界を作り上げた。ああ、立派なものじゃ。だからあても主らが愚かなどとは言わぬ。
 じゃが! 主は確実に阿呆じゃ! 己の身分をわきまえる事さえ知らぬ小僧が粋がるでないわッ!!」
 炎と風が一体化し、巨大な化物のようにさえ見える。
 これが、瑠璃の業。
「あ、あ……」
 ようやく理解したのだろう。自分の行動の意味を。
 だけど、もう遅い。瑠璃は完全にぶち切れた。あれは下手に止めれば、止めようとした者さえ巻き込み、消し去る事ができる自然の生。考えなしに関わっていいものじゃない。関われるものじゃない。
 元来、自然ってそういうものなんだ。人間が思い通りにできるものじゃない。それを、人間が偉いって根拠なく思い込んで、自分の思い通りにさせようとするから、ひずみが生じる。
 自然に生まれたひずみは、たとい小さくとも、大きな影響を与える。それは、扱うものの大きささえ示しているように思えた。
「くそぉ! 『ラッパが吹き鳴らされ、みなの準備ができても、だれも戦いに行かない! わたしの燃える怒りがそのすべての群集にふりかかるからだ』ぁ!」
「難しい事を言うなや。あてにもわかるような言葉を使うてくりゃれ」
 男は首にかかっていたストールを振り払う。すると、ただの布切れは硬くなり、まるで剣のような姿となった。
 実際に他人を傷つける可能性を持つ刃、それを前にしてなお、狐は揺るがない。揺るぐわけもない。
 人の子が作った何かなんて、大自然の前じゃちっぽけな存在でしかないんだ。
「少し頭を冷やしたらどうじゃ?」
 くい、と尻尾のひとつをまわす。動きに合わせるように、ぽつり、ぽつりと水滴が落ちてきた。
 見上げる。いつの間にか、空に暗雲が立ち込めていた。
 ぽつぽつと降り始めた雨は、やがて本格的な雨となる。それでも瑠璃の周囲を泳ぐ炎は消えないし、風も吹きやまない。
「人の分をわきまえぬ痴れ者めッ! 恥を知れ――!!」
「だっ!?」
 衝撃。爆風と気付くのは受けた後。
 足腰に力を込めなければ立っている事さえできなくなりそうな風圧にただ耐え、それが切れる頃になってようやく、前を確認する事ができた。
「……え?」
 そこは、何も起きていなかった。
 ただ、退魔師の男が倒れているだけ。それ以外には何の変化もない。庭の雑草は相変わらずだし、少し薄汚れてしまった教会の壁もそのままだった。
「あれ、え? 今、だって、すっごい火の玉が……?」
「ケイ。こんな言葉を知らないかしら?」
 アンジェラだけは何が起きたのか理解しているように、くすくすと楽しそうに笑っていた。
「狐に化かされた」
「――あ」
 きひひ、という笑い声が、なんだかすっげームカついた。

 狐の子供は教会の中、やったらめったら十字架が並んでいる部屋で丸くなっていた。
「いやあ、面倒をかけたの。あてもこんなつもりではなかったんじゃが、終わり良ければというやつじゃ」
「それはいいんだけど、きちんと説明はしてくれるんでしょうね?」
 瑠璃をにらむと、狐は楽しそうに笑うのみ。
「……アンジェラ」
「何かしら?」
「斬っていい?」
「だめ」
 こんなに斬りたくなったのは久しぶりだわ。今ならなんか必殺技的なものが出せそうな気がする。
「まあまあ、そう怒るでない。別にからかっているわけではないのじゃ」
「どう見てもからかっているようにしか見えないんだけど?」
「ただ楽しんでおるだけじゃ」
「よーしそのまま動くんじゃないわよー」
「ケイ。やめなさい」
 今、本気でちょっと斬りそうになった。自制心が勝ったけど。
「瑠璃。あまりこの子で遊ばないで欲しいのだけれど」
「きひひ、よい部下じゃの。お主もかような者を従えるようになったわけじゃな」
「そうね。長かったわ」
「言ったであろう? 終わりが良ければ過程は苦しくてもいいのじゃ」
 さて、と瑠璃はあたしを見上げる。
「事の次第を話そうかの。よいか、ケイ。あてら狐は他種族を信頼せぬ」
「あんたたちが信頼してもらえない、の間違いじゃない?」
「そういう側面もあるがの。狐、特にあてやこの子のように普通の獣ではなくなった狐にとってはの、他人とはあてらの力を利用しようとする存在なのじゃ。お主やアンジェラが、あてらを頼ってきたようにの」
「あたしらは利用しようとしているわけじゃ――!」
 勢い前に出たあたしを、無言で挙げられた手が引き留めた。
「いいのよ、ケイ。事実だわ」
「だけど!」
「この問題は死導者の問題。元来ならば死導者だけで片を付けるべきもの。それを、獣の力を借りたのは私たちの勝手よ」
「だけど、それは……」
 言葉はうまく続かなかった。
 確かに、少なくとも瑠璃には関係のなかった話だ。相手がどんな奴なのか知らないけど、あたしたちを狙った次に瑠璃を狙う、という事もないように思う。それに、仮に瑠璃が狙われたとしても、きっとなんとか騙して逃げおおせるだろう。
 問題に巻き込んだのは、あたしたちだ。
「話を続けてもよいかの?
 あてらは信頼はせぬ、じゃが信用くらいは置く。どの程度は任せても問題ない、仮にあてらに危険が及んだ時、どう行動しておけばあてらは傷を少なく済ませられるのかがわかっている。そういう事は大切な事じゃ、生きるためにはの」
「性格の悪い言い方ね……。それじゃピンチの時は逃げるって言っているようなもんじゃないの」
「まさにその通り」
 ぽん、と尻尾で床を叩く瑠璃。割と真剣、に見えた。
「あてらにとって最も大切な事は生きる事じゃ。他の何でもない。そしられようとも、あてらは生か死か選ぶとすれば生を選ぶ。誇りはその次、それ以外はどうでもいい事なのじゃ」
「生きる事を、優先」
 生き物としては、あるいはそれが自然な事なのかもしれない。あたしには真似できそうにない。
 それは、あたしが生き物じゃないからだろうか。
「アンジェラは見知った者じゃ。あ奴の性分はようくわかっておる。口ではなんとでも言うじゃろうが、優しい子じゃ。それに真面目すぎる」
「同意するわ」
「ケイ……」
 アンジェラが何か言いたそうにしている気がする。まあ気にしない。
「しかしの、あてらはお主は知らぬ。じゃから、お主が面倒事を頼まれ、危機があった時、他者のために何をするのか。それを、あては試したかったというわけなのじゃ」
「んで、試験、ってわけね」
 つまり、子狐がいなくなったってのは最初からただの嘘だった、という事か。狐探しをさせ、最初は瑠璃なり他の狐なりが悪党としてあたしの前に立ちふさがる予定だったんだろう。
 ところが、あの頭のおかしい退魔師の乱入で、予定がずれてしまった。
「それで? あたしはその試験とやらに合格したわけ?」
「勘違いしておらぬか。あてらはお主を試しただけに過ぎぬ。合格とか不合格ではないのじゃ。どういう時、お主がどういう考えをするか、それを見たかっただけなのじゃからな」
「なんでもいいわよ。あんたがら協力してくれんのかどうか、それさえ教えてくれればね」
「そうじゃな……」
 きひひ、と笑った狐は子狐をくわえ、ひょいっと背中に放り投げた。
 子狐を背中に乗せ、瑠璃は尻尾を振り振り歩き出す。
「お主は面白い奴じゃ。あては、面白い奴は大好きじゃよ」
 とーん、と教会から飛び出ていった金色の軌跡を見送り、あたしはため息をつく。
「なんか、疲れるわね。狐って」
「嫌だった?」
「そんな事は言ってないじゃない」
 あたしの答えに、ふふ、とアンジェラは楽しげだった。



 チリン――
 黒い獣を先頭に。続く小さな少女の影。最後尾を歩む眷属は、前を歩く上司に問う。
「これから、どうするの?」
「どうって?」
「いや、なんかさ……」
 想いを表す言葉は見つからない。その中で、生まれてきた言葉を練りながらも口にする。
「なんか、いつもの感じじゃない、って言うか。マリアとかアルバートとかガブリエルとか、アンジェラの敵になるような奴って何人もいたけど、みんな隠れたりしなかったじゃない?
 だけど、今回の相手は姿が見えないんだもん。なんかこう、やりにくい。めんどくさい。陰険な奴は嫌いなのよ」
「そうね。とても人間らしい相手だわ」
「お? 人間よりも人間寄りなアンジェラにしては珍しい発言」
「ケイ。貴女はマリアやガブリエルと戦うとなった時、足を止める事はあった?」
 脈絡のない質問に刹那、回答を躊躇しつつも、部下は上司の質問に答える。
「そんなのあるわけないじゃない。アンジェラの敵を殺すのに迷う必要なんかないでしょ?」
「そう、貴女は迷わない。常に一つの芯を持っている。
 けれど、多くの人間はそう強くない。揺るがないものを持たないの」
「んー、そうかもね」
「だからよ。強くないのであれば、揺るがぬものを持たぬのであれば、別の手法で守るしかない。それは直接に接しない事であり、私たちを殺そうとする事もまた、その一部なのかもしれないわね」
「……弱いから、か」
 理解できない。そう言わんばかりに、桜色の少女は首を振る。
「自分が助かれば他の人は傷ついてもいいなんて理屈、ありえない」
「人によってはそれが最良なのでしょうね。多様な価値観、私は好ましいと思うわ」
「何よ、アンジェラは敵の味方をするわけ?」
「そうではないわ」
 チリン――
 少女が首を振る。長い黒髪がふわりと揺れる。
「敵は敵。だけれども、誰とも知れない『彼』のその性質、それは私が人間と共に歩もうと思った、その理由でもある。
 人は弱い。だからこそ私も意味がある。そして、弱いだけの人を殺すのではなく変える事もできる。教えてくれたのは貴女よ、ケイ」
「あ、あたし?」
 こくりと頷き、
「ええ。私たちを変えてくれた貴女。終わらぬ死を導くだけの私たちとは違い、生きてこその死を導いた貴女。だから私は、信じる事もできる」
 そう、と少女は続けた。それはどこか、ひとり言のようでもあった。
「変えられる。人は、変わる事ができる」
 チリン――



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