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あたしはずっと暗闇の中にいた。 今更、恐怖だの痛みだのに興味はない。 そんなものはもう飽きちゃったわよ。 あたしはひとり、空を歩いていた。あたしの気紛れなご主人様は、いつもの病気(ホント、病気って形容が一番よね)のせいでどっか行っちゃった。しがない眷属稼業は辛いわね。 お化けってのが最も近い存在のあたしは、当たり前だけど足音なんかしない。時刻は深夜で、眼下の住宅街は街灯以外の明かりも見当たらず、さびしい限り。せいぜい、冬の寒空に美しく輝く星だの半月だのしか見て楽しいものもない。 眠る必要がないあたしは、最高に暇を持て余していた。 「…………ん?」 気のせい、かしら。ううん、違う。確かにこの気配は……この感じは、殺気だ! 思うやいなや、あたしは横っ飛びに跳ねた。一拍遅れ、あたしが歩いていた空間を光線が焼き尽くした。 「何よ、名乗りもしないのがあんたの流儀?」 あたしは見上げて叫んだ。頭上に、怪物が浮いている。 「――死導者の第三番、サタンだ」 ゆっくりと降りて来たその姿は、まさに化物とか怪物っていう表現が似つかわしいものだった。人型の肉体に、コウモリのような翼が背中から生えている。額には鋭い角、その下の顔はヤケドしたみたいにただれている。肌は褐色で、下半身は緋色のズボンに覆われていた。 …………趣味ワル。 「見たところただの変魂でもないようだが、何者だ」 「……八番目の死導者の眷属、志野ケイ」 あたしが名乗ると、サタンは驚いたように目を見張り、すぐに嬉しそうに笑い出した。 「はっはっは、そうか! あの死喰いに眷属がいたとは! 死を導き、あらゆる魂を食らう力を持つ存在・死導者すら狩り殺す異端の死者に、部下がいたとはな!」 耳障りな声、ね。 こいつ、確か三番目って名乗ったわね。って事は、三番目の死導者って事よね。つまり、主の敵の中の三番目って事――。 そこまで考えて、あたしは木端を取り出した。あたしには、握りを中心に刀身を形成する能力がある。それが生命力から作られた存在なら、何であろうと切り裂く力を持つ刀身を。 それが生者だろうと死者だろうと、存在する限りは生命力でできている。 「つまり、」 あたしは走り出す。 「あたしの刃は、」 一瞬にしてサタンの目の前まで近付く。 「何だって切り裂く」 あたしは、サタンに向かって刃を振り下ろした。 瞬間、サタンは体をひねった。あたしの一撃をかわし、ひねった動きを利用して回し蹴りを放つ。 足が左腕にめり込む感覚――それを感じている暇もなく、あたしは蹴り飛ばされた。 空を強く踏んでとどまり、サタンを睨みつける。蹴られた左腕が、痛かった。 「ふむ、剣士か」 サタンが翼を開く。まるで……宗教画の悪魔そのもののように。 「なれば、」 あたしの視界からサタンが消える。すぐに左右を見渡して、 「剣が使えねば怖くないという事だな」 目の前にサタンがいた。反応する間もなく、あたしの右腕をサタンがつかむ。 「がッ――!」 万力に締め付けられるような激痛。あたしは思わず、握りを取り落とした。 「もっとも、私は恐怖を感じた経験がないのだがな」 サタンは笑う。軽やかに、明るく。 「死喰いの眷属もこの程度か。つまらん。まあ、よい。貴様の生……うまそうだ」 「……あんた、いままでどんだけ喰ったの」 不利な状況で、なおもあたしの闘志は消えていない。サタンはあたしに睨まれ、その気色悪い顔を、喜色に染めた。 「数など覚えていないな。なに、たいした数じゃあないのだが。普通の人間など、薄くてまずいからな。貴様のような者を除けば、私は喰った覚えがない。ただ――食事の回数には興味がないだけだ」 あたしは、歯がみした。こんな奴に手が出せないなんて! 握りがなければ、あたしは何もできない。刀身だって作れ、ない……? 「あれ?」 どうして作れないんだろう。言い方を変えれば、作れないって誰が言った? そうだ。ただ単に手に生を掴もうとすれば、形のない生は掴めなくて、あたしの手まで切り落としちゃうからだ。 たとえるなら、それは包丁を握り締めるようなもの。あたしが作るのは刀身であって、柄じゃない。 なら……なんとかなる。 あたしは左腕で右腕を掴んだ。サタンに掴まれている右腕を。 「どうした? 痛いか?」 笑うサタンに視線を送り、あたしは笑った。 「――痛みなんか忘れた」 そのまま、あたしは左手に刀身を作った。 「なッ!?」 サタンが思わずあたしの右腕を取り落とした。あたしは左腕で自分の右腕を掴み、腕を中心に刃を作る。そして、一動作で突き込んだ。 ひゅっという風切り音。そして、サタンの右腕が空を舞った。 そこまでされてようやく、サタンは動き出した。あたしから逃げるように、まるで恐怖を感じているかのように。 サタンは左腕で右腕のあった場所を押さえた。切り口は真っ黒で、何かわけのわからない煙みたいなものが吹き出ている。 「き、さま……バケモノか!? 自分で自分の腕を切り落とすなど!?」 あたしの能力は刀身を作る。あたしは右腕を掴み、手の平に剣を作った。 当たり前だけど、あたしの腕はあたしから離れる。本当はサタンの腕でも掴んでもよかったんだけど、こいつの腕は太すぎるし、何よりこんな奴には触れたくもなかった。 「知らなかったの? あたしはバケモノよ。あんたと同じ、ね!」 あたしは腕を握り締め、走り出す。サタンの顔が初めて恐怖に歪んだ。 「ぬ……あああ!」 恐怖をかなぐり捨てるように、サタンは憤怒でその顔を彩る。冷静に考えれば、サタンの方が優位なのに変わりはない。ただ、あいつはもう駄目。だって、あたしに恐怖したから。計り知れないもの、未知のもの、そういうものに恐怖した。恐れてしまったら、もう勝ち目はない。 サタンは左腕で突き込む。あたしは軽く身をひねり、気にせず駆けた。 全力で、突く。サタンが、避ける。サタンが、突く。あたしが、避ける。その応酬。繰り返される攻撃と回避の合間に、あたしは隙を見つけた。すごく小さな、けれど、決定的な隙を。 「やあッ!」 あたしは剣を振るう。無敵の刀身は、サタンの左肩から腕を斬り落とし、片翼の半分を斬り飛ばした。 「お……」 反射的にあたしから逃げ、サタンは自分の左を見た。そこにあるはずのものは、もう存在しない。 「おお……」 わなわなと右腕を左肩に持っていこうとして、しかし何もない右では、何も掴めない。 「おおおああああぁぁぁぁッ!!」 サタンの怒りに満ちた声が響く。腹の底をえぐるような、気色悪い声。断末魔とも違う、ただただ嫌悪感だけを募らせるような……。 「き、さまぁ! 眷属の分際でぇ!」 「その眷属に斬られた馬鹿はどこの誰よ」 「貴様、絶対に! 許さぬ!」 サタンはバサリと翼を広げた。あたしは腰を低くして構える。 「あたしさ、許してくれなんて一言も言ってないんだけど」 サタンの目には、怒りの色だけがある。あたしは駆け出そうと、軽く足を曲げて、 チリン―― 「さようなら、憤怒の化身」 突如として現れたアンジェラの刃が、サタンの首筋に迫っていた。サタンはしゃがむようにしてかわし、アンジェラと上下に距離を開いた。 「死喰い、か――!」 サタンはぎりぎりと歯を噛みしめた。アンジェラはその姿を見下ろし、呟く。 「サタン、貴方に勝ち目はない。ここは貴方の負けよ。潔く滅びの刻を迎えなさい」 「馬鹿を言うな。とは言え、今は分が悪い。退かせて貰う」 ふっと、サタンの姿が消えた。アンジェラはすぐに追おうと跳びかけて、思い出したようにあたしに視線を送る。 途端、驚きで目を見張った。 「ケ、イ――!? 重傷じゃないの!」 アンジェラは慌ててあたしのとこに駆け寄ってきた。不安げに眉根を寄せた顔には、さっきまでの凛々しさはない。 「あたしはいいから、サタンを追って」 「駄目よ。腕をひとつ無くしているのよ? サタンにやられたの?」 言いながらも、アンジェラはあたしの傷口を調べていた。 「違うわ。掴まれて外せなかったから、自分で切った。『幻想顕現』すればどうにかなるでしょ?」 ふー、とため息をつき、アンジェラはあたしを見上げた。 「――ケイ。貴女はもう少し常識を学ぶべきね」 「い、いいでしょ別に! あたしの優勢だったんだか、ら――?」 あ。逃げられた。 さすがにもう追いつけない、か……。 「――次は絶対に勝つわよ」 「その前に腕の治療ね」 アンジェラはあたしから右腕を受け取り、くるりと回った。 チリン―― 夜空に死喰いが立っている。その側には、少女が座り込んでいた。 チリン―― 死喰いが回ると、死喰いの持つ手と少女の腕がひとつになった。切断面をそっと触り、少女は満足げな笑みを浮かべる。 「やっぱ十分じゃない。アンジェラの能力で」 「十分とか、そういう問題ではないでしょう」 死喰いは呆れたようにため息をついた。 「もう二度と無茶はしない事。貴女は私の眷属なのだから」 「はーいはいはい。わかりましたよー」 「……まったく」 チリン―― 死喰いがくるりと回る。そして、少女は立ち上がった。 「……ごめんね、あたしのせいであいつを逃がしちゃって」 死喰いは隣に立つ少女を見上げ、そっと笑った。 「貴女が気にする事ではないわ。これは、私がやらねばならないゲームなのだから」 「んー……でも、あたしもアンジェラの眷属だからさ。やっぱ役に立ちたいじゃない」 「……なら、もう少し安全性を考える事ね」 少女はむ、と押し黙り、死喰いは笑う。 「さあ、それでは行きましょう。この喜劇を終らせるために。この喜劇を楽しむために」 「――ええ」 ふたつの影が夜風と共に流れゆく。果て無き道の、果てに向かって。 チリン―― |