|
胸に残る、もやもやとしたわだかまり。 すっきりと晴れないこの気持ち。 由来は知っているけれど……。 葬式に出るのは初めての経験じゃない。 でも、友達の葬式に出るのは、これが初めてだった。そして、こんなにも早く経験する事になろうとは、考えた事さえなかった。 俺はまだ大学生だ。学生。普通の人なら、他人の死に触れ合う事さえない年齢だ。それなのに、こんなにも早く、俺の周囲には死が訪れた。 それも、強制的という最低最悪の形で。 斎場にいると、ひそひそ話の声が聞こえてくる。 (普段から真面目な子だったのにねぇ……) (そういう子の方が裏で何をしてるかわかんないのよ……) (でもま、確かに何を考えてんのか、わかんない奴だったもんな……) (犯人ってさ、まだ見つかってないんでしょ? 怖〜い……) 話題になるのも当然だ。噂話くらいしたくもなるだろう。 なにせ、俺の友人は、殺されたのだから。 ――悪い奴ではなかった、というのが俺の印象だ。 そう、悪い奴ではない。だが、良い奴なのか、と聞かれると、そうとも答えにくい。要するに、普通の奴だった。 別に犯罪者ってわけじゃない。それほど悪い事はしていない、少なくても俺の知る限りでは。どこにでもいる普通の人間で、だからこそ、俺はあいつが殺されたというのは意外だった。本心を言うのなら、もっと殺されそうなくらいに悪い知り合いは他にもいた。 どうして、あいつが。 そんな言葉に意味がない事くらいわかっている。俺はあいつの全てを知っていたわけじゃない。高校以前の事なんて詳しくはないし、プライベートな時間の何から何までを知っているというわけでもない。あるいは、俺の知らないところで、かなりあくどい事をしていた可能性だってある。 それにしたって、実感はわかない。どうして、あいつが? 考え事をしている間に、俺は斎場からだいぶ離れたところまで歩いてしまっていた。何をトチ狂ったのか、駅と反対方向。二度手間だな、とため息をつきつつ、足を反対方向に向ける。 親友、というほど仲が良かったわけじゃないけど、やっぱり友達が殺されたなんてショッキングな事件が起きれば、その真相ってのは俺でも気になる。だけど、それ以上に気になった事があった。 斎場に来ていた人は、誰一人として、泣いていなかったという事。 それは、考えてみれば当たり前の出来事だ。俺だって親族が死んだ時でさえ泣けるかわからない。それを考えれば、友人という名の赤の他人が死んだくらいで、泣く方がおかしいのだろう。 問題は、そういう事じゃない。泣くどころか、泣きそうな人もいなかったという事。そう、あれは、どう見ても――。 「悲しんでいなかった」 チリン―― 声に遅れて鈴の音色が響く。俺はふと横に目をやった。 俺と歩調を合わせるようにして、夜空色のワンピースを着た女の子が歩いていた。まだ寒い日が続くってのに、随分と寒そうな格好をしている。それが逆に浮世離れして見えて、なんとなく不思議な雰囲気が伝わってきた。 「誰も彼の死を悲しんでいるようには見えなかった。それが、貴方には気になるのでしょう?」 「え、あ、ああ。あれ? 俺、今、声に出てた?」 「いいえ。でも、なんとなくわかるわ」 こんな子供まであいつの知り合いにいたのか。 若干の驚きを交えつつも、俺は女の子を話相手として認める。 「うん、まあ、そうなんだよな。別に泣けとか、そこまでは言わないさ。表面的な付き合いで来ている人だっているだろうし、実感が沸かないってのもあるかもしれない。でもさ、誰か一人くらい悲しんだっていいじゃんか。誰も彼も噂話に夢中で、さ」 「……そうね。彼らの関心事は、自分たちの知人が死亡したという事実ではなく、それを行った人物が誰であるのか、という事。死を悼んでいるわけではない」 「そうなんだよなぁ。そりゃ、まあ、殺人なんて珍しいのはわかるんだけど、さ」 理解はできる。周囲の反応は、あるいは当然のもの。だが、それに対して釈然としない気持ちが残るのも、また自然なものだと、俺はそう思いたい。 ふと気付くと、俺の隣にあったはずの小さな頭が消えていた。足を止めて振り返る。女の子は立ち止まっていた。 「貴方のような、命を尊重する人ばかりなら、よかったのだけれど」 「あ、いや、そんな立派なものじゃ……」 「ごく当たり前に友人の死を悲しみ、同調できるという事。それは、特別な事よ」 女の子は一瞬だけ目を伏せ、顔を上げる。 「だから、私も貴方に少しだけヒントをあげる」 「ヒント?」 「きっと貴方は気付ける。そして、より良い方向に導く事もできる」 「な、何の話だよ?」 「彼が殺されてしまったのは、本当になんでもない理由からよ」 ――!! 「な、にか、知ってるのか?」 女の子は口元に指を一本、立ててみせる。 「動機から人を探す事はできない。なぜなら殺すほどの理由も、殺されるほどの理由も存在しないままに、彼は死んでしまったから。いうなればそれは偶然と必然が織りなす状況。殺すつもりはないまま殺した人は、とても苦しんでいる。表には出ない心の奥で、言い出す事もできないまま後悔している」 女の子の手が、そっと胸に当てられる。 その姿は、正反対の色合いながらも、宗教画に描かれた聖女のようだった。 「私ではその隣に立つ事ができない。その悔いを取り除く事ができない。生を持たぬ私では、生を共有する事ができない」 「は?」 「救う、というほど大仰な事ではないわ。ただ傍らにいる、それだけでいいの。一人ではないと、孤独ではないと気付けた人は、とても強いから」 女の子は静かな足取りで俺の前まで来ると、小さな手で俺の手をそっと握った。 冷たい手だった。氷のように冷たい、温度を持たない手。なのに、何故か暖かいものが伝わってくるような、不思議な感覚がする。 「お願い」 いつまでもそうしては、いられないのだろう。 女の子は俺から手を離すと、小さく手を振り、そのまま夜の闇の中に溶け込んでいった。夜空のような色合いは、わだかまる闇に溶け消え、その存在が確かなものであったのかどうかさえわからなくさせる。 まるで、狐につままれたような感覚。 説明のできない居心地の良さに身を委ねながら、俺はしばしその場で呆然と立ち尽くしていた。 それからずっと、女の子の言葉の意味を考えていた。 あの子、普通の子供ではないだろう。本当にそういう存在がいるのかわからないけど、もし存在するのなら、あの子こそが天使とかいう存在なんじゃないかと思う。 天使が救えない人。後悔している、殺人犯。 俺は、あいつを殺した犯人を知っている? 心当たりはなかった。それこそ人を殺すような奴は俺の知り合いにはいない。それもそのはずだ。女の子の言葉をそのまま解釈するのであれば、すなわち犯人は『思いがけず』殺してしまったのだから。 俺は、あいつが死んだ詳しい状況を知らない。警察なら知っているだろうけど、教えてくれるとも思えない。 だから、足を使った。 犯行の状況を聞く、なんて事はしなかった。そんな事が知りたいわけじゃなかった。 俺とあいつの共通の友達。それは、そう多いわけじゃないだろう。だから、行き着く事もそんなに難しい事じゃなかった。 そいつは、大学から歩いて三十分ほどのところに、アパートの一室を借りていた。 「邪魔するぜ」 「ああ……、なんだ、杉崎か」 俺を出迎えてくれた友人は、どこか顔色が悪かった。 「どうしたんだよ、突然。また課題に詰まったのか?」 「バカ言ってんじゃねー。俺はお前より優秀だよ」 狭いアパートの一室だ。俺は部屋の隅に腰を下ろす。友人は俺の斜め向かいに座った。テーブルもない部屋の床に、俺は持ってきた缶チューハイを並べる。 それを見て、友人は変に思ったらしかった。 「本当にどうしたんだよ? いきなしさ」 「誰かと飲みたい気分になったんだよ」 「それならそうと、連絡してくれりゃいいのに」 「そうする気分じゃなかったんだ」 そんな事をしたら、お前は断るだろうからな。 俺は缶を手に取り、プルトップを開ける。そのまま、中身を一気に傾けた。 喉を通り過ぎる冷たい感覚。酔える気はしなかった。 「ま、お前のおごりってんなら」 友人も酒を手に取る。お互い、しばらく話もせずに缶を傾けていた。 遠くを走る車の音が聞こえる。どこかで酔っ払いが喚いているような声も。 でも、俺も友人も、何も語らない。 あいつはあいつで、俺が何をしに来たのかわかっているのだろう。だから何を言う必要もないんだ。 だから、俺が先に口を開く事にした。 「三人でさ、飲んだ事があったよな」 本当は他にも何人か誘っていた。けど、あの時は他の連中がバイトだのなんだので来なくて、結局は三人だけが残った。 あるいはそれでよかったのかもしれない。この部屋は狭くて、三人も入ればそれ以上は狭苦しかっただろう。 「楽しかったな」 あの時はめちゃめちゃに酔った。そのせいで、その夜に何があったか、詳しい事を思い出す事はできない。ただ、幸せな感覚だけが残っていた。 そう、幸せ、だったんだ。 「何故、ってのは、意味ないよな。そんな理由、ないんだから」 「……そんな事までわかってんのか」 「いや、教えてもらった」 「――?」 俺は、ここに何をしに来たのだろう。缶を傾けながら思う。 どうして殺したんだ、と責めに来た? 警察に行こう、と自首を促しに来た? なんで相談してくれないんだ、と怒りに来た? どれも違う。俺がわざわざ犯人を探したのは、あの女の子の言葉があったからだ。 そうでなければ、俺は犯人探しなんてしなかった。あいつを殺した人間には興味もあったけど、それ以上に、あいつが死んだ事が悲しくてそれどころじゃなかった。 あるいは、あの子は……、俺を救いに来てくれたのかもしれない。 「変な話だけどさ、天使が教えてくれた、って言ったら信じるか?」 「なんだよ、それ。新しい彼女の話か?」 「そもそも彼女がいた事ねーよ、バカ」 缶を傾けようとして、もう中身がない事に気付く。次の缶を手に取り、同じように傾けた。 「今日はさ、飲もうぜ」 「でも――」 「いいんだよ、岡村」 色々な想いは俺の中にある。その全てをぶちまけてしまいたい、とも思う。 でも、それ以上に、こいつも苦しんでいる。 だから、今日のところは、我慢しておいてやる。 何も話さず飲んでいると、気持ちが落ち着いてくるのか、少しずつ友人は口を開くようになった。 聞く限りでは、本当にはずみだったらしい。頭をぶつけて死ぬ。そんな、単純な事のようだった。警察がまだ来ていない事が不思議なくらい、自然な死。 「そんなつもりじゃなかった」 友人はそう語った。言われずともわかった。覚悟をして殺すほどの理由があったようには思えないし、それだけの理由があって殺した奴にしては、顔色があまりに悪すぎた。 しばらく飲んで、うとうとして、気付いたら朝になっていた。そこに、友人の姿はなかった。 あったのは置手紙が一枚だけ。 『悪い、ありがとう』 事件が解決したという話はニュースで聞いた。小さなニュースで、あるいは聞き逃してもおかしくないようなほど、小さな扱いだった。 世の中にとって、そんなものなんだろう。友人が友人を殺す。それは珍しい事じゃない。子供が親を殺し、親が子供を殺す、そういう世の中で、赤の他人が人を殺すなんて決して珍しい事じゃないに違いない。 でも、ニュースはくみ取ってくれない。そこにあった感情、そこにあった小さな心。 すっきりしない気持ちを抱えたまま、俺は例の斎場の近くまで行ってみた。そこで会える確信はなかったけど、その子は、ちゃんといてくれた。 「また会ったわね」 チリン―― 女の子の腕で鈴が鳴る。その音色は、人を安心させてくれる。 「ありがとう。彼の苦痛は和らいだわ」 「俺、何もしてないぜ」 「それでよかったのよ。何かをする必要も、何かを言う必要もない。ただ隣に人がいる、それだけで随分と救われる事もある」 女の子は音もなく歩きだす。俺も、その隣を歩く。 俺と女の子の歩調は合っている。でも、歩みは違う。それが感じられる。 「彼は、人を殺すという咎を背負った。拭えない罪よ」 「刑務所に行っても?」 「罪は赦されて初めてその存在を消す。けれど、彼が赦される事はない。何故だかわかる?」 「……許してくれる人を、あいつが殺してしまったから」 「正解」 そういう事か。 人を殺した人間は、その先、永遠に人殺しだ。たとえ刑務所に入っても、出所してそれなりの生活を手に入れたとしても、人殺しは人殺しでしかない。 大抵の犯罪は罪を償う事ができる。金銭的な損害は後から補てん可能だし、心の傷を癒す方法もないわけじゃない。小さなトラウマくらいならば誰だって抱えるものだ。 でも、殺人だけはそうじゃない。殺人者を許してくれる人はいない、許す権利を持つ人が生きていない。だから、永遠に、人殺し。 「罪は一人で負うにはあまりに重い荷物よ。人ならざる強さを持つ者ならば、それも抱えて笑えるかもしれない。けれど、人の命は限られていて、とても弱いから。だから、それだけの重み、耐えきれない」 「それを一緒に抱えるのが、人の絆だって言いたいのか?」 こくん、と女の子は首を縦に揺らす。 「難しい言葉や綺麗な言葉を使わなくてもいいわ。簡単な事なのよ。隣に座り、共に酒杯を傾ける。それだけでも十分なの」 ……俺は、岡村の助けにはなれたのだろう。女の子の言う通りに隣に座り、じっと我慢をしていた。それは、殺人者である友人を認め、助ける事に繋がるかもしれない。 「なあ、君なら、答えられるかな」 「何かしら」 「俺は殺した側を助ける事はできた。でも、じゃあ、殺された側は? あいつは、誰が助けてくれるんだ? 言っちゃ悪いけど、殺した側が苦しむのは自業自得ってところもある。そりゃ岡村にそこまで悪いところがあったとは思わないし、だからこそ君の言う通りにもしたけど、それでも、殺された側の方が悲惨って事には変わりないじゃんか。あいつは、誰が救ってくれるんだ?」 「救うというほどの事はできないけれど」 ふと気付けば、女の子の深紅の瞳が俺の事を見上げていた。 その目を見ていたら、なんとなく言いたい事がわかった。 「世話、かけるな」 「いいえ」 夜空色。深紅の瞳。 その姿はまるで死神や悪魔のよう。なのに、ああ、この子は俺を導いてくれる。答えを教えてはくれないけど、答えに辿り着くまでのヒントをくれる。 やっぱり俺には、この子が天使のように見える。 「貴方のような人がいるから、私は人間に希望が持てる」 「そりゃ、どうも」 くすっと笑い、女の子はそのまま姿を消した。白昼夢のような存在。 ふと、思いつく。 「そういえば、あいつが一番、悲しんでくれてたな」 そんなものなんだろうか。 なんとなく物悲しい気分になって、 「あー……、帰って寝るか」 足を動かす。 どうせなら、夢は夢の中の方がいい。 チリン―― 鈴の音色を響かせ、少女が小道を歩いている。 と、そんな少女の頭に黒い影が飛び乗った。いや、黒い毛並みの獣。 「どうだった?」 獣は小さな声で鳴く。そう、とだけ答え、少女は微かに目を伏せた。 「行きましょうか」 「きゅ?」 「ええ、大丈夫」 少女は少しだけ振り向いた。ここからでは、もう青年の姿を見る事はできない。 「色々な人がいるものね」 「きゅう」 「ふふ、そうね。『当然の事』だわ」 とん、と宙に舞い上がり、少女はいずこかへと消え去っていく。 残ったもの、それは。 チリン―― |