人と死導者。
 生きる者と死んだ者。
 その違い。その境。


 あたしたちにはホームタウン、というのかよくわかんないけど、とにかくよく滞在している街がある。
 基本的に、あたしたちは家というものを持たない。それも当然、なにせあたしたちは死人だ。幽霊みたいなものだ。そういう人(?)が、家を持つはずがない。
 特に場所に縛られているわけでもないし、気が向けばあちこちに出かけることもあるけど、最終的には帰ってきてしまう場所がある。
 なんでこの街なのか、と聞かれると、あたしには理由がある。
 あたしは生前、この街に住んでいた。あたしの知り合いは、今もこの街に住んでいるのが大半だ。だから、あたしもこの街によく現れる。あたしの仲間たちに関しては――そういえばなんでこの街なんだろう、知らなかった。
「ねえ、アンジェラ。なんでこの街に来たの?」
「……なぜ?」
 あたしの隣に立つちっちゃな上司は、よくわからないとばかりに首をかしげる。
「だってさ、この街って見どころなんか何もないじゃない。観光名所とかもないし、有名な人が住んでいるわけでもないし。霊的に特別な場所……、かしらね?」
「他よりは集いやすいと思うわ。けれど、この程度に特別な場所はいくらでもある、とも言える。霊場と呼ばれる場所の大半は、ここよりも霊的な存在が集いやすい性質を持っているわ」
「じゃあ、なんでこの街に居座ってんのかしら?」
「そうね……」
 考えた事がなかった、とばかりにアンジェラは視線を落とす。その先、眼下には夜の街が広がっていた。
 大都会や繁華街なら光の渦が広がっているのだろう。けど、住宅街に過ぎないこの場所から見えるものは、ちらほらと覗く部屋の明かりと、闇に必死に抵抗している街灯くらいなものだ。見ていて面白いものは何もない、普通の光景。
「強いて言うなら、きっと」
「あー! みぃつぅけぇたぁ!!」
 ビクッ、と思わず背筋が跳ねた。
 あたしたちより、さらに上空。少し見上げるような位置に、白い影が見える。
 ふわふわと浮かび上がるその存在はあたしたちを見下ろし、
「もうっ、どこに行ってたのよ。ベルはちっとも顔を見せてくれなくなったし、アンジェラたちはアンジェラたちでどっかに行っちゃうし。みんな心配してるのよ? アンジェラたちどうしたんだろう、って!」
 腰に手を当て、じろりとこちらを見下ろす少女の瞳。
 ごく普通の女の子にしか見えない、それでいて絶対に普通ではない女の子。その存在を、あたしたちは知っている。
「ゆ、百合……」
 できれば、今は会いたくない顔でもあった。

 とりあえず落ち着ける場所に、と、あたしたちは公園に移動した。
 夜の公園に生きた人の姿はない。野良猫があたしたちを見上げ、ふい、とどこかに消えてしまった。
 百合はベンチに座らせ、あたしたちは少し離れたところに立つ。
「で、最近は何してるの? というか何やらかしたの?」
「やらかしたって失礼ね……。それじゃ、まるであたしらが悪者みたいじゃない」
「悪者、とは言わないけど、色々とやらかしているよね。今までも」
「うぐ」
 それに関しては否定する余地がない。まあ、その、死導者ってそういうものだし。
「ケイやアンジェラだけじゃないよ。ベルはあたしのところに来なくなったし、鯉田さんところにはマモンが来なくなった。遠藤さんところだって死導者が頻繁に来てたのに、今はまったく来ないって言ってた」
「そ、それは……」
何が・・あったの?」
 百合のまなざしは真剣そのものだった。そらす事さえない。あたしの誤魔化し程度では通じないだろう。そういう意思の強さを感じた。
 あたしは助けを求め、アンジェラを見た。あたしの小さな上司は百合を見上げ、
「事情があるのよ。私たち死導者に共通する問題が」
「それは話せない事なの?」
「人間は巻き込めない。そういう次元の問題よ」
「どうしても?」
「わからないならば言い方を変えるわ。人間が問題なのよ、今は」
 百合も口をつぐんだ。そこまで言っていいのか、と視線で問いかけるけど、アンジェラは無言で首を振るのみ。
「現状、死導者が大きな問題を抱えている事は否定しないわ。そして、その問題には人間という種族そのものが関わっている事も認める。
 だからこそ、私たちは人間に協力を求める事はできない。貴女が私たちの敵ではない事くらいは想像できるし、それが間違っているとも思わないけれど、この問題を話せるか否かという点では別の問題よ」
「そんなに複雑な問題、なの?」
「構造はとても簡単。ただ、その構造の中に、人間を引き入れる事はできないというだけ」
「……でも」
「百合。私は何度も繰り返さない」
 チリン――
 鈴の音。それが何を意味するのか、あたしでさえ理解するのに一瞬を要した。
「アンジェラ!?」
 その手に輝くのは剣。闇の中でも輝きを失わない、アンジェラの魂を模した宝剣。
魂喰らいの宝剣ソウル・ブレイドなんて! 何を考えてんの!?」
「言葉で通じあえないのであれば、実力を行使する事もやむを得ないわ」
「だからって……」
 あたしは百合を見た。この子は、こんな幽霊のような成りをしているけど、その本体は生きた人間だ。ここにいる女の子は、ただ幽体離脱しているだけの魂に過ぎない。あたしやアンジェラのように、戦う力を持っているわけじゃない。
 そんな子に、剣なんて!
「どうしたのアンジェラ、らしくないよ」
 むしろ百合の方が落ち着いているようでさえあった。剣を前に、まったく物おじしない。それは、アンジェラが人間を傷つけないと知っているからだろうか。
「なかなか豪胆ね。立派な事だわ。でも」
 アンジェラが目を閉じる。なんだか嫌な予感がした。
「これでも、まだそう言える?」
「ッ!」
 ぞわ、と背中の毛が逆立つような錯覚。
 それは、正真正銘、本物の殺気だった。殺気に慣れたあたしでさえ肝を冷やすほどの、本物の殺意。
 いまさらながらに思い知る。アンジェラは、あたしなんかとは比べ物にならないほどの修羅場をくぐっている。そのアンジェラが向ける殺意。
 これには、さすがに百合も恐怖を感じたらしかった。顔色は青ざめ、心なしか手足が震えている。
「ど、どうし、たの。そ、そん、なの、へっちゃら、よ」
 発する声も震えていた。強がれるだけ、たいしたものと言うべきか。
 そんな状態で、どれくらいにらんでいただろう。実際にはさほど長い時間じゃなかったと思う。
 チリン――
 アンジェラは剣を収め、同時に殺気も消した。その瞬間、どっと冷や汗が沸き出た気がした。……実際に汗が出るわけじゃないけど。
「強いわね、貴女は」
 根負けしたようにアンジェラは深いため息をつき、百合の横に腰を下ろした。
「魂の姿でいる時、人は常よりも根源的な恐怖に弱くなる。貴女は上位である私を前に、一歩も引く気配を見せなかった。それは貴女の強さよ」
「あ、ありが、とう」
 まだ声が震える百合の手を、アンジェラはそっと握る。
「そうね、貴女は他の人間よりも私たちに近しい存在。万一、巻き込まれないとも限らない。話だけはしてあげる。けれど、できればそれを紅葉たちには伝えないで欲しいの」
「人間は巻き込みたくない、から?」
「聞けばわかるわ」
 そう前置きし、アンジェラはあたしたちの現状を語り出した。
 あたしたちが生まれるよりもずっと前にいた、アンジェラの眷属。
 その別れ。
 そして、再会。
 そこに関わっている何者か。そして、推測できるその目的。
 明確な敵意にさらされている、この現状。
 話し終える頃には、空の色が変わりつつあった。
「そんな事があったんだ……」
 百合は吐息と共に声を漏らす。
 その顔は、どこか安堵しているようにも見えた。
「でも、うん、なるほどね。アンジェラたちが人と距離を置きたがっていた理由がようやくわかった」
「なら、黙っていてくれるかしら?」
「そうして欲しいって言うならね。実際、そういう危ない人がいるって聞いても、手伝える事なんてないしさ」
 そう、それが問題でもある。
 ある程度の力を持った退魔師ならば、あるいは探索に加わっても大丈夫かもしれない。紅葉くらいに特殊な力を持っていても可能かもしれない。
 けど、相手はレティシアさえ蘇らせるような化物。そして、蘇ったレティシアは、素のままのあたしよりも強いほどの力を持っていた。
 そこに、下手に関わろうものなら、犠牲者が増えるだけ。それは、あたしたちにとってもマイナス。
 百合は頭のいい子だ。そう思った。本当なら手助けしたくてたまらないのに、そうしない。それは、自分が足手まといにしかならないとわかっているから。
 自分の感情を自分でコントロールする事ができる。それはとっても凄い事だ。
「ベルたちも、その犯人を探しているの?」
「ええ。それぞれの方法でね」
「ふうん。じゃあ、もうしばらくは会えないかなぁ」
 ひょい、とベンチから降りた百合は、あたしとアンジェラを等分に見た。
「アンジェラたちの事情はわかったよ。でも、できればでいい、たまには顔を出して欲しいな。あんまり根をつめてもろくな事にはならないし、みんなも寂しがってるだろうから」
「……そうね、気をつけるわ」
 百合を見ながら、あたしは心の底で思っていた。
 あたしたちは、人間を少し見くびっていたのかもしれない、って。



 チリン――
 鈴の音色を響かせながら、朝日が昇った街を行く影。
「それでもアンジェラは、死導者だけにこだわるつもりでしょ」
 隣を歩む影を見上げ、夜空色の死導者は目を見張る。
「よく、わかったわね」
「そりゃーあそうでしょ。アンジェラの考えそうな事くらい、みんなわかってるって」
「む……」
 口を閉ざす上司を見つめ、桜色の少女はくすくす笑う。
「うん、わかってるんだと思う。アンジェラが何も言わないって事、その意味もね。それでも、みんな何かをしたいから。何かをしてあげたいって思うから、動くんじゃないかな」
「――紅葉、たちも?」
「あたしらが会ってないだけで、たぶん動いているんだと思うよー?」
「……そうね。そうかも、しれないわ」
 チリン――
 鈴を揺らし、少女たちは街を歩いている。その影は路上に落ちる事がなく、その存在を知る者は少ない。
 それでも、彼女たちは、そこにいるのだ。
「半端に動くよりは、教えちゃった方がいいんじゃない?」
「駄目」
「頑固者」
 二人の死導者は離れる事なく歩いて行く。
 チリン――



戻る