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天野さんが運転する車の助手席に座り、僕は手のひらを眺めている。 そこに乗っている小さな毛の塊。ほんのりと暖かいそれは、ただのアクセサリーのようでありながら、瑠璃さんが手のひらに鎮座しているような安心感を与えてくれる。 「でも、ねえ」 これが導く、と言われても。ツアーガイドじゃあるまいし。 じっと小さな毛塊を眺めていると、ぴくり、と毛先が震えた。 「……ん?」 窓は、開いていない。なのに毛が揺れている。 やがて、毛は明確に方向を指し示した。左斜め前。 「所長、次で左折してください」 「は? 左折?」 天野さんは僕をちらと見て、「わかった」とハンドルを左に切った。 左に、まっすぐ、次の角を右に。一方通行のせいで少し通り過ぎたからちょっと戻って、また左折。 しばし進んで――到着したのは、一軒のお店。 車から降りる。そこは、普通の弁当屋さんに見えた。大盛り無料の文字がでかでかと張られていて、店名は読む事さえできない。 僕は天野さんに車をお願いし、店の中に入ってみた。 それほど広い店には見えない。奥の厨房もそこそこのスペース、手前の客が注文する場所にいたっては一畳ほどの空間しかない。ランチタイムには混雑するんだろうけど、今の時間は客の姿がなかった。 「いらっしゃい」 暇そうにしていた店員さんがあいさつしてくる。毛は、もっと奥を示している。 「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」 「はい?」 「厨房の方にいらっしゃる方とお話させていただきたいのですが、お願いできませんでしょうか」 「はぁ……?」 バイトらしい女の子は、僕の顔を見て怪訝そうにするだけだ。仕方なしに、僕は持ち歩いている名刺を取り出した。 「申し遅れました、僕はこういう者です」 名刺には調査事務所・アマノサイキックエージェンシーの名前と、遠藤紅葉の名前が刷ってある。ぶっちゃけ怪しい名刺だけど、ないよりはマシだ。 「調査事務所……?」 訂正。ない方がマシだったかもしれない。 「探偵社のようなものです。それで、厨房にいらっしゃる方にお尋ねしたい事があるのですが、お呼びいただけませんでしょうか」 「はあ、少々お待ち下さい」 女の子は裏側に引っ込んだ。漏れる声はかすかで、何を話しているのか、内容までは聞きとる事ができない。 『だーもう! 店長うるさい、引っ込んでなさい!』 どすん、と割と大きな音が響き、女の子が顔を出した。 赤い髪を揺らした女の子。強気な目線は、どこか知り合いを彷彿とさせる。全てに抵抗するような、何もかもを焼きつくすような、そういう強い力を持つ眼差し。 「あんたが探偵さん? アタシに何の用?」 僕をねめつけるその姿に、年齢相応の子供っぽさや可愛らしさが感じられない。 その様は、ますます僕の知り合いを想起させる。 「……失礼ですが、お名前は?」 もはや毛塊を見るまでもない。彼女こそが、ヒントだ。 「名前も知らないで会いに来たんですかぁ? 沙織です。森谷沙織」 もりや、さおり。 聞いた事のない名前だ。もっとも、僕はその手の関係者についてそこまで詳しいわけじゃない。天野さんに聞けば明確な回答も得られようが、今、この場でそれをできるわけじゃない。彼女をバイト中の店から引っ張り出すには、僕は彼女の事を知らなさすぎる。 それに、そんな必要もないだろう。 「森谷さん、ですか」 本当に小さな、聞こえるか聞こえないか程度の大きさで、声を放つ。 「退魔師ですか?」 ぴくり、と彼女の表情が動くのを、僕は見逃さなかった。 少なくとも、彼女は知っている。退魔師という言葉が荒唐無稽ではないと。 けど、この感じ。なんとなく、退魔師らしくはない。退魔師は普通の人とは違う、だからこそ違う感じがそこにある。けど、彼女は退魔師のような感触はない。そう、どちらかといえば、もっと異質な――。 「いえ、死者、ですね」 彼女の目がわずかに開く。 今度こそ、図星を得た。これが正解、いや、限りなく正解に近い回答だ。 実際の死者なら生きてバイトをしているわけがない。そういう能力に特化した変魂の可能性だってゼロじゃないけど、それなら彼女の魂はもっと濁っているだろう。 僕は人を見るだけで、その魂まで感じる事ができる。彼女の魂はまっすぐで純粋だ。変魂のそれじゃない。かといって、退魔師のような、生きるためになんでもするという強い力を感じない。 悪く言えば中途半端、両方の力を持ち合わせているような、そんな感覚。 「あんた……、何?」 「僕は遠藤紅葉。ただの一般人ですよ」 近くの公園で少しだけなら話をしてもいい、と言われた僕は、森谷さんの案内でその公園にやって来た。 何もない公園だった。遊具のひとつさえない。いや、取り付けられていた痕跡があるところをみると、あったはずなのに撤去されたんだろう。理由まではわからない。 「んで、アタシに何を聞きたいわけ」 ベンチに座るでもなく僕をにらみつけるように立ちふさがった森谷さんは、開口一番、そう言った。 「まあ、色々と」 言いつつも、僕はなんでこの人がアンジェラ探しのヒントになるのか、わからないでいた。瑠璃さんのくれた毛塊は間違いなく彼女を指し示している。だから、彼女は何かを知っているはず、なんだけど……。 「ふうん」 森谷さんはじっと僕を見つめ、 「それで?」 腕が動いた。 反射的に僕もまた、腕を前に突き出していた。手のひらに感触があったのは、奇跡と呼ぶべき確立だったのかもしれない。 腕を振り抜いた格好で、森谷さんの動きが止まる。その目が大きく見開かれていて――。 「う、そ」 それは、森谷さんにとっても意外だったんだろう。硬直はほんの一瞬、次の瞬間には僕と距離を置いていた。 「あんた、本当に何者?」 「だから、ただの一般人だよ」 「嘘。それはありえない。一般人が、アタシの剣を防げるものか」 じっと、見透かすように僕を見つめた森谷さんは、やがて手先を握る。 「……ふるべ。ゆらゆらとふるべ」 何かの呪文、だろうか。言葉に反応するように、森谷さんの手に大きな剣が現れる。 それは変な形をした剣だった。波打つような形の剣は、やけに長く、重そうなのに、森谷さんはそれを軽々と振るう。 「炎状剣『フランベルジュ』。これは普通の剣やナイフと違うってねェ、アタシの最も得意とする武器なんだ」 森谷さんは切っ先で僕を指し、 「今からこいつであんたを削る。嫌なら防いでみせな」 「……は?」 「いくよ!!」 躊躇はなかった。 まっすぐで、どこまでも一本筋の斬撃。それだけに、慣れない僕の体でも反応する事ができた。 手を前に。そうするだけで、剣の方から当たりにきた。 僕は……、魂が見える。魂に触れられる。だから、魂そのものでもない、ただのエネルギーの塊なんて、通じやしない。 フランベルジュは、僕の手に触れた瞬間、真夏のアイスのように溶けて消えてしまった。 「やっぱり」 柄だけとなった剣を眺め、森谷さんは呟いた。 「これのどこが一般人だって?」 「いや、でも、退魔師ではないし」 「百歩どころでなく譲っても、退魔師じゃなければ一般人とは言えないね」 はぁ、とため息をついた森谷さんは、腰に手を当て僕を見る。 「ま、わかった。あんたが普通じゃないって事は。そんで、アタシに何を聞きたいわけ?」 「だから、色々とあるよ。どうして死者が体を持っているの、とか、アンジェラについて何か知っているか、とか」 アンジェラ、の名前が出た瞬間、森谷さんの表情が揺らいだ。 「あんた、アンジェラとも知り合いなんだ」 「交友関係は広いんで。って事は、やっぱり知っているんだね」 問いかけに、森谷さんはなんとも言い難い微妙な表情を作った。喜び、悲しみ、怒り――様々な感情をごちゃまぜにして、どんな顔をすればいいのかわからなくなったような、そんな表情。 「そんなの、教える義理はないよ」 ぷい、と森谷さんは僕に背中を向けた。 「そんな事が聞きたいなら他をあたって。アタシは答えたくない」 「アンジェラが行方不明になった」 去りかけた背中が、止まる。 「僕らはもともと、それほど頻繁ではないにせよ、たまには顔を合わせる仲だった。それが、いつからか一度も顔を見せなくなった。他の、顔を出していた知り合いのところにも来てないらしい」 「じゃあどっかに行ったんでしょ? 死導者はひとつところに留まるもんじゃない」 「普通に考えればそうかもしれない。でも、あのアンジェラが、僕らに何も言わず姿を消すなんて絶対におかしい」 「いやに断定するね」 「僕はアンジェラを信じているから」 その答えに、森谷さんが面くらったのがわかった。 言葉に詰まった森谷さんは、何かを言いかけ、そしてやめる。 「信じる、ね。立派なもんだわ」 しばしの沈黙。彼女の中で何かが渦巻いているのがわかった。 僕は何も言わないでいた。教えてもらえないなら、それでも仕方ない。彼女が出す答えを待とうと覚悟した。 彼女が答えを出すまでの時間は、思ったほどかからなかった。 「……アタシも、アンジェラがどこに行ったのかは知らない」 くるりと振り向いた彼女の瞳は、嘘を言っていないと明確に物語っていた。 「本当よ。アタシはアンジェラとちょっと衝突しただけで、それからは見ていない。ただ、何をしようとしているのか、それはなんとなくわかってる」 「目的、だね。それは?」 「アタシを生き返らせた人間を探しだす事」 とんとん、と自分の胸を指で叩き、 「アタシは、あんたの見立て通り、死人よ。性格には元・死人。今は森谷沙織の体を奪って生き返ったけどね。アタシを生き返らせた人間は、アタシを利用して、死導者を殺そうとしているみたいだった」 「その人の事は、君も知らないんだね」 「もちろん知らない。アタシが感じた事は、アタシを蘇らせた人間の、ハッキリとした悪意だけ」 悪意。あの、アンジェラが? いや、死導者は方々でたくさんの死者を出したはずだ。アンジェラがそれを止める側だったとしても、死導者、という事でひとくくりにしてしまえば、誤解されても無理はない。 「蘇った、って、具体的には?」 「言葉通りよ。アタシは一度、正確には二度、死んでいるの。生まれたのは今から百年単位で昔の話よ。その時に魂まで滅されて、存在そのものが消えて。なのに、蘇る事ができた。それがどれだけ異常な事か、死者を見た事があるあんたならわかるわね?」 「……ああ」 死人が、生き返る。それはあってはいけない事だ。 死は覆らない。だから死は重く、生はそれ以上に重い。死の先はあっても、死が戻る事はあってはならない。 たくさんの涙を見た。無力な僕にはどうにもできない出会いもあった。 死ぬって、そういう事だ。哀しい事で、辛い事で。でも、それも含めて人の生なんだ。だから人生なんだ。 「死を、覆す」 そんな馬鹿げた事は、許されちゃいけない。 必死に生きようとするのは人生だ。でも、死を否定する事は、人生を否定する事だ。 たくさんの死を、涙を見た。人生を否定する事は、認められない。 「それをさせないために、アンジェラたちが?」 「そういう意味なのかどうかは知らないけどね。単純に、自分たちが狙われているから、対抗しようとしているのかもしれない。ともかく、アンジェラたちを探したいなら、アタシを生き返らせた人間を探す方が手っ取り早いよ」 ゴールが見えた。 アンジェラたちが向かっているゴールがそこにあるなら、僕たちもそこに向かって走ればいい。同じゴールだ、そうすれば、絶対にそこで再会できる。 「なるほどね。ありがとう、森谷さん」 「その名前で呼ばないでくれる? 沙織の人生は沙織のものなの」 沙織の人生。ああ、彼女も、苦しんでいるんだ。 「じゃあ、君の名前を教えてくれるかな?」 「――レティシア」 「それじゃ、レティシアさん。またいずれ」 「探すの? 誰ともわからない奴を」 「もちろん」 考えるまでもない。それが僕だから。 けれど、彼女にはそれだけでは納得できないようだった。赤髪を振り払い、尋ねる。 「なんで? なんでそこまでするわけ? だって死導者は、生きているあんたには何の関係もないでしょ? このまま忘れて、一般人なら一般人らしく普通に生きていけばいいじゃないの」 「駄目だよ、それじゃ」 恩がある。返しきれないほどのたくさんの恩が。 そして、それ以上に。あるいは、そちらの方がよほど重要な問題かもしれないけど。 「友達が困っている。それを見捨てる事は、僕にはできないから」 「は……?」 口を半開きにしたまま、レティシアさんの表情が固まる。ぽけっ、とした彼女は、はっと気を取り戻し、 「あ、いや、そんだけ? 理由」 「うん?」 「……もしかして、天性のバカ?」 「なんでそうなるの?」 「ごめん、アタシがバカだったわ」 ちらり、とレティシアさんは時計を見た。そういえば、随分と長い事、引きとめてしまった。そろそろ忙しくなる時間かもしれない。 「アタシ、戻るわ。遠藤紅葉、っていったね? 何かわかったら名刺の連絡先に電話してあげるよ」 「親切なんだね」 「アタシもアタシを蘇らせた奴の顔を拝みたくってねェ。それに……」 ――アンジェラを信じてくれたから。 小さな声だったけど、僕の耳にはきちんと届いた。 「んじゃあね! たまにゃ弁当でも買ってってもいいわよ」 たたっ、と走り去るレティシアさんの背中を見送り、僕は頬を緩めた。 「元気だなぁ」 さて、と。天野さんもずいぶんと待たせちゃったし、帰ろうか。 収穫を聞いたら、天野さんはなんて言うだろうな。 チリン―― 夜道を歩むは影ふたつ。寄り添うように、押し寄せる闇に抵抗するように。 助けを求める相手も、救ってくれる仲間もいない人間が、世界中の悪意に対抗しようとしているような。 「……」 「……」 両者とも沈黙したまま、ただ歩き続ける。離れる事だけはなく。 「きゅ」 と、影の片方、黒い少女の肩口に乗った獣が声を出した。 「大丈夫よ、エル」 獣の頭をなでる死導者。それを横目に見ながら、従者は尋ねる。 「本当に?」 「私が嘘をついていると?」 「アンジェラ、自分の事については信用が置けないから」 「…………」 今度の沈黙は、先程より長かった。 ゆったり流れる時間。 「本当に、大丈夫。貴女たちがいる限りは」 「いなかったら?」 「――どうにかなるわ、きっとね」 チリン―― 鈴の音を鳴らし、歩む少女。 その先に、影がある。 チリン―― |