振り返る。現実と向き合わなければいけなかった。
 真理先輩は、さっきと同じように倒れたままだった。ただ、違いもある。かたわらに人影が屈みこんでいた。
「ケイ……」
 桜色の着物を着込んだ友人が先輩の様子を見ていた。ケイが顔をあげる。
「まだ死んではいないわね。ほっといたら死ぬと思うけど」
「そ、それなら!」
「医者を呼んでもいいけど、たぶん治せないわよ」
「――え?」
 立ち上がったケイは首を鳴らすように回しながら、
「病気とか怪我とかはそんなに詳しくないけど、真理の生が減ってるのはわかるわ。生きた人の生が減る事は寿命以外じゃありえない。つまり、あいつに吸われたのね。手先から吸うなんて器用な奴だわ」
「じゃ、あ……」
「うん。外傷はあるし、あれだけ傷ついてたら内臓にも怪我はあるかもしれない。そして、そっちは医者なら治せるかも。
 でも、生だけはどうにもならない。魂の傷を治せるのは限られた人だけよ」
 限られた人。その言い方が頭の隅に引っ掛かる。
 ケイの言いたい事はすぐ理解できた。そして、その意味も。
「紅葉。貴方は、どうする?」
 僕を見上げる二人の少女。彼女たちは問いかけている。僕に、どうするかと。
「できる、んだね」
「できてしまうから問題なのよ」
 二人の紅い瞳が、今はひどく目につく。
「貴方は人として生きている。けれど、今、貴方は自分の中にある人ならざる力を発現した。
 先刻は感情任せだったかもしれないけど、今度は違う。貴方が自分の意思で、自分の力を使うのよ。自分で、人ではない力を使う事になる」
「でも……、今までも、僕は力を使ってきた」
「貴方が手にした力は今までの力と、文字通り格が違うわ」
「……それは」
 なんとなく、わかっていた。
 僕の力。これは、死導者の力だ。
 もともと、僕にはその素質があると言われた事がある。霊的な力の中でも飛び抜けたもの。いずれはそうなるだろう、とも言われていた。
 その、いつ来るとも知れない時が、ここに来たんだ。
 死導者の力は、使い方を誤ればとんでもない事になる。人を傷つける事も、人を苦しめる事も、簡単にできてしまう。
 だからこそ、考えなければいけない。真剣に、自分で正しいと胸を張って言える答えを出さなきゃいけない。
 先輩の姿を見た。倒れた先輩。痛ましいその姿を見るだけで、すぐにでも助けたくなる。
 でも、ここで僕が助ければ、先輩は気に病むかもしれない。何より、ここで救う事が先輩の幸福とは限らない。
 先輩は心に傷を負っている。背中に十字架を背負って生きている。普段はそれを見せないけど、それは先輩の人生、その全てに影響を与えているはずだ。
 僕がここで手を差し伸べれば、苦痛の時間を延ばすだけかもしれない。
 それでも僕は、先輩の傷を癒す事が、本当に正しいのか?
「答えは」
 僕は踏み出し、屈みこみ、手を差し出した。
 答えは、迷わなかった。
「これは僕のエゴかもしれない」
 理屈もわからないけど、僕が手をかざすと、真理先輩の全身に刻まれた傷が消えていった。
「誰も喜ばないとしても」
 続けて、生を継ぎ足す。不思議と、生はどこからともなく溢れてきた。全身にみなぎるような力を感じる。
「それでも僕は、先輩にいて欲しいから」
 少なくても、今は、まだ。
「だから僕は、こうするよ」
 見上げた先にアンジェラの顔があった。
「駄目かな」
「いいえ。それは貴方の選択よ。善悪はない」
 ただ、と続ける少女は、ほんの少しだけ頬を綻ばせた。
「貴方らしいと、そうは思うわ」
 その笑顔とも呼べない笑みに、僕は救われた気がした。

 おばけ屋敷の係員は、なかなか出てこない僕らをいぶかしんだらしい。
 様子を見に来た係員に、先輩が貧血で倒れたせい(という事にして)、救護室を貸して貰った。遊園地だけに、はしゃぎすぎて気分が悪くなったり、怪我をしたお客さんのために、こういう部屋をきちんと用意しているそうだ。
 いくつかのベッドと、簡単な薬が入った戸棚がある。けど、今日は誰も使っていないらしかった。少し休めばよくなるので、と伝えたら、何かあったら呼んでくれ、と係員は出ていった。気を使ってくれたのかもしれない。
 僕はベッドのかたわらで、ただ座って先輩の横顔を見つめていた。
 どのくらい、そうしていただろうか。ふと、先輩が目を開いた。
「ん……」
「気がつきましたか」
「あ、くー」
 先輩はきょろきょろと部屋を見渡し、
「ここは?」
「救護室です。まだ寝ていていいですよ」
「ん、大丈夫」
 先輩はベッドの上に体を起こし、僕を見た。
「くーが助けてくれたのね。ありがとう」
 先輩は、幽霊のたぐいが見えない。だから、さっきも何が起きていたのかわかっていないだろう。なのに、自然とこういう事が言えてしまう。立派だな、と思った。
「すみません、先輩。そうすべきか、よくわかりませんでした」
「ん? いいのよ、別に」
 僕の曖昧な言葉を包み込み、先輩は僕を抱き寄せる。
「でも、僕は、僕のした事は、人の命をもてあそぶ行為です。人間が、いえ、誰もしてはいけない事です」
「だから、いいの。くーはね、神様じゃないんだから、間違えてもいいの。だいたい、それが正しくなかった、なんて、誰にもわからないんだから」
「もしも、僕が神様みたいな力を持っていたとしても、ですか」
「それでも、よ」
 先輩は、ごく当たり前のように、そう言ってのけた。
「生まれながらに全知全能な人を神様って言うのよ? そんなのは人間じゃない。
 くーがどんな力を持っていても、くーが何をしても、私にとってのあなたは遠藤紅葉なの。だから、関係なんてない」
「真理先輩……」
「なんて、ちょっとカッコつけちゃったかな」
 耳の近くで先輩の声がする。それに、ひどく安心する自分がいる。
「本当はね、私がくーと一緒にいたいだけなのかもしれない。いつか、何かの理由で離ればなれにならんきゃいけないとしても、今はまだ、ね」
「……ええ。僕も、同じです」
 未来は、わからないけど。
 僕は、先輩と一緒にいたい。
 ただ、そう思った。

 救護室の外に出る。部屋の外に続く廊下では、あの二人が待っていた。
「真理は?」
「寝かせてるよ。念のためね」
 廊下に人影はない。それを確認し、僕はふたりに問いかける。
「アンジェラ、ケイ。久しぶりだね」
「あー、まあ、ね」
 ケイはごまかすのが苦手だ。視線が泳いでいて、何をしたらいいのかわからない、という感じだ。
 対するアンジェラはとても落ち着いている。もっとも、いつもの事かもしれない。
「どこに行っていたの?」
「答えられないわ」
「瑠璃さんのところとか?」
 アンジェラの眉根が寄る。
「彼女を知っているの?」
「ちょっとね。君たちの事、みんな心配しているよ。何があったんだろう、って」
「……それは」
「最近、変な事件が増えている。この間は普通の人が生を操ろうとしていたし、火野さんに聞いたら、退魔師を襲うように操られた人もいるんだって。ふたりが、いや、死導者がいなくなったのは、それと関係しているの?」
「そんな、事が?」
 どうやら、そういう事件が起きている事はアンジェラも知らなかったらしい。最近は誰とも接触していないようだったから、知らなくても無理はないのかもしれないけど。
「――本当に、誰を巻き込む事もためらうつもりはないのね」
「心当たりは?」
「ない、と言うのが正確かしら。私たちは聖人君子ではない。恨みつらみのある人間は、決して少なくないはずよ」
 さっきの眷属のように、とアンジェラは続けた。
「彼は強欲の眷属。けれど、確かに私が殺したはずの相手でもある。どうやって蘇ったのか、私にはその手法さえわからない」
「死んだ者を、蘇らせた……?」
 そういう事ができる誰かがいる、という事?
 ……それが本当なら、僕は、その人が許せない。
「アンジェラ」
 小さなその肩を掴む。ぴくり、と震えた気がした。
「僕たちは非力だ。自分の事にさえ自信が持てないし、迷う事も苦しむ事もある。でも、誰かの助けになりたいって願うんだ」
「その力も資格もなくとも?」
「誰かを助けようとするのに資格なんているもんか。それに……」
 アンジェラたちに敵がいて、その人が命をもてあそぶような事をしているんだとしたら、それは許し難い事だ。
 死んだ人間を生き返らせるような、決めごとを覆す人がいるなら、それは許しちゃいけない事だ。
 でも、それ以上に許せない事がある。
「僕は、先輩を傷つけた人を許せない」
 だから、話して欲しい。
 夜空色の死導者は僕を見ている。気付けば、その中に映る僕の瞳は、黒く染まっていた。
「……もはや、人間は、などと言い置ける問題ではないのかもしれないわね」
「話すの?」
「貴女はどうすべきだと思う?」
「アンジェラに従う」
 ふう、と息を吐いたアンジェラは、自分の肩に乗っていた手を優しくのけた。
「心して聞いてね。二度は語らないわ」
「……ありがとう」
 それから、僕は耳を傾ける事になる。
 アンジェラの語る、姿なき敵の話を。



 チリン――
 無言で佇む少女。そのかたわらに立つ部下は、上司に問いかける。
「どうするの、あれ」
「話をした事?」
「そっちじゃない。だって、紅葉の能力はもう死導者級よ? それこそ寿命だって関係ない。一緒にいれば……、いつか辛くなるだけよ」
 夜空色の死導者は、そんな事か、と言外に示す。
「それは、普通に生きていても同じ事だわ」
「同じじゃないでしょ。死なないのよ?」
「同じ事よ。いずれは死が分かつ」
「それより早くお別れしなきゃいけないじゃない」
 チリン――
 黒き死導者は視線を持ち上げる。
「人は皆、それぞれの事情を抱えて生きているわ。彼は貴女よりも猶予がある、それだけの話」
「むぐ」
「ずるい、って思った?」
 桜色の少女は口元を歪め、
「少しだけね。あたしゃ猶予なんてこれっぽっちもなかった。羨ましくないなんて言ったら嘘になる」
 でも、と少女は続ける。
「今日はアンジェラに乗ってあげる」
「ありがとう」
「お礼を言うような事じゃなけどね」
「感謝した時に使う言葉を、ありがとう、と言うのでしょう?」
 今度は死徒も反論しなかった。
 二人の眼下。その先に、新たな力を手にした青年がいる。仲間となった、けれど、仲間ではない青年。
「いつまでも、甘えてらんないんだからね……」
 切な響きを言葉に滲ませ。
 彼女たちは願うのだ。叶えたい想いがあるから。
 チリン――



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