|
俺は人間ではない。 だけど、姿も声も人間だ。 なら、俺は何に混じればいい。 教室に戻ると、どこかで見たような顔が待っていた。 「あ……夏目君」 ロングヘアの女子生徒。それ以外、目立つほどの特徴はない。 夕暮れの教室で、二人きり。その割に、剣呑な気配は一切なかった。 「その、最初はメールしようかと思ったんだけどね、夏目君がケータイ持ってないって聞いて、その、どうしようかなって悩んだんだけど、結局、こういうアナログな方法しか思いつかなくてね」 顔を赤くしているのは緊張のせいだろうか。不慣れな様子が見て取れた。 「それで、その、ずっと前からいいなってのは思ってたんだけど、そういう感じじゃなくて、なんていうか憧れみたいな感じっていうのか、ほら、あたしってどんくさいし、すぐ誰かに頼っちゃうし、だけど夏目君はそんなことぜんぜんなくて、いつも一人でスルッてこなしちゃって、凄いなって思っていたんだけどね、その……」 「それで?」 びくり、と女子の口が止まる。あれほど流暢だった言葉が途切れる。 「結論は?」 「え、あ、う……」 「やるか、やらないか、どっちだって聞いてるんだ」 軽く手を握る。そこに感じるのは、人間のままでは死ぬまで感じることがないであろう気配。 破壊の気配。 だというに、女子生徒の方はますます顔を赤らめる。 「や、やるって、そんな、いきなり!?」 「いきなりでなきゃ何だ。前置きでもしろって? それで死ぬのはごめんだよ」 「は? 死ぬ?」 「……?」 その時点で、ようやく俺は意見の齟齬に気がついた。 「ああ、あんた、“違う”のか」 こんな時間、教室に呼び出し。しかも、俺を名指しで。 てっきり、その手の誘いだと思っていた。誘いの罠を仕掛けられるほど派手に動いたつもりはないが、そういうことはありえる世界だ。そう思っていた。 だけど、違った。どうしようもないほど、つまらない理由だ。 「ならいい。さっさと帰れ」 「え? その、じゃあ、答えって……」 「何の答えだか知らないけど、お断りだ。そもそも普通の人とじゃ話にならない」 「――そんな」 言葉は最後まで続かなかったらしい。女子生徒は顔を隠し、教室から走り去っていった。 「なんなんだ、ったく」 力をそっと収める。 また、殺し合いをしそこねた。 帰り道、俺はいつも一人きりだ。 普通の学生なら友達と歩く道も、俺にとって、危険な場所でしかない。そして、そんな場所を好んでいる俺もいる。 見上げる空は赤い。血のような、という表現をするやつはいたが、俺にはそれが理解できなかった。血液はもっと汚いし、こんな複雑な色合いはしていない。 あるいは、俺も普通であったなら、そんな感想を抱いたのかもしれない。 ――人間じゃない。 自分がそういうものであると習ったのは、本当に小さな頃。今では、それがいつであったのか、思い出す事もできないくらい昔。 俺の親は小さな寺の住職だった。毎日、寺の掃除や手伝いやら、そういうものをやらされるのが嫌で、よく逃げ出そうとした。そのたび、親につかまり、こっぴどく叱られた記憶がある。 そんな事を何度か繰り返した後、親は俺に教えてくれた。俺という存在、俺たちという存在。 生まれた時から幽霊が見えていた俺にとって、人間ではない存在というのは、さほど珍しくはなかった。だけど、本当の意味で、俺も“そちら側”であるとは考えていなかっただけに、ショックだった。 遠い、昔の話。けれどそれは、今に連なる点の話。 ふと、俺は足を止めた。行く先をさえぎるようにしていたのは、一人の男子生徒だ。 「やるのか?」 「そのつもりだよ。だけど、そのまえに話をしたいな」 線の細い、背丈ばかりが伸びたようなやつだった。力強さは欠片も見えず、外見だけなら雑魚もいいところだったが、実際にそうかはわからない。そういう世界であると、俺はこの数年で嫌というほど知っていた。 「中島さん、泣いていたよ」 「中島?」 思い返すが、俺の覚えている名前の中には該当しなかった。 「とぼけるつもりか? 中島さん、今日は一日中そわそわしていた。君に告白をするために、だ」 「告白」 もしかしてさっきの事か、と連想する。そういう意味で呼び出したのか。 恋愛などというものに概念の薄い俺でも、告白という言葉の意味くらいは知っている。だが、それが我が身に降りかかったのは初めての事だ。 「なあ、断わるのは自由だよ。お前の選択肢だ。だけど、もっと言い方があったんじゃないのか?」 「お説教ならごめんだぜ」 「いいから聞けよ。中島さんはずっとお前だけを……」 「聞こえなかったか? 説教される筋合いはない、って言ってるんだ」 男の口が閉じる。俺はまくしたてた。 「いいか? 俺はわざわざお前らを避けて生きてるんだぞ? そのほうがお互いのためだからだ。それを、何の能力もない女が、いきなり飛び越えようっていうんだ。馬鹿を言っているのはどっちだと思っている」 「君がどういう選択肢を選ぼうが知ったこっちゃない、って言っているんだ!」 男子は拳を握り締めたかと思うと、すぐさま振るってきた。 鋭さも何もない。素人まるだしだった。 「人を! 泣かせておいて! その言い草はなんだ!」 直情的な拳をかわし、俺はすれ違うように握った一撃を相手の腹に叩き込む。 相手は崩れ落ちたが、それでも瞳から殺意のようなものは消えてなかった。 「なつ、め……!」 「俺に構うなよ。せっかくの努力が無駄になるじゃないか」 そう、すべて無駄になってしまう。 父から退魔というもの、人に害をなす幽霊の存在を聞いた後、俺はそうあろうと自ら決めた。 俺たちは人じゃない。人間という存在である事を捨て、人間を守るためだけに特化した、人間に似ている『何か』だ。 そうなる以上、人間と必要以上の関わりを持つわけにはいかなかった。それは時に邪魔となり、障害となり、そして、守るべき相手を傷つける事にもつながりかねない。 本当はさっきだって話して聞かせるべきだったかもしれない。だけど、こうしたほうがはるかに早く、そして明確な結果を出してくれる。 こうして嫌なやつと認識されれば、誰も俺に近づかなくなるだろう。それでいい。 触れるべきじゃない。お互い、知らないままならそのほうがいい。 くずおれる名前も知らない男子生徒をその場に、俺は歩き出した。 自宅に両親の姿はなかった。退魔師の数は限られる、日本中を飛び回ることも、決して珍しい事じゃない。またどこかに行っているんだろう。 チリン―― 鞄を放り投げ、俺はごろりと自分のベッドに倒れ込んだ。なんだか、特に何をしたわけでもないのに、変に疲れていた。 「……」 なんとはなし、さっきの男子を思い出す。 ――断るのは自由だが、断り方がある。 あいつの言っていた事は、要するにそういう事だろう。だけど、断り方も何もない、というのは俺の正直な感想だ。 たとえば、敵を殺すのに、手段を選んでいるようなやつは先に死ぬだろう。そう幾度も戦った事のない俺だが、死者と戦うというのは、それだけ危険な事だ。 そして、死者とは生者の延長線上にある。ともなれば、やはり手段など選ぶべきではないだろうに。 それに……、結論は変わらないはずだ。 「本当に?」 「!?」 身を起こす。反射だった。 「何をおびえているの? 子猫とて、もう少し胸を張って生きていようというもの」 「な、に……ッ!?」 俺の部屋。その壁際に、見知らぬ人間が立っていた。 否、見知らぬ“人間”が、俺に気付かれる事もなく部屋に入る事などありえない。たかだか八畳間、隠れていられる場所も、こっそり侵入する経路もない。 となれば、こいつは、こいつこそが! 「ちッ!」 手に力を集める。だが、その前に敵も動く。 「遅いわ」 少女然とした化物は片腕を振るう。どこから飛び出したのか、鎖が俺の体を縛り上げる。 「くっ、そ!?」 能力を使い、力任せに引きちぎろうとするが、ちぎる事はおろか、びくとも動かす事さえできない。 小学生と見間違えかねない小柄な体躯だというに、なんて馬鹿力! 「そうね、貴方はまだ子供。偶像に憧れ、他人を拒絶し、不必要に自分を美化しても無理のない年頃。とはいえ、行き過ぎも、あまり褒められた事ではないわね」 「テメエ、何のつもりだ!」 「私は死導者。死を導く者」 少女は静かに名乗りをあげた。 死導者。聞いた事がなかった。だが、そもそも俺の質問とあいつの答えは合致していない。 「何のつもりだ、って聞いたんだけどな?」 「そう急く事もないでしょう?」 少女は余裕たっぷりに笑う。それが癇に障る。 「なまじ力があるから余計に問題なのね。貴方は、力を持つには未熟すぎる」 「うるせえ!」 暴れようとするが、鎖のせいで、それもままならない。 「力は誰でも持てばいい、というものではないわ。それ自体に善悪がないからこそ、使う者には、律する精神が必要になる。力の強さが増すほど、余計に」 「うる、さいッ……! 仕方ないだろう、生まれた時からの化物だ!!」 そう、望んでこんな体になったわけじゃなかった。生まれた事を後悔したのだって、一度や二度じゃない。 別に、力なんてものを望んだ事なんかない。 「知ったふうな口をききやがって! お前に何がわかる! 俺は人間でいたかった! お前らのような化物になんか、なりたくなかった!!」 その言葉に、少女は少しばかりの感情を表した。ほんのわずか、丸まった瞳。すぐさま戻るほどのわずかな変化だけど、それは、確かに相手の感情に揺らぎが生まれた証拠だった。 「友達と笑って、恋人を作って、そんな当たり前の幸せを受け入れられるならそうしたかったさ! でもそうじゃない、退魔師は化物だ! お前たちと同じ! 人間の姿をしているだけの、人間でさえない何かだ! こうしなきゃいけないんだろう!? 人間じゃない俺たちが、人間と一緒にいられないのは当然なんだろう!?」 「……そうね。私たちは、人ならざる者。ゆえにこそ、人と離れて歩くべきだと、私とて考えた事もあるわ」 こんなやつに同意をされるのは、それだけで腹が立つ。だが、その通りなんだ。 人間じゃない。俺たちは。そうなれば、諦めるしかないのだ。 獣が獣と遊ぶように、人が人と群れるように。人ではない俺たちは、人の群れに交じる事はできない。 そんな事で、せっかく人間を捨てた意義を失うわけにはいかなかった。 俺たちが人間を捨てたのは、化物と成り果てたのは、人間を守るためだ。ただ、それだけのためだ。 戦い、殺し、そういう生活を選択したのは、ただ愛すべき人間を守るため、それだけのためだ。 人間と一緒に歩こうとすれば、嫌でも人間が傷つく。それでは意味がないんだ。存在そのものを捨ててまで守ろうとしたものが、傷ついてしまう。 「けれど」 少女の声が俺を思考の渦から現実に引き戻す。 「教わったわ。人は強い。利益にならないと知っていても、損益しかないと知っていても、感情という名の原動力を持つ人間は、とどまるという事を知らない。 貴方は、数多の人間たちに比べ、格段に恵まれた環境にいるわ。それを、貴方は自ら受け入れまいとしている。自分の理想を守るため」 「――俺の、理想?」 「貴方が戦うのは誰のため? その手の力は何のため? 脈々と受け継がれてきた貴方たちの能力、それは、何のためのもの?」 「それ、は、人間を守るため……」 「ならばこそ、貴方が人間を傷つけて、それが本来の意義だと胸を張って言う事ができる? 自分は強いぞと肩をそびやかし、向けられた好意に敵意を向け、自分の理想像を押しつけて。それが、本当に退魔というものなの?」 「――ッ!」 絶句した。思わず。 こいつは、化物のくせに、俺たちの敵でしかないくせに、俺よりもよほど理解してやがる。 そう、思えてしまう。 「彼の言っていた、『断り方』というのは、相手を思いやるという意識の問題。 選択肢そのものが悪いというわけではないのよ。貴方たちが守ろうとした“人間”は、感情があってこそのもの。それを裏切る、そういう選択の仕方こそが、彼の言っていた問題よ」 「……。それを、俺に伝えて、どうするつもりだ」 「別に?」 チリン―― 少女が揺らぐと、鈴が揺れる。音が鳴る。 「私は人間ではないわ。貴方の言葉を借りるなら、殺されるべき化物。人のように、感情を原動力とする生物ではないわ。意図も何もなく、動くかもしれないわね?」 それは、どこか人を小馬鹿にしたような笑みだった。だけど、それをすんなりと受け入れられた。 ほんのわずかな時間。短い時間。だのに、こんなにも心を揺れ動かされるのは、何故だろうか。俺にはそんなにも芯がなかったのか、と思わされてしまうほど。 「貴方は、自分でもわかっていたのではないかしら」 チリン―― くすっ、と笑みを残し、少女の姿が掻き消えた。いつの間にか、鎖ごと。見渡しても、少女の姿はどこにもない。気配も感じなかった。 「くそっ、なんでもかんでも知ったふうな口をききやがって……」 ベッドに腰を落とす。 脳裏に、クラスメイトの顔が浮かんでいた。 あの日は金曜日だった。 週明けの月曜日、俺は、あの男子生徒を教室内で見つけた。 「よう」 声をかける。名前を呼ばなかったのは、単純に覚えていないからだ。 男子がこちらを見やる。その視線には、明らかな嫌悪感がにじんでいた。 「何の用だ」 「あー、その、だな」 言い出しづらい。だが、言わなければいけないのだろう、きっと。 それが、人間の生き方だろうから。 「その、悪かった。ごめん」 「……? どういう風の吹き回しだ」 「あれから色々と考えて、やっぱり、俺が悪かったな、って」 ごく冷静に、人間と人間の関係として考えれば、あれはない。 「なんだ、急に。気持ち悪い」 「お前もいいかげん、包み隠さないやつだな」 「お前みたいのに包み隠しても仕方ないだろう」 はぁ、とため息ひとつ。 「それで? なんでわざわざ謝りにきたんだ」 「え? なんで、って?」 「謝るなら、もっと相手がいるだろう」 くい、と顎で示す先、あの女子がいた。普通に登校してきたのは、驚嘆すべきなんだろうか。 「いや、だから、その、な?」 「手伝わないぞ」 「うげ」 男子はじろっと俺を見上げ、 「どうして手伝ってやらなきゃいけないんだ。自分で決着つけろ」 「あ、ああ」 「ただ、まあ」 視線が少しだけ和らぐ。 「その心意気だけは認めてやる。駄目だったらフォローくらいしてやるよ」 「あ、ありがとう」 俺は女子の方を向く。向こうもこちらに気付いたらしい、視線がぶつかった。 途端、変な汗が背筋を伝う。戦いと決まっていれば慌てる事もないのに、こんな緊張を、普通の人間相手にするなんて。 「あ、と」 体の動かし方さえ思い出せない。変にぎくしゃくした動きのまま、俺は歩き出す。 あるいは、それも当然なのかもしれない。 人間として歩くのは初めてだ。初めての事をするなら、誰だってぎこちない動きになるだろうから。 チリン―― 「子供ね」 呟いたのは、言葉とは裏腹に、どう見ても子供にしか見えない少女。 「だからこそ間違えても正して貰える」 「きゅう」 どこからともなく、黒い獣が姿を現した。ひくひくと鼻先を動かし、何かを問いかけるように首をかしげる。 「彼は正してくれる人がいた。親と接する機会が少ないぶん、そういう相手がいるのは、奇跡的な事だわ」 「きゅ」 「ええ。そして、正して貰えなかった人もいる」 少女の視線が、一定の方向を指す。 「そちらね」 チリン―― 鈴の音を残し、少女は空を蹴る。 ただ、前だけを向いて。 チリン―― |