誰かを想う心ってのはとても大事。
 そのカタチにこだわるのは、変かもしれない。
 想いは、とても純粋なのに。


「ねー、どうしたの?」
「へ?」
 間抜けな顔であたしを見るマリに見せつけるように、あたしはため息をついた。
「どうしたのよ、マリ。最近、何か変だよ? 何かあった?」
「あ、ううん……何でもないの」
「じゃあ、しゃきっとしなさいよね。マリがそんなんだと、あたしまで調子が狂うんだから」
「うん……ごめん」
 謝られても仕方ないんだけどな。まあ、そのくらいはいいか。
「何かあったなら言いなさいよ。ひとりで抱えたってしょうがないんだから」
「うん、大丈夫」
 そう言うマリの顔は、大丈夫そうじゃなかった。

 マリとは中学に入ってすぐに仲良くなった。それからは、何をするにも一緒だった。
 同じ吹奏楽部に入って、同じ高校を受けて、今は同じクラスになった。
 いつだったか、誰かに『恋人同士みたい』と言われた事まであるくらいに、あたしとマリは仲良しだった。もちろん、彼氏なんていないあたしらは『それも悪くないかもー』なんて、冗談を言ったっけ。
 それが、最近になって少しおかしくなった。マリがボーッとする時間が増えた。あたしが話しかけても上の空で、何かあったのかと尋ねても何も答えてくれなかった。
 少しずつマリとの距離が離れていくようで、あたしは寂しかった。あたしは、マリの友達のはずなのに。あたしは、マリに何もしてあげられない――。

 学校からの帰り道。試験まであと一週間を切ったから、部活も休みで、あたしはブラブラと駅まで歩いていた。
 今日もマリはさっさと帰っちゃった。最近になってこんな事も増えた気がする。
 なんとなーく面白くなくて、あたしはいつもと違う、少し遠回りになる道を歩いていた。他の生徒の姿はない、静かな道を。
「あれ?」
 ふと、気付いた。少し先の横断歩道で信号待ちをしている生徒、あれ……マリだ。
 マリの隣には夜空色のワンピースを着た、黒髪の小学生くらいの子供がいる。ふたりで何か話しているみたい。
 あたしがそっと近付くと、女の子が振り向いた。つられてマリも振り向き、あたしを見つけた。あたしは仕方なく声をかける。
「どーしたのよ、マリ。この子、知り合い?」
「うん、そんなとこ」
 マリの歯切れはどことなく悪かった。
 あたしはかがんで女の子と視線を合わせ、聞いた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「アンジェラよ」
「アンジェラ、ちゃん。変わったお名前ね」
「貴女たちの概念では、そうでしょうね」
 ……やけに大人びた言い方をするのね。最近の子供ってこんなのばっかなのかな?
「リカ、あたしアンジェラと用があるから……」
 マリの申し訳なさそうな声が降ってきた。あたしは立ち上がり、マリに視線を戻した。そして、できる限り普通っぽい感じになりようにして言う。
「そなの? うん、それじゃあまた明日ね」
「うん、また明日」
 手を振り、青信号になった歩道を、マリとアンジェラは歩いて行った。その後ろ姿を、あたしは寂しさを抱えながら見つめていた。

 次の日、マリは学校を休んだ。メールを送ったら、
『ただの風邪だから大丈夫だよ』
 心配だったけど、あたしにはどうしようもなかった。
 その次の日も、マリは学校を休んだ。さらにその次の日も。
 さすがに三日連続で休んだのが心配で、あたしは学校帰りにマリの家に寄る事にした。
 マリの家には何度も行った事がある。学校の最寄り駅から四駅、時間にすれば十分ちょっとの駅がマリの家に近い駅。マリの家は、その駅からさらに十分弱、歩いたとこにある。
 あたしはちょっとだけ迷いながらもマリの家に到着した。青い屋根の一軒家がマリの家だ。
 あたしがチャイムを鳴らすと、お母さんが出た。あたしが見舞いに来た事を告げると、快く中に入れてくれた。
 マリのお母さんと一緒に、二階のマリの部屋に行く。そして、お母さんが扉をノックした。
「真理子、お友達がお見舞いに来てくれたわよ」
 お母さんが声をかけると、中から細い声が、どうぞ、と響いてきた。
 お母さんに促され、あたしは扉を開いた。何度も来た事のあるマリの部屋。机にベッドに本棚。どれもきれいなのは、マメな性格のマリがよく掃除をするから。だから、白さがやけに目に染みる。
 マリはベッドの上で、上半身だけを起こしていた。顔色がやけに悪い。
「マリ……大丈夫?」
「大丈夫……」
 言った直後、マリはけほけほと咳をした。
「ぜんっぜん大丈夫じゃないじゃない! ほら、まだ寝てなきゃダメだよ」
 あたしは強引にマリを横にさせ、机のところにあったイスをベッドの脇まで運んで座った。
「マリ、どうしたの? ただの風邪じゃないの?」
「うーん、それがよくわからないの。お医者さんにも検査してもらったんだけど、よくわからないって」
「何それ……。すごいヤブ医者じゃない」
 あはは、とマリは小さく笑った。笑顔なのに、とても苦しそうだった。
 何となくあたしは言葉を出せなくなって、黙った。部屋に沈黙が落ちる。
 静寂を破ったのは、ドアをノックする音。続いて、入るわよ、と声がしてから扉が開く。
 マリのお母さんはお盆の上にコップをふたつと、薬を乗せていた。あたしに薄茶色の液体が入ったコップを、マリには透明な液体の入ったコップと薬を渡した。
 マリが薬を飲むと、お母さんは、ごゆっくり、と言い残して出て行った。
「――何の病気かもわからないのに、薬を飲むなんて変だよね」
 ぽつりとひとりで呟くように、マリは言った。
「うーん、でも仕方ないよ。ちょっとでも早く治った方がいいでしょ?」
「うん、そうだね……」
 しばらく、マリは窓の外を眺めていた。その横顔は無表情で、それだけに寂しくて、あたしは声をかけられなかった。
「あたし、さ……」
 窓に目をやったままマリは口だけを動かした。
「ずっと好きな人がいるの」
 ……そんなの気付かなかった。誰の事だろう。マリと仲の良かった男子の顔がいくつか思い浮かんだ。
「でもその人とは世間じゃ許されない恋で、だからあたしも自分の気持ちを押さえつけた。必死になって押さえた」
 マリの目尻に、涙がたまっている。なんだか心をかき乱されるような、辛そうな涙。そのせいで、あたしは一言も言葉を発せなかった。
「でも、それももう限界みたい。心が、感情が止められないの。どうしよう、あたしはどうすべきなんだろうね、リカぁ……」
 マリの頬に線ができた。透明な滴が頬を伝い、布団にぽたりと落ちた。
「いいじゃん、マリ。告白しちゃいなよ」
 マリはあたしに目をやった。赤い目がすごく痛々しい。
「マリは好きなんでしょ? 世間なんか気にしないで、自分に正直に生きようよ? あたし、応援するからさ!」
 あたしはマリに元気を出して欲しくって、そう言った。マリは弱々しく微笑んで、小さく唇を動かした。
「じゃあ、リカは受け止めてくれる?」
「……………………え?」
 マリの顔には、どこか達観したような……諦めたような笑顔が浮かんでいる。見ているだけで心がざわめきそうな、笑っているのに泣いているような、そんな顔で、マリはまっすぐにあたしを見つめている。
「ねえ、それって……どういう?」
「わかるでしょ、リカなら。あたしは、リカが、好きなの」
 一言一言、しっかりと話す。言い間違いではないって、嘘や冗談ではないって強調するように。
「ライクじゃない。本当に心の底から好きなの。ずっと昔から、リカだけを見ていた。あたしはリカを、町田梨佳子を、愛しているの」
 マリの目が、それは冗談の類ではないと物語っている。つまりは本気って事で、って事は……マリが好きな人って、あたし?
「で、でも……」
 やっと絞り出せた声は、かすれていた。
「でもさ、あたしは女で、マリも女だよね?」
「そうだよ。だから許されない恋。でも、あたしが好きなのは、世界でただひとり……リカなの」
 マリの目が異様な光を帯びる。それはちょうど、ネズミを前にした猫に似ていた。
 マリがゆっくりとあたしの頬に手を伸ばした。あたしは拒絶する事も受ける事もできず、ただ呆然としていた。
 マリの細くてきれいな指があたしの頬をなぞる。あたしは思わずぞくりとした。背中にツララでも突っ込まれたような感覚――!
「きゃっ!?」
 あたしは悲鳴を上げ、マリの手を弾いていた。マリの顔に影が差し、あたしは反射的に謝ってしまった。
「ご、ごめん……、その、なんか慣れてなくて……」
 もう自分が何を言っているのか理解できない。頭が暑い。体がほてって、言う事を聞いてくれない。あたしは何を言いたいんだろう。あたしは、何をすべきなんだろう?
「すぐに返事が欲しいなんて言わないから、ゆっくり考えてみてね」
 無言の圧力に負け、あたしはゆっくりと首を縦に振り……マリの部屋を、後にした。

 知らなかった。マリが、あたしをそんな目で見ていたなんて。
 あたしもマリが好き。でもそれは恋人じゃなくて、ただの友人として好きってだけ。恋人になんか、なれるはずがない。
 でも、もしここで拒絶したら、たぶんあたしはマリと友達じゃいられなくなる。それが怖い。マリと別れるなんて、できない。
 どうしよう、あたしはどうすべきなんだろう?
 ふと顔を上げると、公園の前にいた。夕暮れの中の公園に人の気配はない。あたしは公園のベンチに座り、浅くため息をついた。
「どうする、リカ……?」
 OKはできない。けど、拒否もできない。だったら、あたしは……どうすべき?
「ねえ」
 あたしが顔を上げると、着物を着た、あたしと同い年くらいの女の子が立っていた。
 あれ? この着物、上だけなんだ? 変わってる……。
「あんた、リカ?」
 女の子があたしに聞いた。
「――誰?」
 あたしは思わず呟く。女の子は、ああ、と急に思い出したように名乗った。
「あたし、ケイ。まあ……あんたの友達の知り合いの仲間なんだけど。要するに、真理子ちゃんの知り合いよ」
「マリ、の……?」
 ケイは頷いた。マリにこんな友達がいるなんて知らなかったけど……。
「で、何の用事? あたし、忙しいんだけど」
「そうは見えないけどね」
 女の子は肩をすくめ、呆れたようにあたしを見下ろした。
「それよりさ、あんた……真理子ちゃんの気持ち、知ったんでしょ? どうするの?」
「どう、って……」
 それが決められないから、困っているのに。
「そういえば、どうしてそんな話を知ってるのよ? あたし、まだ誰にも相談した覚えがないんだけど」
「あ? ああ、それはまあ……そんな細かい事なんかどうでもいいのよ!」
 何故かケイは慌ててお茶を濁した。
「それより、どうするのよ? 断るの? それともまさか、受けるの?」
「受けるのは、できない……けど」
「ならいいじゃない。断っちゃいなよ」
「でも……」
 ケイは眉間にシワ寄せこめかみに青筋を立て、ぎろりとあたしを睨んだ。
「何をうじうじ悩んでるのよ。駄目ならきっぱり、駄目って言いなさいよ。案外、真理子ちゃんもそれを望んでいたりしてね」
「え……?」
 断る事を、望んでいる――?
 そんなの、考えてもいなかった。そういえばあたしは、マリの気持ちとか……考えてなかった。
「女同士だから悩んでるんでしょ? そんなの、あの子だってわかっているのよ。その上であんたに告白した気持ち、考えた事ってある?」
「それは……」
 あたしは、答えられない。ケイの、言う通りだから。
「別に受け入れられないのは仕方ないよ。でも、はっきりしなきゃ駄目。あんたがはっきりしないと、彼女も終われないじゃないの……」
 ……そっか。そうかも、しれない。
「……わかった」
 立ち上がったあたしの体は、なんだか軽かった。
「ありがとう。あたし、もっかい行ってくる」
「ん、頑張ってきなよ」
 ケイをその場に残し、あたしはマリの家に向かって駆け出した。
 マリの家に行くと、お母さんが驚きつつも出迎えてくれた。
 マリはベッドの上で起き上がっていた。まるで、あたしが戻ってくるってわかっていたみたいに。
「マ、リ……」
 あたしとマリのふたりだけしかいない静かな空間にあたしの声が響く。
「……何?」
 マリのきれいな目があたしを見つめている。静かに、じっと。
 ――言わなきゃ。言わなきゃ始まらない。言わなきゃ終わらない。言わなきゃ、駄目なんだ。
 あたしは顔を上げた。決心は、できたから。
「マリ。ごめん、あたしはマリの気持ちを受け取れない」
「…………そっか。そうだよね」
 マリは一瞬だけ目を伏せ、すぐに笑ってみせた。
「やっぱりそうだよね。それがフツーだもん。うん、リカは気にしなくていいよ。あたしが勝手に言い出しただけたから……」
 マリの頬を涙が流れた。マリは、笑いながら泣いていた。
「――マリ。虫のいいセリフなんだけどさ……また、友達からやり直そうよ。一緒にお弁当を食べたり、買い物に行ったり、おしゃべりしたり。そういうの、もっと楽しもうよ」
 あたしは笑ってみせた。上手く笑えた自信はないけど、精一杯に笑ってみせた。
「…………ごめん、それはできないんだ」
「――そう、だよね」
 予想はしていた。覚悟もしていた。でも、実際に言われると……やっぱり傷つく、よね。
 あたしの顔のせいか、マリは慌てて手を振った。
「あ、そういうのじゃないの。あたしだってリカと一緒にいたいよ? でも、もう無理なの……」
「――――え?」
 チリン――
 小さな鈴の音。あたしが振り向くと、いつぞやの女の子が立っていた。
「覚悟はできたようね」
「うん」
 問いかける女の子と、頷くマリ。ちょ、ちょっと……どういう事!?
「マ、マリ! どういう事!?」
 マリは笑っていた。もう、涙は乾いていた。
「ごめん、リカ。あたし……もうすぐ死んじゃうんだ」
「――――――は?」
 死、ぬ? どうして?
「彼女にはもう生が残っていない。このまま放っておいたところで、世界の因果律が彼女を殺す。だから彼女は、もう生きられないの」
 マリの代わりに、女の子が説明する。何を言っているのか理解できないけど……、
「本当、なの?」
「うん」
「絶対なの?」
「……うん」
 そんなの……そんなの、信じられない!
 だってマリはこんなに元気で、薬だって飲んでるし、ゆっくり休んでいるし――!
「ごめんね、リカちゃん。あたし、そろそろ逝かなきゃ」
「……ッ! 待って、待ってよ! そんなのってない!」
 叫ぶあたしの肩に、小さな手が乗った。見ると、女の子があたしを見上げていた。
「引き止めてはいけない。彼女とて未練がないわけではない。それでも死が訪れてしまうから、彼女は受け止める覚悟をした。貴女が引き止めてしまうと、彼女は死の先を逝く事ができない」
「でも、でも……」
 わかっているよ。マリが死んじゃうってのが嘘じゃないって事も、あたしが引き止めたところでどうにもならないだろう事も。理由なんてない。ただ、この子が言う事は、信じていいって思う。根拠も何もないただの勘だけど、言葉の端々にある雰囲気とか、そういうのが言っているんだもん。疑いようが、ないよ。
「リカ」
 呼ばれて、あたしはマリを見た。マリは笑っていた。死が目の前にあるのに、温かく笑っていた。
「じゃあね」
「…………うん」
 その顔を見たら。頷く以外の行動は、できなかった。
 チリン――
 女の子がマリの横に立った。いつの間にか、剣を手にして。
「マリ」
 最後に、あたしは小さな声で言った。マリと女の子の、四つの目があたしを見つめる。
「忘れないよ」
 ずっと、絶対に。
「――ありがとう」
 マリの胸に剣が刺さった。すぐにマリは幻想的な光に包まれて、ゆっくりと目を閉じ、横になった。もう、動かなかった。


 三人の少女は窓の外から部屋の中を眺めている。黒い少女が白い少女に問いかけた。
「あれでよかったの」
「うん。ありがとね。おかげで綺麗に別れられた」
 黒い少女は、そう、とだけ答えた。代わりとばかりに、桜色の少女が問いかける。
「あれさ、マジ……なんだよね?」
「ん、あたしはリカが好きだよ。本気でね」
 はぁ、と呆れたような驚いたような表情を桜色の少女は浮かべた。
「そういう不毛な想いって楽しい?」
「色々。でも、好きって事に変わりはないから。ケイはそういうの、抵抗あるの?」
「そりゃあるわよ。ってか一般的な思考の人はだいたい抵抗があるって」
 そんなものかな、と白い少女は呟いた。
 白い少女は黒い少女を見やり、問いかけた。
「アンジェラはそういうの、抵抗ある?」
「……それが真摯な想いであるなら、肉体的な形状は関係がない。相手の内面に惚れ込み恋愛感情を抱くなら、そこに男女は関係がない。私は、人の生に決められた形はないと思っているわ」
「オトナね」
 少し嬉しそうに笑い、白い少女は部屋の中で泣き崩れる少女を見た。たとえ胸をかきむしられるような痛みを感じても、もう届かない場所で泣く少女。手が届かない少女には、ただ祈る事しかできない。
「……バイバイ、リカ。また会えたら、仲良くしてね」
 チリン――
 いつの間にか、黒い少女が白い少女の前に立っていた。白い少女は腰をかがめ、黒い少女を抱き締めた。
「……さようなら、優しい死神さん」
「ええ」
 ふたりの少女の影が重なる。黒い少女が唇を離した時、すでに白い少女の姿はなかった。
「……ねー、アンジェラ。アンジェラはそういう気はないよね?」
「――ある、と言ったら貴女はどうするのかしら?」
 げ、と桜色の少女は呟いた。それを見て、黒い少女は優しく微笑んだ。
 チリン――



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