オレンジ色の光に照らされた道路。橙色の光を浴びるたび、一瞬だけ黒い闇が払われる。
 黒と橙が交互に訪れる中、私は助手席に座って、彼が持っていたピアスを眺めていた。光が差すたび、きらりと輝く。
「助かったわ。ひとりじゃどうにもできない案件だったし」
「私は、いけない事はいけないと、そう教えただけなの」
「十分、大切な事よ。大人も死人も、叱ってくれる人もいなければ、寄りかかって甘えられる相手もいない。誰かが叱咤激励してくれなければ、死人はいつまで経っても死人のまま」
 私は自分の隣に座る研究者を見た。
 天野さんは、幽霊が見えない。霊的存在が実在すると知っていても、それを肌で感じる事は少ないと思う。
 今回だってそう。天野さんからすれば、私は、何もないところに話しかけていた変な人にしか見えなかったろうに。
 なのに、死人についてこんなにも理解してくれている。それが、素直にうれしい。
 とかく今を生きる人は目に見えないものを信じてくれない。見えない存在を信じてくれる事さえ貴重なのに、ましてや、その相手に感情を置いてくれるなんて。
「ありがとう」
「……? それはあたしが言うべき事じゃないかい?」
「そんな事はないの」
 うれしくて、つい、笑みがこぼれる。
 私の手の中では、ピアスがきらきら光っていた。心なしか、ただのアクセサリでさえ、感謝を述べているような気になってくる。
「ん?」
 ふと気がつく。わっかの中に文字が刻まれていた。
 よーく見ると、白い文字で、99とあった。
「99?」
 何の事だろう。
 このアクセサリーは、何の意味も持たないわけじゃない。霊的存在をこの世に縛り付けた、その証拠品。
 となれば、この数字にも何らかの意味があるはず。
「99、九十九……つくも?」
「どったん」
「あ、なんでもないの」
 つくも。白文字。
 まさか?
 そんな単純すぎる象徴で、本当にそれだけの力を引き出せるの?
 確証はなかった。けれど、それは、ひとつの可能性に思えた。
「まみちゃん?」
「ん?」
「あ、いや、いいんだけどねぇ」
 天野さんは正面を向く。その横顔は疑念が混じっていた。
 だけど、天野さんに、私の着想を話すわけにはいかなかった。それが事実なら、これは、私が決着しなければいけない事柄だから。
 神様に仕える巫女として。鯉田を継ぐ者として。
 死者を導く退魔を目指す者として。
「――」
 知らず、ピアスを握っていた。ほんの少し、手のひらがちくりとする。
 握った手を開くと、手のひらに小さな穴が開いて、そこから血がにじんでいた。

 天野さんに自宅でもある神社まで送ってもらう。
 家のほうに足を向けると、誰もいなかった。鍵は開いていたから、社殿のほうにいるんだろう。
 私は荷物を部屋に置き、代わりに、立てかけてあった弓を手に取った。
 あずさ弓。たいした力を持たない私からすれば、過ぎた武器だ。これをくれた人は、いずれ力が必要になる、と言っていた。退魔として生きるのならば、力で戦わねばならぬ時がくる、と。
 私は対話を重視する。たとえ通じずとも、言葉を投げかけずに争うのは好まない。
 だけど、今回ばかりは、そうも言っていられない。そんな気がした。
 あずさ弓を携え、私は本殿に向かった。案の定、そこに、最も見慣れた姿があった。
「まみか、どうした」
 父だった。
 袴姿の父は、ちょうど本殿の掃除をしていたらしかった。
「お父さん」
 私は左手に弓を握り、右手で不可視の弦を引く。
「……まみ?」
「どうして?」
 これは、質問ではない。
 尋問だ。
「まみ、何のつもりだ」
 お父さんの顔に真剣味が増す。けれど、空手。距離もあるし、いくらお父さんが荒事に慣れているとはいっても、どうにでもなる。
「火野の亜流にして退魔の名門・鯉田の末裔として問います。何故、生者を弄び、死者に鞭打つ愚かな行為に手を染めたのですか」
「何の事だ。まみ、その弓を下げなさい」
「次はありません。答えなさい」
 じり、と弓を引く。目には見えない矢がお父さんを狙っている。
 もはや、いつでも放てる。
「まみ、お前は自分が何をしているのか――」
「破!!」
 矢を放つと同時、私は横っ飛びにはねた。直後、私が立っていた場所を、力がゆき過ぎる。
「居直るのが早いの」
「お前の決断力は私に似たのだな」
 言って、お父さんは自嘲的に笑った。
 対峙した時点でわかっていた。お父さんはいずれ私をも殺せると。
 見た目にはわからない。声にも、言葉にも、表情にも変化はない。だけど、私にはわかる。
 私は鯉田まみ。名門退魔一族を継ぐ者だ。
「火野にさえ悟られぬよう、慎重にも慎重を重ねて行動してきたのだがな、まさか、娘のお前にまっさきに見破られるとは。いや、あるいは、親子だからか」
 首を振り、お父さんはたもとから一枚の紙切れを出す。
 祝詞が書かれたお札だ。
「まみ、お前には理解できないかもしれないが、お父さんのしようとしている事はとても重要な事なのだ。それこそ、退魔の行く末を決めるような、な」
「あなたは未来のために過去を犠牲にしているの」
「幾人かが命を落とそうとも、その先で救われる多くの命に比べれば、必要な犠牲だ」
「犠牲に要るとか要らないとかはないの」
 平行線だ。言葉で解決などできない。
 それは、わかっていたけれど。
 あれほど手の込んだ霊具を作っている時点で、後戻りするつもりなんてない事は確実だった。だからこそ、私は武器を手にしたのだから。
「まみ。いい機会だから言っておこう。いいか、『現状が正しいとは限らない』。
 今現在、人が人を殺さなければいけないと定められている。退魔とはそういう事だ。だが、人の心を持ったまま、人であったものを殺し続ける事はできない。いいか、現状のルールは、最初から人間的な心を壊すようにできているんだ。
 どこかで解放されなければいけないんだよ。こんなルールに縛られていては、退魔師は本当に化け物になってしまう」
「だから、自然を利用するの?」
「人が人を殺してはならない。だが、自然は人を殺す。なればこそ、最後まで自然に殺させればそれで済むじゃないか」
「――自然の生を活用しようとする事、それ自体は間違っていないと私も思うの。だけど、生きている人を利用する事は理解できない。その自我を奪う事は、なお理解しない」
「一般人が退魔師を襲うようになってしまったのは、ただの偶然だ。本来ならば、自我なきまま、霊だけを狙うようになるはずだった。いくつか試作品を作ったが、どれも失敗した。やはり簡単にはいかないな」
「自我のない一般人を、自然の生で操り、変魂と戦わせようというの?」
「近い。だが、より正確に言うのなら、自然の生が戦うための依代よりしろを用意しているだけさ。それは、生きている人間でなくともいい。ただ、元より動く機構のない人形を使うより、手っ取り早いというだけだ。完成形には人形を使う予定だよ」
「だから、邪魔をするな?」
「さすが娘だ。父親の発想を理解している」
 お父さんに隙はなかった。いや、あるのかもしれないけど、戦い慣れていない私には、それが見抜けない。
 やはり、普段から変魂との戦いをなりわいにしている父とは、レベルが違う。私では、父には勝てない。
 だからといって、誰かに助けを求めるつもりはなかった。
 たとえここで負けたとしても、その結果として死ぬ事になろうとも、私は父親を止めなければならない。
 娘として、鯉田を継ぐ者として。力が及ばないから諦める程度なら、退魔師として必要ない。
「あなたは、間違っているの。退魔師は我慢をしなければいけない。苦しいかもしれないし、罪を背負う事になるかもしれない。たくさんの命を、ただ生きたいと願うだけの命を奪うだけの仕事」
 変魂たちは、最初から望んでそうなるわけじゃない。
 そもそも、死にたくて死んだ人間は、変魂になんてならない。みんな、自分の死を受け入れる事ができる。
 だけど、唐突に死んでしまった人は。現世に心残りを持ったまま死んでしまった人は。そんな人は、強い未練に縛られる。死にたくないと願う。
 結果、変魂となる。死ぬ事を拒絶した結果、死ぬ事のない体となり、自我まで失う。
 それは、とても悲しい事で。だから、退魔師は変魂を殺す。殺し続ける。
「言ってしまえば、退魔師は殺人者なの。誰かという名前の、誰でもない人間のために、人を殺すの。それでも、退魔師はそうあらねばならない」
「何故?」
「それが退魔の誇りなの。断末魔を耳に刻み、怨嗟の念を心に刻み、神様に背を向け、それでも殺し続ける。そうする事で、不幸の種を減らせると信じて」
「それが愚かしいと思わないか? いずれ自然生の人形が量産できるようになれば、退魔師など必要なくなる。そうすれば、苦しむ人間を減らす事にも繋がるんだぞ」
「そうはならないの」
「いやに断定的だな。まだ理解できないか?」
 私は首を横に振る。そんなの、わかりきっていた。
「人間を犠牲にして作ったようなものが、人間を救う事はできないの」
 お父さんの理想。人形が変魂を狩るのなら、それは間違ってはいない。退魔師だけでは手の届かない場所もあるし、確かに、人が人を殺し続けるというシステムは、どこかで誰かが破綻する。
 だけど、お父さんのやり方は違う。人を救うために人を犠牲にするなんてありえない。そんな方法で作ったものは、いずれ人に牙をむくと思う。
 救いの道具は、救いのためだけに作られなければいけない。私は、そう思いたい。
「……。女の子には難しい話だったかな」
「お父さんは夢を見ているの。悪い夢。だから、それを断つ」
「どうやって? 悪いが、私は空手でもお前に負けるつもりはない」
 袂が揺れる。お父さんがその気になれば、武器を持った私でも、必ず勝てるとは言えない。
 じり、とお互いに動く。弓を引く私。突撃する隙を窺う父。
 何かの拍子に、この緊張は弾ける。その予感がする。
 じり、じり、と動き――糸が、切れる。
「はッ!!」
 飛び込むお父さんめがけ、遠慮なしに弓を放った。
 不可視の矢はお父さんを襲い、
「ふっ!!」
 紙一重でかわされる。ううん、軌道をずらされた!
 慌てて弓を引き直す――けど、遅い!
「まだ甘い」
 お父さんの手が閃いたかと思うと、上下が逆転していた。
 久しぶりにお父さんに投げられた。理解はできても、体は追いつかない。板の間に叩きつけられ、肺の中の空気を全て持っていかれる。
「かふっ……!」
「痛いだろう。苦しいだろう。だが、人を殺す心の痛みは、こんなものではない。お父さんはな、そういうものをなくそう、と言っているんだ。子供のわがままで言っているわけじゃない」
「理想は、正しい手段で、追いかけなきゃ……、無意味なの」
「それは、理想を現実にする難しさを知らぬ者の言葉だ。理想を理想的な手段で追いかければ、必ず障害に当たる。そうさせぬための手段こそが、私の選んだ道なんだ」
「それは、逃げなの」
「なんとでも言いなさい。お前も退魔師として生き続ければ、いずれ当たる壁だ」
 そして、お父さんは、その壁を乗り越えない道を選んだ。
 ううん、乗り越えられなくて、それが心苦しくて。だから、自分は悪くないと思い込むことで、心の苦しさを乗り越えようとしたんだ。
 それ自体は悪くない。だけど、そのために何かを犠牲にするというのなら、私は戦わなきゃいけない。
 だけど……、心とは裏腹に、体は起き上がってくれなかった。
「じゃあな、まみ。もう会う事もないだろうが」
「お父、さん」
 父親の背中を見送る事しかできない、歯がゆい自分。
 力が足りないと、それを嘆いたのは、初めてかもしれない。
「完成品ができた暁には、きっとお前にも見せられるさ」
「作らせるわけないでしょうがッ!!」
 それは、力に満ちた声だった。体の芯に熱をともすような、力強い声。
 同時、光が閃き、本殿の壁が吹き飛んだ。
「見つけたわ。あんただったのね」
 光の剣をたずさえ、鬼神のように目を光らせ。
 志野ケイが、お父さんの前に立ちふさがっていた。
「ちっ……、死導者か」
「逃がさないわ」
 ずい、と迫るケイ。構えてさえいないのに、恐ろしいほどの威圧感がある。
「あたしは敵にゃ容赦しないわよ。ましてや、アンジェラを傷つけようとする人間なんて、手加減する理由もない」
「結構。君たちに許しを乞うつもりもない」
 そっ、と、お父さんは袂に手を引き戻した。
「君たちもまた! 殺されなければならない害悪だからな!!」
 飛び出したのは、数枚の紙片。あれは――ヒトガタ!
「ケイ!」
「そんなもの!」
 舞う紙片は、周囲の生を吸収し、人の形を成した。それを、端からケイの剣が斬り裂いていく。
 お父さんはすぐさまケイに背中を向け、走り出した。
「ちっ……、逃がすか!」
 伸ばした刀身がお父さんに直撃する。同時、姿が消え、ただの紙片と成り果てた。
「なっ、ヒトガタ!?」
 気付けば、ケイの周りには紙切れが舞うばかりで、お父さんの姿はどこにもなかった。どうやら、ヒトガタを使って、姿を誤魔化したらしい。
 チリン――
 遅れ、鈴の音色が響く。ケイが切り開いた壁から、アンジェラが姿を見せた。
「逃げられたようね」
「ごめん、アンジェラ」
「構わないわ。確証が得られただけでも十分よ。それに、鯉田匠は貴女よりも戦術に長けている。逃げる事を前提とした退魔師が相手では、貴女の能力は分が悪い」
 それより、と呟き、アンジェラは私に歩み寄った。体を起こし、顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「平気なの」
「全て?」
「……もちろん」
「そう……、強いのね」
 私は、大丈夫。だけど、お父さんは――。



 チリン――
 鈴の音と共に、崩れた木片が壁に戻る。修復された壁面を眺め、巫女は目を見開いた。
「凄いの。便利屋さん?」
「普段はしないのだけれど、今回はケイが迷惑をかけたようだから」
「いや、だってさ、そうしないとピンチだったわけじゃん! しょうがないじゃん!」
「きゅう」
「ああ? なんか言ったこの小動物!」
 争う一人と一匹を横目に、少女は問いかける。
「私たちは鯉田匠を追うわ。貴女は?」
「もちろん、追いかけるの。お父さんの過ちは、鯉田がケリをつけないと」
「それは、退魔師としての使命だから?」
「それだけでもないけれど、それが最も大事なの」
「何故?」
「鯉田の血は、変魂を倒す、そのために継がれてきたの。お父さんは鯉田を継いだ。そうしない選択肢もあったのに、その道を選んだの。だから、同じ退魔師として、鯉田を継ぐ者として、そして、私自身が目指す退魔師の姿として――認められないの」
「それを聞いて、安心したわ」
 チリン――
 涼やかな音と共に、少女は浮かび上がる。
「鯉田まみ。お互い、頑張りましょう」
「もちろんなの」
 答える巫女の表情は柔らかい。
「本当に、強いわね」
「……?」
「貴女の強さを、皆に分け与える事ができれば、きっと――」
 チリン――
 黒衣の少女はスカートを翻し、空に消える。
「あ、ちょっと、アンジェラ!」
「きゅう!?」
 慌てて追いかける部下たち。その様に、巫女はくすりと笑いをもらした。
「私の強さは、私だけのものではないの」
 ――ええ、そうかもね。
 風が答えてくれた。
 チリン――



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