いけない、という事は知っている。
 だが、それは知識であって、理解じゃない。
 なぜなら、ゆえんを知らないからだ。



『何故だ?』
 あいつの言葉がよみがえる。
『あなたは以前、私に言った。集めろと。狩り取れと。そうやって蒐集したものを用い、あなたは死喰いに勝利すると』
 その言葉は嘘じゃない。確かに、自分の技術を誇るため、集めた術式で正面から勝負するため、大量の生は必要だった。
『あの時と今では何が違う? 何も違わない。我々は、死導者とはかくあるべきなのだ。下等で下劣で価値さえない屑から力を奪い、集め、上位が上位たるゆえんを知らしめるのだと。私はそう信じ、そうあるべきと思い、実際にそのように行動してきたつもりだ。
 それは間違っているというのか? 間違っているのであれば、それは何故だ? 我が主、あなたは私の疑問に答えられるのか?』
 そして、主は答えられなかった。
『……そうか』
 残念そうに、あいつは呟いた。それがやけに心を傷つけた。
 心配になって、これからどうするんだ、と聞いた。
『どうもこうもない。どうしようもない。あなたが殺すなと言うのであれば、私が殺すわけにはいかない』
 殺させるわけにはいかなかった。それは約束であり契約。死導者の在り方は変わった。その今、命をいたずらに消費させるわけにはいかなかった。
『我が名は強欲、その破片。主の一部であり主の手足である。手が主の意思に反して伸びる事はない』
 その点、あいつが嘘を言っている可能性はなかった。自分の破片だ、そのくらいはわかる。
『だが……、ならば、我々はどう生きればいい? どう生きられる? 殺し、奪う事だけが存在意義だったのであれば、意義を奪われた我々は生きているのか?』
 その質問もまた、答えられなかった。答えを持っていなかった。
『まあ、いい。この場で全ての問いかけに答えよというのも無理がある。殺さねばいいのだろう?』
 そう言って、あいつは白い聖女マリアと共に去った。
 残された祖たる死導者は、眷属の問いに、満足に答える事さえできなかった。

 死導者という存在が生まれたのはいつだったか。俺っちも思い出す事ができない。
 最初は簡単なゲームだった。八人の死導者、内の七人は、好き勝手に力を蓄える。そして、残る一人は、他の七人たちを殺す。
 俺っちたちも、殺されまいと力を蓄え、技術を磨く。ただ、自分で技術を磨きつつ生を集めるのは効率的じゃなかった。
 そこで、祖と眷属という概念が生まれた。俺っちたちは祖。そして、それぞれが八人の部下を生む。
 生まれた部下は、生を集め、俺っちたちに届ける役目だ。子が親に餌を届けるってのは皮肉かもしれない。
 生はなんにでもある。者にも物にも。ただ、最も効率よく集めるには、やはり人間を殺すのが手っ取り早かった。そこで、眷属による人間狩りが始まる。
 ところが、それは逆効果だとすぐ悟った。あまりに大量の人間を喰らっちまうと、すぐさま死喰いに見つかっちまう。力を蓄える前に見つかってしまっては本末転倒だ。だから、みんなこっそりと生を集めるようになった。
 それから何百年か。時代は変わった。
 死導者は人を殺さなくなった。ゲームも終わった。どういう紆余曲折があったのか、詳しい経緯は聞いた事がない。聞くつもりもなかった。そうなったのなら、それでいいと思う。
 ただ、死導者が人を殺していたという事は事実だ。それが急に方向転換されたとなれば、俺っちは納得できても、眷属たちは納得できないかもしれない。
 ゲームが終わった時点で、眷属の存在意義は失われている。その事に、いまさらながら気がついていた。
 生き残った眷属たちは、誰も何も言わなかった。主である俺っちの命令に反するような奴もいない。みんな、素直に祖である俺っちの一部に戻った。
 だけど、すでに死んでいたあいつは、あいつだけは、自我がハッキリしている。それはそれでいい、自立した存在として生きればいい。
 だけど……、どう生きるのか。それを教えるのは、親である俺っちの役目、なんだろう。
 だけど、どう生きればいいのかなんて、俺っちにもわからない。
 どうして殺してはいけないのか。殺さないのならば何をすればいいのか。
 そんな簡単そうな質問にさえ、答えられなかった自分。そんな事実に気付いたのは、恥ずかしながら、眷属の言葉があってこそだった。

 ふんわりふわふわ、空を飛ぶ。理由はない。ただ、そうしている方が落ち着くからだ。考え事をするにはちょうどいい。
「殺しちゃいけない理由、か」
 改めて問われると、答え辛い。
 たとえば俺っちは、元から積極的に殺しをする死導者ではなかった。単に、自分が欲しいものを手に入れるのに、障害となりうるものだけを殺すだけ。
 だけど、人間の法律では、それもいけない事らしい。人間の決まりでは、殺していいのは、誰もが殺さなければいけないと思うほど悪事を働いた相手だけ。つまりは、個人の勝手な判断で殺す事をよしとしない、という意味だ。
「難しいな」
 なぜ、人間を殺してはいけないのか。生きる者に対し、その生を止める事はなぜ悪いのか。
 答えが出ないまま空を飛んでいると、地上に見知った相手を見つけた。
「おーい」
 声をかけながら地上に降りると、彼女もすぐさま俺っちの存在に気付いた。
「……マモン」
「よう、まみ姉ちゃん」
 紅白の衣装に身を包んだ人間の女。鯉田まみという、この神社を守る巫女だ。
 実年齢でいえば俺っちの方が遥かに上なんだろうが、俺っちは外見を重視して、年上の体を持つ彼女を姉ちゃんと呼んでいる。
「ちょうどよかった。まみ姉ちゃんに聞いてみたい事が――?」
「ん?」
 俺っちはまみ姉ちゃんをじっと見つめた。どことなし、いつもと雰囲気が違う。
「まみ姉ちゃん、何かあったのか?」
「……。マモンは、何も聞いていないの?」
「何の事だ?」
 まみ姉ちゃんは、ほんの少しだけ笑んだ。弱々しい、痛みを感じる笑みだった。
「じゃあ、教えてあげる」
 まみ姉ちゃんは語った。
 これまで起きていた、狂った人間ども。死んだはずの眷属が蘇った事。それらの元凶は――彼女の父親だった、という話。
 死導者に敵対する人間がいる事は聞いていた。それを探せ、と、マリアから命じられてもいた。
 だが、まさか、こんな身近なところに、犯人がいたとは。
「それで、まみ姉ちゃんは落ち込んでいるんだ」
「落ち込む?」
 きょとん、としたまみ姉ちゃんは、くすっ、と笑う。
「そう、そうかもしれないの」
「……?」
「お父さんが悪い事をしていたと聞いて、それで何も思わないはずがないの。それほど、私は強くないの」
「あ、ああ?」
 何か知らないが、俺っちの言葉で、まみ姉ちゃんも少しは元気を取り戻せたらしい。それなら良い事だ。
「それで、何を聞きたいの、マモン」
「ああ、それなんだが」
 俺っちは、眷属に問いかけられた事、それに対して答えられなかった事を伝えた。
 まみ姉ちゃんは少しだけ考え込み、
「殺してはいけない理由……」
「ああ。まみ姉ちゃんなら、なんて答える?」
 まみ姉ちゃんは首をかしげ、言った。
「たぶん、理由は言えないの」
「まみ姉ちゃんでも?」
 退魔師といえば、人間に仇成す変魂に対し、敵対する存在だ。普通の人間よりは倫理観を持っていそうなものだが――。
「だって、眷属に、殺してはいけない理由はないの」
「え? だって、人間は人間を殺しちゃいけないんだろう?」
「うん。でも、それはルールじゃないの」
「ルールじゃ、ない?」
 まみ姉ちゃんは頷き、
「たとえば、殺人罪って決まりがあるの。人が人を殺したら、反省するまで牢獄に捕えるか、もしくは死刑になるって決まり。
 でも、その決まりがなくなって、自由に人を殺してよくなったとしても、人間は人間を殺さないと思うの」
「禁止されなくても?」
「そう。人間が人間を殺してはならない、っていうのは、人間の本能なの。そこに、色々な人が理由をつけるの。
 たとえば、自分や、自分の大切な人を殺されたくないから。だから、殺す事そのものを全て禁じる。
 たとえば、人間の存在意義は生きる事で、殺す事は種族そのものの意義に反するから。だから、殺させない。
 でも、それはみんなテキトーな嘘なの」
「そう、なのか? まともな事を言っているようにも思うけど」
「殺されたくないなら、殺さなければいいだけなの。種族を反映させたいなら、子供を産み、育てればいいだけなの。そこに、決まりを作る必要はないの」
 決まりは必要ない。
 だが、死導者は、殺す事を禁じた。それは――決まりが必要だからだ。
「人間は人間を殺さない。そこに理由を見つける事はできるの、でも、そんなのは後付け。色々と考えて、自分で納得した理由でなければ、人は忘れてしまう。そして、人は千差万別。万人が納得する理由なんか、最初からあるはずがないの」
「じゃあ、人間は、なんで殺さないんだ?」
「だから、本能なの。魂に刻まれた、最も根源的な部分で、人間は他人を殺さないの。群れで生きるためかもしれないし、もっと他に理由があるかもしれない。でも、人間は、感情を移入した相手……、他の人間を殺す事なんて、できやしないの」
 ふんわりと、まみ姉ちゃんは笑う。
「でも、死導者にはそんな理由も、根源もないの。だから、平然と人を殺せてしまう。それは、悪意でもなんでもない、そういう存在なの」
 人を殺せる存在。
 そうかもしれない、と少しだけ思った。
 俺っちたちは死導者。生まれながらに殺す事を意義として持っていた。それは、まみ姉ちゃんの言う、人間という存在とは異なる。
「マモンの眷属が人を殺してはいけない理由を知らないなら、それを、マモンが教える事はできないの。ううん、きっと誰にもできない」
「じゃあ、俺っちは、どうすればいいんだ?」
「どうする必要もないと思うの」
 まみ姉ちゃんは、そっと俺っちの頬に触れた。
「人の生き方は人が探さなければいけないの。それは、きっと死導者も同じ。アンジェラがいつも言っているでしょう? 生を教える事、道を伝える事はできるの。でも、それが正しいと信じて、歩むためには……、自分で考えなければいけないの」
「考える、か」
「ちょうど、今のマモンと同じようにね」
 今の俺っちのように。
 それは簡単な言葉で、だからこそ胸にストンと落ちるような感じがあった。
「……そっか。そうだな。ありがとう、まみ姉ちゃん」
「ううん、こちらこそ」
 そっと笑みを浮かべるまみ姉ちゃん。俺っちにはその笑みの意味はわからなかったけど、あるいは、俺っちとの小さな会話が、まみ姉ちゃんの中で何かを繋いだのかもしれない。
 外から何かを受けて、内側で何かが変わる。
 生きるとは、生とは、そういうものなのだろうか。

 数日後。
「お」
 街中を歩いていた俺っちは、空に見知った存在を見つけた。翼を広げ、跳び上がる。
「いよう」
「あら、マモン」
 そこにいたのは黒と白。外見的にはほとんど変わらないふたり、アンジェラとマリアだった。
「ちょうどよかったわ、マモン。貴方にも話さなければならない事があるの」
「犯人の事か? それなら、すまねえ、ちょっと置いといてくれないか」
「……? 何か、優先事項が?」
「お前らにはどうでもいい事だろうけど、俺っちには大切な事があってな。俺っちの眷属はどうした?」
「彼ならばそこに……」
「なんだ」
 アンジェラが指し示すまでもなく、化物然とした死導者が現れる。
「『答え』は見つけたのか?」
「さあね」
 それが、俺っちの答え。
「答えは俺っちにゃ用意できない。それが『答え』だよ」
「――そうか」
「落胆したか?」
「いや。主がそう言うのであれば、私は従わざるをえまい」
 忠実だ。どこまでも正しく眷属である。
 こいつは、俺っちの言葉を忠実に守った。だからこそ人を殺した。そして、今後は殺さないだろう。
「なあ。お前は人間が下等で下劣だって言ったけど、そんなんばっかじゃないんだぜ? 俺っちも人間の知り合いはいるし、あの人らが危険になったら、たぶん守ろうとすると思う。
 人間は生きているからこそのしがらみがあるし、欲望があるけど、それは死導者も変わらないんじゃねえかなあ」
「だから、守れ、と?」
「そうは言わないさ。俺っちは、そう思ったってだけだよ。お前の答えは、お前が見つけろ。生きがいも、理由も」
「それでも主か?」
「親は子供を育てる事はできる。でも、子供の人生は子供のもんだ。自分で歩まなきゃいけない」
 しばし俺っちの顔を見つめていた眷属は、ふん、と鼻を鳴らした。
「どこかで聞いてきたような回答だな」
「まさにその通りだからな」
「……。己はないのか」
「どうでもいいじゃんか、そんなもん」
 今ならば、自然に笑みを浮かべられる。
 いけない事は、いけない。それを伝えるのが親の仕事。
 その理由を見つけるのは、きっと、自分自身なんだ。



 チリン――
 鈴の音色が響く。歩みを進めるのは四人の姿。
「鯉田匠、というのね」
「ええ」
 白い少女の言葉に、黒い少女が応じる。その後ろに続く少年と化物は、何も口を挟まない。
「それが、“敵”……」
 聖女が歩みを止めると、他の皆も足を止める。
「マリア、どうする?」
「それを私に問うのね」
 聖女の顔には、笑みさえ浮かんでいた。
「以前の私ならば、殺せ、と命じていたでしょうね」
「今の貴女は?」
「もちろん、わかりきっているでしょう。私たち死導者は、生者の生きる道に対して、阻む事もそらす事もしない。ただ、言葉を交わし、導くだけ」
「その通りよ」
 死導者は殺さない。そう決めたのだ。
 それは、たとえ殺されそうになったとしても、変わる事はない。
「アンジェラ。此度の相手を導く事はできると思う?」
「不可能だからやらない。そんな選択肢を、私は今まで一度たりとも持った事がないわ」
「……ふふ、頼もしいわね」
 双子のように同じ顔が居並ぶ。
「きっと、彼の死導は、貴女に頼む事になるわ。アンジェラ」
「私は私にできる事をするだけよ、マリア」
「それで十分よ」
 誰も、自分にできない事はできない。
 ただ、できる事を、必死になってやるだけなのだ。
 未来を見据える二人を、少年と化物がそっと見守っていた。
 チリン――



戻る