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知恵を持つ者は、何かしらを考え、望む。 小さな願いから、大きな願いまで、それぞれの願いを。 それらが渦巻き、世界を形作るのであろう。 「あてを担いでいるわけではないんじゃの?」 「もちろん」 あての前に立つ童女は、迷うことなく頷いた。 狐は嘘吐きと言われる。それも、あながち間違っていない。狐は獣。己を守るためには、嘘を使いこなす必要もある。 それゆえ、あては人の嘘を見抜くのも得意とする。狐同士、互いの真意を見抜くためには、そういった能力も必要とされるのだ。 その、あての勘が告げている。アンジェラ・ウェーバーは嘘を吐いていない。 「しかし、それだけでは解せぬ。そのくらい、お主も気付いておろう」 「……ええ」 「ちょっと。何のことよ。二人だけでわかるように話されても、あたしにはぜんっぜんわかんないっての!」 声を荒げたのは、童女の隣に立つ少女。 アンジェラのお供で、ケイという。主であるアンジェラとは違い、短絡で直情的、けれど、素直で、狐のように嘘を得意としない姿は、好感も持てる。 「なに、たいしたことではないんだがの」 告げて、あては空を見上げた。 都会の空は暗い。山から見上げる、多くの星々が、この空にはない。 あては、民家の屋根上でアンジェラたちと話をしていた。アンジェラはあてに、自分たちをつけ狙う存在を探して欲しい、と言った。あても動く中、犯人が尻尾を出したという。 その正体は、退魔師・鯉田匠。神道と霊具製作を得意とする人ならざる人だという。 退魔師は人間ではない。けれど、人間から生まれた、霊殺しを専門とする人間の一種。すなわち――獣ではない。 「人間に、かような霊具が作れるのか、そう思っただけのことでの」 「は? だって、匠って霊具を作るのは得意なんでしょ? それに、犯人は人間だって言ってたじゃない。あんな、陰湿な作戦を選ぶのは、人間だって」 「そうだの。人が犯人、それは間違いないじゃろうの。手口は人のもの、それに、あては匠という男は知らぬが……、霊具を作るのが得意というのであれば、その通りなのだろうよ」 「じゃあ、何が引っ掛かるっていうのよ」 「お主は、あてが力を行使したところを見たことがあったの?」 一度、あてはケイの前で能力を使ったことがある。 獣の能力は、人が定義するそれとは根本的に異なる。自然の流れに向きを加え、決して逆らうことなく、その一部を引き出す。 あては他の獣よりも引き出せる容量が大きいだけで、根本的な能力は他の獣もさして変わらぬ。要するに、獣としての基本的な能力に過ぎない。 じゃが、それは“獣の能力”だ。 「獣の能力というのはの、人間のそれとは大きく異なる。その最たるものが、己の力を使うか否か。人間は、あくまで自分という器の中にある生しか扱いきれぬ。それは人間としての存在がそうさせるのじゃ」 「む、難しい言い方をしないでよ」 「そう変なことは言っておらんぞ? たとえばの、人間は自分自身を自然の一部と考えることなどできん。それは人間という存在の個性じゃな。よく、人間は世界で最も傲慢、などと言われるがの」 「……?」 あての言葉を、アンジェラが引き継ぐ。 「人は、自分以外の生き物を省みないわ。とある生物が滅亡に瀕した時、その生物が人間にとって有害か否かで、存続させるかどうかを決する。 たとえば、そこに一匹の蜘蛛がいたとする。その蜘蛛はとても貴重で、世界で数十匹しか存在しないものだとして、人間たちはどうする?」 「え? そりゃあ、まあ、保護するんじゃないの? ほら、レッドデータ、だっけ? 絶滅危惧種ってヤツになるんじゃないの?」 「では、その蜘蛛が、触れるだけでどんな人間も殺してしまうような、猛毒を持っていたとしたら?」 「それは……」 「さらに極端なたとえをするならの、その蜘蛛が生きた人肉以外を食さないとしたらどうするかの?」 「……駆除、するでしょうね」 「そう、『駆除』じゃ。体のいい言葉を使ってはおるがの、それは種族を殺す事に他ならない。生かす種族を、人間が、自分の利益だけで考えておるのじゃ」 尻尾を振り、あては続ける。 「別に、人間を非難しておるわけではない。自分に害がある生物を遠ざけようとするのは、生物としては当然のことじゃ。人間は極端だがの。話を戻そか。 人間は、そうやって世界と人間を切り離して考えておる。それは人も、人から派生した存在たる退魔師も、大差ない。お主も元は人間じゃ、そのあたりは変わらんじゃろう」 「それは、そうかもしれないけど」 「世界と自分を切り離してしまう人間ではの、自然の力を使うことは難しいのじゃ。ましてや、その流れを、あれほど細かに操作する霊具を作るなど」 「でも、匠は実際に作ったじゃない。じゃあ、匠が人間じゃないってわけ?」 「あてはそう考えておる」 「はぁ?」 ケイは顔いっぱいに怪訝な色を表した。 「そんなこと言ったら、娘のまみとかも人間じゃなくなっちゃうじゃない。あんた、常識で考えなさいよ」 「言い方が悪かったかの。人間一人で可能な作業ではない、そう言っておるのじゃ」 「……それって」 「じゃから、アンジェラもあてのところに来たのだろう? 人間でなければあんなものを作ろうとは思わん、じゃが、人間だけでは、あんなものは作れん」 必ずいるはずなのだ。この空の下。 鯉田匠という、哀れな人間に知識を授けた者。 「裏切り者の獣は、あてが処断せねばなるまいて」 翌朝、あてがアンジェラに連れられて向かった先は、大きな洋館だった。 「なんだ、こんなに朝早くから」 出迎えた男は、明らかに退魔師の匂いをさせている。なんでも、鯉田の親戚だという。名は火野陽平、だったか。黒いコートは、カタギに見えぬ出で立ちじゃ。 「……? そちらの方は?」 「あては瑠璃という。見知り置いておくんなし」 きひひ、と笑う。陽平は眉をひそめ、 「まあ、アンジェラが連れて来るのだから、こちらの人間であることは間違いないでしょうが。それで、何のご用件ですか?」 「鯉田匠と言ったの、その男が除霊に行った場所を知りたいのじゃ」 「……アンジェラ。経緯を説明してくれないか、さっぱり理解できない」 「そうね。たいした話ではないのだけれど」 あてを連れてきた黒い童女は、同じく黒い男に説明する。あてに犯人探しを頼んだ経緯、そして、現状。 「なるほど。確かに、我々も匠が一人であの霊具を作ったというのは、解せないと思っていました」 「ほう? 何故に?」 「当たり前すぎる答えですから」 「その心は」 「匠は以前より霊具作りに長けていました。なるほど、あれほど特殊な霊具を、飛び抜けた能力を持つ匠が作ったというなら、それは誰しもが納得する答えです。だが、だからこそおかしい。なぜなら、その霊具を悪用すれば、まっさきに製作を疑われるのは、匠自身だからです」 「だが、実際にその男は疑われていなかったのだろう?」 「通りいっぺんの調査は行われていました。聞き取りです。ですが、我々も匠を知らないわけじゃなかった。彼が、そんな自ら疑われるような行為に手を染め、あまつさえ退魔師全てを敵にするなど、考慮の内になかったのです」 「……ふうむ」 疑いとはとかく難しい。 どう見ても犯人にしか見えぬ者がいた時、大抵の者は、逆に疑いを薄くしてしまう。あからさま過ぎて不自然に見えるのだ。 匠も、まさにその通りだった、という事だろう。 「けれど、瑠璃さんのおっしゃる事が本当なら、全て納得できます。なるほど、獣の技術。そんなものを扱えるのは、退魔師の中では、聞いた事がありません」 「そうであろうの。だからこそ、聞きたいのじゃ。鯉田匠なる男は、いつ、獣と接点を持った? その可能性は、どこに転がっていたんじゃろうな?」 「……。ひとつ、可能性が考えられます。一年ちょっと前の事です」 前置きし、黒い退魔師は、鯉田匠の受けた依頼について語り出した。 獣の姿に戻り、野山を駆ける。本来の姿で本来の生き方をしていると、やはり体が馴染む。 景色を後ろに流しながら、あては退魔師に聞いた話を思い返していた。 『一年ちょっと前、匠は信州の山中にある村から依頼を受けました。依頼の内容は、人形に憑いた霊魂を落として欲しいという、さほど珍しくないタイプのものです』 信州。今や獣の住まう土地は少なくなったが、あちらにはまだ残っている。 『この手の依頼は、大半が霊とは関係のない原因によるもの……、ありていに言って、依頼人の心に問題があります。言ってしまえば、心の病による幻覚です。ところが、そういった依頼人は、精神科に行けとアドバイスしたところで聞き入れるはずもない。そこで、除霊のふりをすることがあります』 人間の心は難しい。それは、あても知っている。ゆえに、努力せねばならない事も。 『その時も、匠は除霊のふりをしました。具体的には、人形を山中の神社に持っていき、そこでおはらいの真似ごとをしたのです。それで、その依頼は完結しました。問題はその後です』 山中の神社。獣はよく、山野にある神域を根城にする。その方が、獣の能力を活かしやすいというのもあるし、単純に住み心地が良いというのもある。 『本当はすぐに戻るはずでしたが、匠はそこで体調を崩し、一泊する事になりました。無理に戻る事も選択肢としてありましたが、途中で体調を悪化させ、騒ぎになっては、退魔師としては面倒ですから。なにせ、退魔師というのは、あまり胸を張って主張できる職業ではありませんのでね。どこの病院にでも行けるわけじゃない』 そういった、山中に住まうせいで、獣の多くは人の心を解さぬ。そのせいで、軋轢が生まれる事もある。 『結果、匠はそこで一夜を過ごしています。彼は依頼に妻と帯同する事が多かった事を鑑みれば……、可能性は、そこしか考えられないでしょう』 それらを収めるは、古い獣たる、あての役目じゃ。 教えられた山に辿り着いた頃には、日が傾いていた。 赤く染まった神社を歩く。近頃の神社にはよくある事だが、全体的にさびれ、落ちぶれている。それでも、曲がりなりにも神社としての体裁を保っているのは、村全体で守っているせいだろうか。 「ふむ」 匂いを嗅ぐ。そこに、人では感じ取れぬであろう香りが残っている。 獣の匂い。それも、霊獣の匂いだ。 匂いの元を探し、あての視線は、社のところで止まる。 「そこにおるのじゃろう? 隠れておらんで出てきたらどうじゃ」 声をかけると、すぐに影が飛び出した。 一匹の狐だ。黄色い毛並みに、黒味を帯びた赤い瞳。感じる霊格は、あてほどではないが、並の子狐などよりは遥かに高い。 「お主、名は」 「蘇芳。あんたは、金毛九尾だな。瑠璃か?」 「その通り」 初めて見る狐だ。もちろん、あては日本に残る狐の中では最古参。じゃが、全ての狐を知っているわけではない。だから、あてが知らぬ狐であることは、特に驚く事じゃない。逆に、向こうがあてを知っているのも、ごく自然な事だ。 「蘇芳、か。お主、何故あてがここに来たか、わかっておるか?」 「ひひっ、とぼけたって、あんたの前じゃ意味ないよなぁ。もちろんわかってるぜ」 神社の境内で対峙する。周囲の木々が少しだけざわついた。 「では、何故、掟を破った」 「掟? 掟ねぇ……」 蘇芳は前足で顔をこすりながら続ける。 「瑠璃、掟ってぇのは何のためだ。何故、獣の術を人間に教えてはならない?」 「決まっておろう。人間を増長させぬため。そして、人間を傷つけぬため。人と獣は距離を置いたほうがいいのじゃ」 「何百年も前は、な」 蘇芳の言葉に、あては思わず押し黙る。 「昔は俺たちにもたくさんの住処があった。野があり、山があった。俺たちの領域はいくらでもあったさ。ところが、今はどうだ。人間が領域を広げ過ぎたせいで、俺たちの居場所はどこにもなくなってしまった。距離なんざ、俺たちがどうやったところで置く事はできない」 蘇芳は周囲を見やる。神社の周囲、作られた林。 「ここもそうだ。俺はここを住処にしているが、それはここがそれなりにマシだからだ。なあ、瑠璃。なんで獣は神域を住処にする事が多いか、わかるか? 人間が騒ぎにくい場所だからだ。あんな連中の、クソ喧しい声なんか聞いてられねえ」 「……」 あては否定の言葉を口にできなかった。 確かに、人間の歓楽街というのは、騒がしい。それに明るすぎる。 それよりはまっとうな住宅街であっても、樹木などはない。練り固められた石の街は、獣には合わぬ。 「ああ、俺は人間に獣の術を教えたよ。だが、それを悪いとは思っちゃいねえ。いいじゃねえか、人間が傷つこうが増長しようが。こんだけ偉そうに生きてる人間が、今さら、ほんの少し増長したって変わりゃしねえ。それよか、自滅して死ぬ人間の方がよっぽど多いだろうさ」 きひひ、と蘇芳は笑った。 「最高じゃねえか。俺たちが手を下さずとも、連中は勝手に口減らしをするんだ。そうすれば、俺たちの住処も増えていくだろう。自然は強いからな、人間が努力をやめちまえば、すぐに戻ってくる。俺にはその未来が楽しみで仕方ない!」 「貴様!」 あては思わず炎を放った。だが、蘇芳はそれを軽くかわし、樹木の上に飛び乗る。 「瑠璃! 俺は後悔していない! それに、もう遅い! 人間は知ってしまったんだ! 得た知識は消えない! 人間は滅ぶぜ! 人間の手で、約束された未来に進むのさ! ははは! 最高じゃねえか!」 「蘇芳! 貴様、獣の誇りはないのか!」 「誇りで生きる場所が確保できんならそうするだろうさ! そんな事はできない! それは獣の頂点に立つお前なら分かっているはずだ!」 「っ……」 いちいち、蘇芳の言葉は癇に障る。 それが完全なる間違いであるなら、論破してそれで済む。そうできないのは、間違いとは言い切れないからだ。 人間が増長し、自然はなくなった。人が減れば自然が増えるであろう事も間違いない。そして、その方が、獣にとって良いという事も。 何もかも的を射ている。あてがそれに納得できないのは、あてが人間に寄り過ぎているせいであろう。 そう、あては、獣の頂点に立ちながら、最も人間に寄った獣だ。それを自分で理解している。だからこそ、アンジェラの味方もするし、人間を守るために人里まで降りたりもする。 確かに、人と獣が距離を置けば、お互いに傷つかずに済む。けれども、蘇芳の言う通り、もはや人間と獣は距離を置くことができなくなってしまった。 ならば、いずれかが――獣の側に立てば、人間が傷つくしかない。その理屈は分かるし、自分を獣と自称するなら、蘇芳のした事を止めるいわれもない。 「……それでも、あてはお主を許せんのじゃ」 「何故だ。瑠璃、よく考えろ。獣にとっての最善を、だ。人間を滅ぼす、それが獣にとって最高じゃねえか。全滅なんざしなくてもいい。片時でもいい。人間の数が減れば減っただけ、俺たちが幸せになれる。ただそれだけの事じゃねえか」 「お主の言いたい事はよう分かる。あても獣だからの。じゃが、あてはお主を認められん。獣としてではなく、瑠璃として」 「感情的だな。およそ獣らしくねえぜ」 「お主も大概じゃろう。それに、あてが獣らしくない事など、とうの昔に知っておる」 そう、もう何百年も昔から。 だから、あては……、『瑠璃』は、生き続けているのだから。 「けっ。話の分からねえ奴と話すことなんかねえぜ。じゃあな!」 蘇芳は尾をひるがえし、山野に消えた。あては、あえてそれを追わなかった。 戦いとなれば、蘇芳を制圧する事などたやすい。蘇芳もそれを理解しているからこそ、無理にあてと戦おうとはしなかったのだろう。 蘇芳の言ではないが、人間はもはや獣の術を知ってしまった。それを絶やす事などできはせぬ。知識は連綿と受け継がれる。それが人間の特性であり、人間がここまで成長した理由でもある。 つまりは、もはや何をしようとも手遅れという事じゃ。 「それにしても」 空を見上げる。その所作そのものに意味はない。思うは、獣の本質。 獣にとって、最も重要なのは生きる事。 生きる事を最優先にしないあては、やはり、獣とは呼べぬのかもしれぬ。 「……蘇芳。お主は正しいよ」 じゃが、人間を害しようとするお前を、認めるわけにはいかんのよ。 瑠璃の名にかけて。 夜風が吹き抜ける神社に、一匹の狐が座っていた。。 チリン―― 小さな鈴の音が、狐を慰めるように鳴り響く。 「そう、狐が」 「すまぬの、アンジェラ」 「いいえ、貴女のせいではないわ」 首を横に振り、人の目に映らぬ少女は問いかける。 「瑠璃。貴女は、未だに?」 「……。アンジェラ、お主は生と死を繰り返しておったと聞く。けれど、薄れぬ記憶があるのなら、過去の生に縛られる事もあろう?」 「ええ」 「あても同じじゃ。長く生きれば、色々とあろう」 狐の言葉に、黒い少女は答えなかった。 「人は良いの、アンジェラ」 「……そうね」 狐は丸くなると、自身の毛皮に顔をうずめるようにして目を閉じた。かたわらに立つ少女は、そんな狐を眺め、そっと姿を消す。 狐の眠りを促すように、小さな音色が響く。 チリン―― |