科学者にとって神様とは、最も会いたい相手だ。
 同時に、最も会いたくない相手でもある。
 何故なら、神様とは『答え』そのものだからだ。



 カリカリと、ペンが走る音が響く。
 学内は静かだった。しん、と静まり返った場所では、ペンがよく進む。
 チリン――
 しじまを破った鈴の音に、俺はペンを止めた。
「話はそれでおしまいかな」
「ええ」
 俺の問いかけに、少女は返す。
 俺は椅子ごと振り返った。
 部屋の中央に、少女が立っている。黒く、昏く、時の流れというものから外れたような人。
 いや、彼女の言葉を信じるのであれば、人でさえないのだろう。
「では、要点をかいつまんで復唱しよう。君は人ならざる存在であり、俺の寿命がわかる。そして、俺の寿命は残りひと月もない。以上かな」
「その通りよ」
「なるほど。実に非科学的な話だ」
 背もたれに体を預ける。ぎし、と椅子が鳴った。
「そして、実に面白い」
「こっちから話を振っといてアレなんだけどさー、あんたって科学者? なんでしょ? それなら、ヒカガクテキな話、っての、信じられないもんじゃないの?」
 少女の共らしい、女の子が言う。桜色の彼女は、主だという少女と比べ、少々騒がしい。
「科学はオカルトを否定するものじゃない。テレビ番組なんかでは、オカルト否定派として科学者がよく引き合いに出されるがね。それは個人の思想であって、科学全般など、オカルトと大差ない。
 たとえばニュートリノやヒッグス粒子は目でとらえる事ができない。だから存在しない、と言うのはナンセンスだ。それは『視覚という手法では計測できない』と表現すべき問題で、存在の有無を議論するのはまた別の話になる」
「……わけわかんないんだけど」
「端的に言うのなら、自分が理解できないからといって存在しない、などとのたまう人間は、科学者ではないという事だ」
「人間は、色々な事を知っているのね」
「そうだな。だが、知らぬ事は、きっとさらに多い。俺はそう信じているよ」
 そしてこれも思想の一種に過ぎない、と続ける。
「君は、何故、人の死を告げるんだい」
「死に向き合って欲しいからよ」
「そうしないと、君の言う変魂とやらになる?」
「かもしれないわね」
「なるほど、正確な物言いだ。しかして、人間が自分の死を認めないという、一種の感情論で、自分の存在まで変質できるとはね」
「信じるわけ? アンジェラの言う事」
「信じるとか信じないとかじゃない。そういう意見があり、主観的な見方をすればそう観測される現象があるという事だ。
 たとえるのなら、そう、柳の下で幽霊を見たという人間がいるとする。それは主観的な情報であり、科学的にはさほど意味を持たない。主観である以上、定量的な測定はできないからね。だけど、主観だけで言うのなら、そう感じ取れる何かしらの現象があったわけだ。
 それは枯れ尾花かもしれないし、ただの靄や霧の類かもしれない。あるいは、その人の心理に何かしら問題があり、幻視をしたのかもしれない。だが、その人間にそうと感じられる何かはあったわけだ。
 しかるに、アンジェラ君とケイ君、君たちが揃って感じられる『生』なる存在があり、『変魂』なる存在がいるわけだ。そして、君たちの話によると、そう感じる人間は他にも大勢いるという。主観は意味を持たないが、多くの主観が揃えば、そこには何かがあるという事になる。再現性を持った何か、だ」
「あのさ。あのさ。あたしってば高校も出てないわけよ。そういう難しい事を言われてもさっぱりなわけよ。わかる?」
「高校や大学というものは関係ないと思うね、俺は。俺は中学生の頃からこういう調子だ」
「あんたってば友達がいないでしょ」
「自分に理解のできない言葉遣いをする人間とは友人になりたくないという発想かな? 自分が友人になりたくないのであれば、他の人間もそう思うであろうという。論理的に見えて、実はかなり狭い視野だな」
「そういう小難しいのをやめろって言ってんの!」
 どうも、俺の言葉は、彼女のお気に召さないらしい。感情的なところがあるようだし、科学者には向かない性質なのだろう。
 それはそれ、個性だ。
「もっとこうさー、他にないわけ? なんで死ぬんだ! って怒ったり、俺ばっかり! って嘆いてみたり」
「それが世界の理を知るために必要な事なら、喜んでそうしよう」
 ケイが口を閉ざす。あきれ果てたのか、あるいは別の理由か。
「できれば、君たちとはもう少し早く会いたかったね」
「あたしは会いたくなかったわよ」
「そうか、残念だ。だがね、君たちの話は、きっと多くの人が興味を持つと思うよ。
 ボーアもアインシュタインも、世界の理は単純かつ美しいものだと考えた。そう信じて物理学を研究し、多くの仕組みを解明した。だが、もし生という存在がこの世界の根幹であるなら、彼らの古典物理学はひっくり返る」
「なんでよ」
「たとえば、俺の生を君が吸ったとしよう。そうすると、俺は死ぬ。そうだな?」
「そうね。生がなくなれば、その人は死ぬわね」
「生物学では、人間の生死を決めるのは心臓の動きであり、脳の働きであり、肉体の生命活動を観測できるかどうかで判断する。だが、仮に生というものが尽きた場合、肉体的には生きていても、その人物は『生きていない』わけだ」
「正しくは、生きていないのではなく、あるべき姿に変わるのよ。因果律によって」
「その場合、どういう風に死ぬ事になる? 肉体側は」
「車にはねられるかもしれない。雷に打たれるかもしれない。自ら発作的に飛び降りてしまうかもしれない。手法は無数」
 俺の問いかけに、アンジェラが答えた。
「車は人間が運転するものであり、雷は自然現象だ。それが同列になると?」
「人も自然も、神ではない何かでしょう?」
「うむ、お聞きの通り。あらゆる科学において、運転手や雷を同列に操作せしめる技術も手法も存在しない。そんなものがあるなら、それは科学じゃない。神様だ」
「人間は……、神様には憧れないの?」
「それは個人的な趣味嗜好によるだろう。だが、俺は神様になりたいとは思えない」
「それも科学者だから?」
「まあ、その通りだ。俺は知らない事を知りたいのであって、自分でルールを作りたいわけじゃない。そういう人間は政治家にでもなればいい」
 肘掛に腕を乗せ、二人を見やる。
「それで? 最初に言ったね、君たちは。俺に聞きたい事がある、と」
「ええ。貴方は科学者、理を解明し、技術に転用する事を生業としているのね?」
「まさに」
「では、技術を生み出すために、貴方は何を犠牲にする?」
「何を、とは?」
「ある人間が言っていたわ。『幾人かが命を落とそうとも、その先で救われる多くの命に比べれば、必要な犠牲だ』と」
「哲学の分野だな。俺の専門外だ」
「貴方はどう思う?」
「俺の個人的意見か? だったら論外だ。そいつはキチガイだな」
「何故?」
「犠牲を多く出せば技術の確立が早いのは当然だ。だが、科学者というのはそういうものじゃない。理を知るのは欲求であり、かつ、人のためだ。他の何でもない。
 人間の命を犠牲にして作られた技術はたくさんある。だが、俺はそれらに幾らも価値を見いだせない。何故か? そんなものは技術じゃない、ただの経験だからだ」
 それも、最低の。
「性善説を信じるなら、その某氏は何かしら、心理的に負担のかかる状況にいたのだろうな。その結果、自分の理屈を通すためなら、他人は死んでも構わないはずだという理屈にもならない自己完結的ルールを決めてしまった。シリアルキラーにでもなりそうだな」
「貴方は、そんな人間を説得できる?」
「何度も言うが俺は科学者だ。哲学者でも牧師でもない。だが、そうだな、そいつも科学者か?」
「科学者……、でもないけど、まあ、近い人よ。こっち側の理屈とか考えるタイプ」
「そいつは、神様にでもなるつもりか?」
「――やろうとしている事は近いと思う」
「なら、前提を分けて考えよう。もし、そいつが神様になろうとしている事を自覚していないなら、そう告げてやればいい。それこそ人間の傲慢だ。いかな人間も、神様にはなれない」
「じゃあ、わかっていて、神様になろうとしたら?」
「科学者失格。そう告げてやれ」
 よくわからない、という顔を返すケイ。一方、アンジェラの方は、少し理解したらしかった。
「科学者は探偵と一緒だ。すでに存在するものを、片鱗から類推し、考え、答えを導く。一方、神様というのはルールを作る側。自分でルールを作ろうとした時点で、その人間は科学者でなくなる」
 ただの愚か者だ、と添えた。
 なるほど、それにしても、神様か。
 面白い。本当に、この世界には俺の知らない事、考えも及ばない事がたくさんある。小説や子供向けの漫画にしか存在しないような理が、現実のものとして存在しているという。
 それを証明してみたい。数式に表し、定量的な観測をし、現実にあるのだという事を万人に理解できる手法で表現してみたい。
 だが、それは叶わないだろう。もちろん俺自身の寿命も問題だが、それ以上に、それはできぬ事だろうと感覚的に理解できるからだ。
 目に見えぬ粒子は世界にごまんと存在する。そして、それらを観測しようと、世界中の科学者が躍起になっている。その結果、いくつかの粒子は実際に観測ができた。あるいはこの先、もっと多くの存在を確認できる日が来るだろう。
 だが、生とやらを、科学が解明する日は来るまい。言うなれば、それが彼女の言う因果律とやらだ。
 考えていて、ふと、気付く。
「はは……」
 “来るまい”だと?
 俺もヤキが回ったもんだ。あるいは、彼女たちの話は、それなりに俺の内面にショックを与えていたのかもしれない。
 死ぬ事を恐ろしいと考える気持ちはなかったはずだが。考える事さえできれば、俺にとっては生も死も変化はないのだから。
 だが、そうでもないようだ。
「なあ、アンジェラ。教えてくれないか」
「私にわかる事なら」
「俺は、人間か?」
 ちょっとばかり目を丸くした少女は、笑み、頷く。
「ええ。貴方はとても人間らしいわ」
「そうか」
 変人奇人とは呼ばれてきたし、そのせいで孤独でもあった。そして、それを憂えた事はなかった。
 だが……、まだ、俺は人間らしい心を残していたらしい。
「面白い」
 この胸にある感覚は定量的な観測などできないだろう。
 これが、悲しみ、だな。



 チリン――
「……匠はさ、神様になりたかったのかな」
「わからないわ」
 共に歩む少女を見下ろし、桜色の少女は言う。
「あの小難しい理屈はよくわかんないけどさ、でも、たぶん『必要な犠牲なんてない』って言ってたのよね?」
「そうね。犠牲を払って対価を得ても、意味がない。それが彼の論理だったようね」
「やっぱそうだよね。あたし、あいつは好きじゃないけど、でも、その理屈だけは信じたい」
 歩みを止める夜空色の主。追従するように、桜色の少女も足を止める。
「貴女の想い。正しいと、私は思うわ」
「ん。ありがと、アンジェラ」
 そっと微笑み、二人は空を蹴る。
「さ、行こう、アンジェラ」
「ええ。先へ」
 彼女たちの行く先は、彼女たちさえ知らない。
 空の向こうには、ただ、夜の闇があるばかり。
 チリン――



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