正しいと思う事を成す。
 それは、ごく当たり前の事だ。誰もがやりたい事だ。
 だが、人の世は、時としてそんな『当たり前』を阻んでくる。



 最近のホテルは安くなったものだと思う。
 町中の一等地にありながら、数千円で寝床を確保する事ができる。しかも、他とは隔絶された、固有スペースだ。
 決して広いわけではないが、それを望むのは贅沢というものだろう。この空間を一人占めできるというだけで、感謝しなければならない。
 私はベッドに横たわり、先の事を考えていた。
 今の私は、日本に居場所などなかった。否、世界のどこにも、居場所などないのだろう。私が属していたコミュニティは狭いが、網は広い。世界中のどこに行っても、私の仲間だった者――今や敵となった者たちは、いる。主要な都市に逃げ場などあるまい。
 行くならば野山か。だが、そんなところに逃げて、何になるというのだろう。
 思えば、私のたくらみが表ざたになった時点で、全ては決していたのだ。

 私は、鯉田という家に生まれた。実家は神社。それも、ただの神社ではなかった。私の両親は、退魔師だった。
 世間で退魔師であると名乗れば、最初は笑われ、続いて引かれてしまう事だろう。世間において退魔という言葉はただのオカルトでしかなく、現実感を持った単語などではない。
 だが、生まれながらに才能を持っていた私には、それがオカルトなどではない、本当の事であるとわかっていた。私には幽霊が生きた人間と同じように見え、その言葉を聞き、さらには彼らを殺す能力を持っていた。
 それからずっと、退魔師として生きてきた。表向きには神社の神主として、裏では死者を殺し続けてきた。
 子供の頃は、今から考えれば浅はか以外の何物でもないが、自分の行いに自負と正義感を持っていた。生きた人間に悪い事をする死者共を殺す、ヒーロー気取りだった。
 だが、やがて、私は気付いてしまった。死者もまた、人間なのだという事。
 いつからそう感じるようになったのか、はっきりとは記憶にない。だが、意識するようになってしまうと、駄目だった。
 変魂などと呼ぶ死者たちは、詰まるところ、死を拒絶した死人――もともとは生きた人間だった者たちだ。人間ならば、誰でも死ぬ事は怖い。中には、死を拒絶する者もいて当然だろう。変魂とは、そんな生者たちの行き着く先だ。
 死ぬ事を拒絶した人間たちは、必然的に、生きる者と対立する立場となる。その存在は、ただ在るだけで生者を蝕み、時には積極的に、その生き様を害するようになる。だから、そんな彼らを殺す事は、生きる者を守る事に繋がる。
 言うなれば、退魔師とは、殺人犯を殺す死刑執行官のようなものだ。野放しにすれば多くの人々が傷つく、だから殺す。だが、そんな事が、いつまでも続けられるわけがないのだ。
 もとより、退魔師というのは理解されない仕事だ。褒められぬ中、命を奪い続けるのは、多大なストレスを発生させる。子供のうちは、ヒロイックな気分で戦えるかもしれない。だが、世の物事を理解するにつれ、殺し続ける事に嫌気がさしてくる。
 それでも、退魔師は死者を殺し続けなければいけない。何故なら、代わりはいないからだ。自分が手を休めた時、傷つく者は、確かに増えるのだ。世界中に存在する退魔師は、数が限られる。全ての人を守れるほど、人員に余裕はないのだ。
 私は、そんな狭間で、押し潰されてしまった。殺さねばならないという使命感と、殺してはならないという魂の叫び。内と外、ふたつの重圧は、私を殺した。
 そして私は、人ならぬ退魔師を創る事に決めたのだ。
 死者狩りの人形。完成すれば、退魔師は必要なくなる。退魔師の代わりができるのだ。それは、私の夢だった。そして、まっとうな方法では決して届かないほどの高みである事もまた、理解していた。
 夢と現実。天秤にかけ、私は、その間を取った。
 たとえ、非倫理的と、そしりを受ける事になろうとも。

「覚悟はあったつもりだが、な」
 現実はこれだ。今や私は追われる身。とはいえ、完成した人形を創るためには、生きた人間を犠牲にせざるをえなかった。そうしなければ、とても私が生きている間に人形を完成させる事などできなかったろう。
 ところが、この手段は、誰にも理解できないものらしい。
「なあ、死者共。お前たちはどう思う? 人間を犠牲に、人間を守る手段を創るのは、悪い事か? 拳銃も、原子力発電も、そうやって作られたものだろう」
 チリン――
 鈴の音色と共に、気配が膨れ上がる。部屋の片隅に現れたのは、超越的な気配を持つ黒髪の女の子と、強い気配をまとった高校生くらいの少女。
「そうね、貴方たち人間は、幾度も失敗を重ね、その先で知恵を得てきている。けれど、失敗は、意図したものではないわ。貴方と違って」
 黒い少女は、人ならざる瞳を私に向けた。
「初めまして、鯉田匠。私はアンジェラ・ウェーバー。死導者よ」
「志野ケイ」
 二人は対照的だった。
 小さなアンジェラは落ち着き払っており、生に淀みも乱れもない。立派な事だ。
 一方で、その隣に立つケイは、アンジェラよりも歳を経ているように見えるが……、殺気がむき出しだ。感情が殺せていないあたり、あるいは、彼女の方が年下なのかもしれない。
「匠。貴方は、全て理解しているわね?」
「もちろん。そのうえで、私は今、ここにいるわけだが?」
 アンジェラが眉をひそめる。その隣で、ケイが吠える。
「あんたねぇ、逃げられると思ったら大間違いよ!? ただの人間があたしたちから逃げられると、本気で思う? それに、外にも仲間が集まって、ここを包囲しているわよ! 逃げ場なんか、ないんだから!」
 気配を探ってみると、なるほど、外にも死者の気配がある。ひとつ、ふたつ……、全部で八つ。死導者を全て集めたといったところか。
「なるほどな。それで?」
「は? それで、って……」
「聞いた話によると、君たちは生きた人間を殺さないそうではないか。そんな君たちが、私に対して、何ができると言うんだ?」
「……ッ!」
 そう、この交渉は、最初から成立していない。
 彼女たちは、どれほど強い力を持っていようとも、私を殺したり、傷つけたりする事ができない。何故なら、彼女たちがそうあらんと決めたからだ。
 自分で自分に課したルールは絶大だ。破る方法は、自分を否定する他にない。そして、魂だけが全ての死導者は、それができない。
 彼女たちは、何があろうとも、私を傷つける事などできやしないのだ。ならば、恐れる事もまた、何もない。
「それに、私は君たちに否定されるいわれもない」
「どういう、事よ」
「私は人間を犠牲にしているだけだ。言い換えれば、人間が人間を殺しているだけ。殺人犯など世界中にいる。私だけが、特別に、君たちから批判されるいわれもない。まあ、君たちは、どんな殺人犯にも否定的ではあるだろうけどね」
「……それは」
「私が倫理から外れているのは、生きた人間が死ぬ可能性のある実験を行っている事、それだけだ。目的は、あくまで人間全体のため。それまでもが否定されるものではない」
「それは、そうかもしれないけど! だからって、あれだけたくさんの人が犠牲になって、それが正しいわけないでしょう!?」
「正しくなければ、罰せられなければいけないのか?」
「だって、その、正しくないって事は、間違っているって事じゃない」
「そんなはずはない。正しさは、ただ見る方向性の問題だ。見方を変えれば、正義もまた変化する。それだけの事だろう? それに」
 自然、自分の口元が笑みの形を作るのを、私は止められなかった。
「お前たちも同じ事じゃないか。たくさん殺し、その先で、今の知恵を得ているんだろう?」
「ッ!!」
 今度こそ、ケイは言葉が出なくなった。
「君たちの殺人は、ひとつたりとも正しくないはずだ。君たちが生きるため、戦うために殺しただけ。これほど利己的な殺人もない。殺人の質を問うのなら君たちの方が悪だし、殺人という行為そのものだけならば、私もお前たちも同じ事だ」
「あん、たはっ……!!」
 歯がみし、懐に手を入れるケイ。そんな彼女の前に剣が光る。
 アンジェラの差し出した宝剣は、ケイの動きを止めていた。
「やめなさい、ケイ。彼は間違っていないわ」
「でも! じゃあ、アンジェラはどっちの味方なのよ!?」
「私は常に生きる者の味方よ」
 ぴしゃりと、叩きつけるように言うアンジェラ。その視線が、私に向かう。
「貴方は、どうあっても、人形作りをやめるつもりはないの?」
「もちろんだ。死狩りの人形は、私の夢。退魔師の理想形だ」
「……確かに、心なき者が死者を狩り殺すならば、退魔師が心を痛める必要はなくなる。けれど、それでは、きっと人は救われないわ」
「何故?」
「私は、貴方よりも多くの変魂を見てきたわ。そして、全ての変魂が、ただ殺されれば済むというものではなかった。
 生前の約束を果たすため、崩れ落ちかけた建物を支え続けた死者もいる。友達が欲しくて、生きた人間のように振る舞うだけだった変魂もいる。
 もちろん、彼らは殺されなければならない。そうしなければ、自ら生を手にできない彼らは、生きた人間からエネルギーを奪い続ける。けれど、人間なら誰もが持つ、ごく当たり前の望みを持った彼らを、ただ殺して済むのかしら?」
「結果的に殺すんだ。同じ事さ」
「そうではないわ。だからこそ、貴方たちは人間なのよ」
 紅い瞳が私を捉え続ける。
 その瞳には、一点の曇りもない。
「人間は、他のものに心を預ける能力がある。変魂相手とて同じ。心を預けた相手が、人形によって慈悲もなく殺される様を知って、貴方たち人間は安穏と生きられる?」
「……」
「確かに、私たちは多くの命を奪った。それが、許される事はない。けれど、その事と、貴方がやろうとしている事は、別の話。人が人を殺し続けるシステムが正しいとは言えなくとも、それは次善の策なのよ。だからこそ、何百年、何千年もの間、退魔師というシステムは失われずに続いてきたんだわ」
「そんなはずはない!!」
 思わず強い声が出た。だが、そんな自分を止める事ができない。
「君たちに理解できるはずもない! これは最善だ! ただ、今まで誰も成し得なかっただけで!! 邪魔をするな!!」
「そうはいかない。生きる者を妨げはしない、けれど、間違っているとわかっているのに、放置もできない」
「うるさッ――!?」
 ドクン、と魂が震えた。
 何事か、と連想し、すぐさま原因に思い当たる。
「……そうか、終わり、か」
 もともと、私にはタイムリミットがあった。その時が来た、というだけの事だ。
 だが、言い負けたままというのも癪に障る。
「匠?」
「どうやら、私の負けらしい。だから、せめて、お前たちにプレゼントしてやる」
 私は親指で自分の首を掻っ切る真似をする。
「まあ、いずれにせよ、見つかってしまった時点で私の負けだ。だが、悪意の連鎖は止まらないぞ。現状の狂ったシステムは変わらず、君たちの過去も変わらない。何もかもが変わらないなら、再び私が生まれるだけの事だ!!」
 ああ、そうさ。陳腐な悪役の台詞ではないが、いずれ、第二の私が生まれる。
 これは予言だ。退魔師というシステムが存在する限り、それを否定せんとする者も、必ず現れる。
 同様、死導者が人を殺したという過去がある限り、お前たちを憎む者も――必ず現れるのだ。
 直後。私の全身を、生の炎が包み込んだ。
「ッ!!」
「なっ!?」
 炎は瞬く間に私の体を、骨を、魂を焼き尽くしていく。
「世界は、死者を否定しなかった。なら、人間の手で、否定するしかない!!」
 自分の叫び声なのに、遠く聞こえた。
 それが、口から出た、最期の声だった。



 チリン――
 小さな鈴の音色が響く。空を囲むは死者の群れ。
「なんだ、取り逃がしたのか。情けねえな」
「構わんだろう、ルシフェル。厄介な敵が自滅したのだから」
「んだよ、サタン。お前までそんなぬるい事を言いやがるのか? テメエの手でぶち殺してやりてえとか思わねえのかよ」
「どの道、人間が相手では、殺すわけにもいかないからな」
「けっ、まあ、そりゃそうだな」
 吐き捨てる、傲慢なる死導者。そんな彼の前で、夜空色の死者は言う。
「ごめんなさい。彼を、救えなかったわ」
「仕方ないわ。魂まで燃やし尽くされては、手の施しようもない」
 全ての主たる白は首を横に振り、
「けれど、これでもう……、人が人をもてあそぶような、悲しい事は起きなくて済むのね」
「悲しいって感情、あったわけ? あんたにも」
「私とて元は人間よ」
 桜色の死者をねめつけ、白き死者は周囲を見渡す。
「ルシフェル。リヴァイア。サタン。ベルフェゴール。マモン。ベルゼブ。アスモデウス。協力、ありがとう」
 一人ひとりの名を呼び、そして、最後に二人の死者を見つめる。
「アンジェラ。ケイ。辛い役目を押しつけてしまったわね」
「……適材適所、という言葉が、日本にはあるそうよ」
「そうね」
 くすりと笑う聖母を前に、死喰いは空を見上げる。
「匠……、ごめんなさい」
 その声は、風に流れ、空へと舞っていく。
 高く、遠く。
 チリン――



戻る