どんな生まれにも同情するつもりはない。
 そう生まれた、それだけの事。
 大事なのはどう生きるか、それだけの事。


 チリン――
 鈴の音色がした方向、あたしはそっちを向いた。
「アンジェラー、今度はどこに行ってた、の……?」
 言いかけて、あたしの動きは石化したように止まってしまった。
 あたしの前に女の子が立っている。小学生くらいの、夜空色の長袖ワンピースを着た女の子。黒い腰まで流れる髪、真っ白な肌、吸い込まれそうな真紅の瞳。そして、頭の上には――。
「アンジェラ、何それ」
「懐かれてしまったの。ケイ、どうしよう?」
 アンジェラは、珍しく困ったように眉を八の字にして上を見上げた。
 ――アンジェラの上に、どーぶつが乗っていた。

「……ケイ?」
 アンジェラに声をかけられるまで、あたしの脳みそは思考するという最も人間的な行動を拒否しつつあったって言うか、要するに状況か理解できなかったんだけど。
 あたしはかぶりを振り、れーせーになって聞いてみた。
「えーと、アンジェラ。もう一度、聞くわよ。それは何?」
「だから、町を歩いていたら懐かれてしまったの。離れなくなってしまって……。ケイ、どうしたらいいと思う?」
 アンジェラの頭の上で、どーぶつはきゅーと鳴いた。かわいいなチクショウ。
 黒い毛並みに割と細長い身体。翡翠色の瞳がきょろきょろとせわしなく動いている。何て言うのか、あたしは知らない動物ね。
 あたしが手を伸ばすと、しゃーと唸った。む、かわいくない。顔はかわいいくせに。
「あー、そのへんにポイって投げ捨てれば?」
「だから、離れないって言っているでしょう」
「引っぺがせ」
「痛いだけよ」
 ……じゃあ、どうしろと。
「だから相談しているの。貴女の方が私よりも動物には詳しいはずでしょう?」
「そー言っても、あたしは言うほど詳しくないし……。誰かそういうのに詳しそうな知り合いはいないの?」
「そうは言っても、私は死導者よ。知り合いなんているはずが……」
 言いつつ何かを思い出したのか、アンジェラの瞳が揺れ動いた。
「ひとり、協力……してくれるかもしれない」
「んじゃあ、そいつのとこにレッツゴー、ね」
 あたしが笑いかけると、アンジェラは仕方ないと言わんばかりにため息をついた。
 チリン――

 駅から歩いて十数分くらいの距離にある小さな二階建てアパート。アンジェラがあたしを案内したのは、そこだった。
 アンジェラは郵便箱を確認した後、一階の奥まで歩いていった。あたしは黙ってその後をついて行く。
 アンジェラがチャイムを鳴らすと、中から声がした。若い……男の声?
「はい、どちら……? あれま。どうしたの、ウチまで来るなんて」
 ドアを開いた途端、兄ちゃんは目を見開いた。
 ちょっと童顔な感じの若い男。年齢は……高校生くらいかな? 黒髪でとてもまじめそう。道ですれ違った事にすら気付かれないような、平々凡々な感じ。
「……えーと、色々と聞きたい事があるけど。とりあえず、上がる?」
 アンジェラが頷くと、兄ちゃんはあたしたちを中に招き入れた。
 六畳部屋と台所、それにたぶんトイレがついただけの小さな部屋。一人暮らしなのか、ベッドがひとつしかない。他にあるものと言えば、小さな冷蔵庫とパソコンくらい。テレビすらない。
「お茶は……飲めない、よね?」
「飲めない事もないけれど、結構よ」
 アンジェラが言うと、兄ちゃんはそう、と答えて床に座った。あたしとアンジェラには、ベッドに座るよう勧めて。アンジェラが座ってから、あたしもベッドに座った。
「で、アンジェラ。まずこっちの人は?」
 兄ちゃんがあたしの方を向いて聞いた。
「志野ケイ。私の眷属……まあ、死導者の部下のようなものよ」
 あたしが軽く頭を下げると、兄ちゃんも頭を下げた。
「初めまして。僕は遠藤紅葉。紅葉って書いて『くれは』って読むんだよ。よろしく」
「アンジェラが言ったけど、八番目の眷属、志野ケイ。よろしく」
 一応、挨拶には返さないと。アンジェラの知り合いだし。
「……それで、アンジェラ。その、頭の上のヤツは?」
「離れなくて困っているの。何とかする方法がない?」
「……先輩より無茶を言うね」
 紅葉はしげしげとアンジェラの頭上のどーぶつを眺めだした。紅葉には唸らない。ちょっと気に入らない。
「うーん、イタチみたいだけど……パソコンで調べてみようか」
 紅葉は振り返ってパソコンの電源を入れた。アンジェラが興味深そうに近付いて、後ろから覗き込んでいる。あたしも真似して、覗いてみた。
「ふたりとも、パソコンは? って、お化けに聞くのも変な話だけど」
 キーボードをカタカタ叩きながら、紅葉は聞いた。
「私は人間の作った機械類はちょっと……。ケイは?」
「あたし? あたしは全然。メグミも使えないよ。いわゆる機械オンチってヤツ」
「パソコンが使えると便利だよ。まあ、死導者には要らないかもしれないけど、さっと」
 カタンとキーボードを打ち終わると、画面にアンジェラの頭上のどーぶつと似たような生き物の画像が出た。
「ああ、たぶんこれかな。ネコ目イタチ科で、オコジョって言うらしいね」
「オコジョ?」
 おうむ返しに尋ねたあたしに説明するように、画面上の文字列を紅葉は読み上げた。
「オコジョ。胴長でイタチ科にしては足が長く、丸顔で耳も丸い。全部、この子に当てはまるだろ?」
 確かにこのどーぶつ、耳は丸いし顔も丸いし胴長短足だし。当てはまるって言えば当てはまる、けど。
「でもオコジョなんて日本にいるの? 聞いた事がないけど」
「種類にもよるけど、北海道から本州中部に住んでいるって言うから、いない事もないんじゃないかな。ただ……」
「ただ、何よ?」
 紅葉はちらりとオコジョに目をやって、言った。
「オコジョって普通、白毛なんだよね。夏は背中だけが茶色くなる。少なくても、黒くはないね」
「何それ。つまり、この子はオコジョじゃないって事?」
「んー、間違いないとは言えないけど、特徴はオコジョだね」
 紅葉はオコジョからあたしたちに視線を移した。
「で、どうするの。その、オコジョモドキ。飼うの?」
 あたしは黙ってアンジェラを見た。アンジェラはやっぱり困ったように眉根を寄せて、
「飼うと言っても、私は死導者。生物と共存はできないわ」
「ただの生物じゃないんでしょ? アンジェラの頭に乗っているあたり」
 紅葉が言うと、アンジェラは反論した。
「霊格の高い生き物は元々私たちに触れられる。それだけで特別とは言えないわ」
「じゃあ、捨てるの?」
 って、これはあたし。
「そうすべき、なんでしょうけど……」
 アンジェラは頭上を見上げた。アンジェラの頭の上で、オコジョは嬉しそうにきゅーと鳴いた。やっぱかわいいなチクショウ。
「かわいくて捨てられない?」
「そういうわけではなく……何か、変なのよ。この動物。生には何の変化も見えないのに、どこか違うような、そんな感覚がする」
「なーに、それ。つまりどういう事?」
 アンジェラは、上手く説明できない、なんてもごもご言った。ここまでアンジェラの歯切れが悪いのも珍しい。
「じゃあ、とりあえずの間は連れて、正体がわかったら処遇を決定するって事でどうかな?」
「……何であんたが決めるのよ」
 あたしが睨むと、紅葉は微笑んだ。
「どうせ、決められないんだろ?」
 ……それは、そうだけど。
 なんとなく認めるのが悔しい感じ。こいつ、気に入らない。
「じゃ、とりあえず名前でもつけないとね」
 あたしが言うと、オコジョはきゅいっと返事をした。
「アンジェラ、妙案は?」
「私にはずっと名前がなかったから……そういう考え方は得意ではないの」
 そっか。確か、アンジェラって名前も人間に決めてもらった〜とか言ってたっけ。それじゃあ、アンジェラに名前を考えろってのも酷かも。
「じゃあクロ」
「そのまんまだね」
 あたしの唱えた名案に、紅葉は文句を言った。いや、本人にすれば単なる感想なんだろうけど。でも、あたしはなんとなく紅葉が気に入らなくて、言い返した。
「何よ。あたしの名案に文句でもあるわけ?」
「ないよ。ただ、そのまんまだなって思っただけ」
「じゃあオコ太郎」
「女の子みたいよ」
 と、これはアンジェラ。メスに太郎はまずいか。
「じゃあ花子」
「……センス悪いね」
「……今のは自分でもそう思う」
 どこから花子なんて出たんだろう。そろそろ自分が信用できなくなりそう。
「じゃあ紅葉、何か素晴らしい名前でもあるの?」
「んー……、エルミネアってのは?」
 えるみねあ? 何だか気取った名前ね。
「『Mustela erminea』。オコジョの学名だよ。で、エルミネア。略してエルってとこかな?」
 オコジョがエルって呼ばれて、きゅーと返事をした。
「気に入ったらしいわ」
 アンジェラが頭上を見上げ、そう言った。つまり、決定ね。
「ふーん、エルね」
 エルは気に入ったのか違うのか、かわいらしく鳴いた。だからかわいいなチクショウ。

 結局、エルはアンジェラの頭から離れないまま。さしあたってできる事もなし、いつも通り夜空をぶらぶら歩いている。
 ふと、アンジェラが立ち止まった。後ろを歩くあたしも立ち止まる。
「どしたの、アンジェラ」
「……来る」
 とん、とアンジェラが一歩だけ下がった。
 と、その場所を黒い影が通り過ぎる。飛んで行った何かは空中で方向転換し、あたしたちを睨んだ。
「何、あれ。眷属?」
「いえ……変魂ね」
「へえ……あれ、が」
 あたしたちの頭上にいるのは、どう見てもでっかいカラスだった。たぶん翼を広げて三メートルくらいはあるんじゃないかな。それ以外には、普通のカラスとの違いは見えない。
「初めて見るけど、変魂ってあんなのばっか?」
「変魂は死導者と同じく、個々に大きく異なる形状を持っている。人間だった頃の名残から人型のままである者もいれば、ああいう他の動物と似通った形状を取る者もいる。中には生物には在り得ない形状を選ぶ者もいるわ」
 ばっさばっさと羽ばたきながら、カラスはあたしたちを見下ろしていた。エルがフーッと威嚇している。
「斬って、いい?」
「――、仕方ないわ。どうぞ」
 あたしが握りを取り出すのと同時に、カラスはあたしたちに向かって突っ込んできた。あたしは刀身を形成して――
「エル!?」
 アンジェラの声で、集中が途切れた。
 アンジェラの頭に張り付いていたエルが、カラスに向かって飛び出した。その速度はまるで弾丸。黒い弾丸は真っ直ぐにカラスに向かい、
「なッ……!?」
 生の爪・・・で、変魂を切り裂いた。
 変魂の悲鳴が響き、よろよろとエルを睨む。対してエルは、空中に降り立ち、全身の毛を逆立てて威嚇していた。
 カラスは怒りに任せエルに襲いかかる。エルは、あたしの“生の剣”と同じ……“生の爪”で、カラスを切り裂いた。裂け目から黒い煙が噴出している。
「……、と」
 隙だらけのその体に、あたしは刀身を振り下ろした。体が左右にわかれたカラスは、煙とも何ともつかない何かになって、消え去った。
「アン、ジェラ……。今の、何?」
 敵が消え去ったからか、エルはアンジェラの頭に戻り、きゅーと可愛らしく鳴いた。
「わからない、としか言えない。確かに生を多少なりとも操る動物はいるけれど……これほどの戦闘能力を所有する生物なんて、いるはずがない」
「じゃあ……何だってのよ」
 あたしの頬を冷や汗が伝わった。
「わからない、としか言えないわ。……? いえ、少し待って」
 アンジェラは何かに集中するように目を閉じた。あたしが頭の上に疑問符を浮かべながら待っていると、アンジェラはビクリと肩を震わせ振り返った。
「…………?」
 あたしもつられてそっちを見た。見た感じでは何もない、けど……?
「――母、どうして隠れているのかしら」
 アンジェラが声をかける。すると、何もないところが歪んだ。
 歪みはぐねぐねとうねり、真っ白な女の子のカタチになった。純粋で何にも染まらない、純然たる“悪意”。
「あんたは……聖母?」
 あたしの顔が険しくなったのが、自分でもわかる。アンジェラはいつもより蒼白な顔になりながらも、今日はしっかりと歯を食いしばって耐えていた。エルは、またまたアンジェラの頭の上で威嚇している。
「また会ったわね、八番目。しかも貴女が実験素体を連れているなんて。偶然も極まれり、といったところかしら」
 コツコツと純白の靴を鳴らし、聖母はあたしたちに近付いてきた。その顔には余裕の笑み。前に会った時と同じで、それだけにすごくイラつく。根源的な恐怖をあおるような、それだけに見た瞬間に敵とわかるような、そんな笑み。
「実験素体って、どういう事よ?」
 あたしにちらりと視線を送り、聖母は口を開いた。
「言葉通り。八番目が頭上に乗せている、それの事よ」
 聖母はエルを指差し、続けた。
「ゲームに関して新しい要素を見つけたから、その実験のために作ったのだけれど……ふとした拍子に逃げ出してしまって。元より生が薄いから探知もなかなかできなかったのよ。それが、さっきここで戦闘をしたでしょう? おかげで探知できたわ」
「作った……?」
 つまり、そのゲームとか何とかのために、この子を、作ったって事?
 じゃあこの子は、あいつの遊びゲームのために生まれたって言うわけ!?
「あんた、本当に……救えないヤツね」
「眷属如きに言われる事ではないわ。それより八番目、その素体を返して頂戴。まだ実験し足りない部分もあるの」
 聖母が一歩、アンジェラに近付く。アンジェラは動かない。
 聖母がもう一歩、アンジェラに近付く。アンジェラは動かない。
「どうしたの、八番目。私の言う事が聞けないのかしら?」
 聖母が首を傾げた。アンジェラはすいと目を細め、くるりと回った。
 チリン――
 鈴が鳴り、アンジェラは剣を握った。アンジェラがいつも使っている、魂喰らいの名を冠された剣。
「ええ、聞けないわ。貴女が何をしようと貴女の勝手。私が何をしようと私の勝手。すでに生ある者を、貴女の勝手にさせるわけにはいかないわ」
「……そう」
 ふわりと、聖母の周囲を強い生が取り囲む。あたしとアンジェラと、エルすら臨戦態勢を取る。
「――まあいいわ」
 けど、ふっと聖母が戦いの姿勢を解いた。あたしたちは拍子抜けした感じで、互いの顔を見つめてしまった。
 聖母はあたしたちに背を向け、言った。
「実験など何時でもできる。今すぐである必要はないのだし。それに……」
 ちらりと首だけ回してアンジェラを振り返り、聖母は続けた。
「……八番目が私に逆らうなんて。とても嬉しいわ」
「嬉しい……?」
 アンジェラすら疑問に眉を寄せる。聖母はくすりと笑った。
「そうそう、ひとつだけ教えてあげる。その実験素体……所詮、実験用だから永く平静は保てないわ。おそらく、残り数日で暴走するわよ。殺すなら、早めになさい。暴走すれば下手な眷属よりも強くなるから」
「なッ!?」
 笑い声を漏らし、聖母は消えた。あたしたちと、これ以上は何も話さないと言わんばかりに。
 あたしは黙ってアンジェラを見た。アンジェラは、聖母がいた空間を睨みつけていた。恐ろしいほどの眼差しで、睨みつけていた。


 夜空を歩くはふたりの死導者。ひとりは強く儚い生を、ひとりは弱く鋭い生を身にまとって。
「でー、どうするの。あいつが言った通りなら、エルは――」
「大丈夫」
 黒い少女はそっと小動物を抱き上げた。少女の腕の中、小動物は小さく鳴いた。
「例えこの子が倒さなければならない敵になるとしても、私は見捨てない。見捨てられない。ここでこの子を捨てる事は、私の信念に反する」
 桜色の少女は腰に手を当て、微笑みつつため息をついた。
「やっぱしね。あたしのご主人様はいい加減で甘っちょろいんだから」
 黒い少女は桜色の少女を見上げ、そっと笑った。
「状況は川の流れの如く留まらない。それら全てに応じるには、自己を曲げて適応させるしかない。他者の生に触れ合うなら、厳しさだけではできない。そういう事よ」
「わかるんだかわからないんだか、変な理屈ね」
 ふたりの死導者は夜風に消えた。
 先に待つのは、絶望だけだとわかっていても。
 チリン――



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