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彼女は死者の中でもとびきり変わっていた。 実際の人間と同じ程度の存在感があり、生を持ち、何より自由奔放だった。 「ねえねえ、ケーキってのは美味しいの?」 「食べてみればいいだろう。君ほどなら、食べ物も吸収できるんじゃないか」 「無茶を言わないでよ。祖じゃないんだから。食べるというか、砕く事はできるかもだけど。それ、攻撃と変わらないし」 彼女はよく僕の家に出入りした。そんな彼女を、いつしか、僕は大切に思うようになっていた。 そんな自分の心変わりに、僕は気づいてさえいなかった。 いつもの縁側で、将棋盤を挟みながら、彼女といろいろなことを語らった。 彼女の飛車が前に動き、僕の金が玉を守る。 「そういえばさ、ここ、他の人って来ないねぇ」 「それはそうだろう。僕には家族なんていない」 両親を失った事を悲しいとは思っていなかった。あまりにも多くの死者を見すぎた僕にとって、死ぬとは、人生の一部だった。 もっとも、そうと思い込んでいただけだというのは、後になって気がついたが。 「家族はわかるけど。じゃあさ、友達は? あなた、友達いないの?」 「必要ないよ、そんなもの」 そう、実際、僕の生きていく最中に、他人というものは必要じゃなかった。 もちろん、子供のように、他人と交流せずに生きていけるなどとは思っていない。ただ、積極的に他人と接する必要はないと、そう思っていただけだ。 そんな僕に対し、彼女は小首をかしげてみせた。 「でも、さびしそうだよ?」 「さびしそう? 誰が」 「君が」 「……ふっ」 「あー、鼻で笑ったなー! 失礼しちゃうんだから!」 「ふん。そういう事は、せめて対局で僕に勝てるくらいの知恵を手に入れてからにして欲しいね」 「なによ、これで勝つんだから! 王手!」 「飛車取り」 「あ」 「ついでに逆王手」 「……」 「……」 「ねえ、もう一局」 「いいよ、何局でも」 そんな、なんでもない時間。 それが、僕にとっては、最高の幸せだった。 工事現場のような、広い空間に移動した僕らは、互いに向かい合っていた。 かたわらではルシフェルとリヴァイア、それにガブリエルが見ている。さすがに、あの三人を撒くのは容易じゃない。僕には逃げるという選択肢がなかった。 いや、選択肢があったとしても、僕はそれを選ばなかっただろう。 この、何もかもを見透かしたような目をした男が、僕には気に入らなかったから。 「じゃあ、行きましょう!」 対峙した遠藤紅葉は、特に脈絡もなく間を詰めていた。 素人丸出し、武芸の片りんもない、ただの突撃。僕は軽く身をかわし、その腹に思い切り膝を叩き込む。 「ッ!」 よろめいた遠藤の顔を、今度はつま先で蹴り飛ばす。ごろごろと転がった遠藤は、すぐさま立ち上がって来た。 「……」 硬質な手ごたえ、いや、足ごたえとでも言うべきか? 奴の能力は、はっきりと判明していない。だが、祖クラスならば、ただ生を集めただけで、強固な壁を作り出す事も可能だろう。 やはり……、武器なしで勝てる相手じゃない。 僕はいつも持ち歩いているアクセサリーの十字架を取り出した。正確には、十字架じゃない。剣だ。 「ふるべ。ゆらゆらとふるべ」 十種神宝。内のひとつ、八握剣。レプリカの中でも最も出来がよいこれは、自然の力を引き出す。 匠の作った、最高傑作! 「死ね、遠藤!!」 剣を手に飛び込む僕。対する遠藤、その瞳が――紅い。 「書き換え・重力」 「ッ!?」 突如として体が重く――地面に引っ張られる。抗することもできぬまま、転んで地に伏せる。 ざっ、と地面をこすりながら遠藤が僕の前に立ち、 「っぅ……」 体を持ち上げられた。そのまま、遠藤は握った拳で、僕の頬を殴りつける。 「ぐっ……」 「霧島さん。あなたが、僕の言ったことを信じなくても、それは構いません。事実として、彼女はもういない。それが全てでしょう。それを悲しむのは当然だし、受け入れられないのも、仕方ないかもしれません。僕があなたを許せないのは……、そんなことじゃない」 僕の目の前に顔を寄せた遠藤は、小さな声で言う。 「死者を生き返らせた。世界の法則をひっくり返した……、僕は、そんなあなたが、許せません」 「な……、に?」 「死ぬということは、絶対の法則です。誰にも覆せない理でなければいけない。なのに、あなたはそれをひっくり返そうとした。それは、悲しみしか生まない」 「だから、だからなんだ! 僕は、僕はただッ……!」 「もう会えないんだよッ!!」 僕の言葉を遮り、遠藤は叫ぶ。 「もう彼女はいないんだ! 君が愛した人は! それが全てだ! どれほど悲しくても、受け入れられなくても、我慢しなきゃいけないことじゃないか!!」 「うるさい! お前にそんなことを言われてたまるか!!」 今度は、僕の言葉に遠藤がひるんだようだった。僕は構わず叫ぶ。 「ああ、お前は自分の思い通りに世界を描けるだろうさ! 死にかけた恋人を蘇生させることも、大切な友人を守ることもできるだろうさ!! だけど僕にはそんなこと、ひとつもできなかった!! じゃあ諦めろって言うのか!? そんなバカな話があるか!! 力がなければ踏みにじられる、なら!! 力を手にしようとして何が悪い!!」 「……」 遠藤の腕から力が抜ける。地面に落とされた僕は小さくえずき、それでも気持ちは止まらなかった。 「お前には何もわからないさ。天才のお前には! 僕らはただ失うだけだ! それが嫌だった! だから抗った! それだけだろう! こんなクソみたいな世界が僕は大嫌いだ!」 「霧島……」 一瞬の隙。その間に僕は遠藤を押し倒し、きっさきをその喉元に向けていた。 「魂さえ残さない。お前は、消えろ」 僕が剣に力を込める、その刹那。 チリン―― 鳴り響いた鈴の音色に、僕の手は思わず止まった。 「その勝負。私が預かってもいいかしら」 その声を耳にしたのは初めてだった。 だが、その姿は、嫌というほど思い描いてきた。 まるで子供のような背格好。夜空色のワンピース。そして、子供には、いや、人間ではありえない、妖艶な笑み。 アンジェラ・ウェーバー。八番目の祖。 かたわらには聖母マリアと、自らの眷属――それに、僕が斬り捨てた、あの死導者もいた。 「話、聞かせてもらっていたわ」 「悪趣味なんて言わないでよ。あんたの事情、あたしたちはぜんっぜん知らないんだから。どっかの突っ走ったバカじゃないけど、事情も知らなきゃ説得できないし?」 にらむような眷属の瞳は、僕の下で倒れた男に向いている。 「マモン。マリア」 アンジェラはかたわらに立つ、二人の仲間に声をかける。二人は僕の前に立ち、静かに頭を下げた。 「ごめんなさい」 「すまねえ」 「……何のつもりだ」 正直、僕には二人の行動が理解できなかった。 そんな僕の心を悟ったように、マリアが言う。 「私が始めたゲームは、純粋に私の事しか考えていなかったわ。それによって、苦しむ人がいるなどと、考慮もしていなかった。それによって多くの人間が命を失ったし……、同時、貴方のような悲劇も生み出してしまった」 「確かにさ、俺っちの眷属は、自分で道を選ばせたさ。欲しいものがあれば、それを手に入れようとするのは、俺っちの……、強欲の本能だ。そんな連中だから、何を思っていたかなんて、考えなかった。あいつがもういいって言ったから、俺っちも素直に受け取った……。そんなこと、なかったのに」 二人の謝罪。それが、僕の中で、さらなる燃料となる。 「今さらだ。今さら! お前たちの謝罪なんかで納得できると思うのか! 勝者が敗者に何を言ったところで、それを受け入れられるとでも!?」 「それが始まり、そして全てだと思うわ」 後背から、黒い少女が言う。 「あやまって済まされる問題ではないかもしれない。でも、それが全てなのよ。憎しみは連鎖する。貴方が紅葉を、マリアを殺したところで、悲しみは重なる。誰かが、どこかで剣を引かなければいけない」 「だから僕に我慢しろと言うのか!? 冗談じゃない!!」 「そうやって争い続ける事は、貴方のためにもならないわ」 アンジェラの瞳が、まっすぐ、僕を見つめている。 「万里。貴方の苦しみも悲しみも、間違ってなどいない。けれども、連鎖した悲しみは、より強い力と、大きな争いを欲するようになる。人と人の殺し合いは、そうやって肥大化した。貴方も同じ……、貴方が手を出した世界は禁忌よ」 「それがどうした。許されないからやめろとでも!?」 「許されないのは、相応の理由があるものよ。自然に人はかなわない。どれほどの力を有したとしても、人の器は、世界を内包するには狭すぎる」 「うるさいうるさい!! だったらお前たち全員を殺して、僕も死ねばいいんだろう!!」 ドクン、と心臓が跳ねる。 咆哮に応えたのは、僕の魂。そして、生を受けた、僕の剣。 「ッ……!!」 八握剣が、世界を集める。 体が、熱く、熱くなる! 「っぁぁぁぁぁああああああああ!!」 世界が真っ赤に染まっていく。 全身の血液が沸騰したようにたぎっている。 もう、自分を止められる者などいない。そう直感する。 ゆっくりと、僕は立ち上がった。目の前の、最も許し難い存在――全ての元凶、白き聖女。 立ち上がれば、少女たちは遥か下方に見えた。奴らが縮んだ? いや、僕が大きくなったのか? 体を見下ろせば、手足ばかりが異様に伸びていた。剣も比するように大きく、膨れ上がっている。 下の方で誰かが何かを叫んでいるが、僕の耳には届かなかった。 「シネヨ」 自分の口から、自分のものではない声が響く。 持ち上げるのも億劫な巨剣を振り上げ、僕はそれを振り下ろし――。 「……?」 ガツン、と硬質な手ごたえに、手が止まる。見下ろせば、ナイフ手にした遠藤紅葉が、僕の剣を受け止めていた。 ――ナイフを軸に剣を形成したのか。 だが、その程度。今の僕の、この全能感にはかなわない! 「キエサレ!!」 今度こそ。思い切り剣を振り上げ、そこで腕が止まる。 見上げれば、腕には長い鎖が巻き付いていた。その先には、黒い少女の姿。 「ジャマヲスルナ!!」 腕を振るい、アンジェラを揺さぶる。死導者の膂力は並ではないが、今の僕は、それさえも凌駕する。 徐々に腕が動いていく。その最中。 「ッ!」 僕は見ていた。 アンジェラの眷属に手を引かれ、跳びあがった遠藤紅葉。その手には、紅い剣。 「目を、覚ませッ!!」 遠藤の声が、やけに耳に響く。 紅い剣が、僕の眉間に突き刺さった。 ふと気がつけば、僕はあおむけに寝転がっていた。 体を起こす。畳敷きのその部屋は、見覚えがなかった。 「ここは?」 「鯉田の神社。匠の家よ」 振り返れば、あの黒い少女が僕を見下ろしていた。かたわらに、遠藤紅葉の姿もある。 「マリアたちは外で待っているよ。あなたの気が向いたら、会ってあげて欲しい」 「剣は預かったわ。自然生を際限なく収斂させるあの剣は、危険すぎる」 「……」 負けたのか、僕は。 いや、最初から勝てるはずもなかった。僕の望みは、そんなものでもなかった。 ただ、彼女に会いたかっただけ。会えない悲しみを、その現実を、ただ他のものにぶつけていただけだ。 顔を上げれば、遠藤の顔が目の前にあった。 「……遠藤紅葉。なんで、僕を助けた」 僕の質問に、遠藤は首をかしげた。 「なんで、って?」 「お前にとって、僕は敵だったはずだ」 「確かに、死者を生き返らせるっていうあなたの目的は、許せないと思います。でも、まあ……、それも、半分はやつあたりというか」 恥ずかしそうに頬をかきながら、遠藤は言う。 「僕だって、あなたの立場なら、同じようなことをしたと思います。手段は違うかもしれませんけど。死ぬって、別れるって、それくらい悲しいことだって……、僕は、何度も見てきているから。だから、助けたのは、そんなのとは何の関係もない、本能みたいなものです」 それを、僕は否定できなかった。 死者を見ることができる者は、何度でも目にする。永遠の別れ、その悲しみ。苦しみ。嘆き。 それが我が身に起こる事は少ないというだけで……、他の人よりも、多くの死に触れ合わなければいけない。宿命だ。 もっとも、それでわかった風な口を利いて欲しくないという想いはあれど。 「万里。彼女……、名前もない強欲の眷属は、確かに自ら死を、別れを選んだわ」 「まだそんな事を言うのか」 「聞きなさい。彼女の最期、その言葉は、マモンが確かに聞いている。彼の言葉では貴方も耳に入らぬだろうからと、伝言を頼まれたの」 アンジェラは膝を折り、僕の瞳を見つめながら言った。 「『大切な人はできたけど……、大切だから、別れる事にしたの。死人とばかり付き合っていたんじゃ、彼は生きていけなくなるから』」 「……!」 その瞬間。 全てを理解した。 アンジェラは、ひいてはマモンは、嘘を言っていない。その確信がある。 それは、僕の中に眠る記憶。 『あなた、友達いないの?』 『必要ないよ、そんなもの』 『でも、さびしそうだよ?』 思い出した。 彼女は、確かに、僕を案じていた。 僕にとっては、彼女さえいればそれでよかった。けれど、彼女はそんな僕を、よしとしなかった。 自然、目が熱くなる。 ぽたりと、しずくが垂れる。 「本当に……」 ぽつりと、言葉が漏れる。 「死神ってのは、勝手な奴ばっかりだ」 自分の勝手でゲームを始め、自分の勝手でたくさんの命を奪い、自分の勝手でたくさんの命を救い、自分の勝手でゲームを終わらせる。 そして――自分の勝手で、人を助けようとする。 「まったく、付き合いきれないよ」 落ちるしずくを止める手立てを、僕は、持ち合わせていなかった。 カランカランとベルが鳴る。 久しぶりに訪れた店内には、やはり変わらぬ彼女の姿があった。 「あ、お客さん! よかった、来てくれたんですね!」 パタパタと出てきて、僕の手を握る彼女。そんな店員に、僕はぶっきらぼうに言う。 「ホットコーヒーと卵サンド」 「はいはい、いつものやつですね! ただいま!」 僕がテーブル席について少しすると、コーヒーとサンドイッチがテーブルに、彼女が僕の前に鎮座した。 「もう来ないかと思っていました。怒らせちゃったかな、って」 「怒ったさ。でも、もうどうでもよくなった」 不思議と、今の僕はからっぽだった。あれほどたぎっていた憎しみの炎は消え、なすべき事は何もなくなった。 いや……、なくはない。そう、僕がなさねばならない事は残っている。 匠を殺し、人々を欺いてきた、その贖罪。 僕は、これからこの命を賭して、正し続けなければならない。 「そういえばお客さん、お名前は?」 「……自分から名乗るのが礼儀じゃないのか」 「そうですか? それもそうかもですね。私は藁谷加奈子です」 「ワラガヤさん、ね」 顔かたちは似ていない。 だが、彼女のように――距離を置かない。人のスペースに滑り込んでくる。そんなところが、似ている。 失う事は止められない。でも、失った隙間を、埋めようとする事くらいはできるのだろう。 そうやって、人は生きていく。 「僕は、霧島万里だ」 世界に残るのは死者じゃない。生者だ。 なら、死者をないがしろにしても、それは致し方ない事なのだろう。 チリン―― 小さな鈴の音色が響く。 街中にある、どうという事もない喫茶店。その屋根上に、少女たちの姿がある。 「無事に、生きられそうね。彼は」 「少し納得いかないのは、あたしだけ?」 すねたように口をとがらせる眷属に、主はくすりと笑う。 「そうね、たくさんの人が苦しんだ。彼に殺された者もいる。けれど、だからといって、彼が死ねば済む事ではないと思うわ」 「それに、あいつを人間の法で縛るのは無理だろうよ。鯉田匠を殺したのは生を使った術式だ。人間じゃ、そんなもんを証明できないだろうぜ」 「ルシフェルの言う通りですね。人間は、証拠のない殺人を殺人とは認めない。推定無罪というそうですが」 「何よそれ。だって、やったのは確実じゃない! なのに、何の罰も受けないなんて、そんなのずるい!」 憤慨する少女に、死導者たちは顔を見合わせる。 「まあ、あなたの言い分は理解できますが。私とて、マリアに手をあげた彼を許したくはない」 「実際問題、手が出せねえってだけだろ。気に入らねえが、手出しできないなら、うじうじ考えたってしゃあない。関わらない方が身のためじゃねえか?」 「そんなの……、アンジェラ!」 黒き主は眷属を見上げ、 「ケイ。これから、彼は自らの行いを自ら背負い続けるのよ。誰も知らない、誰も裁かない罪は、許される事もない。彼は自らの罪に裁かれ続ける」 「これから幾夜、彼が悪夢に苛まれようとも、助ける手などないわ」 八番目の死導者に追随するように、聖母は頷く。 そんな両者の様子に、桜色の少女は不満げだった。 「ぜんっぜんすっきりしないんだけど。暴れ足りないし。そうだ、ルシフェル、あんたちょっと付き合いなさいよ」 「なんだ、斬り合いか? まあいいぜ、俺様も思いっきり暴れてやりたかったところだ」 「……二人とも、周囲に影響を及ぼさないようにしなさいね?」 聞いているのかいないのか、構わず二人は上空へと跳び立つ。 血気盛んな部下たちに、聖母はため息をついた。 「許すというのは、難しい事なのね」 「それでも請わねばならないし、許さなければいけないのよ」 夜空色の少女は、己の信じるまま、逝き続ける。 そんな少女然とした子に、母は目を細めていた。 チリン―― |