家に戻る気にはなれず、仕方なしにアタシはどことも知れない道をただ歩いていた。
 来た事のない通りだった。知らない場所。知らない人。
 そんなものを横目に眺めながら、アタシは歩き続ける。目的はない。ただ歩く事だけを意味として、歩き続けている。
「あの……」
 声に、アタシは足を止めた。
 アタシの前に、見知らぬ女の子がいた。ショートの髪はクセがあり、顔や態度は全体的におっとりとした雰囲気がある。
「あなた、森谷沙織さん?」
「そうだけど」
 アタシがいぶかしみながらそう答えると、女の子はくすりと笑った。
「嘘をついちゃ駄目なの、レティシアさん」
「……あんたも遠藤とかの知り合いなわけ?」
「うん。こんにちはなの。私は、鯉田まみ」
 そう言って、女の子はぺこりと頭を下げた。
「聞いていないわよ。――鯉田?」
「そうなの」
 女の子は、鯉田は、ふわりと微笑んだ。
「霧島さんに協力していた鯉田匠は、私のお父さんなの」

 遠藤に、諸般の事情は聴いていた。
 霧島が、鯉田匠という男と共謀して、死者を蘇らせる研究をしていた事。もっとも、鯉田匠がやろうとしていた事は違ったらしいけど、それは関係がない。
 霧島は鯉田匠に仕掛けを施していた。彼が裏切りそうになった時、または彼が敗北しそうになった時、情報と技術を閉じるため、自動的に彼を殺す術式。鯉田匠がそんな術式に賛成するとは思えないから、きっとうまく丸め込んだか、本人にも知られないように仕込んだんだろう。
 つまり、アタシの目の前に座っているこの女の子は、霧島に父親を殺された、その被害者というわけだ。
 ……そんな子が、アタシに何の用があるのかは知らないけれど。
 アタシはまみに連れられるまま、公園に移動していた。ベンチに並んで座る。
 空はすでに赤くなりつつある。じきに、夜闇が訪れるだろう。逢魔が時。そんな言葉を思い出した。
「霧島さんに会ったの?」
「まあね。言っておくけど、まだ殺していないわよ」
「そう簡単には殺せないの。公平兄さんも陽平兄さんも一緒にいるから。あの二人、日本でも有数の武闘派なの」
「なるほどね」
 あの展開力。あの格闘能力。
 術式を手早く展開させるのは、戦闘において重要なファクターだ。それができるのは、そういう訓練をした者だけ。実戦経験は豊富なんだろう。
「あんたも被害者、なんでしょう? 会っていないわけ?」
「私はまだ。ううん、もう会う必要はないかなって、そんな風にも思うの」
「必要がない? なんで」
「だって、霧島さんはもう救われているの。なら、あえて私が会いに行って、彼の重荷を増やす事はないの」
「救われて……?」
「うん。彼は、自分の行いを後悔している。反省している。なら、それで十分なの」
「十分ですって?」
 自分の父親を殺されていて?
 あいつが、たくさんの人を犠牲にしていて!?
「冗談じゃないわ!!」
 思わず、アタシは立ち上がっていた。まみは、ふんわりと笑んだまま、アタシを見上げている。
「あいつがどれだけの事をしたと思っているのよ!? そんな簡単に許されていいはずがない!!」
「もちろん、これから贖罪のために生き続けなければいけないの。でも、それだけなの。そこに、私は……、被害者なんてものは、必要ないの」
「ふざけないでッ! 被害者アタシたちの気持ちも知らないまま、あいつがどう生きたって、そんなの納得できない!!」
「じゃあどうすれば納得できるの?」
「あいつを殺す! そうしなきゃ納得できない!!」
「それは、やってはいけない事なの」
「そんなのッ――!」
 ふるふると、まみは首を横に振った。
「駄目なものは駄目なの。人が人を殺すのは、いけない事。そこに、理屈も理由もいらないの。霧島さんはいけない事をしたかもしれない。でも、それは私たちがいけない事をする理由にはできないの」
「ッ……!!」
 いちいち。
 腹が立つほどに、正論だった。人を殺していいはずはない。
 私が生きていた頃――レティシアだった頃から言われていた事だ。神は人が人を殺す事をお許しになってはいない。十戒にも刻まれた、原初のルールだ。
 反論しきれず、アタシは深く嘆息した、
「ねえ、あんたは霧島を殺したいとは思わないの?」
 純粋に疑問だった。なんで、許せてしまうのだろう。自分の大切なものを奪った相手を。
 アタシの問いかけに、まみはゆっくりと首を横に振った。
「……どうして? あいつは、あんたの家族を殺したんでしょう? 憎くないの?」
 疑問は、思わず口をついていた。
 まみは、
「私とあなたでは、事情が違うの。お父さんは大罪人。殺されて然るべき、とまでは言えないけど、因果応報と言われればそれまでなの」
「そんなのは理屈よ! それで、あなたの心は納得できるわけ!?」
 まみは首をかしげ、
「うーん……。あのね、私は、本当の退魔師になりたいの」
「本当の、退魔師?」
 うん、とまみは頷き、
「退魔師の役目ってなんだと思う?」
 そんな事を聞いた。
「そんなの、悪魔を……、変魂を殺す事に決まってるじゃない」
「違うの」
「違う? 何が」
「退魔師の仕事は、人を幸せにする事なの」
 その瞬間、アタシの中に何かが走り抜けた。
 目には見えない衝撃。それが、アタシの魂を揺さぶる。
「変魂を滅するのは、ただの手段なの。目的は違う。人間を幸せにできないなら、変魂を倒すのは間違っているの」
「そんな、極端な! あいつらは存在するだけで人を蝕むのよ!」
「だとしても。誰かを不幸にして、誰かを幸福にする事はできない。それを間違えたから、お父さんは大罪人なの」
「あんたは……」
 そんなのは、夢物語だ。
 何の犠牲もなく、何かを得る事なんてできるはずない。そりゃ、みんなを幸福にできれば、それは理想的だろう。それができないから、何かを捨てなければいけないから、人は人を捨てられる。
 そして、捨てられた人間は、恨みと憎しみを持つ。
「それが、私の信条なの。霧島さんも同じ事。彼を殺しても、誰も幸福にはなれないの」
「そんな事ない! アタシは……!」
「あなたが、自分に対する言い訳を得る事が幸せなの?」
「ッ!」
 二の句は、アタシの中で弾けた。
 なんと反論すべきか、とっさには出てこなかった。代わり、まみが口を開く。
「霧島さんを殺せば、必ず不幸になる人が出てくるの。でも、幸せになれる人なんてそういない。誰かが死んで、喜ぶ人なんて、そうそういない。あなただって、霧島さんを殺したところで、何も変わらない。森谷さんは蘇らず、あなたが森谷さんの体を奪った事実も消えない。ただ、復讐したと、自分をごまかせるようになるだけなの」
 違う、と言いたかった。
 これは沙織の敵討ちなのだ、と。
 けど。
 まみの言っている事は正しいというのも、アタシのどこかが理解していた。
 アタシは沙織と言葉を交わした事さえない。彼女が何を望んでいるかなど、知りようもない。
 霧島は確かにきっかけだ。だけど、実際に沙織を殺したのは、アタシなのだ。
 望んだわけじゃない。だからこそ後悔している。その後悔を和らげる手段として……、アタシは、霧島を殺そうとした?
 そんな理由で人を――。
「大丈夫なの」
 ふと、まみがそんな事を言った。
「……何の事よ?」
「あなたはまだ間違えていないの。間違えそうになっただけ。試験時間の間は、何度でも回答を書き直していいの」
「書き直す……」
 見直して。間違いを見つけて。
 今なら、まだ正せる。今なら、霧島はまだ生きている。
 今なら。
「……」
 沙織。
 アタシは、どうすればいい?
 聞いたところで、答えは返ってこない。当然だ、沙織はもういない。
 死者を想って生きる事は間違いじゃない。だけど、死者に縛られて生きるのは、苦しむだけだ。
 アタシは、そんな姿を――もう何度も見ていたはずなのに。
 ちっちゃな、真っ黒な上司の後ろから。
「……ごめん」
 アタシの言葉は、届けたい人には届かず。
 ただ、アタシの隣で、ふんわりと笑んでくれる人がいるだけだった。

 日も暮れた洋館は、少しだけ不気味に見えた。
「じゃあ、ここで」
「あんたは入っていかないの?」
「私は会えないから」
 火野の家まで案内してくれたまみは、そのまま帰って行った。アタシは一人で深呼吸し、インターフォンを押す。
 陽平は、すぐに顔を見せた。
「君か。今度はいいんだろうな?」
「少しは……、落ち着いて来たつもりよ」
「そうか」
 陽平はそれ以上、何も聞かず、アタシを通してくれた。
 昼間の部屋に戻ると、公平と霧島は、同じようにアタシを出迎えた。公平は、今度も氷の剣を手にしたままだ。
 霧島は、黙ってアタシを見つめる。その顔を眺めながら、アタシは言う。
「あんたがいなければ、アタシは生き返る事もなかった」
「その通りだな」
「でも、確かにあんたの言う通り、アタシはきっと異質だわ。自然に、他人にまぎれる事なんてできない。いつだってそうだったわ」
 レティシアとして生きていた時。
 変魂として生きていた時。
 眷属として生きていた時。
 どんな時も、アタシは同じ名を持つ者と、同じように歩む事はできなかった。
 たくさんのものを殺し、殺し、殺され。そんな事が、アタシには当たり前だった。
 そう、アタシも、霧島と同じだ。たくさんの命を奪った。たとえそれが人のためなどという名目があろうとも、許されぬ罪科は負っている。
 そんなアタシに、霧島を断罪する事はできないんだ。
「霧島。あんたも、狂った存在なんでしょう」
「……そうかもしれないな」
「だから」
 ひゅん、と風を切る剣。公平の剣とアタシの剣がぶつかったと同時、アタシは能力でナイフを生み出す。
 生まれたナイフは霧島をかすめ、壁に突き立った。
 霧島の頬に赤い線が引かれ、かすかに血がにじむ。
 それを見て、アタシは剣を収め、小さく頷いた。
「これで手打ちにしてあげるわ」
「これでって、お前、普通に攻撃したじゃねえか!」
「なによ、それくらい許しなさい。本当は許しがたいんだから。そんな傷、すぐに痕もなく治るわ。生きているんだもの」
「……」
 霧島はそっと自分の頬に手を当てる。指先が、少しだけ赤く染まった。
 指先をじっと見つめていた霧島は、
「……レティシア・ラスペード」
「何よ」
「君は、僕に何か望むか?」
 アタシは、ふん、と鼻を鳴らした。
「自分の生き方なんか自分で悩みなさい。それも罰よ」
「そうか」
 壁のナイフが、淡雪のように溶けて消える。
 アタシの能力。悪魔に、死者にとっての悪夢。
 けれど、夢なんだから、いつかは覚めるだろう。そうして、忙しい今日という日を生きていくんだ。
 それが、人間の生き様。



 チリン――
 小さな鈴の音色が夜の闇に響いていく。
「貴女は、強いのね」
 漆黒の少女は、かたわらに立つ少女に問いかける。少女は首を振る。
「強くなんかないの。会わなかったのも、きっと逃げただけ。理由をつけて」
「会って、憎まないとは断言できない?」
「私だって人間なの。自分の父親を殺した相手と知っていて、許せるとは限らないの」
「貴女は、できるように思うわ」
「ありがとなの?」
 二人は共に歩いている。神社までは、まだ遠い。
「ねえ、アンジェラ。アンジェラも、たくさん命を奪ったの?」
「ええ」
「後悔している?」
「悔やむ事は幾らでも。けれど、私が奪った存在には、きちんと胸を張る事ができる」
「……そう」
 チリン――
 小さな鈴を黙らせるように腕を振り、黒衣の少女は続ける。
「やむにやまれぬ、などという言葉では説明できないでしょう。それで、殺された者もは納得できないでしょう。良い側面があったという事は、悪い側面もあったという事。つまるところ、私たちは、自分の行いに胸を張れるかどうか。ただそれだけを基準とし、判断しているに過ぎないわ」
「自分が正しいと思った事を成す?」
「そう。それが間違っていたと気づけば正せばいい。私には、そうと気づかせてくれる存在がいる」
 おーい、と遠くから呼ぶ声が聞こえてきた。見上げれば、桜色の眷属が大きく手を振っている。
「アンジェラが間違ったら、私もひっぱたいて目を覚まさせてあげるの」
「ふふ。ありがとう」
 薄い笑みを残し、死導者は夜空へと舞い上がった。
 その背を見送り、少女は歩みを進めていく。
 自分の生きる道を。
 チリン――



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