今の人間、とにかく日々が忙しい。
 いつもいつでも、どこかで誰かが働いている。
 その事に、誰も気づきはしないだけで。


 街頭を歩いていると、ふと、テレビ画面が目に入った。
 ニュース番組だった。知らないおじさんが、なにやらを声高に叫んでいる。
 その様子を見るともなく眺めていると、隣に人の気配が立った。
「……なんだ、あんたか」
「なんだとは何だ、悪魔」
「死導者よ」
 あたしの隣に立っていたのは、金髪に青い目をした、いかにもな白人。
 アルバート・ヘンリー・トールキン。イギリスの錬金術師で、いわゆる退魔師というやつだ。
 こいつはその中でも別格、普通の霊能者程度では見ることもできないあたしを、感知することができる。
 ただし、あたしーー志野ケイとは、そんなに仲が良いわけではない。まあ、複雑な縁のある相手、ってところだ。
 あたしはテレビ画面を指差し、
「ちょっとニュースを見ていただけよ」
「君でもニュースを見るのか」
「ちょっとバカにしてない?」
「君は限りなくそちら寄りだと思っていたが」
「その通りなんだけどムカつくわ」
 はぁ、と嘆息し、あたしは続ける。
「今ね、コンビニのニュースやってたの。正月くらい休ませろ、ってやつ」
「ああ、その話か。チェーン店の店主が、元旦くらいは休業にさせろと主張しているんだったか」
「そう。でね、それ見て、勝手だなって思ったわけよ」
「勝手?」
「だってそうでしょ。あたしは死者だからカウントしないかもだけど、元旦だろうが盆暮れだろうが、働いている人は働いている。みんなが休んだら、電気だって使えないし、電車だって当然動かない。神社で働いているまみたちなんか、正月はラッシュそのものじゃない?」
「まあ、そうだろうな」
「それを、自分たちだけが不幸って顔するのは、なんかムカつくなって」
「なるほどね。君の言うことは一理ある。だが、実際、正月にはアルバイトの手も足りないから、休業したいという話じゃなかったか?」
「もちろん、理由があるのは分かってるわよ。それに、正月まで働いている人は、そのぶん他のところで休んでいるんだろうし。でもさ、なんていうの? 自分の不幸だけをクローズアップするのは、なんか違くない?」
「人間なんてそんなものさ」
「……なんか意外。あんた、そういうところは潔癖なのかと思っていたけど。聖職者なくらいだし」
「君はボクらを誤解していないか」
 ふん、と鼻を鳴らし、アルバートは続ける。
「ボクたち許されざる者は、神に反してでも自分たちの正しさを追求した、言うなれば究極の自己中心だ。人間にはそういう側面があると理解していなければ、許されざる者は務まらない。まあ、ボクは元、だが」
 キリスト系宗教組織『許されざる者』。
 その名前の意味は、『神様が禁じた殺生をしてでも、生きている人々を救う』事。
 こいつらは、元人間の悪霊ーー変魂も、容赦なく殺す。元に戻す方法はなく、殺すしかない以上、生きている人間を犠牲にするわけにはいかない。それが、彼等の理屈。
 神様が本当にいるかはともかく、聖書の教えでは、殺生は禁じ手だ。だからこそ、この連中も、本当はやってはいけない事をしている。
 それを理解していながら、それでもこいつらは変魂を殺す。
 正しい行いだから神様は許してくれる、なんていう、自分たちをごまかすための言葉は使わない。それがこいつらにとっての正しさであり、覚悟だ。
「人間など、エゴの塊だよ。ボクらはエゴで人を救うし、中には救いを求める者もいるだろう。コンビニのオーナーたちとて同じだ。普段はチェーン故の、大手のノウハウで生き残っているのに、自分たちが苦しくなれば、とたんに手の平を返す。だから見捨てるか? それとも救うか? その二択に過ぎない」
「それは、まあ……そうなんだけど」
「お前の主人あたりに聞いてみるといい。どうせ、同じ事を言う」
「言わないわ。アンジェラなら決まって、それでも救うって言うに決まってるから」
「……それもそうか」
 そう言って、アルバートは肩をすくめた。

 夜空に舞い上がる。
 空はどこまでも広がり、足元はキラキラときらめいている。
 その中を歩いていると、聞き慣れた鈴の音色が聞こえてきた。
 チリンーー
 足を止めると、空に溶け込んでいた少女が姿を現す。
 夜空色のワンピースに、赤い瞳。
 アンジェラ・ウェーバー。あたしの敬愛するご主人様。
「ケイ。どうしたの?」
「ん……」
 あたしは、アンジェラに昼間見たニュースの話をした。
 その話を聞いたアンジェラは、深く頷く。
「貴女が、それだけ生きているという事ね」
「死者なんだけど」
「生き様に、生死は関係しない」
 チリンーー
 くるりと回り、アンジェラは続ける。
「確かに、今の人間社会は、誰かが働く事によって動きつづけているわ。冬の寒さに抗する事ができるのも、夏の暑さに負けず生きられるのも、全て影で活躍する者がいるから。けれど、影に生きる者は所詮影。その存在が気付かれる事はない」
「それが納得できないっていうか。そりゃ、あたしだって縁の下的な存在だし? 気付かれない事は理解しているけど、だからって、その存在を忘れていいわけないでしょ」
「そうね。それが人間でもある。人は、忘れる事で生きている」
「……まあ、百歩譲って忘れたとしても。それが、自分だけが不幸って理屈にはならないでしょ?」
「いつでも、どこかで誰かが不幸を感じているわ。貧しくて今日明日を食いつなぐ事さえできない者も、命の危機に晒されながら生きている者も、望まぬ仕事をさせられている者もいる」
「そりゃそうね」
「不幸な人は、探す気になればどこにでもいるのよ。それを、人々は見ようともしない。その方が、自分が幸福だから」
 他人の不幸は他人の不幸。
 それが自分の身に降りかかるわけではなく。自分が不幸にならないのであれば、とりあえず今日明日の生活には困らない。
 たいていの人にとって、大事なのは自分が不幸かどうか。それが最初の基準で、最大の基準でもある。
「苦しんでいる人ほど、周囲は見えないものだわ。世界はせばまり、音は聞こえなくなる。自分だけが不幸のように感じ、苦しむ」
 本当は、そんな事はないのに。
 世界中、どこかに常に不幸な人はいて。自分だけが不幸なんて事はありえないのに。
 でも、本当に苦しんでいる人は、そんな事にさえ気づけない。
「もちろん、他に不幸な人がいるからといって、自分が不幸になる事を許容できるわけではないでしょうから、関係ないと言えばそうかもしれないけれど」
「でも、その事に気づいたら、何かが変わる?」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。少なくても、元旦に働かなければいけないという事実は変わらないでしょうね」
 くすりと笑い、アンジェラは地上を眺める。
「でも。その落ち込んだ気持ちを変える事、生き悩む者を導く事こそ死導者の逝き方。でしょう?」
 アンジェラの視線の先。そこに、一人の男性がいる。
 コンビニチェーンの制服を着た壮年の男性は、疲れた様子で店内に入って行く。
「望まぬ事を押し付けられていれば、誰だって苦しいわ。なら、どうすればいい?」
「……望んでないから苦しいなら、自分で自分の生き様を決められるようになればいいのね」
「そう。元旦に休業を申し出るのもそのひとつ。伝え方には、検討の余地があるかもしれないけれど」
「なるほどねっ。よし! じゃあ行ってくる!」
 軽く膝を曲げ、空を踏み、風を切る。
 あたしは死導者。生を知り、死を導く。
 苦しみ、世界が見えていない人を導く事もーーあたしの逝き様だ。



 チリンーー
 小さな鈴の音色と共に、夜空色の少女が空を行く。
「元旦くらい、ね。人間は、暦というものを本当に大切にするのね」
 死者である彼女にとって、今日と明日は変わらない。永遠を生きる者にとって、ほんの一日、ほんの一年など誤差に過ぎない。
 けれど、彼女は暦を大切にする、人を愛する。
「そうね。願いが叶わなければ誰だって悲しい。そのために努力をしているのだから、その彼も立派なものだわ」
 自分が望む世界を得るために。
 努力を重ねるのは、生者も死者も同じ事。
「そうね。望む世界を得るために」
 今日も、彼女は夜を行く。
 チリンーー




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