赦される事を放棄する者がいる一方で。
 許されたいと願っても叶わない者もいる。
 人の世というのはままならない。



 街中を歩いていると、ふと、電光掲示板が目に入った。
 掲示板には、今日のニュースが流れている。なんでも、どこかで飛行機のパイロットが飲酒をしていたことが発覚したのだという。
 時期は年の瀬。忘年会シーズンともなれば、飲酒する機会は確かに増えるだろう。
「お酒、ですか」
 時期は年の瀬。忘年会シーズンともなれば、飲酒する機会は確かに増えるだろう。
 けれど、最初に沸いた感想は、そんなこともニュースになるのか、というものだった。。
 もちろん、多数の命を預かる人間が酩酊していては、仕事にならないだろうし、なにより危ない。そういう意味では、問題といえば問題なのかもしれない。
 しかし、それは、世間に知らしめ、問題視するほどのことなのだろうか。
 首をかしげながら歩いていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「ッ!?」
 驚きながら振り返る。そこには、確かに一瞬前まで存在しなかった気配が存在していた。
 桜色の着物に、白いミニスカートを合わせた、高校生のような女の子。だが、ただの高校生が、戦闘タイプである退魔師の索敵をすり抜けることなどできるはずもない。
「や。なに悩んでるのよ」
「……死導者」
「ケイよ」
 知っている。背中を預けて戦ったこともある。
 とはいえ。
「気配を消して近づくのはやめてもらえませんか」
「気配を消したんじゃないわ、今現したの」
「同じことです」
「愛は固いわね」
 お前が緩いのではないか。
 言いたかったけれど、やめておいた。この相手には、言うだけ無駄だ。
 すると、死導者はくすくすと笑った。
「冗談よ。この前、あんたの仲間にやられたから、仕返し」
「仲間?」
「アルバート」
 ……迷惑な。
 こちらが何を考えているのか知ってか知らずか、死導者はわたしを見つめ、
「それより、何を悩んでいたのよ」
「悩みというほどのものはありません。ただ、不寛容だな、と」
 わたしは、先ほど見かけたニュースについて話した。
「聖書では、赦しなさい、と教えられます。他人の罪を赦し、それによって、己の罪をも赦しを請うのです。互いが互いを責めたてない。それが聖書の教えです」
「まあ、この国にいる大半はキリシタンじゃないしねぇ」
「そういう問題なのでしょうか? 聞こえる限り、今の社会というのは、あまりに他人のミスに対して不寛容であると思うのですが」
「それは、あたしもこの前、ちょっと思ったわ。精神的に追い詰められている人ってさ、余裕がないのよね。だから他人を許容しない。でも、だれもかれもがそうだから、結局、みんなお互いを許さない。そのせいで、余計にストレスがたまってる気がするわ」
 そう言って、ケイは肩をすくめる。
「人間の社会で生活した事がないあたしが言うのものなんだけど、人間って変わってるわよね。多少、何かが違ったところで、死ぬわけでもないでしょうに」
「飛行機のパイロットが酩酊していて墜落したら死にますが」
「まだ死んでないでしょ」
「死んだらもう遅いのです」
「だから、絶対に許さないし、可能性すら厳罰するっていうの?」
「それは……」
「そういう事でしょう? 確かに、他人の命を預かる人間が酒に酔ってちゃ危ないわ。酩酊して剣を振るう奴はいない。でも、実際に事が起きたわけじゃない。それを、許すかどうかって話なんでしょ?」
「……あなたの言う通りです」
「あたしは死者だし、お酒を飲むわけじゃないからわからないんだけどね。そういう気持ちになるって意味も、よくはわからない。ただ、そうしなければならなかった、その理由もあるんでしょうよ」
「そうしなければならなかった?」
「酒を飲んでしまう理由、飲みたくなる理由よ。それこそ、重圧から逃げたかっただけなのか。つらい家庭だの仕事だのがあるのか。単に好きなだけか。そんなの知らないけど、人間は理由がなければ行動しない。行動したという事は理由があったって事よ。そして、その理由は、他人の命を預かる人間が判断力を低下させるほどのものなのか、という意味でもある。そう考えれば、パイロットが責められるのは当然でしょうよ」
「それは、わたしも否定しません」
「ただ、それがいけない事であるというのは、当人が理解しなければいけない話。また、同じような立場にいる人間が注意しなければいけない話。それを、無関係の他人にまで知らしめる必要があるのかといえば、確かに必要ないわね」
 ケイの話を聞いていて、わたしの中で、腑に落ちた。
 そう、他人の命を預かる人間が酒に溺れていて、責められるのは当然の事だ。けれど、それを責めるべき立場は、命を預けた者であり、命を預かるよう命じた会社の者。
 社会全体に知らしめ、結果、特に関係のなかったわたしまでが知るところとなり。そこに、違和感を覚えたのだ。
 わたしには関係がない。関係ないわたしが聞いて、それは良い事だの、悪い事だの。意見する事そのものが筋違いなのだと。
 善悪を決めるべきは規範を策定した者であり、それによって被害を受ける者であるべきなのだと。それは、わたしではない。
「……あなたも、一応は導く者なのですね」
「あんたがそう呼んだんでしょうが」
「ふふっ、そうでしたね」
 苦笑し、空を見上げた。
 白い翼が、空を飛んでいた。

 アパートへの帰り際、ふと、家に塩がないことを思い出した。
 スーパーマーケットまで買いに行ってもよいけれど、わざわざ塩ひとつ買うためにそこまで行くにも億劫に感じる。
 そんなとき、目の前にコンビニを見つけた。少しは割高になってしまうけれど、まあ塩ひとつなら、と店に入る。
 雑多に商品が並ぶ店内。レジのところに従業員の女性がひとり、他に客が三人。
 わたしは棚に並んでいた塩を手に取り、レジに向かう。レジでは先に入っていた土木作業員らしき男性が、弁当を会計していた。
「あたためますか?」
「お願いします」
 弁当を電子レンジにほうり込み、次の客がレジに進む。封筒を持っていた若い女性は、
「郵送で」
「ではこちらにお願いします」
 住所を書く伝票を渡し、客に書かせる。その時、棚の間をうろうろしていた老人が声をあげた。
「ちょっとー、ゴミ袋ないのー?」
「あ、すみません、ちょっとお待ちください!」
 従業員はひとりきりだ。そうしている間にも、電子レンジがあたため終了の電子音を響かせ、何やら荷物を郵送したいらしい女性は荷物を差し出す。
「ちょっと、聞いてるのー?」
 しかも老人は従業員を呼びつけている。
 見かねて、わたしは老人のところに向かった。
「どうしましたか」
「……? あんた、お店の人?」
「いえ、違いますが、ゴミ袋ですよね? でしたら……」
 さっき、塩を探すとき、ゴミ袋もあった。それを教えようとすると、
「じゃああんたには聞いてないわ。ちょっと、いつまで待たせるの!」
 老人はいきり立って従業員に噛み付く。
「客が呼んでるんだから、すぐ来なさいよ!」
「すみません、ただいま混雑しておりまして……」
「そんなの見ればわかるわ、それでも対応するのが仕事なんじゃないの!?」
 いきり立つ老人。
 その姿を見て、ふと、さっき死導者が言っていたことを思い出した。
『他人を許容しない』
 ああ、そうなのかと。これがあのニュースに繋がるものであり、その一端であるのだと。
 他人に対する要求が高いのだ。なんでもかんでも、最善を要求する。利便性ばかりを追求する。だが、それを人間が実施するのだ。できうることには限度がある。
 このコンビニもそうだ。従業員は、商品の会計をしながら、弁当をあたためつつ、暖かい商品は袋に入れて出し、さらに郵便局や宅配業者のまね事をし、ああやって気難しい客の対応まで要求される。
 ただ一人の人間に対して要求することじゃない。
 それを、この社会は要求し、容認している。奇怪な話だ。
 ふう、と嘆息し、わたしは生を少しだけ漏らした。それだけで、老人はびくりと奮え、振り返る。
 わたしがにこりと返すと、老人は、
「も、もういい」
 そそくさと出て行った。
 今のは、言うなればわたしの殺気だ。生身の人間には少しばかり強すぎる、いわば劇薬。
「……不寛容か」
 これが、今の人間というものか。
 理解はしているつもりではあるけれど。なんとなく、腑に落ちない気がするのはーーどうしようもないのだろうな、と思った。



 チリン――
 小さな鈴の音色が、冬の闇に響く。
 闇夜を進むは桜と夜空、小さな影ふたつ。
「不寛容、ね」
「そう。なんというかね、他人に対して否定的っていうか。たとえばさ、仕事してるって、字が違うとか日付違うとか、すっごい気にするでしょ? あんなの、どうだっていいじゃない。学校だって、計算が途中で違うとか」
「計算が違ったら答えが変わってしまうと思うけれど」
「でも、気持ちは汲んで欲しい」
「ふふ。貴女に学校の学習は向かないわね」
「いいのっ! とにかく、そんなにギスギスして、何が楽しいのかしらね」
「責任社会ね。日本人には、特にそんなところがあるわ。もっとも、それも無理はない。誰かが僅かに違えば、次の誰かはもっと違う。その次の誰かはもっともっと違う。結果は全く別のものよ」
「そりゃ、理屈は分かるけど……」
「感情では納得できない。それも仕方ないわね。それが、人間であるという事」
 ふわりと足を止める。足下では、誰かが誰かを叱責する声が聞こえる。
「だから、感情を御する事。それが、何より必要という事ね」
「はいはい。まったく、死に悩むならまだしも、こんなところで死に急がないで欲しいわ」
 二人の姿が夜闇に消える。
 後には、誰の姿もない。
 チリン――



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