お互い同じ社会で生きているなら配慮も必要だろう。
 それは、両者が折り合えるポイントを探す作業だ。
 決して、一方が譲歩するなんて話ではない。



 大学の講堂から出た俺は、うーんと背伸びをした。
 背骨がパキパキと鳴る。その感覚が心地良い。
「……時間を無駄にした」
 ぽつりとつぶやき、俺は歩き出す。
 冬の弱々しい日ではコンクリートの道路を暖めるには足りず、吐く息は白くなる。
 社会学の授業を受けた直後だったけど、教授の話は社会学とあんまり関係のない話だった。
 女性の教授はフェミニストとでも言えばいいのだろうか、女性の権限について本も書いているほどで、要するに女性至上主義。
 やれ今は男社会だの女性は差別されているだの。
 確かに、賃金や役職を見れば女性が損をしているようにも見える。
 一方で、俺は女性が虐げられているという風潮は懐疑的だ。まあ俺が男だから何を言っても説得力がないと思うが、女の足を引っ張っているのは女だ、という意見にはおおいに頷いてしまう。
 たとえばグラビアなんて、女は性的に搾取されているとクレームを受け、場合によっては炎上する。でも、本人が嫌々ながらやらされているならともかく、自分で選んだ仕事に対してクレームをつけること自体が大きなお世話だ。
 今の世の中なら、「子供を産むのが女の幸せよ」なんて言ったら、前後の文脈さえ関係なく炎上するだろう。けど、実際にそう思っている女性だっているだろうとも思う。
 それがマインドコントロールの結果なんだ、と言う人もいるだろう。けど、声を出していない人間の声を代弁して、シュプレヒコールをあげる。それが本当に正しいことなのか、と。
 自称フェミニストの連中は、とかく主語が大きく感じる。だからこそ胡散臭いし、信用できないし、嫌いになっていく。
 なんてことを考えながら構内を歩いていると、いつの間にやら門のところまで来ていた。
 今日はもう講義もないし、帰るだけだ。そのまま歩き出して、
「ん?」
 見慣れない女子が目に留まった。
 なんというか、変わったコスプレをした女の子だった。上半身は着物なのに、下半身はミニスカート。大学生には見えないが、かといってもっと幼いかと言われるとそれも疑問に思う。
 とにかく、強い目をした子だった。何者にも屈しない、自分を曲げないと目が語っているような。
「ねえ、何を考えてたの?」
「は?」
「なにか、面白くないことを考えていたんでしょ」
 女の子に言われ、俺は首をかしげた。
「面白くないって言えばそうだが。それを聞いてどうするんだ」
「面白くない事を聞きたいなって」
「はぁ?」
「あんたには面白くない事。でも、それを外に出したら、それは面白いも面白くもない、ただの音だわ」
「なんだそりゃ」
 言いたい事はわかるような、わからないような。
 問われるままに、俺は教授が話していたフェミ論を口にしていた。
 黙って俺の話を聞いていた女の子は、ふんふんと頷く。
「なるほどね。女の子は差別されている、か。そんなん考えた事もなかったわ」
「君も女子なら、思うところがあるんじゃないのか?」
「まあ、あたしは就職とかしたわけじゃないし。女の子の方が不当に給料が安いとか、女だと上の役職になれないとか、正社員になれないとか。そんなのは知らないけど、そういう事はあるかもしれないわねって思うわ」
「へえ? なんで?」
「だって今のあんたたちは、社会もルールも、男が作ったんでしょ。男が作った世界で、男が不利になるわけないじゃない。男は不利になりえないけど、女は不利になりえるんだったら、総じて女の方が損だわ」
「……なるほどな。そういう観点はなかった」
「まあ、感情的になって議論したら、そもそも大事な観点が抜け落ちるなんてざらにあるけどね。給料だってそう、同じだけの水をみんなに配ろうっていうのに、男が多く取ろうとしたら、女の取り分は減るに決まってるわ」
「役職も同じか。男が誰を役職者にするか決めるのに、あえて女を選ばなきゃいけない理由がないっていう」
「もっとも、本当の性別問題って、そういうことじゃないと思うわ」
「本当の、問題?」
 女の子は頷き、
「たとえばね、女が料理をする、男が家でたまに洗い物をする。ありがとうって言う。その内容に、納得できない女もいるわ。女が料理をする事、それそのものが当たり前の事ではないのに、なんでお礼を言わなきゃいけないのか。夫婦のどちらがやってもいい仕事を、なんで女だけに押し付けるのか、って」
「うん」
「でも、男の方だって同じような事を思うでしょうね。一日働いて、家に帰るのは日も暮れた後。その後に家事をやるって言っても簡単じゃない、って。今度は女が反論するわ。今は女も働いている、そんなの条件は同じだ、って」
「よくあるな」
「今度は男の反論。稼ぎは男の方が多い、役職があれば自由に定時で帰れはしない、とか。そんな話は聞いた事もある」
「というか、よく聞くって気もするけどな」
「でも、そのどちらも、しょうもない話よね。収入が多いとか少ないとか、時間があるとかないとか、そんなのでやらなきゃいけない事が増えたり減ったりするわけじゃない。誰かがやらなきゃいけない事は事実で、それ以上でもそれ以下でもない。方やばかりがやらされるのは不公平だ、男ももっと担うべきだ、と言っても、条件が違いすぎるし」
「条件?」
「自由になる時間の条件、肉体的な体力の条件、考え方の条件。一緒のポイントなんて何一つない二人が妥協して話さなきゃいけないって事を、どっちがどうこう、なんて言っても意味がないわ」
「その妥協する量が、女の方が多すぎるって言うんだろ。フェミニストは」
「量なんて主観の問題でしょ。他人がわかることじゃない。言うだけ無駄だわ」
 そう、そうだ。そういう事だ。
 家事が苦痛な人にとっては、たくさんの家事はまさに苦行だろう。
 一方で料理が好きな人は料理を作るだけで楽しいし、それは趣味や余暇と呼ぶべきもの。掃除も、洗濯も、すべて同じだ。
 個人の受け取り方はそれぞれ。主観の問題は定量にできず、定量にできないものを比べたところで議論にならない。それじゃあ論文は書けないだろう。
 けど、フェミニストは――俺の嫌うフェミニストは、だが――主語を大きくする。我々女性は、って言い方だ。全人類の半分は、って事だ。
 定量化できない事を良い事に、全体の量をやたらとでっかくしているんだ。そりゃ、対するこっちも不満が募る。
「もちろん、正しくない事を正そうとするのは良い話よ。でも正しくないかどうか、それはあなたたちがきちんと考えなければいけない。現状は常に正しいとは限らないし、かといってただ変えればいいって話でもない。簡単に結論の出ない話だけど、きっかけがないと始まらないわよね。そういう意味で、議題としてはいいことじゃないかしら」
「きっかけ、ね」
「もっとも、議論になるなら、だけどね。議論っていうのは相手と自分の考えをすりあわせる事。決して相手の言い分を一方的に聞く事じゃない。話に聞く限りだけど、その教授? って人は他人の話を聞くようなガラじゃなさそうね」
「……じゃあ、ああいう奴らはどうすりゃいいんだ?」
「今も昔も、口だけ騒ぐ連中に対する方法はひとつだけでしょ」
「あ?」
「相手にしない。対話って言語が通じる相手とする事でしょ」
「……そりゃそうだ」
 苦笑した。
 この子が言う事は、いちいち納得できてしまう。
「君、どこの学部? 面白いし、また会わないか」
「んー、ここにはたまたま通りすがっただけだし。あんたが悩んでいたら、また来るかもね」
 チリン――
 小さな鈴の音色が聞こえたかと思うと、いつの間にか女の子の姿は消えていた。
「あれ?」
 目をこすってみる。だが、女の子はどこにもいなかった。
「白昼夢?」
 にしては、随分とはっきりしていたような。
 ……まあいっか。
 自分の中でわかっている事だけわかっていれば、今の俺にはそれでいい。
 わかっているのは、今、駅に向かって歩けばいいって事だけだ。



 チリン――
 小さな鈴の音色が夜空に響く。
「そうね。この国で女性が差別されているという話は私も聞いた事があるわ」
 コツコツと歩くのは小さな少女。その隣を桜色の少女が歩く。
「たしか、女の議員が足りないのがどうこうって言ってたかしら」
「他にも、女性は入学させないという学校もあったようだし、一方で女性は優遇すると言った人もいるそうよ」
「何それ。得したり損したり、一方的ってほどじゃないでしょ」
「優遇しているのは女性だから。つまり下心があるのね」
「……前言撤回。スケベおやじってことね」
「もっとも、生物的にオスがメスを魅力に感じることは普通の事よ。他の生物たちも、メスを獲得するためならオスはなんでもするものだわ」
「そりゃそうだけどー」
「性別も、年齢も、生まれた時に獲得していたひとつの情報に過ぎないわ。生まれながらに力が強い人もいる、足が速い人もいる、頭脳に優れた人間や、霊を見る事ができる人間だっている」
 くすりと笑い、夜空色の少女は続ける。
「そんなものに振り回されたところで、何にもならないわ。抗うのも良い、逃げ出すのも良い。一番大切な事は、自分が幸せになる事。そしてそれは、不幸を見つめていても見つけられないものだわ」
 チリン――
「まあ、そうねぇ。少なくても、女性が差別されてるって必死に言っていたあの先生、幸せそうには見えなかったわ」
「なら、行きましょうか」
「はいはい」
 そうして二人は、誰かを導くために闇へと消える。
 チリン――
?



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