野生動物と共に生きることは難しい。
 人間はルールで縛れるが、彼らは力で縛られる。
 人間の力では、彼らと対話することはできない。


 今日も暇だった。ここのところ、ずっと暇だ。
 うちは北国の観光地に存在する飲食店だ。近くにあるのはそこそこ人が訪れる観光スポットだが、逆に言えばそれ以外には何もない。
 これでも昨年までは、まあまあ人が入っていた。なのに今年はめっきりだ。
 それもこれも、野生動物のせいだ。
 うちの近くにある観光地は、山が近い。そこで観光客が野生動物に襲われたのだ。
 そこそこ名の通った観光地とはいえ、基本的には田舎だ。民家もそれほど多いわけじゃない。だからこそ風評頼りなところがある。 
 そんなところで、野生動物に人が襲われたともなれば、そもそも多いわけじゃない観光客だって足が遠退く。
「とは言ってもなぁ……」
 安全だから来てください、とは言えない。実際に安全じゃないからだ。
 そもそもが住んでいる俺たちだって本当は怖い。国や自治体、ハンターたちだって頑張ってくれているものの、それでも野生動物を根絶できるわけじゃねえ。というか、そんなことしたら生態系がどうなるか、俺程度の頭じゃ想像もできん。
 じゃあ野生動物が来ないようにできるかっていうと、それも難しい。山をまるっと電気柵で覆うにしたって金と人手がいる。
 観光しかないこの地域にそんな作業員はいないし、金なんかもっとない。
 結局のところ……。俺たちは、ゆっくりと野生動物に殺される運命なんだろうか。
 チリン――
 鈴の音色に、店の扉を見やる。けど、扉は開いた形跡もなく、客も誰もいなかった。
 ……いや。一人だけいた。
 夜空色のワンピースを着た、小学生くらいの女の子。親の姿はない。
「君? お父さんかお母さんは?」
「いないわ」
 彼女はどこか大人びた答えを返し、
「閑古鳥が鳴いている、と言うのかしらね」
「あぁ? まあなぁ。お嬢ちゃんも知ってるだろ、このへんで動物が出るって話。危ないからあんまウロチョロしちゃダメだぞ」
「そうね。彼女たちも生きているもの」
「彼女……? 野生動物のことか?」
 あれを彼女と言うか。まあメスなら彼女か。
「もともと彼女たちは山の奥に住んでいた。けれど、人里というもっと容易に食料を手に入れられる空間を知ってしまった。知識は消えない。もはや、ここは彼女たちの縄張りとなってしまった」
「あー、まあな」
 難しい言い回しだけど、言っていることは理解できる。
「山に餌がなくなったとか、実をつけない木を増やしたせいだとか言ってるバカもいるがな。そんなもん、戦後からずっとやってたことだ。ここ最近になって始まった話じゃない。結局のところ、今の連中は人里には食い物があるって知っちまった個体なんだよな」
 野生動物は親に教わった餌を食べるし、餌場に向かう。
 昔はこのあたりでも林業をしてるやつがいて、野生動物が人里に来るのも難しい距離感があった。
 それでも人里まで来る野生動物はいないわけじゃなかったが、数も少なかったからハンターが撃ち殺せていた。
 ところが今は山に入る人間なんていなくなり、ハンターもめっきり減った。動物は人里まで来られるようになり、そこに餌があると子供にも教える。
 子供は親の教育通りに人里を訪れるようになり、その子たちにまた教えるようになる。
 今の野生動物はすでに”知っている”連中だ。知識は消えない。連中は、もう覚えてしまっている。
「まったくよ。どっかにスーパーヒーローでもいて、野生動物を片っ端から殺してくれりゃどうにかなるかもしれねえんだが」
「……殺す力があったとしても、それを行使するとは限らないわ」
 女の子は俺を見上げる。
「あなたは生きている。同時に、彼ら彼女らも生きているわ。どちらか一方に肩入れはできないし、人のために獣を殺すというのは理が通らない」
「そりゃそうだけどよ。こっちも商売だし、なんだったら人間の命だ。獣の命と等価ってわけにゃいかねえだろうよ」
「それは人の思い上がりよ。獣と人、命は命。どちらが優位ということはないわ」
 けれど、と女の子は続ける。
「人が人の命を優先するのは当然の話よね。あなたたちは自分の身を守り、子孫を残さなければいけない。それは生物としての本能だわ」
「ははっ、お嬢ちゃんはどっちの味方なんだよ」
「私は生きる者の味方よ」
 チリン――
 女の子の手元で鈴が鳴る。女の子は顔を上げ、
「そろそろ行くわ」
「おう、そうか。気を付けてな」
「ええ。そうね、貴方にひとつだけ」
 女の子は俺にとんと指を当て、
「貴方は今、境目にいる。生き物との共生か人間の保護か。野生動物と人里の境界で、どちらを優先すべきかという境目。どちらに進んでも構わない。けれど、ただ皆が共に生きられれば良いと思うのは……。私の、ただの我儘よ」
 チリン――
 ふと気づくと、女の子の姿は消えていた。
「……境界、か」
 境目に立っている人間は、どちらの方向にも進むことができる。
 人間を守るか。動物を守るか。
 どちらかしか選べないなら、人間を守るしかない。でも、今の俺たちは幸いなことに、もう少しだけ余裕がある。生きるか死ぬかの少し手前、選択の余地がある場所。
 もう少し進んで、もはやこれまでとなったら、俺たちは野生動物を根絶やしにするだろう。その時、野生動物は名前を変える。危険生物、という名前に。
 野生動物が野に生きると名付けられている間は、まだ選択できる証拠だ。
 そんな猶予のある間に……俺たちは、連中との生き方を考えなければならないところに来ているんだろう。



 チリン――
 夜空を一人の少女が歩いている。肩には獣が一匹、つかまっていた。
「……どちらも生きるために生きている。ではどちらが大事か? そんな問題に結論があろうはずもないのに」
「きゅ!」
「そうね。獣は強い。けれど、人間も強いわ。本気になれば、きっと獣を根絶やしにできてしまう。今まであまたの生物を絶滅せしめた彼らなら」
 だからこそ。
「少しだけ思い止まって欲しい。貴方たちには”できてしまう”という事を、思い出して欲しい」
 小さな願いを残し、少女は闇夜に姿を消した。
 チリン――





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