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ぼくはどうしてここにいるのだろうか。 どうして生まれたのだろうか。 何のために、生まれたって言うんだろうか。 窓の外、遠く。雲ひとつない青空が広がっている。まるで絵の具を溶かした水をひっくり返したような、一色の綺麗な空。 そんな何もない空を眺めながら、ぼくは考えていた。 『ぼくは、どうして生まれたんだろう?』と。 誰でも生まれてきた理由があるのなら、ぼくが生まれてきた理由は何だろう。 別にぼくに特別な部分はない。成績は中の上、運動神経は中の中。優れているわけでも劣っているわけでもない。 かと言って、特技があるわけじゃない。絵が上手いわけでも歌が上手いわけでもない。カッコいいわけでも話し上手なわけでもない。 趣味もない。部活もやっていない。誰にも負けないものなんて何もない。 そんなぼくが生まれた意味はなんだろう。そんなぼくは本当にこの世に必要なんだろうか。 別に、ぼくがいなくても誰も困らないんじゃないか。そりゃあ、家族は悲しむかもしれない。でも、それだけかもしれない。家族以外に、ぼくが死んだ時に涙を流してくれる人が思い当たらない。 ぼくには妹がいて、両親はどちらかと言うと妹の方を可愛がっている。これは別にぼくが反抗期とかそんなのじゃなくて、本当にそうなんだ。だって、妹の方が可愛いから。 ぼくの妹は母に似て、すごく可愛い。実際、雑誌のティーンモデルになったくらいだから。 そう考えていくと、ぼくはいなくても同じかもしれない。家族だってぼくを失った悲しみくらい、すぐに忘れられるだろう。そうなった時、誰がぼくの事を覚えていてくれるだろう。 一体、ぼくは何のために生きているんだろう……? 「こらあ!」 声と共に、頭に衝撃が走りぬけた。正直、とても痛い。 振り向くと響がぼくを睨みつけていた。 「響、何?」 「何じゃないわよ! とっとと掃除しなさい!」 ふん、と鼻息を鳴らし、響は腰に手を当てた。 響はぼくの幼馴染だ。ぼくに話しかける、とても珍しいヤツ。世話好きで、今もクラス委員なんていう面倒くさい仕事をしている。 「ちょっとォ、聞いているの!?」 「ああ、わかったわかった。やるよ、やる」 また殴られそうだったから、ぼくは慌てて頷いてホウキを動かしだした。 響は可愛いし、頭もいい。運動神経もいい。けど、言葉より先に手が出るところだけは直して欲しい。そうでないと、ぼくの頭のカタチが変わっちゃうかもしれない。 「だいたいねー、あんたはいっつもボーっとしすぎなのよ! もっとシャキっとできないの?」 「ボーっとしているんじゃなくて、考え事をしているの」 「周囲の人から見たら、それはボーっとしているのと同じ事なの」 だから違うんだってば。って、言ってもわかってくれないだろうな。いつもの事だし。 はあ、とため息をつき、ぼくはさっさと掃除を終わらせる事にした。 学校からの帰り道。夕日で伸びた影を見つめながら、ぼくは道の端を歩いていた。 こうしていると、やっぱり『自分の存在意義』ってのが気になってくる。 ぼくでなければならないモノは何も思いつかない。クラスからぼくが消えても誰も困らない。友人もほとんどゼロみたいなものだし、知り合いすら少ないぼくが消えても、学校のみんなは困らない。それどころか、みんな気付くだろうか? でも、ぼくの生活は学校と自宅を除く場所がない。だから、学校の誰もが悲しんでくれないなら、ぼくがいなくなって悲しむのは家族だけって事だ。 じゃあ、家族が悲しまないなら、もっと言えば家族がいなくなったら、ぼくは生きている必要なんてないんだろうか。 ……わからない。ぼくは、どうして生きているんだろう。何が、したいんだろう。何が、できると言うのだろう。 チリン―― 「こんばんは」 よく通る、まるで頭に直に染み込むような声に、ぼくは顔を上げた。 いつの間にか太陽は沈み、あたりは薄暗くなっていた。コンビニの明かりに照らされて、ぼくの前方に小学生くらいの女の子が立っている。 夜空色の長袖ワンピース。腕には鈴のついた腕輪。頭の上には何故か小動物。黒い腰までの長さのある髪が、冷たい風にさらりと流れた。 「……誰? 響の知り合い?」 「キョウ? いいえ。私は死導者。死を導く者」 「死導者?」 小学生の間で流行っている遊びかな。変なものが流行るんだな。 「名前はアンジェラ。けれど、他の死導者は私を死喰いと呼ぶけれどね」 「何でもいいけど。ぼくに何か用?」 「貴方、生きる意味について考えていたでしょう」 ――!? ぼくの考えってのは、初対面の子供でもわかるくらいにわかりやすいんだろうか。それにしては、響はぼくの考えを読み取ってくれた事がないな。それとも、響が特殊なんだろうか。 「貴方が考えても、おそらく答えは出ない。何のために生きるのか。何かを得るためか、何かをなすためか、それは人それぞれ。けれど、それは死の間際にならなければわからない。死の間際に己の生を振り返り、初めて見つけられるもの。しかも、中には見つけられない者もいる。貴方が考えても、答えは出ないでしょうね」 「そうかもね。でもさ、将来になってわかっても仕方ないんだよ。気になるのは今だから。だから今、考えなくちゃいけないんだ」 死ぬ直前じゃあもう遅い。それまで後悔のないように生きると言っても、目標があるのとないのじゃ全く違う。ぼくは、それを知りたいだけなんだから。 ぼくがぼくでなければならない意味。ぼくという存在が必要だと認めてくれる存在。それが今のぼくに必要なんだ。将来なんて、はっきり言えばどうでもいい。 何があろうとぼくを欲してくれる人。何があろうとぼくを忘れないでいてくれる物。何でもいい、ぼくがぼくでなければならない理由が欲しい。それだけ、なのに。それだけ、がひどく遠い。 「わかっているのに、止められない。それは人間の性かしら。それはそれで、貴方の生なのかもしれないわね」 チリン―― 女の子はくるりと振り返り、ぼくに背を向けた。 「ひとつ、忠告をあげる。お友達は、大切に」 チリン―― ふわりと、風が流れた。 「……あ、あれ?」 いつの間にか、女の子の姿は消えていた。変な子だな。 「……お友達なんて、いないんだけどなあ?」 ぽりぽり頭をかいて、ぼくは家路についた。 天気がいい。クラスメイトは昼休みの空き時間を逃せないとばかりに校庭で遊んだり、教室で楽しげにおしゃべりしたり。やっぱり天気がいいと気分も明るくなるのかな。ぼくはそういう事がないからわからないけど。 それにしても、昨日の女の子はなんだったんだろう。 確かアンジェラって名乗ったよね。そんで、何だったっけ……死導者だっけ? 結局、死導者って何だろう。辞書にも載ってなさそうだし。だいたい、死を導くってどういう事だろう。 それとも、あの子は本当に人間じゃない、たとえば死神みたいな存在なんだろうか。この世に要らないぼくを回収しに来た……とか。 それはそれで面白いかもしれない。ぼくは、いてもいなくても大差ないし。死神と天国だか地獄だかを旅行するのも悪くないかも。少なくても、今のままよりは。 「ちょっとォ、まーたボーっとしてるわけ?」 響の声がして、ぼくは振り向いた。腰に手を当て、響がぼくを見下ろしている。 「……そっか。響の事かな?」 「は? 何の事?」 響が眉をハの字にしている。そりゃそうか。 「いや、昨日さ、女の子に会ったんだ。その子にお友達を大切にとか言われたんだけど、ぼくに友達なんていたかなぁって。よく考えたら、当てはまりそうなのって響くらいだよ。うん」 「なッ……!?」 響の顔が赤くなった。本当にウブだね。まだ大切にするなんて言ってないのに、もう連想しているんだろうな。響ってわかりやすい。 「な、そんな事を言ったって掃除は免除しないんだからね!?」 「わかってるよ。今日はちゃんとやるかもしれないから」 「かもしれない、じゃなくて、やーるーの!」 響は耳元で叫ぶ。正直、とてもうるさい。声が大きいんだよ。 「……そういえば響は外に遊びに行かないんだね」 「ん? ん……そういうの、好きじゃないから」 響はそっぽを向きながら言った。 ぼくは窓の外に目を向けてみた。校庭の端の方で、クラスメイトの女子がバレーボールをやっている。 「そうだっけ? 響って身体を動かすのが好きとか言ってなかった?」 「いいでしょー、別に。今日はそういう気分じゃないの!」 「……わかった、わかったから耳元で叫ぶの止めてくれる?」 ぼくは響から離れるように椅子を引き、響を上目遣いで見た。響は、満足そうに頷いていた。 ……素直じゃない。 放課後、真面目に掃除を終えたぼくは帰り道を歩いていた。何故か、響と一緒に。 「響、他に一緒に帰る人とかいないの?」 「いいでしょ。あんたに付き合ってあげてるの。感謝しなさい」 「ぼくはひとりの方が……」 「――何か言った?」 「……いや。なんでもない」 睨まないで欲しいな。響の目、怖いんだもの。 「……そういえば、さ」 「ん?」 声に反応し、ぼくは響を見た。響の黒髪が夕日のせいで紅く染まっている。まるで燃えているみたいだ。 「こうして一緒に帰るの、久しぶりだよね」 「……そういえばそうだね。小学校の頃はよく一緒に帰っていたけど」 中学生になってから、あまり一緒に帰らなくなった。理由は思い出せない。ただ何となく、一緒に帰らなくなったんだと思う。 響も委員長とかで忙しくなったってのも理由かな。ぼくはどっちでもいいんだけど。でも、何だか響も少し嬉しそうに見える。だったら、一緒に帰るのも悪くないかな。大事にしろって言われたし。 「ねえ、あんたはもっとみんなと遊んだりしないの?」 「え?」 いつの間にか、響もぼくの事を見ていた。何だか真剣なまなざし。ぼく、何か変な事でも言ったかな? 「だから! もっとクラスメイトと仲良くしたり、部活動を楽しんだり、そういう事はできないわけ?」 「んー……興味ないんだ、そういうの」 「興味ないって……」 響は呆れたようにぼくを見つめ、はあ、とため息をついた。 「そういうのって興味がどうこうじゃなくて、人間として当たり前の事じゃないの?」 「当たり前だか何だか知らないけど、興味のない事はできないから」 響はまたふかーくため息をついた。 「あんたがいつまでもそんなんじゃ、あたしも安心できないじゃない」 「何でぼくの事が響に関係するの?」 「そんくらい自分で考える!」 そう言って、響はそっぽを向いた。夕陽がその顔を赤く照らしていた。 ……本当に、素直じゃない。 朝は頭がボーっとするから嫌いだ。 ぼくは寝ぼけた頭で学校に向かっている。寝ぼけているって頭で理解しているのに、ちっともはっきりしない。変な感覚。 ふわ、と欠伸をして、ぼくは教室の前まできた。扉に手をかけた時、ふと声が聞こえた。つい、手が止まってしまう。 『ねえ、マジでやるの?』 『当たり前でしょ。委員長だか幼馴染だか知らないけど、いちいちムカつくのよ』 『嫉妬は見苦しいよ』 『何? あたしに反抗するわけ?』 『んなわけないじゃん。つーか、あたしもあいつはムカつくし』 ……珍しいね。ぼく、いつも一番に学校に来ているんだけど。声からすると、三人くらいいるのかな? ぼくはちょっと教室に入りそびれた感じで、聞き耳を立てていた。 『いつ仕掛ける?』 『放課後ね。帰りがけを狙うのが一番のはずよ。今日は委員会があるから、あいつも遅くなるはずだし』 『それなら邪魔も入らないね。おっけ、じゃあパーッとやっちゃおう』 ……、ふうん。ま、いいか。 ふと、教室が静かになった。ぼくがいるのに誰かが気付いたのかもしれない。 ぼくは開き直って、教室に入った。教室の中には女子が三人。みんながぼくの方を見ている。 ぼくは意識しつつも、それを気にしていない風を装って席についた。 ぼくがちらりと女子の方を見ると、向こうは慌てて視線をそらしてヒソヒソ話を始めた。 どうしよっかな。って、もう決めているんだけどね。でも、まだ証拠はないし。だったら、現行犯しかないかなー……。 ボーっとした頭で考えつつ、ぼくは空を見上げた。今日は少し、雲が多かった。 放課後、ぼくは図書室で時間を潰した。委員会が終わるのはだいたい五時前。ぼくは四時半くらいまで図書室で過ごすと、とりあえず下駄箱に向かった。 下駄箱の近くまで来て、ぼくは足音を殺した。廊下の陰からそっと窺うと、下駄箱のところに女子が三人いた。朝、見かけた三人組。 そこに、響が歩いてきた。どうやら、委員会が早めに終わったみたい。ぼくも早めに来ておいてよかった。 響が下駄箱に近付くと、三人組が響を囲むようにして立った。そのまま少し話をして、響と一緒に外に出て行った。ぼくはそっとその後を追う。 四人は揃って学校の裏に向かった。こっそりと後をつけると、四人は人影のない日陰で止まった。響を三人が囲むようにして立っている。 ぼくはバレないギリギリのところにある草陰に身を隠し、耳をそばだてた。 「あんたさあ、最近ナマイキじゃない?」 どっかで聞いた事があるような台詞が聞こえる。頭の悪そうな台詞だよね。 「何よ。あたしが何をしようとあたしの勝手でしょ! あんたらにとやかく言われる筋合いはないっての!」 「何よ、反抗する気?」 「上等じゃない! 何かやれるものならやってみなさいよ、この腰抜け!」 囲む女子の中でもリーダーっぽい人がキレかけているのが、ここからでもわかる。さすが響。物怖じしないね。できれば、もう少し物怖じして欲しいんだけどね。でないとぼくがここに来た意味がないじゃんか。 「だいたいねー、イマドキ嫌がらせなんて古いのよ! やるなら堂々とやりなさいよ!」 「……そう。そんなに痛い目を見たきゃ、見せてあげるわよ!」 リーダーっぽい人が手を上げた。そのタイミングで、ぼくは立ち上がった。がさがさと草木が揺れる。 ビクッと三人がこっちを振り向いた。 「そこまでにしといてくれる。女子同士の喧嘩なんて口をはさみたくないけどさ、暴力はいけないよ。暴力は」 「う、うるさいわね! あんたには関係ないでしょ!」 「うん、関係はないよ。だから、これから関係するって事で」 ぼくはスタスタと歩き、さっさと響の腕を握ると、一緒に歩き出した。 「ちょ、ちょっと! あたしらは響に用があるんだけど?」 「そ。響は用がないみたいだけど」 「そんなのはあたしらの知った事じゃないわよ!」 「んー、面倒だね」 ぼくはパッと響の手を離した。そして、女子たちを睨む。 「面倒だからぼくが代わりに相手しようか。三対一は卑怯だし、ぼくが援護しても悪くないよね。どっちかと言うと正当防衛だし」 ぼくがそう言うと、ふたりの女子はリーダーを見た。リーダーは下を向いて唇を噛んだまま、何も答えない。 「じゃあ、ぼくと響は行くよ」 ぼくは響の手を引いて歩きかけて、立ち止まって振り返った。 「そうそう。ぼくに用があるなら直接、言ってね。ボーっとしていて聞いていないかもしれないけど」 それだけ言って、ぼくは響と一緒に歩き出した。ちらりと見たリーダーさんの顔が、ちょっとだけ赤かった……ような気がした。自意識過剰かな。 「ちょ、離しなさい!」 しばらく歩いたところで、急に響はぼくの腕を振りほどいた。 何だか怒ったような顔をして、ぼくを睨みつけている。 「何?」 何か言いたそうな響に、ぼくは尋ねた。響は顔を赤くして叫ぶ。 「あんた、何であんたがあそこにいたのよ!?」 「今朝、あの三人が話しているのを聞いたから。ただ、話しているだけで証拠もないから、とりあえず放っておいた。そしたら本当にやったから、止めた。それだけ」 「それだけって……!」 もう自分でも何が言いたいかわからないんだろうな。怒ったような、泣きそうな、笑いたそうな、メチャクチャな感情が入り混じった顔になった響は、面白くなさそうに一言だけ言った。 「――ありがと」 「どういたしまして」 「じゃ、じゃああたし……こっちに用事があるから」 「そう。じゃあ、気をつけて。絡まれたら言い返したりしないようにね」 うるさい、と叫んで、響はぼくと別れた。 「ん?」 ぼくは空を見上げた。ぽつぽつと、雨が降り始めていた。 ぼくは響の走り去った方向にちょっとだけ目をやって、すぐに自宅に向かって駆け出した。 九時ごろ。ぼくがまたボーっとテレビを眺めながら考え事をしていると、電話が鳴った。お母さんが出る。 「はい、近衛です。はい、はい――」 ぼくはお母さんが話す言葉を漫然と聞き流していた。 「――はい? ハル、ちょっと」 「何?」 ぼくは聞き返しながら、受話器を手で押さえるお母さんの方を向いた。 「あなた、響ちゃんがどこに行ったか知ってる? まだ帰ってないんですって」 「……まだ、帰っていない?」 ぼくは、弾かれたように立ち上がった。何だか嫌な予感がする。 ぼくは母が呼び止める声も無視して居間を飛び出した。そのまま玄関まで走り、傘を手に外に出る。 冬の雨が、空気を冷たくしていた。 ぼくは行くあてもないままに走った。けれど、当然のごとく響は見つからない。疲れたぼくは、息を切らして壁に手をついた。 「どこ、だよ……響?」 ……そういえば、ぼくはどうしてこんなに必死になっているんだろう。あの黒い女の子に言われたからだろうか。 …………。 そんな理由、どうでもいいか。とにかく響を探さなきゃいけない。そんな気がするから、ぼくは響を探すんだ。でも、どうしたらいいんだろう――? チリン―― ぼくがふと顔を上げると、雨の中に女の子が立っていた。 暗闇に溶けてしまいそうな色合いの女の子。不思議と、雨が降っているのに全く濡れていなかった。頭の上の小動物が、きゅーと鳴いた。 「貴方、彼女を探しているの?」 「君、響の居場所を知っているのか!?」 「……いいわ。会わせてあげる」 チリン―― 女の子がくるりと回った。その手にはいつの間にか、剣がある。ただ、この不思議な雰囲気の中では、そんな物騒なものもよく似合っていた。 どこから出したとか、そういうのはわからない。ただ、今のぼくにはそんなのは気にならなかった。 女の子がぼくを剣で指した。覚悟を問うようにぼくを見る。ぼくが頷くと、女の子はぼくの胸を刺した。 暗い雲の上は、明るい月が照らしている。ぼくは、空に浮いていた。 ぼくの前には、ぼくをここまで連れてきた女の子と、響がいた。 「響……」 「……ごめんね、ハル。あたし、死んじゃったみたい」 響は困ったように眉をハの字にして言った。 「どう、して?」 「なんかさ、ハルとわかれてすぐに車に当たっちゃって……ホント、ごめんね」 「いや、そうじゃない。どうして、響が謝るの?」 え、という顔で、響はぼくを見つめている。ぼくは見つめ返して、言った。 「響が死んじゃったなら、それは仕方ないかもしれない。ぼくには、何もできない。そうじゃなくて、響がどうして謝らなきゃいけないの? 響は何も悪い事はしていないのに」 「だって……あたし、ハルを置いていっちゃうから」 泣きそうな笑顔で、響は続けた。 「ハルさ、クラスに溶け込めてないでしょ。だからあたし、色々と頑張ってみたんだよ? ちょっとやりすぎたみたいで絡まれたりもしたけど、ハルがみんなと一緒に笑えるようになるならって思ったら気にならなかった。でも、結局……駄目だった。途中で、あたしが死んじゃった。だから、ごめんね」 「そんなの――」 ぼくの口を、言葉が自然について出る。 「そんなの、響が気にしなくていいのに。ぼくが必要とされていないだけで、そんなの響が気にする事じゃないのに!」 「ハルは必要だよ。少なくても、あたしには必要だった」 月明かりに照らされて、きらきらと輝く雫が落ちた。雫は雲に溶け込んで、消えた。 「ハル、ありがとうね。ハルがいてくれたから、あたしも色々と頑張れたもん」 「でも、ぼくは何もしなかったよ? 何も、できなかったよ?」 「ううん、そういうのじゃないの。必要とか必要じゃないとかって、そういう事じゃないかな」 響は懸命に笑っている。でも、ぼくは笑えなかった。笑えるわけがない。なのに、何で響は笑えるんだろう。響は、どうしてそんなに強いんだろう。 「ただそこにいてくれる。当たり前のように、いてくれる。それだけで、そうやって自然でいてくれるだけで、頑張れる人もいる。必要とされているって、そういう事なんじゃないかな。何か特別な事をしなくても、何か特別な事ができなくても、普通にいるだけでいい。それが、本当に必要とされているって事だと思うんだ」 ぼくは、ふっと目を伏せた。 「でも、響がいなくなっちゃったら……本当に、ぼくを必要としてくれる人なんていなくなっちゃうかもしれない」 「そんな事はないよ。少なくても、あたしはハルに生きていて欲しい。ずっと、そのままでいて欲しい」 「……ずるいよね、そういうの」 「う、うるさいわね! いいとこなんだから茶化さないの!」 響はちょっとだけ顔を赤くして、言った。 「ハル。そろそろ逝くね。きっと、ハルを必要としてくれる人もいるから。だから、まだこっちに来ちゃ駄目だからね!」 「…………うん。わかった、ありがとう。響」 女の子と一緒に去りかける響の背中に、ぼくは叫んだ。 「ありがとうね。響の気持ち、ずっと知っていたよ」 響は振り返り、また、涙を流しながら笑った。 「ありがと。でも、忘れていいよ」 響と女の子の姿が消えた。ぼくは、そっと呟いた。 「忘れないよ。たぶん、ずっと」 響の遺体は近くの病院に収容されていた。ぼくはその場所を響のお母さんとぼくのお母さんに連絡、後を任せた。 響はもういない。響は死んでしまった。 ぼくよりもずっと優秀で、ぼくよりも皆に愛されていて、ぼくよりも生きているべきだと思う人が死んだ。 それでもぼくは生きている。そして、生きていく。何の目的もない、何の能力もない、ぼくが。 人生ってのは、そういうものなのかもしれない。何の目的もない、何の能力もない、ごく普通の当たり前の人間が生きる。そして、目的を持った、能力を持った、ごく普通ではない優秀な人こそ死んでいく。だとしたら、世の中ってのはどれほど嫌味なものなんだろうか。 ぼくは生きる。目的はまだない。能力もまだない。でも、生きていくと決めた。響が、望んだから。 結局、ぼくにとって響は何だったんだろう。唯一の友達。幼馴染。たぶん、それ以上でもそれ以下でもない。 でも、響の願いなら叶えてあげたいなと思う。響にはお世話になったし、そのぶんくらいは生きていてもいいかな。そして、生きる意味を探してみようか。 ぼくが生きている間に、見つけられるかどうかまではわからないけれど。 夜空に舞うはみっつの影。うちのひとつが、問いかける。 「ねー、あんたたちはどうして生きているとか、そういうのって考えないの?」 影のひとつがすぐさま答える。 「あたしはアンジェラの敵を斬る、そのためにいるわ。あたしを止めてくれたアンジェラに、報いるために」 影は重ねて問う。 「アンジェラは?」 チリン―― 影に問われ、影は答える。 「――私は、死導者を狩るための存在。絶対なる存在が望むまま、生をもてあそぶ存在を消し去るために在り続ける」 「へえ。なんだか、随分と殺伐としているのね。そういうの、辛くなったりしないの?」 影は驚いたように影を見つめた。代わりに、影が答える。 「アンジェラが辛くないわけないでしょ。それでもやらなきゃいけないから、他の誰にも任せられないから、頑張るんじゃない」 「うーん、そういうのってわかる気がする。たぶん、アンジェラの辛さの百分の一もわかっちゃいないんだろうけど」 「わかってるじゃない」 何故か影は誇らしげに胸を張った。 最も黒い影は、驚愕に目を見張り、やがて微笑んだ。本当に微かな、それでいて確かに温かい笑み。 「やはり貴女と触れ合ってよかった。私は、このために戯れているのだから」 「はは、それじゃあたしもアンジェラの役に立てたってわけね。それはちょっと嬉しいかも」 にこりと影は笑った。未来には絶望しかないというのに、将来には闇しかないというのに、先には終焉しかないというのに、影は笑っていた。 あるいは、そういうものなのかもしれない。何もないとわかるからこそ、何も期待せず、今があるのかもしれない。 「生きるというのはとても難しい。けれど、だからこそ美しい」 チリン―― 清らかな鈴の音が響く。どれほどの騒ぎの中でも確かに響く、軽やかな音色。 「ふふ、あなたと会えてよかった」 影は最後まで笑みを浮かべながら、光となって消えていった。安らかに、静かに。 ふたつの影は光が消えきるまで見つめ、やがて闇夜に溶けた。後には、何も残らない。本当に、何も。 チリン―― |