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変わり続けるには強さが要るって誰かが言った。 変わらないでいるには、もっと強さが要るって誰かが言った。 あたしは、それほどまでに強くなれるだろうか。 雪が、降っている。 しんしんと降り積もる雪。車も道路も建物も白く染まっている。通りを歩く人たちも足早で、ぷるぷると微かに身体を震わせている。 寒くはない。寒さなど、感じない。私は、生きていないから。 変な話。昔は、あんなに生きているって事にこだわっていたのに。 なのに今は、死んでいるんだから。 自分が自分であるという事。不確かな存在だからこそ、自分が存在しているという確証が欲しかった。 今の私に身体はない。道ですれ違ったとしても、誰も私の存在に気付いたりしない。それは、昔と何も変わらないはずなのに。 なのに今は、その事に嫌悪感を抱かない。誰の中にも私は存在していないのに、私は私という存在に満足している。 私の何が変わったのか、よくわからない。でも確実に、何かが変わっている。昔のあたしとは、違う。そんな気がする。 「ん?」 この感じ、なんだろう。すごく懐かしくて、すごく嫌な感じ。全身を毛虫が這いずり回っているような、そんな感触。 「……こっち、か」 あたしの足は自然とその“嫌な感じ”の元凶らしき方向へと向かう。裏路地の更に奥、人通りなんてまるでない道へ。 嫌な感じが強くなってくる。近い――! 最後はなかば駆けるように、あたしは角を曲がった。そこで。 「……!?」 雪が紅い。白を染める温かな紅。生々しい血色が道を、壁を、染め上げている。 紅の中心に、人が倒れている。そこから、止まる事のない紅が流れ出している。 「…………、」 あたしはそっと倒れた人に近付いた。実体化し、脈を確認。やっぱり、ない。 死体は白いコートを着た若い女性。三十前くらいの、OLっぽい人。見開かれた目は、恐怖のせいか、苦痛のせいか。どちらにしろ、こうなってしまえば関係がない。 あたしはそっと死体の目を閉じてやり、合掌して。そして、姿を消した。 チリン―― 「何をしているの」 アンジェラの声を背中に受けつつも、あたしは作業を続けた。 「ちょっと気になる事があってねー」 「気になる事?」 アンジェラがあたしの手元を覗く。そこでようやく、あたしは手を止めた。 「知らなかったんだけどさ、最近、話題になっている事件があるんだって。連続、殺人事件」 「これの事ね」 アンジェラはあたしの手元に置いてある新聞の記事を見つけ、言った。 ここは図書館。と言っても、時刻は深夜。当然、本来なら閉まっている時間なのを、霊体状態で強引に進入、新聞を読み始めたというわけで。 電灯は使えないから、月明かりで読む事になる。雪が止んでいてよかった、けど。おかげで少し目が痛い。ああ、死んでも目って痛くなるのね。 「……、どうしてこの事件に興味を持ったのかしら」 新聞記事から目を上げ、アンジェラはあたしに聞いた。 「――見ちゃったのよ、殺された人。たぶん、その事件の被害者だと思う。明日の新聞に載るんじゃないかしら」 「それだけ?」 アンジェラの真紅の瞳があたしをじっと見つめる。ホント、アンジェラに隠し事はできない。 「……似ているって、思ったの。あたしに」 『死を導く者』に出会うまで、あたしは何かを破壊しなければ生きられなかった。最初は車とか鉄骨とか、そんなの。それが段々とエスカレートして、最終的には人を殺すようになってしまった。 けれど、アンジェラに会って、あたしはようやく止まって。そしてあたしは、あたしを救ってくれたアンジェラの役に立ちたくて、アンジェラの眷属となった。 この犯人は、今までに四人の被害者を“量産”している。あたしが見たのは、たぶん五人目の被害者。その死に様が、なんとなく同じニオイがした。昔の、あたしと。 殺人そのものを愉しむような、そんな狂った感じ。 死体をちょっと見ただけ、検分すらしていないけれど、そんな気がした。あの死体には、そういう雰囲気があった。同類の者だけにわかる、腐臭にも似たような嫌らしいニオイが。 アンジェラはあたしにそっと近付き、あたしの手を取った。両手で、あたしの手を包み込む。そして、柔らかな声で言い放つ。 「安心なさい。貴女は、違うから」 「――え?」 そっとアンジェラが離れる。あたしに背を向け、アンジェラは言った。 「気になるのならば、行動してみなさい。貴女に考え事は似合わない。身体で感じ、心の脈動で測りなさい。今の貴女にならば、できるから」 チリン―― ふっと、アンジェラの姿が消えた。 残されたあたしは窓の外を見上げた。雲が、月を覆い隠した。 あたしは雪が降る中、繁華街にいた。人通りが少なく感じるのは雪のせいか、それとも事件のせいか。 あたしの姿は普通の人には見えない。アンジェラに死を導いてもらってから、あたしは幽霊のような存在になった。だから、よほどの能力者でないと見つける事もできやしない。 町を行く人たちは当然、あたしが座っている事実に気付かないまま通り過ぎていく。あたしも別に、気付いて欲しくて座っているわけじゃない。 あたしが座っているのは簡単な理由。連続殺人犯に会いたい、それだけの理由。 こんなとこに座っていても犯人に会えるかわからない。そもそも通りすがる人々の中から犯人を見つけるなんてできるかわからない。 それでもあたしはここに座っている。ここにいれば、犯人に会える気がする。 それは、あたしなりの勘。今までの犯人の行動、あたしが殺しをしていた頃の感覚、そういうのを合わせて、たぶん今日くらいに、このへんで殺しをするんじゃないかと思っただけ。深い理由なんて何もない。 「……、見つけた」 それでも、あたしは見つけた。通りを歩く、ひとりの男を。 黒っぽいコートにニット帽。眼光が鋭い、若い男。雪が降っているというのに、傘も差さずに足早に歩いている。 別にその男の顔に『私が犯人ですから捕まえて下さいね』とか書いてあるわけじゃない。わけじゃないけれど、あたしにはこいつが犯人とわかった。こいつからは、血の臭いがする。同業にだけわかる、あるいは……同業を誘っている臭いが。 あたしはそっと男の後をつけた。よく考えれば別に気配を殺す必要なんかないんだけど、なんとなく気配を消してしまう。 男は歩く。雪を踏みしめ。 あたしは続く。地に何の痕跡も残す事なく。 男はふっと、裏通りに入った。あたしはその後に続く。 しばらく狭い通りを縫うように男は歩いていく。と、男は何の脈絡もなく立ち止まった。 繁華街の裏の裏、こんな雪の日じゃ看板も出していないような店が目立つ通り。そこに男は何もせず立っている。 と、とある店から酔客らしき人が出てきた。男の顔が笑顔に変わる。 酔客はふらふらと頼りない足取りで歩いていく。サラリーマン風の、男とさして変わらない年頃の男性。 男は酔客の後を追うように走る。 酔客がまどろんだ目で振り返り、 男の手が、閃いた。 真っ赤な血が雪に飛び散る。酔客は何が起きたか理解する間もない。更に男は、右手で酔客の胸を刺した。いや、右手に何か……ナイフのようなものを持っている? ぐりぐりとねじ込むようにナイフを突き刺していく。酔客が血を吹き、そして倒れた。悲鳴を上げる余裕も与えない、完璧な“殺し”。だからこそ、反吐が出る……。 男が振り返った。そして、驚きと悦びが混じったような顔になる。 「――あんた、いつからそこにいたんだ」 案外と甲高い声が聞こえてきた。って、あんた? 「あんただよ、あんた」 男はナイフであたしを指す。ああ、つい力が入って実体化しちゃったのか。 仕方なくあたしはため息混じりに答えた。 「さっきからずっといたわよ」 「なるほど、繁華街を歩いた甲斐はあったわけだ」 ナイフに付着した血をべろりと舐め取り、男は続けた。 「こうして、同類に遭えたんだからなぁ?」 男が一歩、あたしに近付く。あたしは動かない。 「あんたも俺と同じ臭いがしやがる。血を求める、ケダモノの臭いだ。いいぜぇ、最高だ。姉ちゃん、俺と殺し合おうぜ。どうせ狂った世界なんだ、こっちも狂わなきゃ楽しくねーだろぉ!?」 「……あたしは、あんたとは違う」 アンジェラが、そう言ってくれた。 アンジェラはいつだって正しいと思える事をやってくれた。教えてくれた。それがアンジェラの判断基準でも、あたしが満足できる結果を与えてくれた。 だから、それは絶対に正しい。あたしは、こいつとは違うんだ。絶対、違うんだ。 「はッ! どう違うんだよぉ? 俺と、あんたと、何が違うんだぁ!」 男がナイフを突き出し、突撃してくる。あたしは、ひらりとかわしてみせた。 「煩い。とにかく違うの」 よろめきながら通り過ぎた男は割と身軽な動作で振り返った。口の端は、吊り上ったまま。 「なんだよ。まるで自分に言い聞かせているみてーじゃん? はは、そんなに殺人鬼が嫌かよ。嫌がる理由なんざ何もないだろ? 事実はどこまで行こうと事実でしかないんだぜぇ!?」 違う。あたしは違う。あたしは殺人鬼じゃない。 あたしはアンジェラに救ってもらった。あたしは、あたしは違うんだ! 自然と、懐の握りに手が伸びる。あたしは握りさえあれば神だって悪魔だって切り裂く事ができる。もちろん、ただの人間なんか豆腐を斬るより容易く斬る自信がある。 「……ッ!」 けれど、握りを掴んだところであたしの動きは止まった。今、ここでこいつを殺してしまえば、あたしは殺人鬼になってしまう。何の理由もなく、ただ目障りというそれだけの理由で人殺しをする最低の存在に。 あたしは奥歯を噛み締めつつ言った。 「あたしは、あんたとは違う。あたしは快楽に任せて殺しはしない。あたしは、殺さなければいけない相手しか殺さない」 「どうだろうな。あんたからは血の臭いが消えてねーよ。あんた……今はどうだか知らねーけどな、昔はやりたい放題に殺ったんだろ?」 ――それは、否定できない。 破壊する事だけが存在意義だったあたしは、確かに殺しをした。何の罪もない人を、ただ殺したいというそれだけの理由で殺した。その罪は、確かにあたしの背に乗っている。それは否定できない。 「だろ? つまり同類だよ。一回やっちまった罪は消えねーんだ。あんたは死ぬまで、いや、死んだって殺人鬼なんだ。あんたの中には人殺しを愉しむ感覚が残っているよ。そいつは何かのきっかけで暴れだして、お前を内から喰らい尽くす。内のケダモノに喰われちまえば、お前は俺と同じとこに落ちるのさ」 ――それは、否定できる? 今後も誰も殺さないって、無関係な人に手を出さないって、断言できる? 分からない。その時になったらアンジェラが止めてくれる確証はある。けれど、それじゃあ駄目。あたしが殺意を抱いた時点で、あいつに言わせればケダモノに喰われた時点で、それはあたしの負けなんだ。昔の、破壊したいという欲求だけで動く化物に戻っちゃうんだ。 そして、そうならない自信はない。いつかまた戻ってしまうかもしれないという恐怖感はある。こいつを見ていると、なおの事そう思ってしまう。 男はますます悦びに満ちた顔であたしを見つめた。 男が口を開く、と同時に。 「あん?」 遠く、サイレンの音が聞こえる。誰かが警察を呼んだのかもしれない。 「ちッ、しゃあねーな。じゃあな、姉ちゃん。また会おうぜ」 「……誰が」 あたしの額にシワができているのが分かる。でも、それは止まらない。消えない。 「あんたと俺は同類だ。こうして会っちまった以上、同類である俺とあんたは惹かれ合う。何度でも出会う。そういう運命ってヤツを感じるんだよ、俺はな?」 言いたい事だけを言って、男は暗闇に消え去った。 残されたあたしの中に、不快感と嫌悪感と、そして恐怖を置いて。 夜空に座る。こんな化物のような真似、いつから当たり前になったんだろう。もう、思い出せない。ほんの数ヶ月の間に起きた出来事なのに。 膝を抱え、あたしはじっとしていた。冷たい夜風がふわりと駆け抜けていく。 あたしの下には白い町並みが広がっている。また雪は止んだけれど、雲は消えていない。またいつ降り出すか、分からない。 チリン―― 鈴の音色に導かれるようにあたしが顔を上げると、目の前に黒衣の少女が立っていた。アンジェラだ。 「――何?」 「まだ迷いを振り切れないのね」 「そりゃあ、ね」 あいつの言う事も、間違っていないから。 今のあたしは無害かもしれない。けれど、いつ衝動が起きるかわからない。そして、衝動が起きてしまえば、それはあたしが何も変わっていない事の証明になってしまう。それが、その日が、怖い。 「変わらない事が、恐ろしいの?」 「怖いわよ。またあんな状態に戻るのが」 大切なものすら壊そうとしてしまう自分が。 世界で唯一、あたしに優しくしてくれた人すら殺そうとしてしまった自分。そんな自分には戻りたくない。 でも、戻らない自信は、ない。 アンジェラは腰を屈めた。それだけで、背の低いアンジェラはあたしと目線が合う。 「今のあたしはあいつと違うよ。それは断言できる。でも、ずっとそうだっていう自信はないの。何かの拍子にまた、ああなっちゃうかもしれない」 「そうね。未来の事は誰にも分からない。もしかすると貴女も、あるいは私も何かを破壊したくなるかもしれない。それは断言できないわね」 「違うの。そういう事じゃないの」 あたしは首を振った。アンジェラの真似をして腰まで伸ばした髪が左右に揺れる。 「アンジェラが破壊するって事は、たぶんない。でもあたしは違うの。あたしの起源は破壊。生まれた時から何かを壊すために存在しているの。今はそれを理性で押さえつけているようなものだから。だから、いつか破壊したくなってもおかしくない。ううん、今すぐだっておかしくないもの」 だから、怖い。 「どうして私は破壊しないと言えるのかしら」 アンジェラは、あたしにもわかるくらい無理をして、冷たい声を出した。 アンジェラの声はいつだって優しい。どんなに冷たさを装っても、底に流れる温かさがある。それは、長く付き合うほどにわかる。まして、人ですらなくなった今のあたしは、その気になれば他人の心の動きだってある程度はわかる。アンジェラが隠そうとしても、無駄。 それでもアンジェラは、努めて冷たい、それこそ雪のような声を出す。 「貴女は勘違いをしている。人は起源によって生きているわけではないの。人は、人だから生きている。起源は所詮、起源に過ぎない。その者の原点がどこにあろうと、進んでしまえばそれは遙か遠く。進むほど、歩むほどに原初は遠くなり、見えなくなる。それが、人間」 「それでも、起源からは逃れられない。変えようのない過去の中でも、いっちばん最初の過去だから、変えられるはずがない」 「変えられないから、いつか戻るかもしれないと言うのかしら。起源がそこにある限り、いつか起源に戻ってしまうと」 あたしは、もう頷く事すらしなかった。何もしたくない。何もしなければ、何も壊さない。 「ケイ。いつから貴女はそれほどまでに弱くなってしまったのかしら。そんな貴女よりも、まだ破壊衝動と共に歩んでいた頃の貴女の方が魅力的だわ」 あの頃の方が、魅力的? 何よそれ。あたしに何でもかんでもぶち壊せって言うの? 「そう。全てを打ち壊しなさい、ケイ。貴女は破壊者。立ち塞がる全てを砕き、過去すらも切り裂き、今だけを信じて歩みなさい。恐れては駄目。そもそも、貴女は恐れる必要すらない。何かを守りたいと願うなら、己すら破壊しなさい。貴女にはそれだけの力がある」 アンジェラはあたしの手を取り、立たせた。 「もし破壊衝動が恐ろしいなら、破壊衝動を破壊しなさい。もし起源に縛られるのなら、起源すら破壊しなさい。貴女に砕けないものなど存在しない。貴女は、私すらも超越する、純然たる破壊なのだから」 「衝動を、破壊する……」 そんな事、できるのかしら。アンジェラに言われると、できそうな気になってしまう。一見すると不可能なのに、アンジェラが言うと不可能ではないような気持ちが沸いてきてしまう。 「貴女の剣は、『神だって悪魔だって斬り捨てる』のでしょう。ならば、運命や宿命などという下らないもの、貴女の力で砕いてしまいなさい」 できる、かしら。 ――できるかしら? 何を言っているのよ、あたしは。できる、できないなんて話は最初からしていないじゃないの。 アンジェラは言った。砕けって。 あたしはアンジェラの命じるまま、アンジェラの敵を斬ると約束した。なら、アンジェラは何を壊せって命じた? 決まっている。弱いあたし。過去に縛られた、動けないあたし。 「アンジェラ。ありがと。少しだけ吹っ切れた」 「吹っ切れたというのは勘違いかもしれないわ。貴女の過去は、依然として貴女の背後にあるのだから」 「その、通りね」 やっぱり、アンジェラはズルイ。 「アンジェラ、行ってくる。今度こそ、あたしは“あたし”を殺してくる」 言い残し、あたしは強く強く空を蹴った。 「よーやく見つけたわ」 雪を踏みしめ、あたしは言った。空からはまた雪が降り出している。ちらちら舞い降りる白い雪。その合間に、あいつは立っていた。 「よう。殺人鬼の姉ちゃんか」 「あんたに言われる筋合いはないわよ、馬鹿」 人通りのない住宅街。街頭の下には、紅い海が広がっている。 「また、殺したのね」 あたしは睨む。 「おう。それが俺だからな」 それに対して、まるで世間話のように、男は返した。 男の足元には、人が倒れている。すでにそれが男だったのか、それとも女だったのかすらも判然としないような、モノとなった人が。 「ようやく俺と殺し合ってくれるのか、姉ちゃん。嬉しいぜぇ、嬉しくって涙が出そうだ」 言葉通りに笑みを作り、男はあたしと対峙している。 「さあ、楽しもうぜ兄弟。異常な祭りを、よ」 「兄弟? 誰がよ。あたしはあんたとは違う。そして、これからも。そうなろうと決めたから、あたしはもうあんたとは違うの」 「はッ! 何を言おうが人殺しは人殺しだよ。殺した罪は消えねーのさ!」 我慢できなくなったのか、男は走り出した。あたしは横に避けつつ、言った。 「罪なんか消えなくていいわよ。地獄の底まで持っていってあげるから」 あたしの腕が閃く。あたしとこいつでは、破壊のレベルが違う。 男が振り返る頃には、男の手の中にあったナイフは握りだけになっていた。 男はナイフを投げ捨て、あたしに突進してくる。けど、遅い。 あたしは男の懐まで一足に飛び込む。そのまま軽く足払いをかけただけで、男は雪の中にダイブした。 男は雪の中からガバッと起き上がった。その顔は、未だに笑顔。ムカつくくらい、心の底から笑っている。 「いいぜいいぜぇ! 姉ちゃん、あんたは俺が遭った中でも最強最高の死神だぁ! はっははは、あんたみてぇのに殺されるなら本望だぜ! さあ、俺を、殺せぇ!」 男がまた、突進してくる。あたしは同じように避け、同じように足を払った。男は、やっぱり同じように雪に突っ込む。 その背中……と言うか尻に向かって、あたしは言った。 「あんた馬鹿でしょ。あたしは“あんたとは違う”の。あんたなんか殺すにも値しないわ。あんたに似合うのは、せいぜい牢屋ね」 雪から顔を上げた男は、やはり笑ったままで答えた。 「俺は牢屋なんかに行ったって罪を償うつもりはないぜ。ま、どうせ俺じゃ死刑だろうけどな。そしたら地獄で暴れまわってやるよ」 「罪を償う心がないのは仕方ないわね。あんたにとって、殺しは罪じゃないんだから。そのあんたに償いを求めるのも無意味ってものだもんね」 そう。贖罪の気持ちがなければ、牢屋なんて意味がない。もちろん、死刑だってこいつには無意味。人間が考えられる限りの刑罰では、こいつには何の意味もない。 「でも、言っておくけど。あたしはアンジェラの眷属なの。アンジェラは、それがどんな人生であろうと、決して手出しはしない。人の生は、その人だけのものだから。だからあたしも、あんたの生は奪わない。それが良い事か悪い事かなんてわかんないけど、あたしはあたしのルールに従う」 「いいね。俺も俺のルールに従うぜ。そして、その結果がお前の後ろに転がっているモノさ」 あたしの眉が、自然と寄った。 「やっぱり、あんたは嫌いだわ」 「俺はあんたが大好きだぜぇ、姉ちゃん」 遠く、パトカーのサイレンが聞こえる。 「じゃあね、殺人鬼。もう会わないでしょうけど」 「つれないねぇ、姉ちゃん。また殺し合おうぜぇ?」 「はッ! せめてあたしに触れられるくらいになってから言いなさいよ」 言い切って、あたしは夜風に姿を消した。 男は最後まで笑っていた。狂ったように、楽しげに。 桜色の少女は夜空を歩む。雲は途切れ、月明かりが少女の髪を青白く照らしていた。 チリン―― その隣を、いつの間にか黒い少女が歩いていた。その頭上には小さな生き物が、すーすーと寝息を立てている。 「殺さなかったのね」 黒い少女はまるで独り言のように呟いた。 「もう勝手に殺さないって約束したでしょ。あたしは変わったの。そして、これからも変わり続ける。こんなとこで止まれるもんですか」 チリン―― 「ええ、本当に。貴女は強くなっている。先刻よりも今の方が、今よりも未来の方がずっと強い。どこまで強くなるのかしら。楽しみね」 桜色の少女は何事かを考えるように、うーんと唸った。 「そうね。とりあえずの目標はあの白いガキンチョかな」 黒い少女の足が止まる。桜色の少女も足を止める。 「……本気かしら」 「あたしはいつだってマジよ。神だろうが悪魔だろうが、聖母だろうが死導者だろうが、アンジェラの敵なら、あたしの剣で斬っちゃうんだから。あたしは、そうなりたいの」 黒い少女は無表情に眼前の少女を見つめ、そして微笑んだ。 「そろそろ頃合かもしれないわね」 「何の?」 黒い少女は質問に答えず、そっと夜空に溶け込んだ。 「あ、ちょっとアンジェラ! 逃げるなぁ!」 楽しそうな声で叫び、後を追うように少女も姿を消した。 チリン―― |