平凡な今が幸せだ。
 何もないかもしれない、それでも幸せだ。
 だから、これがいつまでも続いて欲しいんだ。


 俺は学校の校門までの坂道をのんびりゆっくり歩いていた。
 つい、ため息が出る。
「今日のテスト、マジやべえんだけど。下手したら追試になんだけど」
「大丈夫やろ〜? 結構、簡単やったで、あのテスト」
「お前は頭がいいからそんな台詞が吐けるんだよ、このエセ関西人が」
「エセやない! オレの心は関西や!」
「じゃあ関西に移住しろ。そしてそのまま永住しろ」
「なんや、つれないなぁ。オレとお前の仲やろぉ?」
 俺はエセ関西人の台詞を全力でシカトし、足早に校門に向かった。
「あ、ちょいと待ちぃや!」
 エセ関西人の台詞を背に、俺は校門を抜けた。
「あん?」
 そこに、女の子が立っていた。ウチの制服だから、まあ生徒なんだろう。ショートカットが似合っていて、割とかわいい。でも、こんなとこで何してんだ?
「ちょい待てって言うてるやろ! あん、どないしたん?」
 立ち止まった俺に疑問が沸いたのか、エセ関西人が声をかけてきた。
「あ、いや……」
 俺は言い淀む。そうだ、俺は何をまじまじと見ているんだ。失礼じゃねーか。
 それでも俺はそこから動けなかった。理由は俺にもわからない。けれど、そこから動くのはためらわれた。
 俺が見つめているのに気付いたのか、女の子が俺の方を向いた。
「……何か?」
 綺麗な透き通るような声。なんとなく安心できるな、と思った。
「い、いや。ここで何してるの?」
「なんとなく、感じるの」
「感じる?」
 俺が何を、と聞く前に、女の子は答えた。
「濁ったような、コーヒーにミルクを垂らしたような、一抹の違和感。原因も具体的な事も、何もわからないけど、でもそう思ったの」
 何を言っているのか、それはまるで理解できない。けれど、なんとなくこの子の雰囲気に似合って、不思議な気持ちになった。
「な、なあ、こいつやばいんちゃう?」
 小声でエセが言う。けど、俺はそれをまるで聞いちゃいなかった。この子の雰囲気に、完全に呑まれているのかもしれない。
 女の子は俺をじろじろと眺め始めた。女の子の視線をこんだけ受けたのは初めてだから、ついドキドキしちまう。
「な、何?」
「あなた」
 現実離れした空気を漂わせ、女の子は言った。
「名前は?」
「え? 俺?」
 女の子はこくりと頷く。
「俺は西城。西城和馬、だけど」
「さいじょう、かずま」
「そう、西に城で西城。平和の和に馬で和馬、だけど」
 名乗ったのに、女の子の表情に変化はない。
 俺が気まずくなって口を開きかけた途端、それを防ぐように女の子が口を開いた。
「私、3−Bの鯉田まみ。魚の鯉に田んぼの田でこいた。まみは平仮名。鯉田まみ」
「ああ、じゃあ隣のクラスか。俺は3−Cだから」
 こんな生徒がいるなんて知らなかったけど。
 それも変な話じゃない。三百人以上も生徒がいれば、知らない生徒のニ、三人は珍しくもない。
「よろしく」
「は? ああ、ええと、よろしく?」
「って、何で挨拶しとるねん!」
 あ。完全に存在を忘却していた。
 俺の後ろで、エセ関西人が叫んだ。
「オレ、佐倉翔! にんべんに左の佐に、倉庫の倉。でもって大空を翔ると書いて、さくらかける、な!」
「やかましい」
 振り向きざま、俺の必殺メガトンパンチがエセ関西人の顔面に刺さった。そのまま、阿呆はゆっくりと倒れた。
「ふッ、正義は必ず勝つ」
「うるさいという理由で問答無用に殴り飛ばしたあなたが正義なの?」
「……そこにツッコミはいらないよ、鯉田さん」
 なんだか調子の狂う人だ。少なくても、俺の周囲にはいなかったタイプだな。
「彼、大丈夫なの?」
 鯉田さんはエセを指差した。俺はぶんぶんと手を振り、答える。
「大丈夫、大丈夫。こんなんで死なないって」
「そう?」
 鯉田さんは軽く首を傾げ、けれどそれ以上は何も言わなかった。最初から興味がないからかもしれない。
 会話が途切れ、どことなく気まずい雰囲気が流れた。こういう時は、逃げるに限る。
「じゃ、じゃあ」
 俺は軽く手を上げ、帰り道へと足を向けた。
「ねえ、あなた。駅に行くんでしょう?」
「え? ああ、そりゃそうだけど」
 学校の近くに住んでいるヤツも多いが、基本的にこの学校の生徒の大半は電車通学をしている。俺が足を向けたのも、駅の方角だ。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
 そう言うと俺の返事も待たず(ついでにエセが起き上がるのも待たず)、鯉田さんは歩き出した。
「え、あ、ちょっと!」
 俺も慌ててその後を追った。
 女の子とふたり、肩を並べて歩くなんて経験はあまりない。少なくても、高校に入ってからは初めてだ。鯉田さんの髪から、ふわりと良い匂いが漂った。
 他の生徒の姿はあまりない。そりゃそうだ、下校時刻はとっくの昔に過ぎている。俺たちがこの時間に帰るのも、学校にふたり残って課題をやっつけていたからだ。普通の生徒なんか、とっくに帰っている。
 鯉田さんは何も言わなかった。こういう時は俺から話しかけるべきなんだろうか。でも、この子が興味を引きそうな話題が全く思いつかない。なんとなく、普通の女子が喜ぶような話題には興味なさそうな気がするし。
「ねえ」
 と、鯉田さんの方から声をかけてきた。
「何?」
「あなた、一年の頃からあの学校に通っていた?」
 いきなり何を言いだすかと思えば、そんな事か。
「通っていたよ。ま、あったとしても廊下ですれ違ったくらいだろうし、覚えていなくても無理はないけど」
「たぶん、それもないと思う」
 それもってのは、廊下ですれ違ったら覚えているって事かな? だとしたらすげー記憶力だな。っつーと、あれか、廊下ですれ違った事もないと?
「それはないと思うけどな。三年も通っていれば、そりゃ何度か会っているはずだと思うけど」
 俺が至極、まっとうな意見を述べると、鯉田さんはふるふると首を振った。
「あなたには独特の雰囲気があるから、私が忘れるはずがないと思うの。だからたぶん、初めて会った」
 独特の雰囲気、か。そんな風に言われたのは初めてだな。
 そういや昔、誰だったかに『お前は親しみやすい雰囲気がある』って言われた気がする。なるほど、それなら覚えているかもしんねーな。ま、どっちでもいいけど。
 チリン――
 よく通る鈴の音色に、俺はふと前を見た。
 俺たちの前に、道を塞ぐようにして女の子が立っている。夜空色のワンピースを着た、小学生くらいの子供。ランドセルが似合いそうだ。
「貴方たち、知り合い?」
 女の子が口を開く。声には幼さがあるのに、感じられる雰囲気はどこか大人っぽかった。
「まあ、知り合いって言えば知り合いだな」
 答えてから、俺は鯉田さんの方を向いた。
「この子、鯉田さんの知り合い?」
「いいえ」
 答え、鯉田さんは女の子をまっすぐに見つめた。
「あなた、何者?」
「私? 私は八番目の死導者」
 女の子は平然と答えた。しどーしゃ? 先生って事か?
「貴方たち、周囲で生の乱れを感じた事はないかしら」
「学校ではないわ」
 なんだこれ、このふたりで世界が形成されてるんですけど。俺、完全に部外者なんですけど。つーかね、あれですよ、専門用語が多くって、素人の俺にはさっぱりですよ。何の専門かもわかんねーけど。
「そう。それは仕方ないわね」
 優しく微笑んだその姿は、やっぱり子供離れしていた。
「では、私は行くわ。また会いましょう」
 女の子は、くるりと回った。
 チリン――
「あ、あれ?」
 俺は目をごしごしこすった。けれど、俺の前にはもう女の子の姿はなかった。
「こ、鯉田さん。さっきまでここにいた子供は?」
「行ったわ」
 鯉田さんはさらりと、一言だけ答え、駅に向かって歩き出した。
 俺も慌ててその後を追う。やっぱ、この人はなんか調子が狂う。
 不思議な、女の子。
 少し気にはなったが、だから何をするってわけでもない。俺は鯉田さんとふたり、駅に向かうと決めた。

「西城!」
「あん?」
 教室でボーっとしていると、声をかけられた。
 俺の横に、アホ面が立っている。邪魔くさい。
「……西城。なんか今、すっげー失礼な事を考えとらへんかった?」
「気のせいだ。つーかさ、お前、なんでここにいるの?」
「は? そりゃあ、お前と同じクラスだからやろ?」
「じゃなくて。お前は昨日、現世の身体とおさらばして関西に還ったんじゃねーの?」
「してないわ! ってか、何? もう死んでるん、オレ!?」
 やたらとテンションが高いのはこいつの特徴なんだろうか。なんだろうかってか、そうなんだけど。
「せやなくて、お前に客やで」
「は?」
 エセが親指で指す方向――教室の入り口に、無表情の女子生徒が立っていた。
「ああ、昨日の……」
「なんかお前に用事やって。行ってきぃ」
「おう」
 何かあっただろうか、などと考えつつ俺は腰を上げた。
 俺が近付いても、やっぱり鯉田さんは無表情のままだった。
「ええと、鯉田さん? 俺に用事って何?」
「お昼。どこで食べるの?」
「え? たぶん、パンだけど」
 金ねーから。とは、流石に女の子を相手にしては言えない。
「じゃあ、一緒に食べましょう。中庭で待っているから」
「はい?」
 言うべき事は言った、とばかりに鯉田さんは満足そうに頷いて、すたすたと歩き去ってしまった。
「何だ、あれ」
 思わず声が出る。いや、そりゃあ女の子と昼飯なら喜ぶべきシュチェーションだけど、そんなに仲が良いわけでもないし、そもそも俺と食べたい理由が全く思い当たらないわけなのだが。
「どした、西城」
 と、俺の肩にエセの顔が乗った。
「鯉田さんに昼を誘われた」
「あ? 何でや」
「知らん」
 それはむしろ俺が聞きたいわけなのだが。
「お前、気に入られたんちゃう?」
 そして、俺に向けてぐっと親指を立てるエセ関西人。
 俺はその親指をぐりっと明後日の方向に向けた。
「ぎゃあああああ!? いきなりイジメですかいな!?」
 俺はその声を背中に受けつつ、席へと戻るのであった。

 昼休み、俺は購買部で戦争に勝利すると、言われた通り中庭に向かった。
 鯉田さんは中庭の隅のベンチに腰掛け、すでに俺を待っていた。
「鯉田さん」
 俺が声をかけると、鯉田さんはゆっくりと俺の方を向いた。
「隣、いい?」
 頷く。俺が隣に座ると、鯉田さんはナプキンに包まれた箱を取り出した。
 開くと、中には色とりどりのおかずが詰まっている。
「私が作ったの」
 聞きもしないのに、鯉田さんはそう言った。
「へえ、そりゃすごい」
 実際、この弁当を自分で作ったのならたいしたものだ。冷凍食品らしきものはひとつも見当たらない。たぶん、どれも手作りだろう。
 俺も今日の戦利品を取り出した。購買部では常に人気上位に位置するカツサンドだ。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
 俺と鯉田さんの声が揃い、俺はパンの包みを開いてかじった。感動する美味さはないが、それなりに美味しい。
「……食べる?」
 ふと、鯉田さんはそう聞いた。
「ちょっと、苦いかもしれないけど」
 そう付け加えて。
 ……苦い? 甘いとかじゃなくて?
 どういう味付けをしたら苦くなるんだろう。
「それじゃ、いただきます」
 なんかさっきも言ったような気がする台詞を吐き、俺は鯉田さんの弁当箱からたまごやきをひとつ、指でつまんで口に放り込んだ。
 ――確かに少し苦かった。
 だが、それを気にさせないくらいに美味い。この苦味がなければ、感動する味ってのだろう。ますます、すごい。
「どう?」
「美味しいよ。でも、確かにちょっと苦いな」
 俺は正直にそう言った。ここで変に気を使う必要もない。
「にしても、たまごやきなんてどうして苦くなるの?」
 特に何が入っていた気もしないけど……?
「たまごだけじゃないの。たぶん、全部。ウチが使っているお水は特別だから」
「ふーん……」
 それってやばい水じゃないのだろうか。
 思ったが、失礼なので口にしない事にした。
 俺がパンを食べ終わり、続いて鯉田さんが弁当を食べ終わると、気持ちのよい春の陽気が俺に眠気を運んできた。
 俺は眠気に対抗するよう、口を開いた。
「ええと、どうして俺と昼飯を食おうって思ったの?」
「あなたに興味があったから」
 それは、恋愛フラグと解釈しても構わないんだろうか。つっても、会ったのは昨日が初めてだし、それにしてはフラグ成立するの早すぎねえ?
「興味が、あったって?」
「そう。あなたの持つ雰囲気が、気になったの。それだけ」
「そういや、昨日もそんな事を言ってたね。独特の雰囲気とかなんとか……」
 初めて言われたし、昨日の事だからよく覚えている。
「確信はないの。私、それほどの練習は積んでいないから。だけど、あなた、もしかすると私の探していた人かもしれない。そう思って」
「探していた?」
 こくんと頷き、鯉田さんはじっと俺を見つめた。
「な、何?」
「西城君、お化けとか信じる?」
「……は?」
 このタイミングでお化けですか!?
 意外性に驚きつつも、俺は真っ正直に答えた。
「いや、あんまし。オカルトとか好きじゃねーんだ」
「そう、なの」
 少し残念そうに、鯉田さんは顔を伏せた。
「私の家は神社で、父は神主を、母は巫女をしているの。私も昔から退魔の修行とかで、色々な事をやらされたわ」
「へえ」
「でも、私は優秀ではなかったらしいの。父や母ができるはずだと言う事も、なかなかできなかった。今だって同年代の子からすれば、大きく劣っているレベルなの」
「そりゃ、意外だ」
 見た目からすればバッチリ巫女さんになれそうだけど。
 つーか、巫女さんになるのに条件って要るのか? 社務所で暇そうにしながら、たまにお守り売ったり、境内の掃除したりするもんじゃねーのか?
 そこに優秀も何もない気がするが。
「西城君。お願いが、あるの」
 伏せていた顔を上げ、鯉田さんはまっすぐに俺を見つめた。
 大きめの、濡れたような黒い瞳に、俺が写っているのが見えるほどの距離。かなり、近かった。
 俺がちょっと顔を前に出せば、キスすらできそうな距離――。
「私の親戚に、兄のように慕っている人がいるの。その人に、会ってほしい」
「親戚に?」
 何を言い出すのかまるで予想ができないよこの子。展開を読ませないって何者? つーか、脈絡がないだけです。巫女さんの話はどこに行ったんじゃい。
「ま、いいけど。どうせ暇だし。いつならいい?」
「明日の放課後、どう?」
「ああ、いいよ」
 俺がそう言った時、予鈴が鳴り響いた。
 鯉田さんと俺は並んでベンチから立ち上がる。
「それじゃあ、よろしくね」
 最後に少しだけ微笑んで、鯉田さんは半ば駆けるように歩いていった。
 俺はその後姿を呆然と見つめ、一言。
「かわいい、よな」
 それは動かない事実なのだった。



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