俺はあいつに何もしない。
 ただ、あいつと一緒にいるだけ。
 どこまでも、 いつまでも 。


「立山さん、本当に心当たりはありませんか?」
「ありませんね」
 若い刑事は困ったようにペンで頭をかいた。
 代わりに、壮年の刑事が口を開く。
「しかしですねぇ、あなたの友人や親類ばかりが三人。どう考えてもあなたに関わりのある人物が犯人としか考えられんのですよ」
「そう言われましても、心当たりはないのでね」
 刑事はため息をつくと、立ち上がった。
「では、我々はこれで失礼します。立山さんも、決して外に出ないで下さい」
 ふたりの刑事は頭を下げ、部屋から出て行った。
 俺は体をソファに沈めた。
「心当たりはあるか、か」
 煙草に火をつけ、吐き出した煙を目で追う。俺の、好きな動作だ。
「馬鹿な質問だよ。ないわけがないだろうに」
 二週間で、俺の周囲では三人が死んだ。
 ひとりは、俺の妹。明るく大らかで、すぐに俺にキスしようとするくらいに、あいつは俺に懐いていた。死因は、後頭部を殴られた後に顔やら腹やら胸やらをメッタ刺しにされた事による、失血死。
 ひとりは、俺の友人。仲の良かったヤツで、よく一緒に酒を飲みに行く仲でもあった。死因は、首をロープで絞められた事による窒息死。その後、遺体は何度も殴られた痕があったらしい。
 ひとりは、俺の姪。まだ中学生だった。死因は焼死。焼け焦げた遺体には殴られた痕跡があったらしく、どうやら気絶させた上で焼き殺したらしい。
 共通点は、半端じゃない憎しみが伝わってくるという事。犯人は、俺を深く憎んでいるらしい。
 つらつらと考えて、ふと時計を見ると、時刻はもう九時を過ぎていた。
「そういえば、まだ夕飯も食べていないな」
 いつも夕飯は遅いから、つい忘れていた。と言っても、家の中には何もないし。
 仕方ない。コンビニで弁当でも買ってくるかな。
 ため息混じりに、俺は立ち上がった。

 チリン――
「ちょっと、そこのあんた」
「ん?」
 コンビニまでの道を歩いていると、いきなり声をかけられた。
 振り返ると、ふたり組の女の子が立っていた。
 ひとりは小学生くらい。夜空色のワンピースを着ている。頭の上には、黒いオコジョを乗せていた。それにしても、こんな時間に外に出ていていいのか?
 もうひとりは、桜色の着物に白いミニスカを合わせた、少し変わった服装の女の子だ。こういうのが、最近の流行なんだろうか。しかも何故か、俺を睨んでいる。
 あたりには俺以外の人影はない。呼び止めたという事は、要するに俺に用事があるという事だろう。見覚えはない、が。
「あんたさ、どーして止めないのよ」
「止める? 何を」
 桜色の女の子は、不機嫌そうに見える。何が気に入らないのかは知らないが。
「あんたさ、友達が危ない真似をしてるって知ってるんでしょ? なのに、どーして止めないのって聞いてるのよ!」
「……、君たちは何なんだ? 警察、じゃあないだろうね」
「死導者よ」
 チリン――
 桜色の代わりに、黒い女の子が答えた。
「指導者?」
「死導者。死を導く者、よ」
 死を、導く? 何だ、時代遅れのヤンキーか?
「んなごちゃごちゃした話はどーでもいいのよ。それより! どうして友達を見殺しにしているのかって聞いているんだけどぉ!?」
 やっぱり、ヤンキーかもしれない。少なくても、一般女子高生は大人にメンチ切ったりしないだろうから。
 まあ、どちらでもいいんだが。
「君らが何を知っているのかは知らないが、余計な口出しはしないで欲しいね」
「にゃにおぅ!?」
「ケイ、止めなさい」
 ずずいと前に出た桜色を、夜空色が止めた。
 代わりに前に出た夜空色が、ちらりと俺を見た。
「でも、私も聞きたいわ。彼は貴方にとって、最も大切な存在なのでしょう? なのに、彼が何をしても止めない、気にしない。その理由、私には理解しかねる」
「関係ないね」
「だからッ! 何で、何でそんな口が利けるのよ!」
 怒りなのか何なのか、暴れようとする桜色を、やはり夜空色が手で制す。見た目とは、逆の関係なんだろう。確かに、こっちの小さい方が大人びている。
 だけど。俺の事は、理解できないだろうな。
「関係ないんだよ。あいつの道は、あいつが決める事だから」
「どういう事かしら」
 黒い女の子は、すい、と目を細めた。子供には似合わない動作だが、何故だかこの子にはよく似合っている。
「言葉通りだよ。あいつの生き様は、あいつが選び、決定する。そこに、俺の意思は関係ない」
「でも、友達なんでしょう? 彼の行動は、明らかに倫理に反している。人の世で生きる限り、彼は決して許されない。貴方は、それでもいいと言うの?」
「もちろんだ。あいつがそれを望むなら。俺は、あいつを見守り続けるだけさ。いつまでも、どこまでも、ね」
「何ソレ。意味わかんない」
 やはり不機嫌そうなまま、けれど、暴れる事だけは止めた桜色が言った。
「だから言ったはずだけど。関係ない、って」
 俺は女の子たちに背中を向けた。そのまま、歩き出す。
 引き止める声は、なかった。
 チリン――
 ただ、鈴の音色を除いて。

 雨が、降っていた。残業で遅くなったせいもあって、人通りはまるでない。そのせいか、街灯の下ですら、普段よりも薄暗く感じられた。
 ぴちゃり。音がした。こんな時間に、人? 少し気になって、振り向こうと
「止まれ」
 背中に、何かが押し当てられる感覚。そして、聞きなれた声が耳を突いた。
「山田か。どうしたんだ、こんな時間に」
「――よくわかったな。会うのは、二年ぶりだってのに」
 自然と、俺の頬は笑みを形作った。
「当たり前だ。お前の考えそうな事、やりそうな事、癖や声や、何でも覚えている。いつも一緒だったからな」
「だが、お前は俺を裏切った」
 雨が止む気配はない。ざあざあと、何が楽しいのか、ずっと降り続けた。
「俺はお前を裏切った覚えはない。今も昔も、そして、未来もな」
「覚えていない、だと?」
 背中に当たる感触が、強くなった。
「お前、まさか覚えていないって言うのか!? お前が殺した、あいつの事も!」
「覚えていないんじゃない。覚えがないと言ったんだ、馬鹿」
「貴様ぁ……!」
 撃たれる、かな?
 一瞬の覚悟。その直後、背中の感触が消えた。同時に、悲鳴と水が跳ねる音が聞こえた。
「二十二時三十四分! 山田耕作、殺人未遂の現行犯で逮捕する!」
 振り向けば、そこには刑事に組み敷かれた山田がいた。猟銃が、俺の足元に落ちていた。
「刑事さん。俺の後を尾行していたんですか」
「すみませんねぇ。犯人がいつあなたを狙うか、わからなかったもんですから」
 物陰から、壮年の刑事が顔を出した。自宅にまで押しかけてきた、あの刑事だ。
「よく言いますね。俺を餌にして、犯人を釣ろうと考えていたんでしょ?」
「はて、何の事ですかな」
 刑事は懐から煙草を取り出し、火をつけた。
 俺は刑事から、山田に目を移した。山田は俺を、憎しみに満ちた目で睨んでいた。
「山田。お前は昔から、感情的になり過ぎて周囲が見えなくなる癖がある。だから、ダメなんだ」
「うるさい! お前が、お前があいつを殺さなきゃ! こんな事にはならなかったんだ!」
「殺した?」
 壮年の刑事が、鋭い視線を俺に向けた。
「立山さぁん。隠し事はなしにしましょうよ。ねえ?」
「隠し事をしていた刑事さんに言われるのは癪に障りますが、別にいいですよ。話しても」
 前置きし、俺は続けた。
「こいつには昔、恋人がいましてね。自殺したんですよ」
「違う! お前が殺したんだ!」
 暴れる山田を、若い刑事が押さえ込む。貧相な山田の体では、とても敵いそうにはなかった。
「どういう、事ですか?」
「なに、こいつの勘違いですよ。彼女が死ぬ寸前、彼女は俺に会いましてね。結局、俺は彼女の自殺は止められなかった。それをどう勘違いしたのか、こいつは俺が自殺の原因だと思い込んだらしいんですよ」
「違う! お前が、お前が!」
 雨に濡れた山田は、まるで泣いているように見えた。あるいは、本当に泣いているのかもしれない。
「お前があいつを殺した! お前のせいであいつは死んだんだ! あいつが死ぬ理由は、何ひとつとしてなかったんだ! お前は俺から大事なものを奪った! だから、だから俺は、お前から何もかもを奪うと決めたんだ!」
「なのに、我慢しきれず俺を殺しに来た。本当に、お前は中途半端だな」
 俺は軽くため息をついた。
「山田。あいつが自殺した理由を教えてやろうか。あいつ、勘違いしたんだ。お前に、他の女がいるって」
 山田は、返事をしなかった。呆けた顔で、俺を見つめている。
「大人しくて素直、しかも真面目な彼女は、誰にも相談できなかった。そして、思い悩んだ挙句、自殺したんだよ」
「嘘、だろ?」
 山田は俺が何を言っているのか、理解できていない顔をしていた。
「だって、俺にはあいつ以外の、誰もいなかったぞ……?」
「知ってるよ。だから、勘違いだって言っているだろ」
「どういう事ですか?」
 壮年の刑事が俺たちの会話に口を挟む。俺は、ちらりと刑事を見やった。
「彼女が自殺する三ヶ月くらい前です。俺の妹が、大学の下見に上京してきたんですよ。でも、俺はその時は仕事が忙しくて、妹の面倒を看てやれない状態でして。それで、山田に代わりを頼んだんです」
 あ、と声が漏れた。
「彼女は、それを見たんですよ。刑事さんもご存知の通り、俺と妹はあまり似ていません。化粧をしていたら、余計にわかりにくいでしょうね。そのせいで、彼女は勘違いをしたらしいんです」
 見れば、山田は震えていた。雨による寒さか、それとも、他の何かか。
「証明はできますか?」
「できますよ。携帯電話に、あいつの遺言が残っていますから」
 俺は内ポケットからケータイを取り出した。二年前から変えていない、型遅れのケータイだ。
 俺はカチカチと操作し、二年前に録音した音声を再生した。
『どうして、死ぬんだ?』
 俺の声が聞こえた。もう何度も聞いた、内容を暗記するほどに聞いた、間抜けな台詞だ。それだけで、いつもまぶたの裏に蘇る。あの時の光景が。
 マンションの屋上。金網の向こうに悠然と立つ、彼女の姿。現実離れした美しさがあった。
『あたし、もう、駄目なの。彼に見捨てられたら、もう生きていけない』
『見捨てた? 山田が、お前を? それは誤解だ、間違いない。断言できる』
 あの時、たまたま残業にならなければ。たまたま、空を見上げなければ。たまたま、彼女の姿を見つけなければ。あるいは、こんな想いはしなかったかもしれない。
『嘘じゃないよ、見たから。彼、女の子と歩いていたの。楽しそうだった』
『それだけか? 友達かもしれないじゃないか』
『友達が、キスするの?』
 あいつが、山田に懐かなければ。不用意に、冗談でもキスなんかしなければ。
 何もかもが嘘みたいに最悪のかみ合わせで組み合わさり、そして、結果まで最低になってしまった。
『二月十九日、日曜日。三時半頃、駅前。ずっと、忘れられないんだ。頭から、離れないんだよぉ……』
 別に彼女が死んで、悲しいわけじゃない。俺と彼女は、山田という接点がなければ話もしない間柄でしかなかった。
 でも、そのせいで。山田は、最悪の螺旋に迷い込んだ。
『ねえ、彼にさ、ごめんねって伝えてくれる?』
『そんなの、自分で伝えたらどうだ』
『あたしは、もう、無理だから。じゃあ、ね』
『お、おい!』
 そして。彼女は、飛び降りた。
「ここまでです」
 再生を止め、俺は言った。
「録音されていたのは偶然でした。俺も、数日が経過してから知ったんです」
 どうして録音されたのか、俺にもわからない。だが、これは間違いなく、俺と彼女の最期の会話だ。
「嘘、だ……嘘だ!」
 ばしゃり。山田は力なく、雨に濡れる道路に膝をついた。
「嘘、だ……」
 山田はキッと、俺を睨んだ。
「なら、どうして言わなかったんだよ!? どうして、どうして言ってくれなかったんだ!」
「俺にも責任の一端はあった。それに、本当の事を言えば、お前がショックを受けると思ったからな」
 二年前。彼女の最期を問い詰めた山田に、俺は言った。あいつが死んだ責任は俺にある、と。
「本当の事を言えば、お前は自殺したかもしれない。憎み続けていれば、お前は死なない。正直、彼女の生死はどうでもいいんだ。俺にとって大事なのは、お前が生き続ける方だったから」
 何より、こいつが大事だから。俺を憎んでも、それでこいつが生きる支えを得られるなら、何の文句もない。
 山田はもう、何も言わなかった。嗚咽を漏らし、泣いていた。
 俺の選択肢は、間違いばかりだ。結局、余計に山田を傷つけただけだった。
 どうせ間違いばかりの狂った俺なら、もう少しくらい狂っても、問題ないよな。
「刑事さん。こいつ、どうなるんですか」
 聞くと、刑事は素直に答えた。
「もちろん、裁判になるでしょうね。他の件に関しても証明できれば、無期懲役か、死刑か。どちらかといったところでしょう」
「そう、ですか」
 遠く、パトカーのサイレンが聞こえる。こいつを迎えに来たのだろう。その前に、俺にはやらなければいけない事がある。
 俺は足元の猟銃を手に取った。使い方はよくわからないが、まあおおよその想像はつく。
「立山さん、そいつは重要な証拠品です。触らないで貰えますか」
「ああ、すいません。すぐに終わりますから」
 俺は銃口を壮年の刑事に向けた。そして。そのまま、軽く引き金を引いた。
 爆音と共に、手に伝わる衝撃。赤く暖かい液体が、俺の頬にも飛び散った。
「――え?」
 山田も若い刑事も、何が起きたのか理解できない顔で俺を見つめていた。頭を失った壮年の刑事が倒れる。
「立、山?」
 山田が、搾り出すような声を出した。俺は振り返り、微笑んだ。
「お前をひとりで行かせない。堕ちる時は、一緒だ」
 最初から、決めていた。
 こいつに殺されるなら、それで良し。もし生き残ったら、俺も誰かを殺す。そして、こいつと同じ苦しみを味わう。
 こいつは俺の一番の友人だ。他の何にも変えがたい、最高の友人だ。
 こいつを失う痛みに比べれば、他の何をも我慢できる。他人から見れば、理解できないだろう。理解なんて、してもらわなくて構わない。俺は、俺のやりたいようにやる。それだけだ。
 チリン――
『とうとう、やってしまったのね』
 どこかで、声がした気がする。けれど、周囲を見渡しても、人影は見えなかった。
 ……、やってしまった、か。
 まったく、大きなお世話だ。これが俺の選んだ道。誰かに何かを言われる筋合いなんかない。
 雨は、いつの間にか上がっていた。


 曇った空の下に浮かぶ、ふたりの少女。眼下をの光景を、ため息混じりに見つめていた。
「とうとうやっちゃったわね。ま、予想はしていたけど」
 桜色の少女は呟くように言う。夜空色の少女は、頷いて応じた。
「回避はできたかもしれない。でも、未来は変えられなかった」
 チリン――
 ふわりと浮かび、くるりと回る。闇色の少女の頬は濡れていた。
「彼は狂ってしまった。想うあまり、自ら世界を壊してしまった。そして、私はそれを、止められなかった」
「しょうがないじゃないの。アンジェラに責任はないし、あいつだって自分で望んで人殺しとなる道を進んだ。避けられたのに、避けようとしなかった。そんなの、どうしようもないじゃない」
 珍しく少女に応じるように、漆黒の小動物は、きゅーと鳴いた。
「貴女たちの言葉は、正論かもしれない。彼が堕ちた事実で、私が悲しむ理由は、ないのかもしれない。それでも、止まらないの。この、雫は」
 ため息と共に、桜色の少女は腰に手を当てた。
「……ま、そんなご主人様だから、あたしは惚れ込んだんだけど」
 続けて、きゅーという鳴き声が聞こえた。
 ちらりと、桜色の少女は下を見据えた。
「馬鹿な男、よね。人を殺した苦しみなんか、本人にしかわかんないのに」
 痛みは共有できない。痛みは、自分だけのものでしかない。
 一緒に歩いて、痛みを和らげる事はできるかもしれない。他人の痛みを、自分の事のように感じる人もいるかもしれない。
 けれど結局、心の問題は自分で解決するしかない。
 桜色の少女は、主を見つめて言った。
「さ、もう行こう。これ以上はここにいても仕方ないでしょ?」
「ええ。そう、ね」
 名残惜しげに夜空色の少女は眼下を見据えた。赤いパトランプが、くるくると回っていた。
 少女はそっと目元を拭い、その光景に別れを告げた。
 世界は何事も、思い通りに進むとは限らない。これも、所詮はその一例。けれど、少女の得た痛みは、そんな言葉ではどうにもならない存在だった。
 暗い闇夜に、ふたりの少女は溶け込んだ。後には、何も残らない。本当に、何も。
 チリン――



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