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親子の関係ってのは色々だ。形はひとつだけじゃない。 だから、僕のような形も、変わっているだけだと思う。 まあ、自慢できるようなものじゃないけど。 父と一緒に、歩いて近所のスーパーに向かっていると、道の向かい側からお隣の堀江さんが歩いてきた。 「こんにちは」 僕が頭を下げると、堀江さんも愛想笑いを浮かべ、頭を下げた。 「こんにちは。桜井さんところは、本当に親子の仲がいいですね」 だから僕も、愛想笑いを浮かべた。 「ありがとうございます」 父が返す。そして、堀江さんとはその場で別れた。 「仲が良い、か」 僕は父を振り返り、言った。 「あの人は何を言っているんだろうね」 「さあな。物事の真実を見極められない、愚鈍な人なんだろう」 無表情に言う父。僕と、同じ意見だった。 僕と父は、外見も考えも似ていて、どこをどう見ても非の打ち所のない親子なのに。なのに、こんなにも、親子じゃない。 血の繋がりは無条件で絆になると、誰かが言っていたけれど。僕にはそれが理解できない。 同じDNAが含まれている。で、だから何だと言うんだ? 父は父で、僕じゃない。同じように、僕も僕であって、父じゃない。言ってしまえば、そこらを駆け回っている子供や、車の上でひなたぼっこをしている野良猫と同じ。僕以外の生命体でしかない。 世間の人には、こういう考えは理解できないだろけど。 スーパーに到着。父が買い物かごを手に取り、夕食の買い物を始めた。 何を買うのかは、家を出る前にあらかじめ決めてある。スーパーは煩くて、議論には向かない場所だから。 必要なものを買い物かごに放り込んで行く。値段や賞味期限を確認するのは僕の役目。荷物を持つのは、父の役目だ。父は、こういう細かいところを気にするのが苦手だからという、それだけの理由で作られた役割分担。そこに、深い意味はなかった。 必要なものを買い、レジを通る。最近はエコだか何だかで、レジ袋もタダじゃなくなったから、いちいち袋を持ち歩かなきゃいけなくなった。どうでもいいけれど、エコバッグという名前はどうかと思う。それだけ無駄に鞄を作っている時点で、すでにエコじゃないし。 「ん?」 食料品を袋に詰めていた父が、ふと顔を上げた。つられて、僕も顔を上げた。 チリン―― 聞こえたのは、綺麗な鈴の音色。ほんのりと安心させるような、優しい音色だった。 音の持ち主は、小学生くらいの女の子。陽気も暖かいどころか暑いくらいになってきたってのに、夜空色の長袖ワンピースなんかを着ている。腕に、鈴の付いた腕輪をしていた。 「アンジェラ、何してるの」 と、その女の子に声がかかった。声をかけたのは、和服のような洋服のような、形容しがたい組み合わせの女の子だった。 「生が、尽きそうだったから」 黒い女の子は、そう言った。和洋折衷な女の子は、その視線の先を辿り、そして僕らに辿り着いた。 「ああ、本当だ。でも、そんなの別に珍しくないでしょー?」 「それは、そうだけれど」 「……ああ、はいはい。いつものビョーキね。で、今度は何をするの」 ふと気付いたように、女の子は僕らに向き直った。 「初めまして。あたし、志野ケイ」 「え? あ、ああ。初めまして?」 って、僕はどうして挨拶なんてしているのだ。 「健介。知り合い、ではないな?」 「もちろん。初めて会ったけど」 初めてだからこそ、意味が分からないわけだけど。スーパーですれ違った人と知り合いになる理由はナッシング。それが世間の一般常識、だよね? 「ああ、あんまし細かいとこは気にしないで。説明するの面倒だし。それより、お父さん。何か、後悔している事ってない?」 「後悔?」 言う事がいちいち唐突すぎる。前後がわからない。 「そう、後悔。今の間に気持ちに整理しておかないと、後が面倒だからさ」 「言っている意味が理解できないが」 僕も理解できない。同意する。 「んー、どうやって説明したらいいかなぁ……?」 「私が話すわ」 と。理解を超えたお嬢さんの代わりに、中身はマトモそうな女の子の方が前に出た。 女の子は僕と父の顔を当分に眺め、そして、言った。 「どうして貴方たちの間には、絆と呼べる、繋がりがないのかしら」 「は?」 声を出したのは、僕ではなく、志野さんだった。 「アンジェラぁ、それはないんじゃないの? どこをどう見ても仲良さそうじゃないの。このご時勢に親子で買い物なんて、立派なもんじゃないの。メグミだって行った事がないわよ」 「ええ、表面上はとても仲が良い。親が子を殺し、子が親を殺す現代日本において、それは稀有なまでに親密に見える。けれど、心は違う。このふたりの間に、繋がりはない。互いが互いを存在として認めず、赤の他人よりなお遠い位置に、このふたりは立っているの」 ……、へえ。会ったばかり、会話すらほとんどしていないのに、僕らを見破るなんて。この子、只者じゃないね。 「何を言っているのかわからないけど、ウチは親子関係は良好だよ」 だけど。それを他人に言うつもりはないんだ。僕らはあくまで、理想的な親子関係に見えなければいけない。見破ったのは、賞賛に値するけれどね。 「貴方がそう言うのなら、それも構わない。けれど、後悔してからでは、もう遅い」 そう言うと、女の子は志野さんも待たずに歩き出した。その後を、志野さんが慌てて追う。 置いてかれた僕らは顔を見合わせた。 「……行くか」 「うん、ああ、そうだね」 頷きながらも、僕の頭からは、さっきの女の子の姿が離れなかった。 リビングで、僕は見るともなしにテレビ画面を見つめていた。 昼間、スーパーで会ったふたりが頭から離れない。理由は、わかりきっている。 不思議なふたりだった。何より、僕らの関係を見極めた人は、他にいなかった。あれで印象に残らないなら、僕の脳みそは検査の余地がある。 僕と父は、表面的にはとても仲が良さそうに見える。休日は一緒に出かける事も多い。イマドキの高校生たる僕が、父親と外出するだけで、最近では珍しい光景だ。仲良しを偽るのは、簡単だった。 あの子は、どうして僕らの関係を理解したんだろう。僕には心当たりがまるでない。 「……馬鹿みたいだ」 ふと、思った。 一流企業で最先端の機械工学を研究する父。誇るべきかもしれないけど、僕には重荷にしかならない。それが、父親の体面を保つため、仲良し親子を演じるなんて。 だいたい、あの人が悪いんだ。あの人にとって息子ってのは、自分が作ったロボットの事だ。僕の事じゃない。なら、僕なんか産ませなきゃ良かったんだよ。 母がいれば少しは違ったかもしれないけど、残念ながら母は僕を産んで、そのまま死んでしまった。 それでも、僕にはまだ父がいる。父親からの愛情ってのは得られたはずなんだ。そんなの、欠片も貰った記憶はないけど。 愛のない関係なら、赤の他人と同じだ。まして、父はまるで自分さえも機械化したかのように、家にいる間は会話すらしない。これが親子だと言うのなら、そりゃ相当のお気楽脳だ。 親子の間に、無条件で生まれる絆なんてない。僕は、それをこの身で体験したんだから、間違いない。 テレビはいつの間にか、ドラマに変わっていた。こんなのを見ても仕方ない。リモコンは、と――? 立ち上がり、振り向いた。 「わッ!?」 って、なんだ、父か……。黙って立たないで欲しい。 「何か用?」 ……。 …………。 ……答えようよ! そんなに僕と会話するのが嫌か? 「ん?」 何か、変だ。 そういえば、どこか顔色が悪いような気もするし、心なしか汗が浮かんでいるような気がしないでもない。 「風邪薬なら台所だよ」 返事はない。ただの屍か? いい加減、ムカついてきたな……。 「あのさ、少しくらい返事をしたら――」 どさりと。揺らいだ父の体は、床に崩れ落ちた。 「え?」 崩れ落ちた? え? どうして? 「ちょっと、どうしたの?」 肩を揺すって、反応なし。こういう時は? 「救急車、か」 何故だろう。緊急事態なのに、冷静なままだなんて。 リビングの端にある電話に手を伸ばしながら、そんな事を考えていた。 病院で待つ事、一時間強。退屈だな。文庫本でも持って来ればよかったと、少し後悔した。 欠伸をかみ殺していると、集中治療室の扉が開いた。こういう時、すぐさま変わり身する能力は、とっくの昔に身につけた。 「先生、父の容態は?」 尋ねると、手術用のマスクを外した医者は、曖昧な笑みを浮かべて言った。 「――最期になるかもしれません。今の間に、お話をしてあげて下さい」 そう言い残し、医者はその場を後にした。僕は看護士に導かれるまま、マスクやらを装備し、治療室の中に入った。 ベッドの上に横たわる父は、特に変化がないようにも見えたし、すごく変わったようにも見えた。どちらとも判断できないのは、普段から見慣れていないせいかもしれない。 いつの間にやら、看護士の姿も見えなかった。たぶん、部屋の外に待機しているんだろう。最期はふたりきりにしてあげようってところか。馬鹿らしい。 「父さん、死ぬんだってね」 父は目だけを動かし、口を小さく開いた。 「……ああ。そのようだな」 「何? 怖くないの?」 「そうだな。人間は、いつか壊れる。覚悟していた」 壊れる、か。人間を何だと思っているんだろう、この人は。精密な人型機械だとでも思っているのかな? 「父さんに死なれると、僕も生活が困るね」 「貯金はそれなりにある。後は、自分でどうにかしろ。お前も、もう高校生なんだからな」 「ん、わかったよ。他に何か言っておく事は?」 青白い顔。息苦しそうに見えるのは、気のせいじゃないだろう。本当に、放っておけば今すぐにでも死にそうだ。 「ああ、そうそう。別に、最期だからって『今までごめん』とか、『父親らしい事はできなかった』とか、言わなくていいから」 念のため、釘を刺しておく。そんな事を言われても、今さらだ。 父は口の端を歪め、呟いた。 「そんな事は、言わないさ。私は、私の、やりたいようにやった。私は、お前など愛していない。欠片ほども、だ」 僕も思わず口の端を歪めてしまった。 この人は、息子本人を目の前にして、どういう口の利き方をするんだ? 愛していないだって? わかりきっていたけれど、実際に言われると更にムカつく。 「健介。人間は、独りだ」 ……? 昼間の女の子じゃないけれど、どうにも脈絡がないな。 「永遠に一緒になどいてくれない。愛しているだの、信じているだの、所詮は一時だ。いつか、裏切られる。それなら、最初から信じなくても、同じだ」 段々と父の呼吸が荒くなる。けれど、それにも構わず、父は語り続けた。 「だから私は、ロボットを作った。絶対に人を裏切らない、人を超えた人を、作りたかった。健介。人間は、信じるな。絶対に、裏切られる……」 そう、か。もしかすると、この人が僕を愛さなかった理由、それは――。 「嫌だよ」 理由に思い当たってしまった。だから、僕はもう、頷けなかった。昼間の僕なら、同意したかもしれないけど。 「あんたの言う事は聞く耳を持たない。僕は僕がやりたいようにやる。あんたがやりたい事をやったように、ね」 父は、ますます顔を歪めた。どこか、嬉しそうだった。 「そう、か」 それきり。父は目を閉じ、何も言わなかった。 「――ずっと、愛されていたんだね」 随分と、ひねくれた愛情だったけれど。 これが、この人なりの、愛し方だったんだろうな。本当に、不器用な人だ。 父の頬に触れてみる。まだ、暖かかった。 「一応、言ってあげるよ。ありがと」 でも、と僕は続けた。 「できれば、もう少しわかりやすい愛情表現にしてくれないかな?」 次はないけれどね。 チリン―― 月夜に浮かぶ、白い建物。救急病院を見下ろす上空に、ふたりの少女が立っている。生を知り、死を導く者。人々に忌み嫌われ、魂を狩り殺す者。 病院から、ひとつの光が浮かび上がってきた。ふわふわと浮かんだ光は、少女たちの前で男の形を成した。 「君たちか。やはりと言うべき、なのか?」 「どっちでもいいわよ。好きにして」 桜色の装束に身を包んだ少女は、憮然とした表情で返した。 「最後の最後で、繋がりを得たようね。とても歪んだ、螺旋階段のように入り組んだ愛情によって」 夜空色の装束に身を包んだ少女は、初老の男性を見上げて言った。 男は空を見上げ、答えた。 「私は、今まで何度も裏切られてきた。あの子には、そんな痛みを味わって欲しくはなかった。だから、誰からも愛を得られない、全てを疑うように育って欲しいと思った。それだけだ」 「何よそれー。それが親の言う事ぉ?」 男は桜色の少女に視線を移した。 「私の教育方針だ。他人にどうこう言われる筋合いはない」 「そう、ね。それが貴方の選んだ生き様なのだから、私から言う事は何もない」 けれど、と夜空に溶け込む少女は続ける。 「私は、貴方の選んだ選択肢は好きではないわ。この、愛のない家族が散在する世界において、あるいはとても強い愛情かもしれない。それでも、やはり私は、貴方を認めがたい」 「そうか。それも結構だ」 さて、と男は呟いた。 「私はもう逝かせてもらう。少々、疲れた」 「ええ、さようなら。せめて次の生は、信頼と愛情に囲まれますように」 男は皮肉な笑みを浮かべ、再び光となって夜空に消え去った。 その光を見つめ、少女はぽつりと漏らした。 「ああいうのも、愛って言うの?」 「それは受けた者が決める。少なくても、彼は愛と受け取ったらしいわ」 ちらりと眼下を見据え、答えた。 桜色の少女は、不満げに鼻を鳴らした。 「ふーん。あたしは、理解できないな」 「私もよ」 ふたりに続き、きゅーという答えが聞こえた。 チリン―― 顔を見合わせ、ふたりは笑った。 「行こっか」 「ええ。世界は広い。次の逢瀬を、探しに行きましょう」 「次はもうちょっと後味の悪くない話がいいわねー」 人にあらざる少女たちは、夜の闇に溶け込んだ。まるで、最初からそこには何もなかったかのように。 チリン―― |