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客間に戻った僕らの前に、アルバートが転がっている。陽平さんが持ってきた特殊なロープで縛られていて、今の状態ではアルス・マグナは使えないらしい。仕組みは、わかんないけど。 アルバートは、意識は取り戻していた。けれど、目はうろうろとせわしなく動き、時々、何かに怯えるように肩を震わせていた。 ちなみに顔はエルによる引っかき傷だらけだけど、怯えているのは、たぶんこれと何の関係もないと思う。 「んで。こいつ、どーするんだ?」 公平さんが一堂を見回す。答えたのは、ケイだった。 「殺すのは駄目だからね」 「わかってるよ。アンジェラの前じゃ、冗談でも言えねーよ」 そう。今はアルバートに勝ったけど、次も勝てるとは限らない。それが、今の問題なんだ。 アルバートを殺してしまうなら、戦いに関しては問題ない。死者ならアンジェラ自身が戦えるし、アルバートが人間としては規格外に強くても、死導者の中でも有数の能力を持つアンジェラに勝てるわけがない。 でも。僕らは、アンジェラを守りたくて戦った。そしてそれは、アンジェラの理念を守るという意味でもある。 アンジェラは、決して殺さない。アンジェラが殺す時は、それが最良である時だけだ。生きていても苦しい、そして、光などありえない。死ぬしか他に道がない時しか、アンジェラは生を奪わない。 だから、僕らもアルバートは殺せない。ここでアルバートを殺してしまえば、何のために戦ったのか、わからなくなってしまう。 僕らはアンジェラを守るために戦ったんだ。アルバートを殺すためじゃない。 公平さんはしゃがみこむと、アルバートの身体を起こした。 「おい。もうアンジェラは狙わないって誓うか?」 「……、ッ!」 アルバートは答えず、目を泳がせた。 「おい。返事くらいしろや」 「――りえない、んだ」 「あ?」 アルバートが何事かを呟く。僕らは揃って、眉をひそめた。 「ありえないんだよ、そんなの、絶対に」 「んだ、テメエ。そんだけ殴られて、まだ殺す気かよ?」 「違う。そんなのじゃない、そんなのはどうだっていいんだ」 どうだっていい? どういう事だろう。なんだか、さっきまでと雰囲気すら違って見える。 さっきまでは自信に溢れて高圧的だったのに、今は、そう。小動物のように見える。 「ありえないんだよ。そんな、そんなの教会の歴史にだって一度もなかったんだ」 「だから、何がねーんだよ?」 言いにくそうに、これから口にする事実を認めたくないと言わんばかりに、アルバートは首を振った。 「レベル、ファイブだ。それも、一般人の」 「あん? れべるふぁいぶ?」 「それはさっきも言っていた、教会のつけたランクの事か」 陽平さんが話に割り込む。アルバートは、頷いた。 「という事は、まさか遠藤君がその、レベルファイブだと?」 アルバートは、震えながらも頷いた。 「レベルファイブは、退魔師の中でも最上級だ。教会の歴史に残る限りの魔術師、退魔師、錬金術師、それ以外も含めたあらゆる能力者の中で、レベルファイブに辿り着いた者はほとんどいない。ぼくですら、例外中の例外なんだ。元から一般人とは回路の異なる、錬金術師ですら。なのに、なのに彼は……」 アルバートは僕を見つめ、そして、目をそらした。まるで恐怖の対象であるかのように。 「死導者が化物? 冗談じゃない、彼の方が、よほど化物じゃないか!」 「僕が、化物?」 アルバートは、本当に怯えていた。未知なる存在、すなわち、僕に。 「ちょっとあんた。失礼な事を言わないでくれない? アンジェラもこいつも、どこが化物だって言うのよ」 ケイが絡もうとするのを、アンジェラは手で制した。 「いいわ、ケイ。確かに私は、死を導く者。生ける者ですらないのだから。それより――」 アンジェラは、その澄んだ真紅の瞳を僕に向けた。 「紅葉。貴方、いつからその能力を?」 「能力って、生を消滅させるとかいうヤツ?」 アンジェラが頷く。そんなの、考えるまでもない質問だった。 「今日、正確にはさっき、初めて知ったよ。起源を書き換えるってのは前からできたけどさ」 「成長、しているのね」 アンジェラはぽつりと呟き、アルバートに目を向けた。 「アルバート・H・トールキン。恐れる必要などないわ。紅葉は、特殊な存在だから」 「特殊ってどーゆー事だよ?」 公平さんが聞く。アンジェラは律儀にアルバートから公平さんに視線を変えた。 「紅葉は、世界でも稀有な、聖母に愛されし者。母が死に瀕した者を救ったのは、私の知る限りではこれが初めて。言うなれば、紅葉は母の能力を受け継いだも同然なのよ」 「聖、母?」 アルバートは疑問に彩られた眼差しでアンジェラを見上げた。 「そう。聖なる母。私たち死導者の祖にして、絶対なる存在」 「死導者の祖? 聖母が?」 アルバートは変な顔をした。それは仕方ないかもしれない。キリスト教圏からすれば、聖母ってのはマリア様の事だろうから。 「……、そう、か。え? でも、だとしたら、そんな――?」 アルバートは突然、ぶつぶつと何かを呟きだした。その様からは、小動物的な感じが消えている。何かが、吹っ切れたのだろうか。 やがて考えがまとまったのか、アルバートは顔を上げた。 「ひとつ、聞きたい。それに答えてくれるなら、ぼくはもう君を狙わない。いや。それよりも優先すべき事柄が生まれる、と言った方が正しいかな」 なんだか含みを持たせた言い方が気になるな。 でも、アンジェラは気にならないのか、それとも何も気にしていないのか、素直に頷いた。 「じゃあ、聞かせてくれ。君の記憶は、いつからある」 「私の、記憶?」 アンジェラは思い返すように天井を見上げた。一瞬、表情が曇る。おそらくは、思い出したのだろう。 「そう、ね。人間の歴史で言うと、千年以上は昔になると思うわ。どのくらい昔なのかは、私にもわからないけれど」 「「せんねん!?」」 公平さんとケイの声が、綺麗にはもった。 「アンジェラ、そんな昔からやっているの!?」 「ええ。正確には思い出せないけれど、少なくてもそれくらいはあるはずよ」 「すげぇ――……」 正直、僕も驚いた。 昔からやっているっていうのは聞いていたけど、それほど昔からだってのは知らなかったから。 アルバートはその答えに満足したのか、大きく頷いた。 「ありがとう。なら、ぼくはもう君を狙わない。神に誓うよ」 「信用、できるんでしょうね」 ケイが疑念に満ちた瞳を向けた。無理もない。口約束なんか、その気になれば今すぐにだって破れるんだから。 「なら、その証拠を示そう。服従の証だ」 アルバートは陽平さんを見上げた。 「頼む。これからぼくが言う通りに魔法陣を描いてくれないか」 「まあ、いいだろう。危険なものかどうかくらいなら、私でもわかるからな」 釘を刺すように言って、陽平さんは庭に出た。 客間から直接に行ける庭に、陽平さんはアルバートの指示通りに陣を描いていく。 作業は数分ほどで終わった。 「なるほど。まさに服従の証、だな」 描き終わった陣を見つめ、陽平さんは言った。 「陽平。これ、どーいう陣なんだ?」 「兄さんも勉強しただろう。主に逆らった者に死を与える、悪魔契約の儀式陣だよ」 陽平さんはアルバートを見つめ、言った。 「本当にいいのか? これは本来、使い魔に強いる魔法陣だったはずだろう」 「構わないよ。今のぼくには、この子に逆らう必要性など何もない」 続けて、陽平さんはアンジェラを見た。アンジェラは悲しげに、けれど、確かに、頷いた。 「彼が、それを望むなら」 ああ、これが、僕らの守りたかったアンジェラだ。 死の重みは誰より知っている。だから、命は大切にさせる。 けれど、アンジェラは命を懸けるに値する何かがあるというのも知っている。 今、アルバートが自由を得るには、この儀式は必要不可欠だ。そして、アルバートにとって、自由が得られるならアンジェラに命を預けるなんて、何でもないんだろう。 それは、アンジェラが無意味に殺さないという事を、理解しているとも取れる。 本当に。彼は、アンジェラが死導者だから戦ったんだろう。 それって、悲しい事だ。 アンジェラとアルバートが魔法陣の中に入る。呪文の詠唱は、どうやら陽平さんが行うらしい。 そして。ふたりは、光に包まれた。 洋館の広い部屋に、七人の男女がいた。 「で、結局、どうしてお前は急に心変わりしたんだ?」 氷の退魔師が問うと、大いなる錬金術師はゆっくりと首を横に振った。 「まだ、言えないね。もしこれが事実なら、教会がひっくり返るよ」 先刻までの動揺はどこへやら。大いなる錬金術師は平然と答えた。 「その証拠固めを、これからするつもりか?」 炎の退魔師の言葉には、素直に頷いた。 「ったく、人騒がせよね。冗談じゃないっての。ただでさえ、この屋敷は戦いにくいのに」 「ま、いいじゃないか。終わりよければ全てよし、って言うだろ?」 桜色の眷属をなだめるように、成長する能力者は言った。 「私には、とても良い経験になったわ」 夜空色の死導者は、楽しそうに言った。 「人の想いは何をも超えうる。私は、それが好きでこうして存在し続けている。それを守りたいと、ずっと願っている」 チリン―― 夜空色の死導者はソファから立ち上がり、未だ座る面々をひとりひとり、丁寧に見つめた。 口は悪いが真っ直ぐで、とても優しい氷の退魔師。 素直には言えないものの、自分なりの正義をきちんと持っている炎の退魔師。 物静かで何を考えているかはわからないが、あるいは誰よりも熱い魂を持つ巫女。 誰より黒き少女の幸せを願う、忠実な桜色の眷属。 そして、暖かく人々を包み込める、稀代の霊的能力者。 「公平。陽平。まみ。ケイ。それに、紅葉。本当に、ありがとう」 「改まって言うなよ。照れるじゃねーか」 「私は火野のために行動しただけだ」 「私は、何もしていないの」 「あたしがアンジェラにしてもらった事と比べたら、ぜんっぜん足りないわよ」 「みんな、ホントに素直じゃないね。じゃ、僕だけでも言っておくよ。どういたしまして」 と、夜空色の死導者の頭上で、黒い小動物が不満げにきゅーと鳴いた。 少女は見上げ、微笑む。 「もちろん、貴女にも感謝しているわ、エル」 きゅ、と黒い小動物は満足げに頷いた。 夜空色の死導者は胸に手を当て、そっと目を閉じた。 「私は、とても幸せになれた。呪いと憎しみと、様々な負の感情と共に存在してきた。けれど、今の私は、こんなにも暖かな世界に囲まれている。信じられぬほどに」 目を開き、死導者は全員を見つめた。 「この世界に、死は導かなくていい。だから私は、この世界を変える。絶対に、変える。それまで、待っていてくれる?」 全員が頷く。少女も、満足そうに頷いた。 「――だから、私はこの世界を守ろうと思える。貴方たちのような存在がいてくれるから。この世界は時に醜く、それ故に、美しい」 少女は歌うように言い、くるりと舞った。 楽しそうに、嬉しそうに。 世界はこんなにも、喜びに満ちている。 チリン―― |